世界で1番長生きな嘘つきへ。「私はリーベルの死を受け入れる、リーベルの守ったこの世界を…次は私が」
英雄の死から2年、この長くも短い2年の間に何かが変わったといえば変わらないし、全く変わらないといえば嘘になる。
少なくともコノエの守るべき対象であるカバネとクオンの関係性は少しずつ変わり始め、コノエの作る野菜の出来も2年前よりいい物になっているのは確かだった。
世界は二分されたままだが、それでも今を生きる者たちの声はコノエには眩しい。
そんな中で変わったことがもう1つ。
「なんでアンタはまたッ……!」
「お前のところの主が俺の売ってるものを望むから来てやってんだろ、お前に会いに来てる訳じゃないぞ?」
「すまないね、コノエ。この前オルカから買った甘い食べ物がどうしてももう一度食べたいと思って」
「甘いもんなら俺が作れます!この得体のしれないのから買わないのも…!」
オルカが偶然の出来事から地下へと1度流れて来てから1年、オルカは度々クオンに物を売りに地下へとやってくるようになった。
しかし、不可解なことにオルカは自分のことを助けたコノエのことを気に入り、クオンに物を売ることを口実にしてはコノエに会いに来る。この前も地上では確実に高価であろう宝石の欠片を渡されて、コノエが顔を真っ赤にして慌てていたのは周りの記憶にも新しい。
コノエの言葉にオルカが驚いたようにコノエの両手を繋ぐ。その目はいつもと違ってキラキラと輝いており、コノエは少しだけ後ろに引きながらオルカの言葉を聞いた。
「アンタ…!あめぇもん作れるのか!?」
「つ、作れるって言っても南瓜の甘い煮付とか…あとアンタから買った粉で蒸しパンみたいのしか作れないっスよ?」
「それでいい!食わせてくれ!甘いもんなんて何年ぶりだか…プラセルにも食わせてやりたいなぁ…」
既に亡くなっている家族の名前を出すのはずるいのではないか、コノエが言葉に詰まったのをいい事にオルカはもう一度コノエに懇願する。
「…プラセルのためになら、いいッスよ?」
「ははっ!ありがとう!いつ来ればいい?何か地上にあるもんで欲しいもんあれば持ってきてやる!」
「いらないっすよ!…でもクオンさんが食べてるその…甘いもんは…気になるッス…」
元々甘いものなど地上では本当に食べられないものだった。2年前から少しずつ世界が変わり、オルカの手元にもあの粘土のような甘い物やそれ以上に甘美なものを仕入れられるようになった。
プラセルと半分ずつ食べ、腹を壊した日が懐かしいとオルカは笑う。あの粘土のようなものをコノエに食べさせる気はないが、今クオンが食べているものはコノエにも食べさせてやりたい。
「14日後、またアンタに会いに来る」
□
「コノエはオルカのことをどう思ってるんだい?」
「ッ…いけ好かない人だと思うッスよ。でも…まぁ楽しいッスね」
「ふふ、コノエのそういう顔見るの久しぶりで僕は嬉しいよ。もうそろそろ14日経つんじゃないかい?」
「暦的にはそろそろっすけど約束守るような人じゃない……」
コノエが今日の夕飯にしようと思っていた白菜を手に取る、その時だった。
「そんな寂しいこと言わないでくれよ、コノエ」
後ろから抱き締められる感覚にコノエが驚き振り向けば、血塗れのオルカがそこにいた。
腹から血を流し、頭から血を流し、頬には殴られたような跡と手のひらの爪は何枚かなくなっている。コノエは更に驚いた表情で振り返り、オルカの着ていたシャツを捲り上げ、傷の深さに絶句した。
「あ、貴方!流れ着いてきた時より重症じゃないですか!治療しないと…クオン様!少々失礼致します!」
「ッ…、コノエ、ちゃんと治療してあげなさい。オルカ、コノエをよろしくね」
クオンがコノエのことを送り出し、自分の部屋へとコノエがオルカを連れて行く。
