今日は本当に疲れた。社内処理だけの予定で今日の流れをスケジューリングしていたのに、トラブルが数件起きて対処していたら予定の時間に間に合いそうになく、夕方に殿下に帰宅が遅れてしまうと連絡した。
朝家を出る前に、1日オフの殿下が夕食は腕によりをかけて料理を振る舞ってくれると言っていたので、それを楽しみにしていたがどうにも間に合いそうになかった。ホールハンズでメアリと散歩に行ったことや、どんな食材を買ったのか、写真と共に殿下の気持ちも伝わってきていただけに心苦しい。
……俺も。殿下には言わないが、悲しい。
やっとの思いで家に着き、リビングのドアを開けるとメアリが座って待ってくれている。その向こうで優しい笑みを浮かべて殿下が待ってくれていた。
「…ただいま戻りました」
「おかえりなさい、茨。お疲れさま」
「すみません、社内処理だけだったのですが…」
メアリをしゃがみ込んで撫でる。前から気を許してくれていたが、殿下と住むようになってからはよりいっそう懐いてくれて、よくこうして俺を出迎えてくれる。過剰に運動させてしまって病院に連れて行った頃とは打って変わって、たまに殿下との散歩について行ったり、家の中でも軽く遊んであげているぐらいだ。ただ物を投げて遊ぶ時の掛け声は変わっておらず、かわいくないからやめてほしいといつも殿下に言われている。
メアリを撫でてほんのり暖かい体温に癒されつつ、やわらかい毛並みを堪能していると、殿下も目の前にしゃがみ込んだ。
「うんうん、茨はいつもがんばってるね」
「……っ」
殿下が優しい笑みはそのままに、俺の頭を撫でてくれる。帰宅すると待っていてくれて、出迎えてくれて、俺のやってきたことをちゃんとみていてくれて、労ってくれて。独りで生きてきた俺にとってずっと慣れない。だからうれしくてもうまく表現できず、いつもこうして言葉に詰まって俯いてしまう。
でも殿下はこんな俺に愛を注ぐ。きっとどこか穴があいている器に、そんなことが気にならないぐらいの量を。いつか穴が埋まって、殿下の溢れる愛をすべて受け取れるようになりたい。
そうやっていろいろ考え込んでいると両頬に手を添えてそっと持ち上げられる。
「お腹すいてるよね?」
「はい…ですがもう遅いですし、」
「茨の分のご飯ももちろん用意してるし、遅くなるならそんなに食べないと思って軽食にしておいたね!ほら、温めてあげるから先にお風呂に入っておいで。帰る前に連絡してくれたからお湯も沸かしておいたからね」
今日はもう食べられないと思っていた殿下の料理に俺への気遣い。この人のこういうところが好きで、ずるい。こうしてまた俺は巴日和に堕ちていく。
「? どうしたの」
「いや……なんというか……殿下といるとダメ人間になってしまうような気がして……」
「あははっ!いいじゃない、茨はぼくの前で気を張らずにいられるってことでしょ?ぼくはうれしいけど」
「ですが……」
「……こんなに幸せでこわい、ってこと?」
「! そう、です」
こんなに暖かく、幸せな生活。俺は今ここに居ていいのか?こんな生活をずっと享受できるのか?そうしたら、どうなってしまうのだろう?
うれしいのに単純に考えられず、わからないことだらけで混乱してしまう。そんな俺を落ち着かせるように殿下は俺の両手を握る。
「こわいならぼくと一緒にいようね。わからないことは教えてあげられるし、わからなくても一緒に考えられるね。
1人で抱え込まずに、ぼくにも半分持たせてほしいね」
俺はこの眩しく暖かい太陽の傍にいられる。きっとこの先も。きっと、とはまだそこまで自信がない俺の保険だ。
「……はい、ありがとう、ございます」
「…よし!ぐるぐる考えちゃうのはお腹がすいているからだね!早くお風呂で温まって、ぼくが作ったご飯を食べようね!」
ね、メアリ!と殿下は俺の傍にいたメアリにも声をかけて抱えあげる。もう一度俺の頭も軽く撫でられたので、早速行動に移す。少しでも、太陽に手が届くように。
「っ、え」
「お風呂、行ってきますね」
「う、うん。行ってらっしゃい」
……あの子、変なところで行動力があるよね。
人の暖かさに慣れず、ぐるぐる葛藤しているかと思えばぼくにキスをして。少しぼくの方が高いから、キスをするためにちょっとだけ背伸びをするきみがかわいいと思っているのは秘密だけど。
メアリをソファに座らせてひと撫でしてからキッチンへ向かい、冷蔵庫に入れておいたおかずを取り出す。そのままレンジに入れて、お味噌汁をゆるく火にかけて温める。茨がお風呂から上がったらちょうどすべてできあがるように計算していく。
茨、かなり疲れていたし湯船に長く浸かるかな?寝てしまっていたら起こしに行かなきゃね。そんなことを考えながら支度を進めていく。
買い物の写真は送ったけど、何を作ったかは教えていない。食べたらどんな顔をしてくれるかな。気に入ってくれるかな。今日振る舞えなかった料理は今度作りたいし、いつか茨にサークルで教わった料理を教えてもらいたい。その時は買い物から一緒に行きたいな。
……さっきの、茨が気を張らずにいられるようになってきていることがわかったのは本当にうれしかった。ぼくの注いだ愛は茨がちゃんと受け取ってくれていた。
それに、茨もぼくのことを変わらず好きでいてくれている。それが特にうれしい。まだ愛情表現に慣れない茨は言葉にはできなくても仕草や表情でわかる時の方が多い。それをぼくが汲み取っているけど、茨がぼくに受け取ってほしい分の愛を満足に受け取れているかわからない。でも少しも取り逃がしたくはない。
これからも隣で。同じユニットやプロデューサーとしてだけじゃなく恋人、いつかはその先も。……茨も、そう思っていてくれるといいな。