早朝インセンティブ!! 1日が始まる合図。小鳥のさえずり、目覚まし時計のベル、朝の天気予報。
人によって様々な始まりがある。
スマホを片手にイヤホンをする彼のそれはあるラジオ番組だった。
『DJジャミルの今日も1日ドカンといこうぜ』
毎朝6時25分から始まる1時間程度のラジオ番組。地域で話題になっているお店の紹介、流行りの音楽、質問コーナー、パーソナリティーが今ハマっているものなど内容は何の変哲もないラジオ番組だ。
だけど何故か聴けば聴くほどにどこか懐かしさと心地よさを感じる声。
会ったことのないはずのその人の声に思いを馳せながらカリムの1日は始まるのだ。
その番組を知ったのは本当に偶然だった。
毎日学校に行くまでの時間で流していた動画配信サイトのおすすめ欄に数カ月前に現れた番組。
一目見て何か不思議な力に導かれるようにその番組に吸い込まれて行ってしまった。
声だけのラジオ配信。
動画の配信はなく蛇のマークのロゴが毎回画面に映し出されている。
「このロゴマークかっこいいんだよなぁ。…ラジオのタイトルはちょっとふざけてるけど。」
ぽそりと呟いて意識を耳に戻した。
一体この声の持ち主はどんな人物なのか、いくら調べてもその正体は不明なままだった。
いつものようにラジオを聴いていると突然普段と雰囲気の違った音楽が流れ始めた。
まるでパレードでも始まるかのような豪華な音楽の後にDJジャミルが声を高らかに話し始めた。
「さて!今日は重大発表があります!当番組もおかげさまで1周年を迎えることができました。そこでいつも番組を聴いて下さっているリスナーの皆さまへの感謝をこめて、なんと公開収録をやっちゃいます!場所の関係で抽選50名様になるんですけど是非皆さま番組SNSからご応募ください!」
公開収録…と言うことは今まで顔を見たこと見たことのなかったDJジャミルの姿を見れるかもしれないと言うことか?!
カリムは興奮で震える手ですぐさま応募へのボタンをタップした。
数日後、公開収録の当選を告げるメールがカリムの元へと届いた。
あの声の持ち主の姿を見ることができるという事実にカリムは数日何も手がつかなった。
そしてついにやってきた公開収録の日。カリムは高鳴る心を押さえることが出来ずに、自然と上がる口角を手で覆って隠した。
別に一対一で会うわけではない。自分はリスナーの中のたった1人に過ぎない。
それでも嬉しかった。あの声の持ち主がどんな人物なのかやっとこの目で見ることができるのだ。
公開収録の会場はカリムがいつも利用している駅の横にあるビルの一室だった。
観客用の椅子がセッティングされた向こうにラジオブースが設けられている。
次第に集まっていく観客。みんなソワソワした様子なのが見て取れる。
席についてしばらくすると横の扉が開かれた。スッと音もなく足が現れ1人の男性がやってきた。
今まで姿を明かしてこなかったDJジャミルの姿に一瞬会場はザワリとした。
褐色の肌に腰のあたりまで伸びた髪を後ろでくくりなびかせている。
足音もなく凛と歩いてくる様は美しく、微笑みの奥で光る瞳は獲物を捕らえる蛇のようだった。
ジャミルはニコリと笑って口を開いた。
「皆さん今日はお集まりいただきありがとうございます。収録の最後には握手会も予定しておりますのでどうぞお楽しみください。」
わぁっと歓声があがったあと、公開収録は始まった。
収録の間、DJジャミルは時折観客の方に目をやり笑顔を見せてくれていた。
カリムが座っていた席は少し後ろの方だったが目があった気がした。
無事に公開収録が終わり、いよいよ握手会が始まるアナウンスが流れる。
順番は自由だったのでカリムは1番後ろに並んだ。少しでも心に猶予が欲しくて。
1人また1人と握手が終わり散り散りに会場を去っていく。そしていよいよカリムの順番がやってきた。
「は、はじめまして…!」
振り絞った言葉は一言だった。
その手に触れた瞬間。何かが自分の中に流れ込んでくるように感じた。
血が一気に沸騰したかのような感覚だ。
「…やっと見つけた。」
「え?」
握られた手にだんだんと力が込められる。
「この後、少し時間ありますか?」
ニコリと笑って話しかけてくるジャミルのその圧は有無を言わせない雰囲気だった。
握手会が終わり会場も綺麗に撤収し終わった後、近くにあるカフェで2人は対峙した。
何故ジャミルから誘われたのかカリムには全く理解ができなかった。
_何か気に触ることでも言ったしまっただろうか…?
