荒川親子のお別れ会を数日後に控えたある日、春日、ナンバ、趙はサバイバーで飲んでいた。他の仲間たちは最近はそれぞれの仕事に忙しいようで、今日もこの3人以外に店内に客の姿はない。
春日は何とも無いように振る舞ってはいるが、時折どこか遠くを見るような、心ここに在らずといった風で、その酒がほとんど減っていないのが趙は気掛かりだった。
それはこの店のマスターも一緒だったようで、少し何かを考え込んだのち、「春日、ちょっと買い出しを頼んでもいいか?」と声を掛けた。もちろん春日は快くそれを請け負う。
「おい一番、どこ行くんだよ」
店を出ようとする春日をナンバが呼び止めた。
「どこって、買い出しだよ、買い出し!マスターに頼まれたの、見てただろ??」
「それなら俺も行く…」
ナンバはふらりと立ち上がるが、その足元は少々覚束ない。
「はぁ…、そんなに酔ってるのに連れていけるわけねえだろ……ったく、すまねえ趙、ナンバのこと見といてくれねえか?」
「お安い御用だよ。……それより春日君、一人で大丈夫?」
すると春日は、ああ、大丈夫だ心配すんなと力無く笑った。まるで、今だけは一人にしてくれと言いたげなその目に、趙は続きの言葉を飲み込まざるを得なかった。
───絶対に帰ってきてね、そう口に出してしまうのは野暮な気がしたのだ。
「……分かった、いってらっしゃい」
春日の背中がドアの奥、夜の帳に吸い込まれるのを見届け、マスターが自分たちの会話が届かないであろう位置で仕込みをしているのを確認した趙はナンバへと視線を動かす。
「……へえ、ナンバ君って意外と束縛するタイプなんだ??」
「あ"??」
虚を突かれたのと酒が多めに入っているのとで、いつもよりも低く投げやりな声がナンバから返ってくる。
「最近、春日君が誰かと電話した後とか"誰からだった?"とか一々気にしてるよね」
「……」
「今日もそんなになるまで飲んじゃってさ。まるで何か、不安を隠してるみたいに……俺の勘違いってことは、無いと思うんだけど」
ナンバは沈黙したままである。が、その目が泳ぎ、わざとらしく座り直したところを見ると、酔いは少し覚めたようだ。
「あっれぇ……、もしかしてまだ俺のこと信用してくれてない感じ?」
ぐい、と身を乗り出すようにナンバに顔を近付ける。相手から狙った反応を引き出したいときによく使う手の一つである。
このまま逃げられるものではないと悟ったのであろう。ナンバは大きなため息を吐いたあと、堪らず口を開いた。
「自分の命狙ってた奴を信用しろって方が無理だろ」
「それを言うなら、青木とブリーチジャパンの陰謀の片棒担いだナンバ君にも原因あると思わない?」
間髪入れず強烈なカウンターが返ってきたので、ナンバは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「お前、一番以外にはやけに手厳しいな」
「それはお互い様だねぇ」
フフ…と微笑を漏らし酒を一口だけ含んでゆっくりと飲み込んだ趙は、その掴みどころのない飄々とした雰囲気を保ったまま正面へ向き直ると、言葉を続けた。
「俺さぁ、あいつら嫌いなんだよね」
「あ。"あいつら"ってのは荒川親子のことね」そうサラッと言ってのける趙のあまりの突拍子の無さにナンバはぎょっとしてその表情を伺おうとするが、サングラスに店のライトが反射し、奥の瞳に浮かんでいるであろう色を読み取ることが出来ない。
「自分の欲に異人町巻き込んでめっちゃくちゃにした青木遼も最悪だけどさ、親父の方はもっとたち悪いよね。騙して、散々傷つけて、それなのに歪な因果と情で縛ってるから春日君は縛られてるとも思わないしそこから逃れられない───それって呪いとどう違うわけ??」
ナンバはしばらく面食らったような顔をしていたが、何かを決意したように手元の酒をぐいと煽ると真っ直ぐに趙を見据える。
「……絶対に一番の前で今の話をするな、約束しろ」
その言葉とナンバの強い眼差しを受けて趙の口角が少し上がる。やはり自分の思った通り、という顔だ。
「うっわ、怖い顔しちゃってさ…俺はナンバ君の前だから打ち明けたんだけど、……分からない?」
「……は?」
「あいつらのことは嫌いだけど、あいつらを大切に想う春日君のことは尊重したい。"ナンバも"、そう思ってるんじゃないの??」
「お前……」
──────────────
「……あいつ、俺らを置いていつかどっか行っちまいそうでな」
「うん」
「大阪で警備会社立ち上げたっていう、蒼天堀で会った連中も、多分一番に声かけるだろ」
「そうかもしれないねぇ」
ナンバがポツリ、ポツリと零し始めた本心に、趙はただただ相槌を打っていた。
「一番が決めたことなら、俺はその意思を大事にしたい」
趙はナンバが次の言葉を紡ぐのを待った。───"それだけ"ではないのは、自分も同じだから。
「……でも、またあいつが傷つくことになるんじゃないかって思うと、な…。一番にはもう、自分のために生きて、幸せになって欲しいんだよ」
「素直じゃないねぇ」
趙は少しだけ意地悪な笑みを浮かべると、ナンバの顔を大仰に覗き込んだ。
「───本当は、寂しいだけなんじゃないの?」
ナンバはその追及から逃れるように視線を遠くへやる。
「……さあな、……とにかく。今のは全部、ここだけの話だ。いいな?」
「フフ、オフレコってことね?りょーかい」
趙は機嫌良くグラスをくるくると回す。一方のナンバは、まんまと相手の手にのせられたような気がして面白くないのだろう。子供のように少し口を尖らせていた。
「……趙はどうなんだよ?」
「え?」
「一番がこの町を離れるって言ったら、お前はどうすんだ」
「んー?…俺はねぇ、」
───その時、サバイバーのドアが音を立てて開く。買い出しを終えた春日が帰ってきたのだった。
「お!春日君おかえり〜!」
「おう、ただいま!」
安堵で用意していたものより数段高いトーンの"おかえり"が口から出てしまった。
「マスターが余った金で好きなもの買っていいっていうからよ〜〜」と得意げにレジ袋からカップラーメンやらスナック菓子やらを取り出して見せる春日に思わず顔が綻ぶのを感じながら席を立つ。
その背中にナンバの怪訝な視線が注がれているのは、今は気にしないことにした。
──────────────
「あれ……?なんだよみんなおそろいで」
「いや…"ナンバが"心配してたからさ。春日君が元東城会にスカウトされちゃうかも、って」
「ったく……それは言うなって言ったよな?」