ぽぽ誕2023【昼】 本日は十月弍拾壱日。
我らが武装探偵社が誇る、世界一の名探偵、江戸川乱歩その人の誕生日なのだ。
其れは探偵社にとっては重大で盛大な祭事なのだそうだ。
何故こうして他人事の様な云い方なのかと問われれば、敦は入社して初めて其の祭事に出会す為である。
祭事?……催事じゃないの? と思ったが、敦には其れを聞く度胸は無かった。
此の会社で其れをして無償で居られた事が無いからである。誰も藪をつついて蛇を出したくは無い。取り分け名探偵の事となると探偵社の人間の反応はひとしおだ。
故に「そう云うものか〜」の気持ちで全て乗り越えていくのだ。
まあ乱歩さんだしな。
当の本人である乱歩からは「お祝い……? 世界が誇る此の名探偵の誕生日だからね! 十分に祝いたまえ!」との言葉を頂いている。
贈呈品はどうしようかと迷った挙句、迷うくらいならと本人に聞いてみた。
乱歩の推理力なら、此方が迷っている事もお見通しなのだろうから。
「贈呈品ぉ……? まあ呉れるなら貰うけど、お菓子とかにしてね!」
「何故ですか?」
興味のなさそうな様子で電子遊戯機片手に答えた乱歩に理由を訊ねる。
すると、電子遊戯を止めた乱歩が切れ長のつり目を薄く開いて敦の方を向いた。
「君達の無いに等しい頭脳を使って頑張って考え出したような贈り物より、僕が貰って必ず喜ぶ物を贈り物にした方がお互いに善くない?」
「た、確かに……」
最もであった。
乱歩の欲しい物が敦に判る訳が無い。それなら、何時も喜んで食べている駄菓子やラムネ等を渡した方が余程有意義な誕生日になるだろう。正直なところ、敦からすれば財布的にも助かっていた。
数日前の出来事を思い出しつつ、鏡花を連れ立って少し遅めに出勤してきた乱歩へ声を掛ける。既に探偵社員の何名かは乱歩に声を掛けている様だった。
「乱歩さん、お誕生日おめでとうございます!」
「……おめでとうございます」
「嗚呼、君たちか!」
先日云われていた通り、駄菓子屋で買ったお菓子を詰め合わせた物とラムネを数本。敦と鏡花で予算を集めその中で選んだものだ。
「ちゃんと云われたものを買ってきたんだな。偉いぞー! 此の名探偵が褒めてやろう」
撫でり撫でりと鏡花と共に頭を撫でられて少々気恥ずかしくなる。生まれてこの方、人に褒められる事等無かった敦は胸がいっぱいになる。ちらりと隣を確認すると、鏡花も頬を赤らめて嬉しそうにしていた。
芥川が太宰さんに褒められた時の気持ち、一寸は判ったかも……。
敦は脳裏であの時気絶した男を思い出していると、其の思考を遮るように乱歩が話し始める。
「本当誰かさん達とは違って、君達は本当に立派で健気な後輩だよ。谷崎兄妹も其の部類だし、賢治くんもそうだよね」
「はあ……」
敦がいまいちピンとこない返事をしていると、やれやれと云った仕草をしてから乱歩は説明を始めた。
「あの兄妹は毎年欠かさずお菓子を作ってくれるし、賢治くんだってさっき畑で採れた薩摩芋と実家から送られてきた果物を呉れた」
「……美味しそう」
確かに、谷崎の料理の腕前は確かなものだし、賢治のお裾分けは毎度の事だが今回は誕生日仕様なのだろう。鏡花が話を聞いて其れに心奪われるのも判る。
然して、其の二つは乱歩の云う彼が必ず喜ぶ贈り物の基準を満たしている。
だから立派で健気、と云う事か。
「……口ぶりからして、乱歩さんの要望を無視して贈呈品を選んで来る人物が居るんですね……」
あはは……と、苦笑いをしながら敦がそう聞くと、苦虫を噛み潰した様な顔をして乱歩が「そーだよ……」と返す。
