炎陽翡翠色の大きな龍に、見つめられている。
俺はその場から一歩も動くことはできなかったが、不思議と恐ろしくは無かった。
龍が近づいてくる。愛おしげに眼を細めたような気がする。大きな口腔を開いて、大きな舌で俺を舐めてくる。このまま喰われるかもしれない。
この龍になら、喰われてもいいと思った。
…この音は?
着信音だ。俺は夢から覚めた。
「…もしもし」
「ちょっと刃ちゃん、なんでモーニングコールしてくれないのよ、危うく寝過ごしちゃうところだったじゃない」
「知るか。今日の俺は休みだ」
「昨日頼んだじゃなーい。もう、蜘蛛は朝に弱いのよ〜、まあいいわ。じゃあね〜。」
プツッ…ツー、ツー
喋りたいだけ喋って、カフカは勝手に電話を切った。蜘蛛が朝に弱いとか聞いたことは無い。そういえば昨日カフカに電話で起こすよう頼まれた気がするが、俺が電話をかけなくても起きれたのだから必要なかったんじゃないか。
それよりさっきの夢だ。あの龍はどう考えたって丹恒の守護獣だ。丹恒とは最近所謂恋人、というものになったばかりだが、あれだけ生々しい夢だと本人が出てくるよりなんだか気恥ずかしい。まるで知り合いが出てくる淫夢を見たような気分だった。
今日は朝から嫌になる程晴天だった。昼から更に暑くなりそうだ。俺は夏が嫌いだ。無駄に多い髪の毛が纏わりつくし、薄着になる為、傷だらけの身体をなるべく周りに見せないように気を遣う必要がある。
そういえば今日どうして俺は休みを取ったのだったか。そうだ、丹恒の大学の弓道大会があるので、是非来てほしいと言われたのだった。特に断る理由も無いので、のそのそと準備をする。俺の狼が嬉しそうに尾を振る。こいつは丹恒に会えるとなるといつも嬉しそうで、完全に主以外の人間に懐いた、ただのでかい犬になる。守護獣は主の感情を素直に反映するという事実には都合よく目を背けることにする。
俺は大学とやらに通った記憶が無い為(そもそも記憶喪失だ)、丹恒が通うという大学の広さに圧倒された。ヘルタ学院大学は、この地方でも有名な大学で、大学の創設者である『ヘルタ』という女性は現在も生きているとかいうよく分からん都市伝説もある。
大学の受付に行って、弓道部の大会が行われているという会場に案内された。結構観客は多いようだ。丹恒は個人戦で出場すると言っていた。そろそろ出番だろう。
弓道着を着た丹恒が端に見える。…弓道とは強い忍耐力と集中力が必要になる競技だ。丹恒の性格にこの上ないほど合っていると頭では思うのだが、何故か和弓を持つ彼がしっくり来なかった。では何だとしっくり来るのかと言われると、分からない。
丹恒が矢を射る番が来た。彼が矢を構えると、会場が異様なほど静まり返った。丹恒の守護獣である龍の威圧感が彼自身にも備わっているのだろうか。皆、彼に無意識のうちに圧倒されている。矢を構え静かに狙いを定める丹恒は、絵になるほど様になっていた。矢は全て的に命中した。
あんなに様になっているのにどこか違和感があるのは何故か自分でも分からないまま、大会は終了した。疲れているであろう丹恒に声を掛けようか考えていたところ、若い男女三人が賑やかしく丹恒に駆け寄って行った。
「「丹恒、お疲れー」」
「丹恒すっごいかっこよかったよ〜!いつもと別人みたいだったー!いや、あんたはいつもクールだけど!」
あの三人は丹恒がよく話す、大学の友達だろう。確か桃色の髪の少女が三月…という名字で、灰色の髪の双子の男女…女の方が星、男の方が穹という名だった筈だ。
因みに三月という少女の守護獣は雪のように白い大きめの兎、灰色の双子の守護獣は…狸?いや、アライグマだ。
