溶けるのは運命だった【虎トウ】好きと言わないで、母親の口癖だった。
幼いトウマはその言葉と共に生きていたと言っても過言ではなかった。後に親愛や友愛にはその母親の言葉は全く関係のなかったことを知り、自分の母親は自分を守ろうとしてくれたのだと飲み込んだ。他責にはしたくないが、そのせいでトウマの「愛して欲しい」「愛されたい」の欲が大きくなってしまったのはいうまでもない。
トウマの母は「ジュース」だった。
「アイス」と「ジュース」、この2つは特異体質と呼ばれ専らは大多数の人が認知している低血圧や貧血、偏頭痛などと同じ括りにされている。しかし、それらと異なる特異と言えば「アイス」と「ジュース」と呼ばれる人間同士が想いを伝え合うと「アイス」と呼ばれる体質の方が溶ける、つまり死んでしまうことだった。
トウマの父は母に想いを告げた時点で亡くなっており、トウマは父親の顔を見たことがない。母はトウマを失うことを極度に怖がっていた。
好きな子など作らないように徹底され、友人関係なども管理、中学の頃にトウマがスカウトされた際にはこれで学校へあまり通わなくていいと喜ばれ、スカウトの話は快く受け入れられた。今思えば、その養成所で好きな人が出来るとは考えなかったのだろうか。
「トウマ、ごめんね。トウマのこと大切だからお母さんこんなことして」
「…大丈夫だよ、俺はいなくなんないから」
一生好きな人なんて作れない、トウマは小さな母親を抱きしめながらそう思った。
そんなトウマも成長し、親元を離れ東京でアイドルとしての道を歩み始めた。
1度は仲間を失い、アイドルという道すら違えそうになったが、そんなトウマにも新しく守りたいものが出来た。
こんなに幸せでいいのか、そんなトウマの独り言に「いいんじゃないですか、貴方の人生ですし」と巳波が苦笑しながら返したのは記憶に新しい。
「トウマ、帰りに呑んでいかないか」
「トラ、いいなぁ!でも高い店は勘弁な、緊張して酒の味分かんねぇし」
「善処するが俺も名前だけ貴族の居酒屋は嫌だぞ、個室にしろ」
虎於のトウマを見る目が熱を含む、それに気が付いたのはつい最近のことだった。
酒の席、酔っているのかと思えばそうではない。明確な感情を持った熱い手のひら、酔って歩くことすらままならないトウマを抱き寄せた体の温度は、トウマの未だ知らない感情を持つ虎於のものだった。
耳に響く虎於の鼓動、トントントンとリズミカルに鳴るそれは心地よく、トウマは思わず虎於の胸元に顔を擦り寄せてしまった程で、その瞬間跳ね上がった虎於の心の臓に思わず苦笑してしまったのも覚えている。
そう、トウマも虎於へ恋をしてしまった。
虎於の遠慮がちに触れる熱い手のひらが、ライブの時にファンへ向ける獣のような顔が、悠と一緒にいる時に少しお兄さんぶる可愛らしさが、巳波に何か言われた時に悩むように頭を抱えるその表情が、トウマのことを見つめるその優しく暖かいその視線に。
トウマは産まれて初めての感情を抱いてしまった。結ばれることの無い悲しい初恋、初恋は実らないと八乙女が言っていたのを思い出す。伝えられるはずの無い2文字、トウマは心の中で唱えることしか出来ない。
(でも…伝えたらトラはどんな顔をするんだろうな。喜ぶんだろうな、もしかしたら感極まって泣いてくれるかも。喜ぶトラのこと見てぇなぁ…)
死んでもいいから結ばれたい、そんな気持ちがトウマの胸に渦巻くようになった。
自分が目の前で消えた時、虎於はどんな顔をするだろうか。優しい人だ、きっとトウマの消えた場所に縋りつくように泣いてくれるだろう。もしかしたら溶けたトウマのことを集めてくれるかもしれない。
