トリニテイあと5分。約束の時間は21時
トイレ行った
お茶飲んだ
医薬部外品っていうなんの味だかよくわかんねえ高い飴まで買って舐めた
携帯の保護シールまで貼り替えた。埃が入らないように真っ裸で風呂場で。
準備万端
ここまでしてしまうともうさすがに何もすることがなくて、読みもしないネットニュースの画面をひらいた
飛び込んでくるのはどこかの畑で面白い形の人参の画像を見てとか道路交通情報とか。
でも今の俺には心底どうでもいい
今の関心事はひとつ、俺にかかってくる(はず)の電話だけ
あいつは真面目だから時間通りだろう
第一声目は絶対『天満ぁ!』
歳下のくせに呼び捨てしてくるからな、って俺がそうしろって言ったからだけど…
『こんばんはぁ!!元気か?』と続く
クソデカい声に耳が痺れる。電話越しなんだからもっと加減しろっつうの
色気もクソもない3つ下の中坊からの電話をソワソワしながら待ってるとか俺、もう終わってる
大体あいつ天然だからな
というか小悪魔ともいう
しかもそれは計算じゃなくてまじのまじに無自覚なのがタチの悪さを加速させる
この間なんか呼び出された公園で並んで話してたら「あ、背中かゆい!」って言いだして。
自分じゃ手が届かないとこだから俺に掻けって指図してくんのぉ
仕方なし制服のセーターの上からぽりぽり掻いてやったよ
あんた知ってる?
背中って年齢だよな
桃もしかり。薄いっていうか儚いっていうか、幼い
強く抱いたら折れそうな
「あんっ違うもっと上ぇ…も、も少し右ぃっ、ん、あっ、そこ……んぁっ、もっと強、くっ、あ、あんっ、気持ちいっ、てんまきもちいいっ」
……マセガキでもある
舌っ足らずに鼻にかかる声、上気する頬、ツヤツヤな唇
口が光ってんのはついさっきまで肉屋1番人気の揚げたてコロッケを食ってたからだけど
ああヤヴァい、可愛いッ、たまんね背中を這う指が止めらんねえ
「…どう?」
「うん。…もっとかいて」目を閉じたまま、うっとりとした表情を浮かべる
俺の名誉のためにも言っておきたい、いくら可愛いって思ってるにしろ盛ってんのは俺じゃねえからな
桃の方だからな!
なんたっておれよりも3歳下で、しかもまだ中坊で(2回目)そりゃ真っ盛りってなもんで
俺だって桃くらいのときは、まぁ、ね、口にするのも憚られるほどでしたが。
そういやあの頃、俺のツレが良く言ってたな
『ガキの頃はおっぱいとちんこが世界一面白い言葉だったけど、体はデカくなっても中身はそうそうには変わんねえんだよな』
興味があるのはやっぱりおっぱいとちんこ
「……桃」
「んんっ、なぁに?」
「直接掻いてやろっか、爪立てて。」
背中にピンクの爪の跡が残る、考えただけでもそそる
「…う、ん……お、願い」
その声はこれまで一度だって聞いたこともないような小さな許しで…萌えた
胸をばくばくさせながらセーターの裾に手をかける、シャツをひきずりだして、それから…
ごくり、生唾を飲んだその音に弾かれるように桃は勢いよく立ち上がった
「やっぱり掻かなくていい!もうかゆくない!」
シャツをセーターの裾からびらびらとのぞかせながら
ああ今回も触れ合い時間は短かった
ってゆうか俺を暴走スタートダッシュさせない、微妙寸止め
そしてこれすら無自覚だからある意味才能、本当に
「背中カキカキしてやったお礼に自販機パシリして。俺午後ティーのミルクぅ」
俺から小銭を受け取りながら『人使い荒い!』と文句言いながら走り出すその後ろ姿を眺めた
制服が、揺れる
俺はいつまでこんな事を繰り返すんだろうな
「すき」っていうたった二文字の言葉すら音にすることができなくてさ
このままじゃいつかどこからか鳶が飛んできて油揚げを攫っていくだろう
…いや、桃の方が美味い油揚げを求めて飛んでいくほうかもしれないな
その時、俺は一体どうするんだろ
動くんなら今、だろ?宇髄天満ぁ
**
高校までは一本の坂道
ただ、緩急も勾配もすごくて自転車でジェットコースター気分を味わえる
でも、それだけ高台にあるから校舎からの見晴らしはすこぶる良い。屋上に上がれば街全体を見渡せるしね
あの赤い屋根はコロッケが美味しい肉屋さん
平たい箱みたいなのは本屋
それから緑に囲まれた、白く曲線を描く建物はうちの学校の高等部
あの場所に、天満がいる
2日前に電話で話をした…って、もう2日も前!
