Enigma繰り返される日常には飽き飽きしていた。
僕は剣持刀也。どこにでもいる普通の高校二年生だ―と言えればいいのだけれど。
僕は気づいたときには高校二年生の日常を繰り返していた。
原因?そんなのわからない。
まぁ人生なんて不確かなものの連続だ、と考えて悲観することもなく自身の現状を達観して過ごしていた。
…にしたってつまらない。
何度も勉強するのは同じ内容ばかり。体育大会も、文化祭も、毎年することは違ってもだんだんくだらないお戯れに見えてきた。唯一純粋な気持ちで励む剣道は楽しいけれど、高校と言う檻から逃げ出すことは叶わない。
友達だって好きだ。先生方だって嫌いじゃない。環境もまぁ気に入っている。
でも―あまりにも味気ない。
例えるならば毎日味変してポテチを食べていても、だんだん食べたくないと思い始めたり惰性でポテチをイヤイヤ食べたりする感覚に近い。
僕にとっての現状はそういうイメージだ。
「何か、おもしろいことないかな」
ぼそり、と教室の隅でつぶやいた言葉は誰の耳に届くこともなくぽつり、と消える。
それはそうだ。もうとっくに下校時間を過ぎている。
なんとなく家に帰りたくないなぁ、と思ってぼうっと読書をしていたら気づけば外は暗くなっていた。
早く帰らないと両親や兄妹が心配するだろう。最近この町で不審死が多発してるって物騒な話も聞くし。僕は雑念を追い払うように頭を振ると、読みかけの本をカバンにしまって、木製の椅子から立ち上がる。
『ねぇ、毎日がつまらないならボクと遊ぼうよ。』
「…!?」
甲高い子供の声。
背後で、いや、耳元で何かをささやかれた感覚。
教室中を見回しても姿を持ったなにかはいない。
―だが、何かは居る。人ならざる何かが。
もしかして幽霊!?学校に幽霊ってベタすぎるだろ!でもこれロリの幽霊じゃね!?しかもボクっ娘!?
僕は恐怖よりも興味のほうが勝って教室中を歩き回る。
…しかし当然のことながら勘付けば彼らは行方をくらますもので。
「…空耳かぁ」
つまらない日々に飽き飽きしすぎて僕はロリの声を捏造して脳内再生してしまったんだな、と自分なりに納得し、教室の電気を落として廊下へ出る。
「暗いな…」
スマホの懐中電灯をパッとつけて、足元を照らす。いつも(しかも何年も)通っているはずの校舎だが、暗さも相まってなんだか違う世界のようだ。
「…早く行こ」
僕は少し早歩きになって校舎を進む。
渡り廊下を過ぎ、職員室前を抜け、階段を降り、中庭へと出る。
背中に担いだ竹刀入れがいつもよりもずんと重く感じる。春先で、しかもジャケットを着ているにも関わらず肌寒い。
―あれ?なんだか、一歩が重い、ような―?
『お兄ちゃん、遊ぼうよ、遊ぼう?ボクと“契約”しよう?』
またあの声だ。しかし、先ほどと違ってその声には明確な悪意と―何か、禍々しさを感じる。
しかもこいつ、契約って言ったか?
『そう!契約!君は何度も同じ時を繰り返してて可哀そう!でも、ボクと契約したらなんども同じ時を過ごさなくていいよ!つまらないことなんてなくしてあげる!―その代わり』
そいつは、声のトーンを下げた。
目の前に靄がかかった人型が現れる。
『君の目ん玉がほしいなぁ!宝石みたいできれいなみどりいろ!目が見えなくなっても当たり前の日常に戻れるなんて幸せだよねぇ!』
僕は悟った。昔、本で読んだ。
契約し、願いをかなえる代わりに大きな代償を支払わねばならない。
四肢は当たり前、両眼から内臓まで願いをかなえたところで生きていけないほどの代償を負わせる。そう、そうだこいつは―
「―悪魔」
僕の言葉を聞いた瞬間、目の前の靄は醜悪な悪魔そのもののへと姿を変える。
『うふふ、うふふ!よく気づいたね!どうする?契約する?しないなら―』
悪魔の手がこちらへと伸ばされる。
『お兄ちゃんのこと、殺すけど』
まずい、まずい、まずい―
足がすくんでいるわけでもないのに、立ち上がれない。走り出すこともできない。声も出せない。
背中に担いだ竹刀入れから竹刀を取り出して打てないかと考えるも、ヤツは悪魔だから効くかもわからない。そもそも手すら動かない。
嗚呼―。
よくわからずに歳をとらなくなって、よくわからないものに殺されるのか。
新聞にはなんて載るんだろうな。不審死?