クオンは立ち去っていく2人の後ろ姿に、聞こえぬように小さな声で呟いた。
「どうかオルカがコノエにとって大切な人になりますように…長い時を生きる僕たちにとって…忘れられぬ人になることを」
―
「何をどうしたらこんな重症だというのにこんな地下へやってくるんですか…!この地下まで来るのにも命懸けだというのに…貴方は馬鹿ですか!」
「…………コノエ」
「何ですか…あまり話さないでください。傷口に障ります」
「話し方、それが本来のお前か?」
バッとコノエが自身の口を塞ぐ。オルカの傷口に触れていた手で口を塞いだので、コノエの口元はオルカの血に塗れるが気にしてはいなかった。
やってしまった、とコノエが小さく呟く。何百年も前に捨てた自分の本来の性格、悠久の時を生きるコノエがカバネとクオンのために捨てた本来の性格だった。元々、カバネに仕えるように育てられていたのだ。砕けた話し方も慣れたのはごく最近のことで、思わず溢れ出た本来の自分にコノエは言葉を失う。
無言になったコノエの頬へ、オルカは血塗れの手のひらを添えた。
「そっちのアンタもいいなぁ……、本当は砕けた性格じゃなかったんだろ?」
「……忘れました、何百年も嘘をついていたから…でも……貴方には狂わされてばかりで」
「はははっ!可愛い、可愛いなぁコノエは」
オルカの傷は深い、その分痛みだって伴っているはずなのにオルカは笑う。
オルカの傷口を抑えながら、コノエは数百年ぶりの弱音を呟いた。
「死なないで……オルカ様」
その「死なないで」は何に対するものか。
今の現状なのかもしれないがオルカがそんな柔な体ではないことをコノエは知っている。
そうだとすれば、それは悠久の時を生きるコノエたちにとっての弱音だったのだろう。何を言ってもオルカがコノエを置いて逝くことには変わりない。
何れ、オルカはコノエの前からいなくなり、その後の喪失感をコノエに与えることは絶対だった。
ポロポロと涙を流すコノエの頬を今度は両手をオルカは添える。髪の色と相まって、赤に塗れるコノエをオルカは美しいと感じた。地上で生きるオルカにとって、赤が似合う人間は少ない。オルカは横たわった体勢そのままで、コノエの顔を自身に近づけ、唇同士を触れさせた。
鉄の味が鼻腔を犯し、切れた唇からコノエの口内にオルカの血が混じる。
「ッ……ちょ、オルッ…」
「好きだ、好きだ、コノエ。俺はお前を置いていくけど……それまでの何十年、アンタのこと愛してやりてぇ」
「オルカ様……」
「……様付けされるような人間じゃねぇんだけどなぁ……。コノエはそっちの方が呼びやすい?」
「…恥ずかしいので、慣れるまでは…オルカ様と呼ばせてください……」
さぁ治療させて、とオルカの血塗れの服を脱がせていき、暖かい布で血を拭い、磨り潰した薬を塗り、新しい包帯をオルカの腹へ巻いていく。あの地上でよくもまぁこの体型を維持できるものだ、オルカの腹筋に触れコノエは少しだけ微笑む。オルカの生命力が強くて良かった、この人は何十年先の未来を約束してくれる。
頭の傷口や頬の傷まで治療し、血がなくなった状態になったオルカのことを自分が普段使っているベッドへと寝かせる。
「コノエの匂いがするな!いい匂いだ!」
「だからっ…!貴方は何故考えたことと言葉が直結して出てきてしまうのですか…!」
頭を抱えたコノエの手をオルカは引く。
そのままコノエもベッドへと雪崩込むように倒れ、オルカの隣へと収まった。自分よりも背の高い若い男に抱き締められ、コノエはその場で暴れようとしたが、オルカが「痛ッ」と一言呟いたせいで大人しくなる。
「傍にいてくれよ、ずっとプラセルやヴィダたちと寝てたから…人の温かさが好きなんだよ俺」
「…………私は…初めてです、こんな温かさ」
私の負けです、というように次はコノエからオルカの唇へ己の唇を重ねる。もう血の味はしなかった。