本音を言うなら毎日でも話をしたい
顔を見て話をしたい、けど我慢する
だって天満は俺のものじゃない。わかってる
…わかってるつもりだ
電話できたりするだけ良しとしなくては。
いつもと同じ3回目のコールで液晶の表示が『通話中』へと変わる
低いのに良く通る声もいつもと同じで嬉しくなって叫んでしまう
「天満!」
俺が犬だったら尻尾ブンブン振ってるみたいにみえるんだろうな
ご主人様ならぬ天満サマに。
何時に帰った?夜ご飯は何食べた?今日は『誰』と一緒だった?
聞いてみたい事は本当は山ほどある…聞かないけど、っていうか聞けないけど
だってそんなの根掘り葉掘り聞くのってなんだかかっこ悪い
俺ばっかりが天満を好きみたい
そして何よりかっこ悪いのはそれが間違いじゃないって事
悔しいけど
それでも俺が一方的なくらいに話をして、天満はそれにうんとかああとか相槌を打ったり『俺ならこうするかな』『こんなふうに考えるのはどう?』って言ってくれたり
そして最後はおやすみを言いあって通話を終える。
この瞬間が世界で一番嫌い
今まで温かだった携帯電話がただの電子機器へと変わる瞬間
あーあ、天満と恋人同士だったらなぁ
おやすみを直接この耳で聞いてそのまま眠りたい
天満の熱をそばで感じながら眠りたい
…って、無理か
毛布の上にスマホを投げ捨てるとそのまんま枕に顔を埋めた
**
煉獄家から少し歩いたところに小さな神社があるんだけど。
良い言い方をすれば由緒正しく悪く言えばちょっと…いや、かなり古いとこ
だからかお詣りに来る人も少なくて静かなんだよ
境内の中に入ると鳥の鳴き声と葉擦れの音しか聞こえてこなくて時間をどこかへ置いてきたみたいな場所
今日は、ひとり
天満にここを教えてあげたかった
「へぇ、なかなか良いトコだな」
「だろう!お気に入りの場所なんだ!」って。
…会いたかった、な
飲み物を手に鳥居を潜ると先客がいた
長い階段の真ん中にコート姿の男の人。携帯触ってるのか俯いて
ん?でも天満のお気に入りのコートに似てるな
黒にもみえるくらいの深いグレーのロング。
今ちょっと忙しくて、って言ってたくせにもしかしたら俺にサプライズで会いに来てくれた、のか?
嬉しくて胸の中の花がひとつ、咲く
よぉし、びっくりさせてやろ!と後ろからそうっと近づいた
風に揺れる髪がお日様に透けて虹のいろに輝くのを見ながらそのまんま目隠しをしてやった
手のひらのなかでまつ毛が遊ぶのがくすぐったくも気持ちがいい
「だぁれだぁ!」
「わぁぁー!何、だれ?」
普段は俺に歳上風を吹かせてるくせに
俺だって絶対にわかってるくせに
大袈裟に驚くもんだからなんだか楽しくなる
「天満、『忙しい』って言ってたくせにぃ!よもや忙しい詐欺か?」
無邪気を装ってそのまま背中に抱きついてやると、コートの背中からいつもの天満じゃない香りがした
香水みたいな大人の男の人の香り
俺、いつもの天満のにおいがすきなのにな…真っさらな朝みたいな綺麗なにおいが。
なんだかもの寂しくなって身体に回した腕に力をこめた
炭彦ならこう言うかもしれない『桃寿郎くんからは寂しい、ってにおいがするよぉ』
うん、寂しい
もっと天満と親密になりたい
でもそれはあっさりと振り解かれてしまった
腕も、期待も
体格も歳も違うから敵う訳もないんだけど
「てーん、ま、怒った?」
腕に抱えきれない人が振り向いたのを見てびっくりした
天満と思ってた人はまさかまさかの知らない人でむこうも誰?って目で俺を見てくる
「…おじさん、誰?」
「はァ?いきなり抱きついてきやがってその上おじさん呼ばわりたぁ…いい度胸してんなこのくそがキがぁ!」
「…あ、ごめん、なさい…知ってる人だと思ったから」
その人は「俺に似てるたぁよっぽどのイケメンなんだろうな」と言いながらコートのポケットからくしゃくしゃの煙草の箱を取り出した
びっくりするくらいに細い煙草を1本、箱から取り出して口に咥えるまでの一連の動作をぼんやりと眺めた
…やっぱり、似てる
晩秋に収穫される葡萄みたいな色の瞳も、光の当たり方で虹色に輝く髪もホットミルクに垂らす蜂蜜みたいな、低いのに甘いその声も
こんなに似てるのに知らない人。
なんだか急に怖くなってしまった
天満が何処へ消えてしまったような気がして。「人違いしちゃってすみませんでした!」と詫びると相手がまだ何か言ってるのを振り切って階段を駆け降りた
その夜、天満と電話で話をしたけどこの事は話せなかった
「…なんかあった?」
こんな時に限って優しくしてくれる
俺に気持ちなんかひとつもないくせこうして優しくされるのは辛い
単純な俺は勘違いをしてしまいそうになる
「べ、べ、別になんにもないぞ!明日数学のテストがあるんだ。今後に繋がる重要なヤツだって言われてるから今夜は寝ないで勉強しないとなんだ」
半分は本当、半分は嘘でごまかす
「なぁんだ、んな事かよ。お前に何か嫌なことでもあったんじゃねぇかって思ってさ、」
「…思って、何?」
その続きを聞きたい
本当は俺の事どう思ってる?