―はっ、とした。
幾度もニュースで報じられていたこの町で多発している不審死の事件。
もし、もしも。
その犯人が―人間ではない、この悪魔であったとしたら。
―死を目前にした体は妙に冷静だ。
ここで契約すれば助かる、その上歳も順当に取ることができる。
でも、眼窩から両目が抜け落ちてしまえば生活もままならないどころか失血死で死ぬ可能性もある。
それに。
―悪魔なんかに手助けされて生きていくなんて癪ですからね。
僕は思いっきり息を吸った。
「―結構ですよ。あなたに願いをかなえていただくくらいならここで死にます!確かにこの日常はつまらなくとも、歳をとれずとも、僕はこの人生を謳歌していますしね!僕は可哀そうなんかじゃありませんので!」
悪魔の顔が怒りにゆがんだ。
最後にカッコいいこと言えたし、まあいいか。後悔はない。
死が、やってくる。
剣持刀也、ここに散る―!
―その刹那。
まばゆい光。
耳をつんざくような悲鳴。
悲鳴の出どころは…僕ではない。
『ぐわぁぁぁぁっ!!!!なんで、なんで、“お前”が―ッ!!!!』
「…お怪我はありませんか、少年」
目の前に降り立ったのは、金色。
柔らかなミルクティーの髪は一つにくくられ、頭上には大きな金の輪が浮く。
白い衣服は一見しただけで人間が着るようなものではないとわかる。
あいつが悪魔ならば、これは―
「―天使、?」
「おや、気づかれてしまいましたか」
どうやら天使だったらしい“それ”はおちゃめな動作で口元に白い手袋をした手を当てる。
「僕どうなってるの…なんで一日で天使にも悪魔にも会うわけ…?」
本来僕は未知のものはあまり信じない性分だ。しかし、こんなに目の前で黒いオーラやら金のオーラやらを見せつけられたら嫌でも信じないわけにはいかない。
「少年、お名前は?」
「あ、ああ…僕は剣持刀也、ですよ」
「剣持さんと言うのですね」
天使は柔和に微笑む。漢字で天の使いと書くにふさわしい笑顔だ。
「あの、天使さん、ところで、悪魔は…」
「ああ!忘れておりました」
天使はぱちん、と手をたたくとすぐにくるり、とストラを揺らして背を向き、天使のオーラに充てられて苦しむ先ほどの悪魔に手をそっと出す。
「失せなさい。わたくしの領域でよくもまぁ好き放題やったな」
先ほどの柔和な笑みやおちゃめな仕草からは想像できないほどの、冷徹な声。
悪魔は声もなく消え失せた。
「あなたは…いったい…?」
この天使、何者なんだ。悪魔の反応を見るにかなり高位の天使のようだが…
「わたくしは一介の天使でございます。ああいったヒトに危害を加える悪魔を粛清するため、この一帯をパトロールしているのです」
「パト、ロール…」
天使がパトロールと言うワードを使うあたり、なかなかこの天使は人間界の語彙に明るいらしい。
「…剣持さん、あなた普通の人間ではありませんね?」
「え、ああ…雰囲気でわかるものなんですか」
「ええ、なんとなくは」
流石は天使。だからあの悪魔にもばれていたというわけか。
「あの…なんなんですか、天使とか悪魔とか…あんまり理解が追い付いてないんですけど」
「ああ、まあそうですよね、人の子ですもんね、さすがに見て理解してくださいは無茶があるか」
もしかしてこの天使僕が聞かなければしれっと天使と悪魔のこと説明しないつもりでいたの!?
