“無い”と思っていたもののことについて【動画原稿だったもの】ある日自分のことでカードリーディングをしていた際にカードから言われたことがあって、それが、
「あなたは、自分には無いと思っているものが実は既に持っていたことに気づく必要がある」
っていうことなんですね。
で、それって何だろうと思って。
で、私が今の自分には無いとか足りないと思っているものを書き出してみようと思ったんです。そしたらそれが何なのか少しは見えてくるかなと思って。
でね、色々書き出したんです。
あのね、
外見の美しさが無いなーとか。
コミュ力無いなーとか。
色んな知識が無いなー無知だなーとか。
体力が無いなーとか。
色々書き出してたんですよ。
でね、一通り書き出して、その書いたのを見ていて思ったのが。
あー。
全く無いものって一つもないなって。
何か、自分に無いなとか足りないなって思ってたのって、結局人と比べてみたいな基準で思っていたことで。
何か全く、本当にゼロのものって一個もなかったんですよね。
本当に全く無いものって一個もなかった。
外見の美しさだって、別にゼロではない。
まぁそりゃめちゃめちゃ美人とかじゃないし、人と比べたり、一般的な美の基準からしたら当てはまってないところって沢山あるから、自分には外見の美しさが無いって思ってたけど、
でも全くゼロかって言ったらゼロではないなって。
あの、リーディング動画で私手だけは出してるから手のことだけは言うと、指の形ちょっと綺麗じゃない?とか。
ね。だから何か、ゼロではないとにかく。どこかしらに美しさって全然見出だそうと思ったら見出だせるんだよね。
っていうことに気づいたりとか。
あとコミュ力だって。
めっちゃ人見知りするし喋るの下手だからコミュ力なんかないなって思ってたけど。
でも人の話を聞くこととか、その人が言ってることを理解しようとする意識もちゃんと持ってるし、ね、聞くこともコミュ力だって言うじゃん、
で、喋るの下手って思ってるのだって、それもすごい上手い人と比べてそう思ってるだけで、
人と会話をしていくこと自体は出来てるし、こうやって動画で喋ったりもしてるし、
まあ今のこの動画は原稿読みながら喋ってるんだけど。
ね、だからこれも、あるんだよね。
上手い人と比べてないと思ってただけで、全くないことなんてなかった。
色んな知識とか体力もそう。
全部、人と比べて無いと思ってたものばっかり。
他の人達とか世の中の基準とかね。
本当にあるのかないのかってことを考えた時に、
いや、あるかないかで言ったらあるよねってなる。
何か。
いかに自分が自分以外の基準で自分を見ていたか、そして思い込んでいたか。自分自身にレッテルはっていたか。無いという言葉で自分を縛っていたかっていうのが、
無いと思っているものをただ書き出すっていうことをしただけでよくわかって、
何かね、こうやって話すとそこまでインパクトのある気づきじゃないと思うんだけど、
でも大事なことだなと思ったんだよね。
何か私って、
固定観念とか常識とか世の中の基準とかそういうのめっちゃ嫌いなのに、もうね、大嫌いなのにそういうの。
なのにさ、こんなにとらわれてたじゃん自分が!と思ってなんかね、悔しかったのもあったし。
いやでも本当に人って、人がいないと生きていけないから。
人々の中で人と協力して共に生きていくものじゃないですか、多くの人生の場合が。
だからそういう、人が作り上げている輪の中の基準っていうものをどうしたって気にするようになるところはあるよね。
その基準に沿うことで人々から受け入れられてより生きやすくなっていくとかさ、
自分がこの輪の中で生きていくことを考えたらその輪の秩序や価値観や基準に沿うことだってもうほぼ本能的に思うところなんじゃないか、だって生きていかなきゃいけないから。生存本能的にというかね。
だからそれも大事なことなんだと思う。
人との調和を重んじることとかね。
けれどだからこそ自分自身がどうかっていうのも大事なんだなって。
自分自身を本当に見つめること。自分という一存在。
何かリーディングしてるとさ、一人の時間を持ってみたいなことも割とよく言われるんだよねカードから。
「人と一緒にいることで自分を見失ってしまっているから一人の時間を持って本当の自分を見つけ出して」みたいな。
自分が本当の自分を生きるっていうこと。
これが何で大事なのかって、もちろん自分自身の人生を後悔のないよう過ごす為とかっていうのもあるんだけど、
何かね、さっき言ったような「“人の輪”の中にいる自分」としてもすごく大事なんじゃないかなと思って。
だって。
その人の輪っていうものを形成している一部だから、自分も。
人の輪っていうものの中にある秩序や価値観や基準てものを作り上げていくのも変えていくのもまた他でもない人だから。人にしか出来ないからねそれは。
だからその、人の輪の中の基準、世間の基準の中で自分が違和感あるなとか生きづらいなって思うことととか、それに沿っていくのが苦痛だなとかっていうところがあったら、
その基準に合わないからこそむしろ本当の自分を生きることによって基準自体を変えていけるんだよね。
それでもっと多くの人が生きやすい世の中の見方を作っていけるんだと思う。
その可能性があるんだと思うと言うよりむしろ果敢にそうしていくことで世の中全体のバランスってもっととれていくところはあるんじゃないかなって。
まああのそう思うからって、皆自分らしく生きようぜ!ってことが言いたいのでもなくて。
ね、自分らしく生きることって、それこそ「この基準からは違うけれどでもこれが本当の自分なんだけどな」って場合ってめちゃめちゃ勇気とかエネルギーのいることではあるからね、そういう自分を表に出すことってさ。
あと、本当の自分を出すよりも他の基準に自分を合わせていたいっていうことだってあると思うし、それも全然良いと思うしね。
ただ、まあ私自身がそうであるように、
何かの基準に自分が合わなくて生きづらさを感じていて、それで、もう自分らしく生きてえ!
みたいに考えていらっしゃる方がおられたら、
それってすごく勇気のいることかもしれない。
けれど、自分の人生を本当に悔いなく生きることにおいてもとても大事なことだし、
人々の輪の中の一員である自分という存在としてもとても意味のあることだと思うし、
何かね、そういうこともちょっと考えながら、自分と向き合えたらいいのかなと思いましたという感じですね。
尊いことだと思います、自分らしく生きるって。
まああの、完全に全ての場合に言えることでもないとは思いますけどね。
これが自分だ!自分らしさなんだ!っていうのがもうすごい、倫理を逸脱してるとかだったらそれはあの、あれだと思うんですけど。
ね、何事もバランスなので。
うん、だから何か。
自分自身をただ自分自身として見つめることと、
人の輪の中にいる自分と、
っていう、その両方ともが、
大事なこと。
で、まあ私個人的には、色々自分が無いと思ってるものを書き出してみたことによって、
自分という一存在とまた向き合うことが出来たかなと思いましたみたいな、
そんなお話でした。