無題 初めてトラが俺の家に泊まったのは、まだŹOOĻとしての活動を始めたばかりの頃だった。
毎日当たり前のように収録に遅刻してきては、悪びれる様子など一切ないトラの態度に、いい加減頭にきてしまい、勢い任せにトラの着ていたシャツの襟を掴んだ。
いくらするんだか分からない高級そうな生地が、シワになりそうなぐらい、グシャグシャに掴まれているのを気にしていないかのように、その時のトラは何処吹く風で余裕そうに口元の端を吊り上げて笑っていたのを覚えている。
「なら、あんたが起こしにでも来て、無理やり連れていけばいいんじゃないか?」
そんなことまで出来ないだろう、とでも言いたげにトラの瞳が弧を描く。毎回毎回遅刻しているトラに鬼電こそするが、わざわざ起こしに行ってやる義理なんかあるわけない。
それを分かっているから、わざとそんな風に言って俺の『お説教』を回避した気になっている。そんな舐めた態度を取られて、はいそうですか、って突き放すのは簡単だったはずなのに、何故かその時ばかりは、俺もついムキになって言い返していた。
「だったらお望み通り起こして、無理やりにでも連れてってやるよ」
「は?」
面食らった顔で、初めて動揺を見せたトラに笑いかけてやる。
「まぁ、かといってわざわざお前の家まで起こしに行くのも面倒だし、ウチ来い」
「はぁ? なんでそうなるんだ!」
「うるせぇな、お前が言い出したんじゃねぇか!」
「泊まるなんて話はしてない!」
ぎゃあぎゃあと喚き出したトラに、思わず舌打ちが漏れる。本当に、いちいち癇に障る。でも、ここで引き下がってしまえば、『こう言えば回避出来る』と学んで、遅刻の常習犯に戻るだけ。
俺の家にさえ押し込めたら、どんなに嫌がろうが俺の勝ち。朝は絶対に叩き起こせるし、無理やりにでも引っ張っていける。
「今日逃げても、俺はまた同じこと言ってやるよ。だから観念してとっととこの『罰ゲーム』終わらせた方が楽だろ? なぁ?」
「……っ、クソ……」
悔しそうに歯を噛み締める。その反応は、『もう逃げられない』と観念したも同然だ。
「じゃあ、決まりだな」
「……分かったよ」
抵抗する意志をなくしたトラを見て、俺も手を離す。拗ねた表情で「シワになった」と、小さく呟く姿は今まであまり見た事ない顔だった。
その日、車で現場まで来ていたトラは渋々といった表情で、俺を助手席に乗せた。てっきりこのまま逃げて帰ると思っていたのだが、『逃げても無駄』という俺の言葉に諦めているのか、案外素直に言うことを聞いたトラに意外性を感じていた。
──だったら普段の『遅刻するな』も素直に言うこと聞いて欲しいんだけど。
「で? アンタの家は?」
「ここでて、その道まっすぐ行って、次の信号を右」
「分かりにくい」
「普通じゃね。行きながら説明すっから別にいいだろ」
「はぁ」
溜息を吐き出して、トラは座席に深く座り直す。道端に停車させていた車は、ウィンカーを出し、ガチャ、とシフトレバーをドライブに入れてから、サイドブレーキを下げ、ゆっくりと静かに動き出す。
想像のとおり、高いだろうトラの車は走行音も静かで、成行きとはいえ静かすぎるあまりに、ラジオの音だけが響く2人きりの車内は息苦しかった。
「……なんかさ、高い車って、こういうの全部ボタンになってるイメージだった」
沈黙に耐えきれず、適当に目に付いたものについて口にした。別に答えてくれなかったらそれでいいと思って、窓の外を眺めながら呟くと、となりで僅かに息を漏らす音がして運転席を振り返った。
「……そういうのもある。ただ俺は、それよりもレバーを操作する方が好きだから、それにしただけだ」
「あ、そうなんだ……。へぇ」
「……」
ハンドルに手を置いたまま、前方を見つめるトラの横顔が夜の街頭に照らされ逆光になっていて表情まではわからない。返事をして貰えると思わなかったから、びっくりして意味もなくその横顔を、何を思うでもなくじっと見つめてしまった。
「見るな、あまり」
「あ、ごめん……」
それからはお互い何も話さず、カーステレオから流れるラジオの声だけが車内に響いていた。
