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    蒸しパン

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    蒸しパン

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    オスクロさんです

     こじ開けた屋上には、雪が降っていた。
    「……寒っ」
     吐いた息は白くなってすぐに消える。雪が降るなんて、森の中の学園とはいえ少し珍しい気もする。それだけ今日は寒いのだろう。もうすぐ年も明けるし、そのせいもあるかもしれない。
     雪を見ると故郷を思い出す。一年の半分は雪か氷を見るような土地だったから、私にとって雪とは馴染み深いものだった。
     故郷の冬はとても寒くて、そしてとても美しかった。森に囲まれた湖は一面氷で覆われて、朝日に照らされるとそれは宝石のように輝いて見えた。それに、寒いのなんて全く気にならなかった。
     私は幼い頃、人里離れた田舎で1人で遊んでいたのだけど、その頃はまだ自分の力を制御することができず、羽も仕舞えないで、風に飛ばされそうになることが多かった。
     今思うと、よくあんなところで生きていたなと思うけど、きっとあの頃の私は寂しさよりも楽しさの方が勝っていたんだろう。とにかく毎日が楽しかった。

     年々寒さに弱くなっていくな。
     記憶は決して薄れないのに、体はどんどん変化していく。普通の人間だったら体の変化、環境の変化、心情の変化で記憶は失われていく、もしくは変わっていく。でも、私の思い出の中の景色は変わらないままだ。
     いっそ全て忘れてしまいたいとも思うけれど、今更何を、と思うのも確かだ。
     そんなことをぼんやり考えながら、空を見上げる。灰色に染まった雲からはらはらと雪が落ちてくる。

     不意に背後から足音が聞こえた。
    「、逃げるか」
     ドアが開く前に羽を出して手すりを飛び出した。落ちる、と言うよりは降りるように。ふわりと浮く感覚と共に、私は少し下の階の教室に入った。窓が開いていてちょうど良かったのだ。
     それでもそんなのはすぐに見つかってしまうだろうし、早くどこかに移動してしまおう。羽をしまう。
     図書室にでも行こう。重要そうな本なら覚えて書き写したい。入学した当初から通い続けてかなり多くを書き写せたと思うけど。あいにく今年で卒業だから。その前にどう一通り見ておかなければ。目立つのは避けたいから留年もできないし。
     人のいない教室を後にして、廊下を歩く。靴音の鳴りにくい靴を選んでいても、この静かな廊下では反響して響いていた。
     時々すれ違う人も、まるでこちらを気にしない。たまにチラリと見てくる人はいるけれど、それだけだ。それも一瞬だけ。私が視界に入っていようといまいと関係ないらしい。それでいい。この変人ばかりの学院の中で目立ちすぎないというのはあまりに簡単だな。