ただの先輩後輩なのか、近くにいるから構ってくれてるだけなのか、それとも…
「…いや、テストがんばれよ。」
きっとどれでもない
俺が尻尾を振るから撫でてくれてるだけだ、気まぐれに
あの日から神社の前を通ると緊張してしまう
別に探してるわけじゃない
この間の人に会いたいわけでもない、もちろん
だって俺は天満が好きなんだから
…まぁ、でも、もし会ったとしたら謝らないとだろうけど
相変わらず参拝客の1人も見かけないまま、1週間がすぎた、あの日と同じ木曜日
階段に座る姿を見つけた
銀色に輝く髪、…この間の人だ!
(中)
「あのぅ、こんにちは…俺のこと覚えてますか」
その人に声をかけると煙草を咥えたままゆっくりと振り向いた
やっぱり、似てる。天満をあと10年分くらい大人にしたらきっとこんな感じになりそうちょっとただものではない感じもするけど。
「あぁこの間のガキか。今日は抱きついてはこねえのな」とまるで女の子にキスでもする時みたいに俺の顎を指で持ち上げるもんだから「この間は人間違いして!」と慌てて弁解して後ずさった
この人、チャラいい!
「人違いたぁ寂しいねえ。またこないだみたくぽよんって抱きついてくれりゃいいのにぃ。背中じゃなくて胸で受け止めてやるからさ。あ、それともおまえさんは抱かれたい派?」
「どっち派でもないですッ!」
思わずムキになって反論すると『ふははっ、つれないねえ』残念ざんねんと言いながらも楽しそうに笑う顔は意外にも優しげだったり、も。
「…いつも何してるんですか?ここで」
仕事してるようには見えないし、かと言って散歩中に立ち寄ってみた、ともみえない
もしやヤ◯ザな人とか?体が小さくなる薬を飲ませられたり殺傷能力の高い武器を黒の組織に受け渡ししたりとか…いやいやそれはコ◯ンくんの見過ぎか
とはいえもしもの時にはすぐに逃げられるように(?)階段の2段ほど下に腰を下ろした
さらさらの綺麗な銀の髪に木漏れ日の粒が踊る
「俺ねぇ、人、待ってんの。めっちゃ大切なヤツ。でもこんだけ待ってんのに会いに来てくれねえんだよな」
「…道に迷ってるのか?ならあなたから迎えに行けばいい」
「迎え、に。…ってそりゃできねぇわ」
「だって会いたいんでしょ?まさか喧嘩でも…?」
「喧嘩とかはしてねぇけど……んー、地味な話あいつが俺のことをどう思ってたのかがわかんなくて、怖い。会いたいけど怖い」
「どういうこと?」
そしてこの話をしてくれた
「はじめで出会ったのは俺が19であいつが16の時よ。威勢がよくて派手なかわいこちゃん、だけどまだ体の線が細っこいな、もっと鍛えねえと早死するぞ
それが第一印象。
人の話は聞いちゃいねえな、テメエの中で完結させちまうタイプか
からだの方は相変わらず自己流な感じの肉の付け方だな、頭で考えたやり方っていうか
「お前育手は誰よ?知識だけじゃなくてもっと実戦交えてバランスよく教えてもらえ」
これが第二印象、というかこの時は実際に話をした
「…太刀筋を見ただけでわかるのか、君はすごいな!」って笑いかけてもらった
邪気のない澄んだ朝の空気みたいな笑顔でさ、心を持ってかれるってこんなことだって思った
3回目に会ったときは任務の…っていうか仕事帰り
あいつひどくメンタルやられててさ
聞いても何にも言わねえし、俺の手前無理して笑ってるのが見え見えだし
慰めてやってるうちに、こう…わかるだろ?