敦は、其の人物に心当たりがあった。
「太宰と国木田だよ!」
「く、国木田さんもですか?!」
「……意外…………」
鏡花も国木田の名前が出た事は予想外だった様で二人で目を丸くしていると、乱歩は拗ねるようにそっぽを向いた。
「彼奴、何時もは何でも僕の云う事を聞く癖に此れだけは譲らないんだよ」
乱歩は似せる気もない国木田の物真似をして、「『幾ら乱歩さんの頼みとは云え、其の様な事は……!』とか何とか云いながら毎年頭を悩ませ乍ら何かしら買ってくるんだよ」と愚痴を零す。
敦の脳内で、国木田が真面目に悩み続ける姿が浮かぶ。
「まあ今は其れも楽しみの一つだから善いんだけどさ」
「因みに、太宰さんは……?」
楽しみの一つ、とは贈呈品の事なのか悩む国木田の姿なのか……。後者のなのだろうな……。
敦は国木田の苦労を嘆いた。
然して、気になっていた太宰の贈呈品の内容を訊ねる。
すると、乱歩は眉を顰めて思い切り嫌そうな顔をした。
「…………彼奴のは全く可愛くないよ。国木田の方がまだマシだ」
可愛くない贈り物とは一体どんなものか。太宰の事だから敦の思い付かない様な物に違いない。
「何を貰ったの……?」
不満を云うだけ云って内容を告げ無い乱歩に、焦れた鏡花が訪ねた。
流石は鏡花ちゃん……物怖じしないなあ。
「………………花だよ」
「「花?」」
太宰に花とは良く似合うが、何時も女性を口説く時の様な花束を想像していた敦に、乱歩は違うと首を振る。
「花束じゃなくて容器に飾った様なそういった物」
花や贈り物に詳しくない敦は、乱歩に云われた物がどの様な物かは想像出来ない。
だが、乱歩の機嫌が善く無い事は判る。花を贈られただけで此の不機嫌は何故だ?
「何が『安心して下さい、和室にも合うようにしておきましたから』だよ。確かに貰えば飾るのは和室だけど余計なお世話だし、第一花なんて贈られたところで僕が喜ぶとでも思ったのか?」
「……ら、乱歩さん……?」
「次の年は『勿論相手の好みも考えていますし、花言葉にも凝っているんです』だったな。 誰の好みだって話だし、花言葉なんて論外。 今年は『若しかして隠してます?』だろう! 判るさ、名探偵だもの!!」
乱歩の口からつらつらと文句の言葉が溢れ出る。
花に興味が無さそうな乱歩が其れを貰っても、嬉しくはないだろう。怒りの一番の原因は太宰の言葉に在るのだろう。敦からすればそんなに怒る程でも無いとは思うけれど。
敦の脳内で太宰の言動で怒る姿が国木田にも重なり、一周回って太宰の人を怒らせると云う一種の才に感心する程であった。
「…………何?」
そうして次の瞬間、敦の思考を遮る程意外な声が近くで聞こえる。声の主は武装探偵社社長、福沢諭吉その人であった。
予想もしない乱入者に敦は「……っ、社長ッ!」と慌てて挨拶をする。其れに続く様に鏡花も挨拶をした辺りで乱歩が口を開いた。
「社長が急に出てくるから二人とも吃驚してるでしょー!」
社長の前であっても普段と全く変わらない態度でそう返した乱歩が、悪気が在るのか無いのか矛先を敦達の方に向けた為、敦は慌てて否定する。
「いっ、いえ……そんな……」
「…………吃驚した」
「鏡花ちゃんッ!」
然し、鏡花は驚いたことを素直に告げた為、敦が取り繕った意味は無くなってしまった。
未だに社長である福沢の前では緊張する。隣の鏡花もそうなのだろう。心做しか何時も綺麗な姿勢が一際綺麗に見える。
「あははっ! ほらね、やっぱり鏡花ちゃんは社長似だよ」
「……否、お前の方が似ている」
似ている……?
