船長の子守唄 目を閉じて、開けての繰り返し。何度目かの繰り返しで眠ることを諦めたフリードは暗闇に包まれた天井を見つめた。
幼馴染が手塩にかけて造ってくれた飛行船で旅を始めてから一ヶ月近く経過した。身の周りで変化があったことといえば、自身の眠りが浅くなったことぐらいだろうか。
寝付きは元々良い方ではある。企業に勤めていた頃はベッドにもぐればすぐに眠りにつけた、だからこそ眠ることについては悩むことなど何一つなかった。
ベッドの上で一度身動ぎしてから、再び天井に視線を向ける。眠りにつくことができても、途中で目覚めてしまう。目覚まし時計が鳴る前より早く起きてしまう。いわゆる不眠だ、医者に診てもらわなくても分かる症状だった。
不眠にひと月も悩まされている青年はため息をつく。十分な睡眠をとれていないせいか、日中どうも瞼が閉じてしまう。そのせいか集中力が欠けてしまい、誤った方角に舵を切ってしまったことが何度かあった。共に旅する幼馴染から「あんたらしくない」と叱責されるより心配されたが、その時は笑みを取り繕ってその場を切り抜けた。眠れていないと正直に言えば、無理をしないでと舵を切る手を止めてくるだろうから。
生活する環境が変わったから眠れなくなった、のではないと思う。身体は至って健康体だ。病気何一つ患ってもいない、だとしたら眠れない原因はと消去法で考えていると、ふと額に何かが当たった。
「キャップ?」
「ピカピ」
暗闇に慣れた視界で一匹のピカチュウをとらえる。ブレイブアサギ号の小さな船長であり、青年の相棒でもあるキャップが尻尾を使って、フリードの額をつついていた。
「悪い、起こしちまったか」
枕元で眠っていたはずの相棒が腕を組んで見下ろすように見つめてくる。眠れないのかと尋ねてくるような無言の視線に「そろそろ寝るさ」とフリードは一言声をかけた。
おやすみ、と囁いてからフリードは目を閉じた。眠れないことはわかっていたが、キャップ相手にも余計な心配はかけたくなかったので、嘘寝でやり過ごすことにする。
目の前に闇がただ広がる。広がる一色にじわじわと胸に迫ってくるようなそんな感覚を前に過る影。
明日のこと、これからのこと、自分がやりたかったことが脳内にぐるぐる巡る。
飛行船で自由に旅をしながら、世界中を見てまわる。はたして、自分が選んだ道はこれでよかったのだろうか。
この旅にそれなりの不安を感じているからだろう。自由だからこそ、どこまででも行ける。だが、それは先行きが不透明で、どうなるか分からないことも表していた。
やりたいことをようやく見つけたはずだ。それなのに、期待だらけの未来を考えるだけで心が揺らぐ自分がいる。まだ知らないことを解き明かしたいと思う持ち前の好奇心は、今は未知の闇に塗りつぶされそうになっていた。
その先を知らないから、不安になる、怖くなる。
眠れないのはきっとそのせいだ。大丈夫だと何度も言い聞かせても、揺れ動いてしまう。
眉間に力が籠る。余計なことを考えたくないから、次に停泊した街で睡眠薬でも買おうか。あまり手を出したくなかったが、使わないよりかは多少マシになるはずだ。ぼんやりとした頭で対処法を考えていると、微かな音が青年の聴覚を刺激した。
(……歌?)
音だと思っていたのは歌声だった。いったい誰がと瞼を持ち上げると、歌声の主はそこにいた。
キャップだ、キャップが歌を歌っていた。
耳をすませて歌を聞く。囁くように、語りかけるように、優しい声でメロディーを紡ぐ。聞いたことのない曲調を前に青年の興味は自然と傾いた。
それがただの歌ではないことにフリードは気がついた。なぜ、キャップは歌を、子守唄を口ずさんでいるのだろうか。うたう、でも覚えたのだろうか。パルデア地方で伝わる子守唄なのだろうか。様々な疑問が脳裏に生じていると、互いの視線が交錯する。
「キャップ……むぐっ」
声をかけた途端、尻尾で口許を塞がれる。子守唄を中断させたキャップは「ピカーピ」と鳴き声を口にした。
再度、子守唄が紡がれる。いいから眠れ、と言っているような様子を前に青年は目を細めた。どうやらブレイブアサギ号の船長はオレが眠れないことに、オレがこれからの旅路に不安を抱えていることに気がついていたらしい。
この子守唄はそんな青年のために捧げられたものだ。どこか辿々しく奏でられる旋律にフリードは口許が緩んだ。不思議と心が軽くなり、聞いているだけで胸に渦巻いていた靄が次第に晴れていくのを感じる。
睡魔に身を委ねながら、懸命に唄う相棒の姿を視界にいれる。そして思うのだ、大丈夫だと。ポケモンと一緒なら、相棒と一緒なら世界のどこにでもいける、未知の先を共に切り開くことができるのだと。
長い長い旅路になるだろう。楽しいことだけじゃない、悲しいことも苦しいこともこの先にはきっとあるはずだ。でも、オレには仲間がいる。例え、前も後ろも見えなくなっても、共に歩んでくれる心強い仲間たちが、相棒が隣にいる。
どこまでも前へ前へ、上へ昇って、不思議を追い求めて。その先に待っている輝かしい景色を共に眺めることができたら。
抱えていた不安は、気がつけば消え去っていた。仲間と歩むこれからの旅路と自分がやりたかったこと。考えるだけで、期待に満ちあふれた子供のように興奮して眠れなくなりそうだった。しかし安堵しきった身体は休息を求めて、素直に眠りにつこうとしていた。
おやすみ、そしてありがとな、キャップ。胸の中でそう伝えると、フリードは目を閉じた。
世界で一番眩しく、優しく、とても温かい子守唄は、穏やかに眠る青年を包んだ。