その日、世界を驚きが襲った――と言うと大袈裟だが、一部の界隈を大きく騒がせたことは間違いない。
日本人NBAプレーヤー、流川楓。彼の所属チームのスポンサーが、シーズンオフに大きなイベントを主催するにあたり、チームから何人もの選手が参加することになった。スポンサーは服飾に関連する企業のため、選手たち、場合によってはその配偶者やパートナーに、自社製品を身に着けてレッドカーペットを歩いてもらい、ファン向けにアピールしようという試みだ。生粋のバスケファンだけでない幅広いファン層を持つ流川がその要員に選ばれるのも、納得の話だった。
現に流川は、これまでに何度も似たようなイベントに駆り出されては、ひとりでカメラの前を歩き、バリケードテープの向こう側にいるファンに適度にサービスをし、記者のインタビューに答え、といった役目をこなしていた。借りてきた猫のほうがまだシャキッとしているのではと思われるような眠たげなまなこで、ではあるが、そこはもはや、流川という男の愛嬌のひとつとして受けとめられている。
1910