「騒がしいぞ、静かにしろ」
「もう大会終わったから大丈夫でしょ」
「ところで、あの人来てないの?ほらたまに話すじゃん、応星さんだっけ?」
「誘ってはみたんだが、忙しい人だからな…」俺の名が急に出た。丹恒は友達に、俺の事をどう話しているのか気にならないかと言われれば嘘になる。俺は遠くから見守っているつもりだったが、丹恒はすぐ俺に気付いた。彼が駆け寄って来る。
「応星さん!見に来てくれたんだな」
「暇だったからな…俺は待っておくから、友達と話していても良いんだぞ」
「大丈夫だ、あいつらは別に…おい!五月蝿いぞお前たち!」
後ろで彼の友達三人が「あの人!?ウソー背高っ!超カッコイイじゃん!」「ひゅーひゅー熱いね熱いね」「丹恒がんばれー」…等、賑やかな歓声をあげていた。俺は小声で聞いてみた。
「…奴等には俺の事をどう話しているんだ?」
「…たまに仕事を手伝う、探偵事務所の人としか話していないつもりなんだが…あいつら妙に勘が鋭くて…俺が貴方に好意を抱いてることに気付いて、勝手に応援されていた」
「あの調子だと俺達が付き合うことになったのにも勘付いているな」
「すまない…貴方に迷惑をかけるつもりは無かったんだが…」
「別に良い。迷惑だとは思っていない」
「それなら良かった…お前たち!ほんとに黙れ」
丹恒に怒られたので小声で「がんばれー」と囁いていた三人だったが、二回も怒られたためかそそくさと退散していった。
「良いのか?帰っていったぞ」
「あいつらとは大学でいつでも会えるから…ところであの、応星さん、今日休みなんだよな?」
ああと頷くと、彼は少し照れくさそうに「もし良ければ、この後、食事でも…」と呟いた。
弓を持っていた時とは違い、なんだか彼が年相応の若者に思えて、俺はつい彼の頭をくしゃくしゃと撫でた。丹恒はさらに照れくさそうにする。
…後ろで「そのまま家に行くんだ!丹恒!」「丹恒、もっと声張れし」「ウチら放っといてデート?やるぅ〜」といった小声が聞こえる。まだ帰ってなかったらしい。奴等は三回も丹恒に怒られていた。
「昨晩はお楽しみだったみたいね」
翌日、カフカの事務所に行くとにやにやしながらこんなことを言われた。
「なんのことだ」
「昨日丹恒くんを家に泊まらせたんでしょ?」
なんで知っている。寒気がした。
「お前、俺の家に盗聴器でも仕掛けているのか?犯罪だぞ」
「なんでそんなことしなきゃならないのよ、刃ちゃんちに盗聴器仕掛けるぐらいなら姫子の家に仕掛けるわ」
さらっと更にとんでもない爆弾発言をされた気がする。姫子、逃げろ。
「それにしても、まさか刃ちゃんと丹恒くんがね〜、お付き合いするなんてね〜」
「…お膳立てしたのはお前だがな、カフカ。前の飲み会、態とあいつに俺の家を教えなかっただろう」
「あらそうだったかしら?うふふ…」
「あと妙な妄想をされても困るから言っておくが、丹恒が家に泊まったが本当にそれだけだぞ。やましいことはしていない」
…え?といった顔をカフカはした。
「やだ、刃ちゃんって鬼なの?」
「どういう意味だ」
「あの年頃の恋人を家にあげさせといて何もさせないなんて!丹恒くんって鉄の理性なのね!さぞかし辛かったでしょう!」
「…別に恋人だからって家に来て毎回する訳ではないだろう…」
「あら、じゃあ今度はする気あるってこと?…流石にこれは込み入った質問だったわね、うふふ…」
「…いいから仕事をしろ」
「依頼が来なければ仕事にならないじゃない。ねえねえ、丹恒くんになんて言って告白したの?まさか酔っ払いながら言ってないわよね?」
俺は完全無視を決め込むことにした。本当に夏は嫌いだ。浮かれた者が多過ぎる。