この場は俺に流されたことにしろ、って
罪悪感とかなんにも感じるんじゃねえぞ、って
それが最初で、最後
たった3回
しかも一回はセックスのみ。キスすらしなかったな
…俺、もっとたくさん言葉にして聞かせてやればよかった
嘘くさく聞こえようとお前が好きだって言ってやればよかった
地味な後悔ばっかりの100年で、今さらまた「会いたい」って言っても来てくんねえの
俺、またあいつと『仲良し』したいんだよ。
もう、ただの仲間でもいい。『君』って呼ばれて一緒に飯食って、ってそのくらいのことでいいから。…あいつが『嫌だ』っていうならもう二度と中にまで入っていかねえから」
この人は、叶わない恋をした
いや、いまもしてるんだろう
時間が過ぎて、相手の人にもなんらかの事情があって
だからここには来れていない
嫌いだから来ない、とかではなく。そう信じたい
「…伝わるといいね」と鼻がツンとなりながら言った
気持ち、伝わるといいな
と、その時におでこをピン、と指で弾かれた
「いつまで待たせんだ、いいかげん出てこい、 ……く」
ん?
気のせいか、いま『出てこい』のあとにれんごくと呼んばれたような…
って、まさかね。俺の名前は言ってないし知らないはずだし
「ってこんな色っぽい話はおちびちゃんにはまだ早かったな、ごめんな。でも聞いてもらってなんだか気持ちがスッとしたわ。水で言えば『凪』か」
…こども扱い、悔しい
「俺だって好きな人がいるんだからな!気持ちはわかる!」
思わず早口で捲し立てると、ずっと泣きそうな顔をしてたくせ笑ってくれた
「悪ぃ悪ぃ、」って
「で、お前はその『好きな人』とは愛し合えてんのか、この間の間違えて抱きついてきたヤツだろ」
俺が手渡したポケットティッシュで鼻をかみながらもいちばん聞かれたくないところを聞いてきた
やっぱりこの人、苦手ぇ
「…いや、付き合ってもない。俺からの一方的な片想いだし」
「告白しねえの?惚れてんだろ」
「好き、だけど」
「けど?」
「絶対無理」
「告白前から諦めてちゃ叶うもんも叶わねえぞ。どうせなら当たって砕けろ」
他人は自分のことを棚にあげて人の恋路には気楽に物申す
何度も何度も当たってスルーされてりゃ、いくら鋼メンタルって言われる俺でも折れる
「簡単に言うけどさ……どう誘っても…手を、俺には手を出してもらえないんだよ!」
「…ッ、ブッ、くくく、あははははっ」腹を抱えて笑い出した
あー、そうかよ!手を!出されないってか!そりゃ先に進みようがねえなぁって目には涙まで浮かべて。腹が立つより俺までおかしくなって一緒に笑ってしまった
それなら手を出してもらえるように作戦立てようぜって、俺も話聞いてもらったからお前に協力してやるよと言ってくれた
電話を3回で取ることにはどうやら意味があるらしい
「本当は待ってるはず、スマホ握りしめてさ。
でも1回目の呼び出しじゃ絶対取らない
待ち侘びてんのがミエミエだからカッコ悪イだろ」
「……天満がそんな小細工を?」
「そりゃそうだ、男なんて見栄と小細工でできてんだからな。んでひと呼吸置いて咳払いして変な声がでないようにしてからの三コール目で通話ボタンを押す」
「本当かなぁ」
「本当だって!そいつの第一声当ててやろうか
『何だ、お前か』」
「すごいな、当たりだ!」
ふはっ、お前ら可愛いなぁー、と、頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。優しく目を細めて。
俺もなんだか嬉しくなる
「おまえらの場合はなんも心配いらねえよ。時が来るのを待て。寄り添っちゃくんねえし立ち止まってもくんねえけど、時ってやつは向こうからは来てくれるからさ」
街のスピーカーから遠き山に日は落ちてが流れ出す
五時だ
「俺、そろそろ帰らないと。夕方、父上から稽古つけてもらう約束してて」
「…剣道?」
「俺が剣道してる話したっけ?…あ、名前を聞いててもいいか?」
「俺か…んー…要」
「かなめ?」
「そう呼んでくれたらいいよ。お前は?」
「桃寿郎だ」
さあて、俺もおうちに帰るかな
要さんが立ち上がって大きく伸びをするとまるでその場の空気が入れ替わったような気がした