顔を見合せてそう話し出す福沢と乱歩に、敦は首を傾げる。
鏡花の物静かで凛とした態度は確かに福沢に似ていると云われればそうかもしれないし、鏡花の物怖じせず素直な性格は乱歩に似ていると云われればそうかもしれない。
敦が〝似ている〟と云う言葉に気を取られている間も何事か二人で云い合っていたようだが決着が着いたらしい。
「兎に角! 敦と鏡花ちゃんはありがとね。後で美味しく頂くから!」
抑も、社長である福沢と探偵社唯一の探偵——否、名探偵の乱歩がそんな話をしていた状況が敦には想像が付かない。
一体、どんな場面で其の様な話に……?
疑問が尽きないが、礼を告げた乱歩に返事を返す。
「喜んで貰えたなら良かったです」
「こちらこそ、いつもありがとう……」
祝いの言葉も済んだことだし、鏡花と共に業務へ戻ろうかと思った敦は二人に会釈をして自身の机へと戻る。
と、その前に乱歩から声を掛けられた。
「敦、僕此れからお昼を食べて其の儘名探偵のお仕事に行ってくるから! 国木田によろしく云っといて」
「あっ、はい!」
「それと、そろそろ与謝野さんが来るだろうから『今年もよろしくね』って伝えてくれる?」
「判りました……!」
敦には何の事だか判らない事だらけだったが慌ててそう返事をする。其の姿に満足したのかにやりと笑って「じゃ、後はよろしくー」とだけ云って福沢と共に探偵社を後にした。
「社長、お迎えありがとうね」
「……先程の話、詳しく聞かせてもらおうか」
「…………………………そんなに怒る程の事でも無くない?」
社長と二人で行くのか?
敦には二人の会話は此処迄しか聞こえなかったが、何やら揉めている様子であった。話し乍ら歩いていく姿を後ろで眺めそう考える。
先ずは国木田に報告しなければならない。
先程は祭事だなんだと云っていたが、幾ら乱歩の誕生日だからといっても仕事は通常通り進んで行く。其の為、乱歩も事件を解決する為に誕生日であっても現場へと向かうのだ。聞いた話によると、随分気紛れだそうだが其れは何時もの事。
祝いの言葉や乱歩が贈り物を貰う姿以外は、いつもの探偵社に敦は見えるし、実際そうなのだろう。
机に戻り国木田に声を掛けると、敦が何か云うよりも先に「乱歩さんは現場へ向かわれたのか?」と問われた。
流石は国木田だと感心していると、乱歩の推理通り与謝野が出勤して来た。
「お早う」
「お早う御座います、与謝野医師」
「「お早う御座います」」
挨拶もそこそこに辺りを見回す与謝野に、敦は乱歩を探している事に気が付く。国木田も気付いたのだろう。乱歩の行方を与謝野へと告げる。
「与謝野医師、乱歩さんなら既に社長と出られた後です」
「なンだい、もう行っちまったのかい? 珍しいねェ……何時もなら妾が来るまで待ってて呉れるのに」
意外そうな顔をしてそう呟く与謝野に、敦は慌てて言伝を伝える。
「乱歩さんから『今年もよろしくね』との言伝を預かっています!」
「そうかい。慌てて出て行くなンて乱歩さんらしくも無い……此れは何か有ったね」
与謝野の言葉に「何ッ?!」と声を出して慌てる国木田へ「そういうのじャあ無いから安心しな」と、釘を指してから敦に何か変わった事は無かったか訊ねた。
「変わった事、ですか? うーん……特に何時も通りだった様な……? 贈呈品の話になって太宰さんへの文句は云っていましたけど……」
敦の言葉に今度は「またあの唐変木はッ……!」と怒り出す国木田に「アンタは少し黙ンな!」と黙らせる。国木田は「はい……」と云い萎れた。
敦はそんな国木田の扱いが少し可哀想に思えてきてしまっていた。
