愛しく思うものについて 「人を助ける」ことは本当に正しいことなのかを考えてきがくるいそうになっていた。いや、正しい場合は絶対にあると思うけど、正しくない場合もあるなら、「人を助けたい」と思った時にそれをどう判断すればいいのか。正しくない場面でそう思ったとしたらその思いを封じなきゃならないか。正しいことがしたいなら、本当に他者の為について考えるならそうすべきなのかもしれない。
何が悲しいのかって、私が「人を助けたい」思いを愛しているからで。(自分自身にその思いが備わってるとは思わない)
その思いのままに進むのが正しくないということがあると思うと悲しくなる。それはずっと頭の片隅に引っ掛かり続けていたことなんだけど。
正しさにこだわりたいわけじゃなくて、ただ間違いなら悲しいと思う。
でも、思いそのものは間違いじゃないんじゃないかなとやっぱり思う。たとえ手を差し伸べるべきじゃない場合があっても、そうしたい思い自体は。
(「人を助けたい」にも色々あって、ここで言っているそれはその色々あるうちのひとつなんだけど、その説明を書くのは大変だから今は置いておく)
「人を助けたい」思いは、その愛に焦がれた大いなる感情が、その感情そのものが愛しい。それほどまでの感情が、他者の為という無実体で無意識の事実の根底になることが愛しい。
本当に何が愛しいかって、感情が。愛のもとに溢れてくる感情が愛しい。止めどもないその感情が。それをずっと考えているしそれをずっと愛し続けている。それが見たくて物語を描いている。それが見たいのと、それを漫画や小説で、物語で表現して誰かに伝えたい人生をおくってる。
私が本当に出来ることは多分その感情を心底慈しみ続けることだけなんだと思う。私の才能はきっとこれしかない。