俺の家までの道のりはそんなに遠くはないが、沈黙が長かったからか、やけに時間がかかったような気がしている。
マンションの駐車場に車を止めて、エレベーターで自分の部屋のある階まで上がる。その間も会話は特になくて気まずい。ただ無言でトラの先頭を歩いて、部屋の前まで着くと「ここ」と指さしながら鍵を開けた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
トラは律儀に挨拶をして、靴を脱いで部屋に上がる。もっと横暴な奴かと思っていたけど、所作の所々に丁寧さが滲み出ていた。
「先風呂入る?」
「いや……俺は後でいいよ」
「あ、そう? じゃあ俺先に入っちゃうな。適当にしてて」
「……あぁ」
リビングに通して、ソファに座らせてから風呂場へ向かう。脱衣所の扉を閉めて服を脱ぎながら、ふと、なんで俺はトラを家にまで連れてきてしまったんだろう、と我に返る。
いくらこれからのため、グループのためといってもちょっと勢い任せにし過ぎたかもしれない。目的が達成されたら、それで終わりのグループとはいえ何もかもを投げやりに、雑に扱いたいわけじゃなかったから、これで少しは考え直してくれるんじゃないか、仲良くなれたりするんじゃないか、なんて淡い期待を抱いていたのは事実なのだ。
「……いや、まぁ……。何でもいいか、とりあえずは」
水の流れる音が複雑に淀んだ気持ちを洗い流して、無心に変えていく。俺は深く考えるのを止めて、手早く頭と身体を洗い、シャワーで流した。
濡れた髪をタオルで拭きながら風呂場を出ると、居心地悪そうにしながらも、トラはソファに座って大人しくしていた。俺の姿を見るなり、苦虫を噛み潰したような顔をして「部屋を片付けろ」と至極真っ当な文句を言われる。
「悪かったよ。掃除するの面倒なんだもん」
「信じられない。足の踏み場がないんだが」
「物が多いだけだって」
「多いのは勝手だがしまえよ」
「わかったわかった、片付けっから風呂入ってこいよ。服貸してやるから」
「……はぁ」
溜息を吐き出して、思い足取りのままトラは風呂場へと消えていく。その背中を見送って、俺は寝室のクローゼットにしまってあった服からトラの着れそうな大きいサイズを適当に見繕い、脱衣所に置いてやった。
トラに言われてしまったから、仕方なく部屋の片付けを進めている時、ふとある事に気がついた。俺が風呂に入っているあいだ、トラは意外にも大人しくしていたけど、いくらだって部屋を出て車に乗って帰ることも出来たんじゃないか?。
こんな『罰ゲーム』律儀に従う必要だって無い。普段みたいに言うことを聞かなきゃいいだけなんだから。
よっぽど、『今日逃げてもまた同じことを言われる』のが嫌だったのかなんなのか。まぁ、俺としては『どうせまた言われるなら今大人しく従っとけばいいか』とトラに思わせられたのなら万々歳だ。
今日は俺の勝ちかな、と上機嫌でリビングの片付けに戻り、部屋が片付いた頃に丁度良くトラも風呂から上がってきた。
「おかえり」
「おい。……全然片付いてない」
「ベッド寝れるようにしてやったから勘弁してくれ」
「はぁ、まぁいい。借りる」
「あ、ドライヤーそこな」
「……あぁ」
トラは濡れた髪をタオルで拭きながら、ドライヤーをコンセントに差してスイッチをいれた。手際よく髪を乾かすその後ろ姿を、俺はぼんやりと見つめる。
──御堂虎於は、女癖が悪くて、年上のくせにわがままで横暴で、価値観の全く合わない、住む世界の違う人間だと俺は思っているし、実際そうだろう。
なのに、今日無理やりとっ捕まえて家に引きずり込んだ御堂虎於は、思っていたよりも理性的で、多少の価値観の違いはあれど、同じ人間に見えた。
手の届かない場所にいそうな男が、今すぐそばにいる。それはなんとなく、変な気持ちだった。
「なんださっきから。ジロジロ見るな」
「なんでもねぇ」
