中禅寺秋彦の手記（一）帰ってきた関口を榎木津に会わせてから
榎木津は度々部屋に訪れるようになった。
変わらない態度で関口に接する榎木津に
日常を取り戻せたような、安堵を感じる。


あの日、関口はひと月もの間山を彷徨って
いたとは思えぬほど綺麗な姿で帰ってきた。
しかし、あらゆるものが抜け落ちていた。

喋ることも。
食べることも。
寝ることも。
笑うこともない。

ただ虚ろな目で見つめて、
身を寄せてくる。
汗をかくことも、頬を赤らめることも
髭も生えることもなくなったその顔は
その赤い眼は、私を酷く動揺させた。

生きて帰ってきたのだ、関口は。
あの手を離してしまったから、
私は全てを失ったと思った。
しかし帰ってきたのだ、ここに。

寄せてきた身体を強く掻き抱いて
自分に言い聞かせるように無理矢理
眠りにつく、しかし浅い眠りは
毎晩悪夢を呼び、疲弊していた。

それを榎木津に見抜かれていた、
関口を預かって貰い、久しぶりの一人寝で
泥のように眠った。やっと頭が幾分明瞭だ。


榎木津。
榎木津には、関口を蝕む元凶が視えている。

胡乱が増したが猿は猿だと笑うあの男が
部屋に訪れ、関口を見た刹那その目を細め
落胆とも焦燥ともとれる微妙な表情を、毎度
一瞬浮かべていることに私は気づいている。

それは、記憶なのか。
人格なのか、感情なのか。
日々抜け落ちていく関口がどうなるのか。
やれるだけのことを尽くしていても、
全くわからない。しかし私はもう決めている。


二度と、約束は違えない。

二度と、この手は離さない。