若干天使の強引な思想に衝撃を受けつつも、そんな僕を知ってか知らずか天使は指を一本ピン、と立てた。
「…悪魔は人間と願いをかなえるために契約し、その見返りに多大な代償を払わせる生きモノです。悪魔たちは人間の欲望、負の感情と言うものへの嗅覚が非常に強く、そういったものを嗅ぎつけると、それと契約しようと接触を試みるわけでして。あなたに近づいた悪魔も、あなたの特異な性質に惹かれ―それが原因であなたの心に影を生み出していたことに付け込んで契約を持ち掛けたわけですね」
「は、はぁ…」
「まぁ、先ほどの悪魔は契約しなければ殺すと言っていたくらいですから、余程余裕がなかったんでしょうね。見るからに下位の悪魔でしたし。その割には契約しないと言われて逆ギレした挙句惨殺を繰り返していたわけですから全くタチが悪いですけど」
「僕、雑魚悪魔に殺されかけてたんだ…」
僕がぽつりとつぶやくと「案ずることはありませんよ」と天使は答える。
「人間は悪魔には敵いませんから。人間と言う器を超越したものですよ、悪魔も、天使も」
天使の心地よいテノールが響く。
「…ところで剣持さん。あなたは一体何者で?」
「…えっ?」
突然向けられた自身への質問に戸惑う。
僕に特異な性質があることをわかってはいるが、その内容まではこの天使様にはわからないらしい。
正直に答えるか否かしばらく迷ったが、隠したところでなんだか勘付かれそうだし、別に渋る質問でもないな、と思えばすぐに口を開いた。
「―僕は16歳から歳をとっていません。不死かはわかりませんがおそらく不老ではあります。この高校生活ももう何回目かわかりませんし」
「へぇ。不老、ですか。人の子にしては珍しい」
「でしょう?最近めっぽう同じ日々でつまらないなあと思っていたのでそのせいで悪魔に寄り付かれたのかもしれませんね」
天使は納得したように数回頷いた。
「なるほど、面白いですね。…ところで剣持さん、そろそろご帰宅されなくてよろしいのですか?ご両親が心配されるでしょう」
「…あ、確かに」
あまりにも不可思議な出来事が重なりすぎて時の感覚を忘れていたが、家族の間では当たり前に日々の時間が流れている。心配をかけるわけにもいかないしな。
「…ええと。助けてくださってありがとうございました。それじゃ、僕はこれで」
僕は命の恩人(人でいいのか?)に頭を下げると、彼はにこやかに微笑んだ。
「ええ。お気をつけて」
僕は幾度か振り返りながら中庭を後にする。ぼうっと明るいオーラを纏った名も知らぬ天使はずっと手を振り続けていた。
「…ふむ」
天使の考え込んだ声は、稀有な体質の少年の耳には届かなかった。
*
「はあ…」
夕飯を終え、自室へ逃げるように立ち入った僕は、すぐさまベッドに飛び込む。
―あまりにも非現実的なことと遭遇しすぎた。
悪魔だの天使だの、今日まで存在しないと思っていなかったものが一気に押し寄せてきたのだ。もう脳はパンク寸前である。
配信でも見て気持ちを紛らわせようかな、と思うもののなんだかそんな気も起きない。
今は憤慨し命を奪おうとしてきた悪魔の顔と、それをいともたやすく消し去った天使の淡い光が脳裏に焼き付いて離れない。
今日は繰り返される16歳の日々の中で最も印象に残った一日と考えて間違いないだろう。
「…もう寝るか」
幸い新学期になったばかりというのもあって、明日までに即座にやらなければならない課題はない。普段と比べて眠るには早い時間だが、今日はあのような目に遭ったのだ、こんな風に早く眠りにつく日があってもいいだろうと部屋の明かりを消す。
かち、こち、という時計の音が響く。
何度も寝返りを打つが、一向に眠気は訪れない。
寧ろ脳裏に焼き付いた悪魔と天使がぐるぐると頭を駆け回って蹂躙しているような…。
かち、こち、と響く時計の音がやけにうるさい。
外を走る車の走行音、飲み会を終えたばかりであろう酔っ払いの大声、緊急事態に颯爽と駆けつける消防車のサイレン―
―こんこん。
外の音に紛れて、やけに鮮明にその音は響く。
「…ん?」
外の音とは何か違うことを察知して僕は半身を起こす。
「…ノック?」
出所はどこだ、窓か。いや、ここは二階だぞ。窓をノックなんてできるわけがない。
「…空耳、かな」
そうだ、変な妄想と外の音で気が狂って空耳が聞こえてしまったのだ、と自分で自分を納得させる。
起こした半身を倒そうとした、その時。
―こんこん。
再び、その音は響いた。
―今度は聞き間違いなんかじゃない。
僕は完全にベッドから降りると、そのまま窓へと駆け寄る。
カーテンを開け放ち―僕は、絶句した。
後光の差す美しい姿は、暗闇の僕の部屋を明るく照らす。揺らめくストラに、ミルクティー色の髪。琥珀の瞳は楽し気に三日月を描く。
「…天使…!!」
なんだってこんな夜分に…もしや僕実は眠ってて、あまりに脳内を占拠されすぎたから自室に出てくる夢でも見てるのかな!?