ドライヤーの音でかき消されるぐらいの声で呟いて、俺はテレビに向き直った。しばらくして、ドライヤーの音が止むとギシギシと床を踏む音がこちらに近づいてくる。振り返れば、髪がセットされていない状態のトラの姿がある。なんか珍しいものを見た気持ちだ。
「トウマ」
「なに」
「明日……。何時集合だ」
「8時。6時半には起こすからな」
「早くないか」
「文句言うな。もう寝ろ、ベッド使っていいから」
「……分かった」
あまり気乗りしなさそうなトラをベッドに押し込んで、俺はソファで寝ようと寝室の電気を消してやる。
1つ欠伸をして、ソファに横たわった時、「おい」と呼ぶトラの声がした。
「なに?」
「……いや。……なんでもない。おやすみ」
「……うん? おやすみ」
何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わずに布団に潜り込んだので俺もそれ以上聞くことはせず、電気を消した。
カーテンの隙間から僅かに漏れる月明かりが、ベッドで横になっているトラの横顔を薄ぼんやりと照らしている。その姿を見ているとなんだか訳の分からない、もやもやとした気持ちが襲ってきて、俺は誤魔化すように目を閉じた。
──朝5時13分。微妙な時間に目が覚めたのは、自分以外の人間が同じ部屋で寝ているという、慣れない環境のせいだろう。体を起こし、重い瞼を擦りながらテーブルに置いたペットボトルから水を飲んだ。
日課であるランニングをしてこようと、支度を進めているあいだ、それなりの物音を立てている割にトラはピクリとも反応しない。
寝れているならそれに越したことはない。彼を起こさないように、なるべく静かに部屋を出て、音を立てないようゆっくりと玄関の扉を閉め、鍵をかけた。
昨日からずっと変な感覚だ。自分からトラをとっ捕まえて家に連れてきたものの、思っていたよりも平和に事が終わろうとしている。
もっと暴れて文句を言うと思っていたのに、「案外、悪くなかった」なんて言葉が頭をよぎっていく。何か特別な会話をした訳でもないし、行動した訳でもない。ただおんなじ家に帰ってきて、それぞれ眠っただけ。
トラに遅刻を反省してもらいたくて始めたことだったが、果たして反省になっているかも怪しいぐらい、なにもなかった。
ランニングの途中で、2人分の朝飯を買って、部屋に戻る。「ただいま」と実際に部屋にいる人物に対して呟くのは一人暮らしをしてからあまりにも久しい。
時計は午前6時過ぎを示していて、カーテンから差し込む光は布団にくるまるトラの顔を静かに照らしている。眩しくないのかな、と思うも、小さく身じろいだトラの瞼は開かなかった。
買ってきた朝食をテーブルに置いて、トラの顔を覗き込む。6時半に起こすと言った手前、まだ起こしてやるのは可哀想かな、なんてバカみたいなことを思った。遅刻をやめないトラを叩き起してでも仕事に連れていくのが本来の目的だったはずなんだけど。
「……まだ、いいか」
そう呟いて、俺はトラの寝顔をじっと眺める。
整った顔立ちは、誰が見ても好ましく思うだろう。男の俺からしても素直にかっこいいと思う。初めてトラの顔を見た時も随分な美貌の男だと思った。
ワガママで言うことをちっとも聞かない時はあんなに腹が立つのに、今はただ、綺麗で穏やかな寝顔を見ているだけで不思議と満たされている。
「……ん」
トラの睫毛が震えて、ゆっくりと瞼が持ち上がる。まだ眠たそうな瞳が俺を見つけて、何度か瞬きを繰り返した。
「お、ちゃんと起きれるんじゃん」
「……うるさい」
「おはよ、トラ」
「……おはよう」
***
コンビニで買った朝食は、トラに文句を言われると思っていたが、案外何も言わず、大人しく完食していた。
俺によって雑に破かれた包装紙に記載されていた金額を何度も交互に見ながら、不思議そうに目を丸くしてるのが面白かったけど、口にすればまた怒られる気がして、それはグッと飲み込んだ。
食べ終わって空になったプラスチックの容器をゴミ袋に突っ込んでいる時、「家で着替えてから行く」とトラが言った。