「お慕いしております、オルカ様。貴方がいなくなった後のことは後から考えればいい、貴方と過ごす何十年を…私にくださいませんか?」
微笑むコノエのことをオルカは抱き締める。
大切な人達がいなくなる寂しさを知っているコノエに求められたことが嬉しかった、何十年先の未来を約束してくれたことがとても嬉しかった。
プラセルやヴィダ以外にも大切にしたいものがオルカの中に出来た。
オルカはつけていた3種のネックレスのうち、1番古びたものをコノエの首へと回す。
「これ、俺がちっちぇ頃からつけてるやつなんだけど。コノエにやるよ」
「いいんですか?こんな大切なもの…」
「コノエにだからやるの!…コノエのこと愛してっから……」
「ッ………貴方の言葉が直球すぎて…顔から火が出そうです…」
どちらからともなくまた目が合い、そして唇を重ねる。そのままオルカから抱き締められ、コノエもそれを受け入れる。
こんな感情は初めてだった、お互いに。誰かを愛するということはこんなにも幸せなことなのかとコノエはオルカにバレぬように涙を流す。
(どうかこんな日を愛せるように、いつか離れる日が来ても来世で共に在れるように)
来世がくるか分からないコノエにとっては遥か彼方の夢物語であったとしても、コノエはそう願わずにいられなかった。
―
「コノエは体調が悪いのか」
「カバネ…、コノエは今寝てるみたいだから今日は僕が夕飯を作ろうかな」
「…コノエの作った野菜たちが可哀想だ」
「あはは、カバネったら」
起きたらどんな顔でコノエは出てくるのだろう。もしかしたら本来の性格の彼に戻っているかもしれないし、また砕けた口調で接してくるのかもしれない。
その隣で笑うオルカと共に、きっと部屋から出てくるのだろう。
「恋って素晴らしいね、カバネ」
「…まさか」
「邪魔しないであげよう、僕たちの理解者の初恋だ」
どうか離れるその日まで、彼らが幸せでありますように。クオンは小さく微笑み、太陽のない土の天井を見つめた。
□
産まれてきてからずっと足りないものを探している。それが何なのかはまだ分からないがとにかく大切なものだった。
岩の中の冷たさを稀に懐かしく感じる。この国にはない冷たさを求めている自分がいた。
(いつか分かるのだろうか)
桜の花びらを手に取り、桃色に溢れた庭を歩く。やけに外が騒がしい、また何か問題でも起きたのだろうか。重たい着物を翻し、その騒ぎのする方へ足を運ぶ。
「カイドウ様が来る前に…!」
「なんだ、私が見るとまずいものでも?」
「カ、カイドウ様!…実は異国の男がカイドウ様に会いたいと…」
瞳に写る景色、人に私は大きく目を見開く。
姿は少しばかり違うが分かる、この男を自分はずっと求めていたのだと。
着物が気崩れるのも気にせず、私はその男の元へと走り、そして飛びつくように抱きついた。周りから声が上がる。
「今の名はカイドウって言うんだな、…コノエ」
「……オルカッ、オルカ…永い時だった、ずっとずっと会いたかった…ッ」
「俺も会いたかった、…なぁコノエ、今の名を呼んでくれるか?」
「あぁ…教えてくれ、お前の名を…」
冬の冷たさ、しかし暖かい彼の体温を布越しに感じる。あの時よりも優しく微笑み、長い髪を束ねた男は呟いた。
「ドルト、今の名前だ」
「ドルト、ドルト、いい名前だ」
衆人が見る中、オルカ…基いドルトが唇を奪ってくる。周りからは悲鳴のような声が上がるが、気にしてなどいられなかった。
やっと求めていた人に出会えた、足りない時間を埋められることに涙を流す。
「次は共に死ねるな、ドルト」
「出会ったばかりで死の話はやめてくれ、でも…置いていって悪かった」
微笑む2人のことを優しく見つめる影が2つ、その影もお互いを見合い、そして微笑んだ。