動揺する僕をよそに天使はおちゃめな動作で窓を開けろと指示してくる。
一瞬迷ったが、僕は何を思ったか窓を開けた。
「今晩は、剣持さん。夜分遅くにすみません」
「…なんであなたがここに」
「ええ?人間の家くらい突き止めるのは余裕なので…」
「それ色んな犯罪に抵触してる気がするんだけど」
「わたくし天使ですから」
こいつが人間だったら間違いなく110番に助けを求めていたところだが、相手は天使だ。電話したとて異常者だと思われるのは間違いなく僕のほうである。
「ええと。わたくし、剣持さんにお願いがありまして」
「…お願い?」
「ええ。非常に大事なお願いでございます」
天使は窓からぴょんと軽やかに僕の部屋へと入り、ふわりと降り立つ。
「―剣持さん、わたくしと契約してこの街の悪魔の粛清を手伝ってくれはしませんか?」
―契約?粛清?
「…は?」
その時の僕はどうしようもなく間抜けな顔をしていたことだろう。
「…契、約?」
「ええ。契約でございます」
「は…はぁぁ!?」
僕は絶叫した。
*
「落ち着きました?」
「…落ち着いてはないですよ。冷静さを取り戻しただけで」
天使はええー?と言うと小首をかしげる。やはりこの天使、どこか感性が人間離れしていやがる。
天使は未だどぎまぎしている僕の目の前で、ピンと背を伸ばした美しい姿勢で正座していた。
「まあ間髪いれずに話したわたくしもよくありませんでしたね。人間の剣持さんのために順を追って説明いたします」
天使は白い指先をピン、と一本立てる。
「ここ最近この街で不審死が多発していることはご存じですか?」
「ええ、まあ…なんでも夜間のうちに殺され翌朝に発見されるパターンが多いとかなんとか…悪魔の仕業、ですよね」
「御明察です。今日あなたに契約を迫った悪魔がいい例ですね。…確かに悪魔は人間を惑わせ、気に入らない場合は惨殺することもあります。しかし、あまりにもおかしいんです」
「おかしい?」
「ええ。本来悪魔が人間界のニュースに取り沙汰されるほど頻繁に、かつ分かりやすく惨殺を行うことは極めて珍しいのです。これはたかだか一匹の小悪魔程度ができるタマではない…つまり」
天使の琥珀色の瞳が強く細められる。
「この街には悪魔が大量発生している…もしくは高位の悪魔がこの街を征服しようとしている」
「ちょ、ちょっとまって、なんで?この街何もないでしょ!?」
「あくまでわたくしの仮説ですから。我々天使にもその要因は残念ながらつかめていないのです。一先ず応急処置的に我々のような高位の天使が惨殺行為に及んでいる悪魔の粛清を行っている…しかし、それだけではわたくしたちの目の届かない部分が存在するのは勿論のこと、効率も悪い…。そこで、あなた…剣持さんの出番なわけです」
ピンと立てられた白い指が、僕の胸元に向けられる。
「…全くどこに僕の出番があるのか想像もつかないんですけど…そもそも人間は蚊帳の外じゃないですか。あなたの話を聞く限りは」
「ええ。『普通』の人間なら、ね」
「…不老のことですか?」
「そういうことです。わたくしのような高位の天使にもなると、粛清には向きますが彼らの動向や目的を観察するのには向かない…たいていの悪魔は恐れをなして逃げ出してしまいますからね。わたくしがやりたいのはただ悪魔を粛清するのではなく、彼らの行動の目的を探り、この街に悪魔が集う原因を突き止めること。そして悪魔を引き寄せるには特殊な体質を持つ人間は非常に向きだ」
「おい待て!僕のことおとりにするって言ってるようなもんじゃないですか!?」
こいつ、よく聞いてみりゃ『悪魔がこの街で暴れまわってる理由知りたいからお前の特殊な体質で悪魔釣ろうぜ!』って言ってるようなもんじゃん!最悪だ!
「大丈夫ですよ。剣持さんの身に危険が及ぶことがあればわたくしが対処いたします。わたくし強いですし」
「そういう問題じゃなくって!!」
天使は目をぱちくりとさせる。
「今のところ僕へのメリット皆無じゃないですか」
「あなたの街が住みやすくなりますよ?」
「ほぼボランティアじゃん!」
ふむ、と天使は顎に手を当てる。
「…よし」
よし!?なにが!?
「…習うより慣れろ、と言いますし。なんだか悪魔の気配も致しますし。」
「…も、もしかして…」
「ええ、剣持さん!実際に悪魔の粛清、行きましょうか!!」
「だろうと思った!僕は行かな―…って!?」
天使は僕を軽々と持ち上げると、窓のへりに立つ。そして―
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
夜の街へと、天使と少年は飛び立った。
To be continued…