その時、俺は特に何も考えず「おー」なんて気の抜けた返事をしたが、すぐに「あ」と思い直して、トラの顔を見た。ここで帰したら結局仕事に来ないんじゃないのか、と。
「……なんだ。今日は時間通りに行ってやるから、そんな顔して見るな」
「まだ何も言ってないだろ」
「うるさい。もう行くからな、それこそ遅刻する」
「あ、あぁ、分かった。また後で」
「……じゃあまた」
まだ少し寝癖を着けたまま、昨日の格好でさっさと部屋を出ていったトラの背をぼんやり見送る。トラがここにいた痕跡は、布団と、畳んだ服と、空になった朝食の容器だけ。
「……なんか、思ってたよりは……──」
そう呟いた声は誰にも届くことなく消えていく。今日これでトラが現場に来ても来なくても、もしかしたら俺は、いつもみたいに怒れないような気がする。
だから、集合場所のスタジオに着いて、俺よりも先に待機しているトラの姿を見て本当にびっくりした。
「遅いじゃないか」
「え、あ、いや……悪ぃ……早かったな」
「まぁ、たまにはあんたの言うこと聞いてやってもいいかと思っただけだ」
「は?」
「昨日の。反省した」
「え!?」
驚きと困惑でなにも言えず、ただトラの顔を見つめていると、「なんだよ」と不機嫌そうに顔を歪められた。
「いや、だって……。お前が素直にそんなこと言うの珍しいから……。なんかあったのかと思って……」
「別に。ただ昨日アンタが『また同じこと言ってやる』って脅すから仕方なくだよ」
「脅してるわけじゃ」
「冗談だよ。俺だって学習する」
そう言ってトラが笑うから、俺もつられて笑った。なんだ、案外、上手くやっていけるかもしれないな。なんて、少しだけ思ったりもして。
──そんな期待もむなしく、また別の日の収録にトラは当然のように遅刻して来た。けれどまた別の日は時間通りに来たり、遅刻したりを繰り返して。
トラなりに考えてくれているのだろうか、と俺は昔よりこいつのことを怒れなくなってしまった。
***
次にトラが泊まりに来たのは、だいぶ後になってだった。その頃には、あーだこーだ文句を言いながらもたまに飲みに付き合ってくれるようになっていて、2人でいる時間が明らかに増えた。初めの頃からは考えられない関係値の変化に、戸惑いと嬉しさがある。
狭い個室居酒屋の掘りごたつで、長い足を持て余して座るトラの膝が時折ぶつかってきては、文句を言われる。煙臭い、狭い、うるさいなど。
その度に適当に流しているが、怒って帰ったりしないあたりは、優しいやつだなと思えるようになった。
「トラ、それどう? 美味しい?」
鳥のつくねみたいなものに、チーズとか軟骨とかが練り込まれていて甘じょっぱいタレが絡んだ焼き物を、ちまちまと口に運ぶトラに声をかけると、トラはチラリとこちらを見てから、また視線をつくねに戻して、小さく頷く。
「よかった。俺もそれ好き、1口ちょーだい」
「ん」
案外すんなり分けてくれるトラに、「サンキュー」と返して一口食べる。噛んだ瞬間、甘じょっぱいタレが口いっぱいに広がって、美味しくて頬が緩んだ。
なんというか、トラは何を食べさせても反応が面白いからついあれも、これも、と持ってきては食べさせたくなってしまう。
トラからしたら、高級レストランじゃ出てこないような食べ物が物珍しいのかもしれない。もくもくと小さい一口で食べ進めるトラを眺めていると、なんとなく癒される。
「……トラ、うまい?」
「だから美味しいって言ってるだろ……? なんなんだ……?」
「へへ」
「なんなんださっきから……」
訝しげな目を向けられたって、全然気にならない。今日はなんだかずっと上機嫌でいられた。
だから、その日はいつもより少し飲みすぎたかもしれない。アルコールで程よく頭がフワフワして、顔が熱い。瞼も重たくて、今横になったら全然寝られそう。でもまだ寝たくない。
「トウマ、もう飲むのやめておけ。残るぞ」
「えー、もうちょいつきあって」
「放って帰る。面倒臭い」
「なんでそんなこと言うんだよ! いいじゃんか」
「よくない」