注文したコーヒーが届くとジャミルが一つ深い息を吐いた。
「……はぁぁぁ…。お前、やっぱり覚えてないんだな。」
それが何のことを意味しているのかわからないカリムはえっと…と小首を傾げた。
「まぁ想像してた通りだな。ひとまず、これを見てくれ。」
そう言ってジャミルがテーブルの上に差し出したものはハンカチにしては小さく、コースターにしては大きい1枚の布だった。
見覚えはないものだったけれどカリムにはその布が何なのかわかった。
いや、正しくは覚えている。頭ではなく心の奥が。
「じ…絨毯…??!」
カリムが発した言葉でその布は飛び起き、喜んでいるようにクルクルと回った後カリムの頬へ飛びついてきた。
「え、何だお前こんな小さくなって…。て、なんでジャミルが絨毯を持っているんだ?!」
ひとしきり小さい絨毯とじゃれあってカリムはジャミルへと投げかけた。その瞳はDJジャミルへ向けたものではなく、“ジャミル・バイパー“へと向けられたものだった。
「やっと思い出したのか、この鈍感野郎。」
そう言ったジャミルの言葉には安堵の表情が混じっていた。
絨毯を自分の手の上に乗せるとジャミルは淡々と話し始めた。
物心つく頃には何故かその絨毯は自分の元にあって、自分の中に遠い昔の記憶があること。
絨毯を持っているときに少しだけ不思議な力が使えること。
「俺の所に絨毯があるってことはおそらく前の事を覚えているのは俺だけで、お前はのほほんとこの世界で暮らしているんだろうなと思ってたんだが…」
睨みつけるような目つきでカリムの方を見るジャミル。
「本当にその通りだったようだな。」
ジャミルはコーヒーを一口飲み、言葉を続けた。
「絨毯のおかげで俺は自分が伝えるものに魔力を含めることができるんだ。
だからラジオ配信というかたちで声に魔力をこめて、お前が気付くように少しずつ辿って行ってたんだ…。なんでオレだけがお前を覚えていてこんな気持ちにならないといけないんだって…。
絶対に会って一言文句を言ってやろうと思っていたんだ。」
怒っているのかというような声は何故か悲しさも含んでいた。
テーブルの上に置かれた拳は静かに震えている。
カリムがラジオを聞く度に感じていた懐かしさや心地よさはそれのおかげだったのかもしれない。
ジャミルが自分を見つけようとしてくれたからこうしてまた会うことが出来たのだ。
どんな理由にせよ、それがすごく嬉しかった。
「ジャミル、ありがとう。オレを見つけてくれて。ごめんな、オレ忘れてて…。」
カリムは自分の手をジャミルの手の上にそっと乗せて強く握りしめた。
その傍らには絨毯が身を寄せてそっと二人を見守っている。
しばらくの沈黙のあと2人は連絡先を交換し、それぞれの家路についた。
次に会う約束はしなかった。
しなくてもまた会えるだろうと自然とお互いにそう思えた。
「皆さまおはようございます。DJジャミルの今日も1日ドカンといこうぜ。始まります!
昨日は公開収録ありがとうございました!」
いつもの朝6時25分、いつもと変わらないルーティンで朝が始まる。
カリムはいつもよりイヤホンをしっかりと着け耳に集中力を向ける。
_あぁ、ジャミルの声だ。オレの朝はジャミルで始まっていたんだな。
耳元に優しさが溢れている。
これがカリムの1日の始まりだ。