(下)
あれから
春が来て俺は高校生になった
天満の母校でもあるこの学校に自転車に乗って
…って、天満は卒業してしまったからもうここにはいないんだけども
物理的な距離は広がった。でも心のそれはほんの少しだけ近くなった、と思ってる
時は待ってくれない、でもその時が来てくれるのを待つ、というのは性に合わないから俺からだって押すことにした
『勉強教えて』でも『ランニング用のシューズを一緒に選んでくれ』でも顔を合わせるための理由ならなんでも。
こうやって一緒に過ごせる時は永遠じゃない、かもしれないんだ
ああすれば良かった、こうしていたら、と後悔することのないように
そう教えてくれた人
要さんとは
あの日以来、会っていない
仕事が忙しいのか、それとも会いたかった人が会いに来てくれたのかわからないけど、神社の階段に座っていることはなくなった
**
「…というわけだ。年号とその年に何があったのかをしっかり理解しておくように。次のテストはここを中心に出すぞ!」
歴史の授業は毎回大盛り上がり。先生が白いシャツの袖を肘までまくりあげてるのはついさっきまで幕末奇兵隊ごっこ(?)を熱くやっていたからだ
「幕末がテスト範囲とかやばいムズいぃ」
「似たようなイベントばっかじゃん!」
「もっと穏やかな時代にしてぇ!」
テストを前にしてクラスメイトが沸く
そりゃ簡単な問題の方が助かるというものだが
「…ほう、じゃ何時代で出題しようか?」
先生も煽りを軽く受けて立つ
「では縄文時代などはいかがでしょうか」お調子者の前田が『土偶ぅ』と顔マネするものだからみんな笑い転げてしまった
『杏ちゃん』も、一緒に
「杏ちゃん、今夜はうちにご飯を食べに来いって父上が」
「…こら、ここじゃその呼び方は」
「そうでした、杏先生!」
「うむ、わかれば良い。…で、夕飯のメニューは何だ?」
「それは来てからのお楽しみぃ」
授業後、たくさんの荷物を抱えた『杏ちゃん』と職員室まで歩く
金に赤がさす髪も太陽みたいだと言ってもらえる目も俺たちはとても似ている。というか似ていて当たり前
俺たちは従兄弟同士だから。
小さな頃はよく遊んでもらったし可愛がってもらってた。友達と遊ぶから、って時にでも連れて行ってもらってた
『あんまりくっつき虫しちゃうと杏ちゃんは彼女を作る暇もないわね』と母上から言われるほど。
そういえば杏ちゃんが彼女とか特定の女の子と一緒にいるところ、見たことないな
「…ねえ、彼女とかは作らないの?」
「いきなりだな!……そうだな、時が来たら。今はまだ誰かひとりと向き合うのが怖いのかもしれん」
どこか遠い目をする、この大好きな人にふとあの人の横顔が重なった
木漏れ日の中で光の粒が落ちて踊る銀の髪を
天満とよく似た、深い葡萄色の目を
「あのね、杏先生。時が来るのを待ってたらだめだよ、寄り添っても立ち止まってもくれないんだから。俺はそう教えてもらった」
いつのまにか桃も大きくなったな、とかいう言葉が返ってくると思ったら杏ちゃんからの返事は思いもしないものだった
「……それ、誰、から?」
「ん、要さん。本名かどうかはわからないけど、銀色の髪の毛で葡萄みたいな切れ長の目をした人。杏ちゃんよりは少し歳上な感じの」
杏ちゃんは手に抱えていた年表やら資料やらを廊下にばらばらと落としてしまった
「どうしたの、大丈夫ー?」
拾いあげながら見上げるその顔は今までに見たことのない色
俺にはみせたことのない顔だ
「彼は要と名乗ったのか?…あんの馬鹿が!どこにいるんだ?!」
「神社の階段だよ、でも今日居るかどうか」
「構わない!こちらから会いに行ってやる」
廊下を駆け出す杏ちゃんに向かって「コラ煉獄ぅ、廊下は走らない!」先生を気取ってそう注意をしてやった
「すまない『桃先生!』これは火急のこと故、駆走るのは不問にしてくれ!」
後ろ姿、ハーフアップの毛先がぴょこんと揺れるのを見送った
心の中でエールを送りながら。
杏ちゃんをみていたら俺も無性に天満に会いたくなった、って言ったら「昨日も会っただろ?」って笑うかな
でも、それでも
胸に飛び込んで言いたい
———天満が大好きだ!を