そう言って、トラはお冷の入ったグラスを俺の前に置いた。熱くてグラグラする頭をテーブルに伏せて、ふぅーと息を吐き出す。ひんやりとしたテーブルの感触が気持ちいい。ぼーっとする頭で顔を上げると、向かいに座るトラが俺を見ていた。
「なに?」と聞けば「別に」と素っ気なく返される。
また一口、焼き鳥を口に運ぶトラを見て、俺も箸でつくねを摘んだ。
「なぁ、トラ。トラってさぁ、学校の友達とかと、家で飲んだりした?」
「……いや、そういうのは無い」
「じゃあ俺としよ、宅飲み。だめ?」
「なんでそこまでして飲みたいんだ。帰って大人しく寝ればいいだろ」
「だってトラのこともっと知りてぇもん。やっと最近飲み付き合ってくれるようになったし」
「……」
トラのことが知りたい。俺のことも、もっと知って欲しい。そんな気持ちで、ただ単純にトラともっと仲良くなりたいだけだった。
「トラ? だめ?」
「……仕方ないな」
「え、いいの」
「いいの? って、お前が誘ったんだろ」
「分かった分かった! ごめんって、おい! 一人で帰ろうとすんな! ちょっと待って!」
コップに注がれたお冷を慌てて飲みほして、ハンガーにかけた上着を引っ掴む。その時、勢いよく立ち上がったからか、少し立ちくらみがして、ぐらっと体が後ろに傾く。
「うわっあぶね!」
「馬鹿か、急に動くな。酔ってるくせに」
ふらついた俺を支えようとトラが伸ばした腕に、咄嗟にしがみついて、なんとか倒れずに済んだ。
「……はは!」
「なに笑ってるんだ」
「いや、なんか。楽しいなって思って」
「は?」
怪訝そうな顔をしたトラの腕に掴まったまま、俺はまた笑った。なんだか今日はずっと気分がいい。アルコールのせいかもしんないけど。
「一緒に帰ろトラ。俺ん家の近くにコンビニあるから、そこで酒買って」
「お前の家決定なのか」
「いいじゃん、初めて来るわけじゃねぇだろ。あとこっからだと近いし」
「はぁ……」
トラは呆れたような顔をして、仕方なさそうに鞄を拾い上げた。優しいトラが腕にひっつく俺を振り払わないから、そのまま俺ごと引きずるようにして、個室から出て行こうとする。なんだかそれもおかしくなってきて、また笑っていたら、トラが「うるさい」と怒った。
「なぁこのあとさ、宅飲みついでに夜通しゲームとかもしようぜ、楽しそうじゃん」
「しない」
「えー!? なんで? ゲーム好きじゃねぇ?」
「酔っ払いに寝かせてもらえなさそうだからだ、馬鹿」
──
時刻も深夜近いコンビニで、カゴの中にがしゃがしゃと缶ビールやチューハイを適当に突っ込んで、おつまみになりそうなお菓子の袋も適当に詰め込んでいく。「そんなに要らないだろ」と俺の手を止めるトラに「こんくらいがちょうどいいんだよ」と笑って返す。
呆れたようにため息をつかれるが、そう言いながら大人しく俺の後ろをついてまわるトラが可愛く見えてしまった。
「アイス食べたいのある?」
「いや……別に俺は」
「じゃあこれ半分こしよ、な?」
ぱきっと半分に割ることが出来る、棒付きのソーダアイス。普段なら一人で2回に分けて食べたりしてたものを、誰かと分けて食べられることに、ちょっとだけ嬉しくなった。
会計を済ませて、コンビニを出てすぐにアイスを半分に割る。大きい方をトラに差し出せば、少し躊躇った後に受け取ってくれた。
「あんまこういうことした事ない?」
「まぁ、ないことは無いが」
「そっか。まぁいいや。な、今日はこのまま俺のしたいこと付き合って?」
そう言って笑うと、トラはまたため息をついてからアイスを齧った。さくりと噛み切ったその一口が大きく、子どもみたいでかわいいなと思った。
深夜の道路を2人並んで歩く。街灯が照らすアスファルトに、2人の影が長く伸びて、なんだか不思議な気持ちだった。トラとこうして2人でいる時間が増えて、前より距離が近くなったというか、少し気を許してくれるようになったというか。
「……なんだ。人の顔をジロジロ見てくるな、お前は」
「悪ぃ、怒んなよ」
「別に怒ってはない」
でっかい猫が、ちょっと懐いてくれた感じ。でもそんなこと言ったらトラにめちゃくちゃ怒られそう。
──