     地下にある図書室は、増して人がいない。扉を開けると、古い紙の匂いが鼻腔をくすぐる。ここに来た時の楽しみのひとつでもある。ここには人が来ないし、静かだし、本がたくさんある。勉強にも集中できる。何より、記憶の中の書斎に似た雰囲気が落ち着くのだ。
     今日もまた、端から順に見ていくことにした。どのくらいの量があるのかわからないほどのたくさんの本棚の中から、背表紙の文字を追っていく。
     時折メモを取りながら、内容を知っている本をなぞって、知らない本を流し読み。それをしばらくすると、あまり時間がかからずに後ろの方の棚まで来た。そこには古ぼけた分厚い書物が多く並んでいる。これはほとんど読まれないものだろう。一つ一つ取り出しながら見ていけば、何か挟まっていたのか途中でぱたりとひとまわり小さい本が落ちた。
    「……、見かけねえタイトルだな」
     それは本というよりは自分で製本した紙の束のようで、手書きで文字が書かれているようだった。
     ペラペラと捲る。酷い丸文字の羅列だ。紙も傷んでいるし杜撰な管理で長い時間放置されていたようだ。滲んだインクのせいか、古びた文字のせいか、まるで小さな女の子が書いたものを持ち出したようにも思えた。
    「ドイツ語かね、これ」
     読んでみると、読めないこともなかった。ただ単語や文法が怪しいところもあって、確信はない。
     電子機器で都度調べながら読んでみる。内容は日記のようなもので、何をしたとか今日何があってどう思ったとか、日々の記録が書かれていた。最初の方は字が小さくてわかりづらいけど、段々大きくなってくる。読みやすくなってきた。
     けれど、日記にしてはその時のことは詳しく書かれていないことに気付く。代わりに書かれているのはお砂糖だとか蜂蜜だとかのキーワード。それに、落書きが多く、絵本のような言い回し。とにかく幼稚な作りで何を書きたいのかが掴めない。
     違和感を感じながらもページを進めると、やがてそれが何かわかった。
    「レシピ……、?」
     これは料理についてのレシピ集だった。それも超個人的ならどちらかというとメモに近い。いや、料理か? これは。
     材料を見ても、手順を見ても、まともなものが出来上がるとは思えない。正常な精神ではこんなもので作ろうと思わない。
     ただ、材料の一部からこれが一体何なのかはなんとなく理解できた。
    「…………毒薬の作り方……」
     ケシの花。スイセンの花。マジックマッシュルームの類。そのほかにもいくつか有毒なものが材料としてあげられている。
     しかもレシピの完成系は甘い砂糖菓子やシロップによく似ている。材料には時折化学式まで描かれている。そのわりに『だいすきなひとのことをかんがえて愛をこめる』とかふざけたことが無数のハートマーク付きで書かれていて、本当に頭が痛くなった。
     このレシピを書いた人がここに隠したわけではないだろう。きっと、手放したかった誰かがここに置いていったんだ。悍ましい物を手放したくて、でも捨てるのは憚れて、図書室の端っこに、そうっと。
     ここから読み取れる情報は、そうだな。誰が捨てたか、とか。そういうことかな。どうでもいいや。
     私はそれを丁寧に元の場所に戻してから、いくつかほかの本を手に取ってはパラパラと中身を見た。どれもこれも、どう考えても危険で、ろくでもない内容だった。
     まぁ、もうあんまり大事なものはないか。本を戻して立ち上がる。

     結局、今日は参考になりそうなものは何もなかったな。そう思って扉に手をかけた時だった。ガチャリという音が聞こえた。
     驚いて振り返ると、そこに立っていたのは、背の低い少女。
    「オスクロせんぱいっ」
    「ああ、……どうしたお嬢ちゃん」
    私を見つけるなり駆け寄ってきたのは、小柄な少女だった。長い髪をふたつに分けて結んでいて、瞳の色は青みがかっている。
    「わたしのことおぼえていませんか?」
    「さあ、どうかねえ」
    私は首を傾げてみせる。彼女はムッとしたように頬を膨らませた。
    「、嘘だよ。テストどうだったんだよ、できたのかよ」
    「でっ、できました! わたし、あの、その」
    「はいはい、落ち着いて」
     彼女の肩をぽんぽん叩くと、彼女はハッとして、それから恥ずかしそうに俯いた。
    「あの、ありがとうございました、おかげで、なんとか、なったと思います」
    「そりゃ良かった。じゃあ俺はこれで」
    「あの、待ってくださ」
    「あっ、おいアレ見ろよやべーぞ!」
    彼女が言いかけたところで、遮って大声で叫ぶ。その声に驚いた少女が咄嗟に視線を逸らした。
     その隙に逃げる。我ながら古典的な撒き方だとは思うけど、戸惑う声を最後に背後から追ってくる足音は聞こえない。関わる気は無いんだとわかってくれたろうか。悪いことをした子ではないのだ、私だってわざわざ傷つけたくはない。
     図書室を出たら、外はもう薄暗くなっていた。
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