虎於の記憶に一生残る恋になるのなら、そんな恋も悪くないんじゃないか。
そう思った時には既に行動に移っていた。
「トウマ、どうした。急に改まって話があるなんて」
「ごめんごめん、ほら星綺麗だからさ!トラにも見て欲しいなぁって思って」
「確かに綺麗だが…、あまりお前体温高くないんだから冷やすようなことはするな…。心配するだろ」
虎於が自分の着ていたマフラーをトウマへと巻く。それに顔を埋めれば虎於の匂いで満たされた。思わず出てしまった笑み、トウマは虎於のことを抱き寄せ、背中へ腕を回した。
虎於の鼓動が早くなる。
「トラ、俺さ」
虎於のことを抱きしめる力が強くなる、体はこれから起きてしまうことに震えた。案外、死ぬ事が怖いみたいだった。
死ぬ事が怖い訳では無い。まだŹOOĻとして歌っていたかった、悠と巳波の成人を見届けたかった、想いを伝えた後の虎於との生活を思ってトウマは涙を零す。
トウマは虎於の目を見て、微笑んだ。
「トラ、俺、トラのこと」
想いを伝えようとしたその瞬間、トウマの唇に暖かい何かが触れた。
目の前でトウマよりも微笑み、赤みがかった綺麗な瞳から涙を流す虎於、虎於とキスしたのだと気付いた時にはトウマの体温が上がる。虎於もトウマのことを抱きしめる力が強くなるのをその身で感じる。
「ごめん、トウマ」
「え?」
「俺にとって忘れられない恋になってくれ」
もう一度虎於とトウマの唇が重なる。
「トウマ、好きだ。この世界の誰よりもお前のことが好きだ」
「ッ…、おれも、おれもトラのこと…!好き」
ぱしゃんっ………
トウマの目の前が真っ暗になる。
先程まで触れていた体温が腕の中から消えた、濡れた足元には目の前にいた虎於が着ていたはずの衣類、しかし目の前には満点の星空しか写らない。
トウマはその場に座り込み、濡れる地面になだれ込む。匂いも何も感じられない、衣服に染み込んでくる冷たさだけが、目の前で起こったことを物語っていた。
状況を理解した時には叫んでいた。
「なんで!…トラ、なんで!だって俺が、俺がアイスで…トラ、トラは…」
トラが「アイス」だった。
否、トウマも「アイス」だったはずなのだ。母親がそうしなければあんなに怖がるはずがない。トウマを失うことを極度に怖がっていたのだから。
トウマはその場に落ちる衣類を抱き締め泣き叫ぶ。こんな想いを自分は虎於へ与えようとしていたのか、何度名前を呼ぼうとその声は星空へと消えていく。
虎於がトウマの名を呼ぶことは二度とない。
どれくらい泣いていたのだろうか。
真っ暗だった空は朝日が昇り、トウマの周りを照らし始めていた。虎於が溶けてしまった場所も近いうちに蒸発し、跡形もなく消え失せてしまうのだろう。
トウマは小さな声で呟いた。
「トラ、トラの場所行きたい」
それはきっと、虎於の望んでいない終わりだったとしても、今のトウマに抗うことなど出来なかった。
了
◆解説◆
トウマの母親=ジュース
トウマ=アイス
虎於=アイス
アイスとアイスが恋に落ちた場合、体の特徴などは消えずに片思いするのが早かったほうがアイスとしての強く特性を持つ。今回の場合は虎於が先にトウマへ恋したため、トウマはアイスとしての体質もジュースとしての体質も持ち合わせてしまった。
(トウマが虎於に恋することが無ければトウマはアイスとしての体質のみ持つ)
虎於はトウマがアイスであることも知り、アイスとアイスが恋に落ちた時の体質変換のことも知っていた。トウマを失うことが辛かったため、トウマより先に告白。トウマの中で永遠に残る恋になることを望んだ。
最後、トウマがどうなったかはお任せします。