「なんかちょっと懐かしくない? トラが俺ん家泊まりに来たの、もう結構前じゃん」
「まぁ、そうかもな」
コンビニで買ってきた缶ビールとチューハイ、おつまみの袋をテーブルいっぱいに広げて、2人で向かい合って座る。
「こうやってまたトラが俺ん家来てくれると思わなかった」
「お前が無理やり連れてくるんだろ」
「嫌?」
「別にそんなことは言ってない」
「はは、そっか」
缶ビールのプルタブを開けて、ぐびっと一口。アルコールが喉を通るこの感覚が好きで、缶の半分以上を一気に飲み干す。そのまま大きく息を吐き出して、テーブルに突っ伏した。ひんやりとしたテーブルの温度が火照った体に心地いい。
「トラは普段コンビニの酒とか飲む?」
「飲まないな」
「やっぱり? そしたらトラの口にあんまり合わないかもしんないけど、一緒に飲んでくれる?」
「わざわざここまで着いてきてやったんだから、それくらい付き合ってやる」
「やった」
トラの優しさに思わず顔が緩んでしまう。初めの頃みたいに、話が通じない奴なんて印象はもうとっくにない。なにか言えば返してくれる。そんな当たり前のことが、きっと俺たちには難しくて、だからこんなにも嬉しい。
「これ美味いよ、飲んでみて」
そう言ってさっき買ってきた缶チューハイをトラに手渡す。受け取ったそれをじっと眺めたあと、トラが口をつけた。
「どう?」
「別に……美味しいと思うけど」
そう言って、一口。もう一口。またもう一口。
「まぁ、ちょっと缶の匂いがきついかも」
「はは、わかる。なんか味するよな」
「そういうものか」
「そういうもん」
そう言って、また一口。
トラが飲むのを眺めていると、なんだか異様に喉が渇くような感じがする。食べ物もろくに食べていないのに、変な感覚だ。
結局缶チューハイを2本空にしたトラは、いつもと変わらない顔色で静かにテーブルを見つめていた。こいつ、ほんとに全然酔っ払ったりしないんだなぁ。俺は、アルコールのせいで頭がふわふわしていて、だいぶ瞼も閉じそうになっている。
でもまだ寝たくない。もっとトラと話がしてみたい。
「トウマ、寝るならベッド行けよ」
「んー……。トラは?」
「お前が寝たら帰るよ、タクシーでも拾って」
「え、泊まるんじゃねぇの?」
「は?」
「だって、明日は仕事昼からじゃん。俺もトラも」
「そうかもしれないけど、泊まるって……」
トラは戸惑ったように視線を泳がせる。
「なぁ、せっかくじゃん。朝まで話そうぜ、トラ」
「いや、俺は……」
「だめ?」
少し首を傾げてトラの目をじっと見つめる。なんとなく、断られることは無いだろなって、分かってた。
案の定トラは、少し困ったように眉を下げて「分かった」と頷いてくれたから。
──
「……おい、トウマ」
「んー……。トラぁ……? わりぃ……。俺いま寝てた?」
「寝てた。もう早く布団入れよ。風邪引くぞ」
トラに肩を揺すられて、重たい瞼を持ち上げる。いつの間にか寝てしまっていたらしい。チラリと時計を見ると、深夜2時を回ったところだった。
「ベッド行け、ほら」
「あーい……。ねみぃ」
のそのそと立ち上がってベッドまで歩き、そのまま倒れるように寝台に飛び込んだ。ひんやりとしたシーツが気持ちいい。
「ソファ借りるからな」
「そっち狭いじゃん。トラもこっち来ていいよ」
「もっと狭いだろ。2人で寝れる広さじゃない」
「詰めりゃ平気だって……。多分……」
「おい、やめろ、引っ張るな」
トラの腕を引っ張って、無理矢理布団に引き摺り込む。狭いから、必然的に体がくっつく。トラの体温が伝わってきて、あったかい。
「はー……。ねむい……」
「だから早く寝ろよ」
「んー……。なぁトラぁ……」
「なんだ」
「俺さ、お前ともっと仲良くなりたいよ」
「……そうか」
眠たくて回らない頭で思ったことを口にした。トラはきっとまた呆れた顔をしてるんだろうけど、でも、そのトラの声はどこか優しく感じる。
「今度トラが泊まりに来て困らないように寝巻きとか買ってこようかな」
「……先に来客用の布団でも買っておけよ」
「へへ……。うん」