国木田の様子には目もくれず手を顎に当てて考え込んでいた与謝野は、少しの間何やら思案していた様子だったがふと顔を上げて敦に問いかける。
「…………若しかして、社長も一緒だッたかい?」
「社長ですか?……確かに途中から一緒でしたが」
「……二人で私が何方に似ているかも話していた」
あの謎の言い合いか……。色々あってすっかり忘れていた。
与謝野は鏡花の言葉に噴き出す。
「アッハハハ!! 未だやッてンのかいあの二人はッ!」
与謝野には何の事か直ぐに判ったらしい。お腹を抱えて大笑いしている。
そんな与謝野に鏡花は問い掛ける。
「何があったの?」
「互いに相手がアンタに似ているッて言い合ッてンのさ。可笑しいだろ?」
「……そんなに二人に似ている?」
「あれは一種の親馬鹿みたいなもンだから放ッて置いてやりな」
鏡花の頭を撫で乍ら「否、何方かと云うと上司馬鹿かねェ?」等と呟いている与謝野の横で国木田が腕を組んで考え込んでいる。
大方、先程の敦の様に何処が何方に似ているかを考えているのだろう。
「善く判らないけど……判った」
こくりと頷いてそう答えた鏡花に与謝野は満足そうに笑う。
「其れにしても、遂にバレちまッたンだね……。だからあれ程早めに報告しておく可きだッて云ったのに……」
与謝野がそうぼやいた言葉に、敦と鏡花、国木田迄が首を傾げる。
「なァに、こッちの話さ。……却説、アンタらも働きな! 此の調子だと、乱歩さんは直ぐ事件を解決して帰ってくるよ」
武装探偵社の社長である福沢は、毎年社員の誕生日に聞ける範囲で一つ願いを叶えると云う贈り物をしている。
後から聞いた話なのだが、乱歩の願いは毎年一件現場に付いてきて貰うと云うものだそうだ。だから乱歩の元へ社長が現れ、二人で社を後にしたと云う訳か。
社長にお供をお願いするなんて、流石は乱歩さん……。
敦はそう思ったが、だからこその誕生日贈呈品と云えるだろう。其れでも、そのお願いが出来るのは彼ぐらいだろうが。
「鏡花には未だ一寸ばかし早いし、敦も世間を出て直ぐだから判るとして……国木田は此れだけ一緒に居て判ンないもンかねェ」
それぞれ自身の仕事に励むべく、解散となった時だ。敦の耳は医務室へと向かう与謝野の小さな声を確かに捉えていたが、結局其の意味は分からず仕舞いだった。
***
「たっだいまー! 本日の主役のお帰りだぞー!」
扉を勢い良く開け、そう宣言してから社内を見回した乱歩に各々挨拶を返す。今日乱歩に初めて会った人間は祝いの言葉も贈っていた。
斯く云う与謝野も其の中の一人だ。
「おかえり、乱歩さん。お誕生日おめでとう」
「与謝野さ〜ん! 諸々ありがとうね!」
「毎度の事だし慣れッこさ。其れより、後で妾との時間も取ってくれるンだろうねェ?」
乱歩の福沢から貰う贈呈品は毎年変わらず一定である為、其の日の恒例行事に成っている事がある。其れは福沢が其の願いを叶える為、社に居ない間は与謝野が留守を任される事だ。
因みに、通常なら次期社長である国木田が任される相手に相当するが、此の日だけは特別に与謝野が任されている。理由は単純で、唯国木田が入社する以前から此の遣り取りが在ったと云うだけなのだ。
そうして、福沢の代わりを担った与謝野が、帰ってきた乱歩の時間を貰って二人でお茶をするのが一日の流れである。
尚、補足すると実は誕生日の乱歩は、休みの日と云っても過言では無い無敵状態だ。普段から好きな時に働き好きな時にだらける乱歩ではあるが、福沢も居る手前、最低限仕事をしていると云う姿勢を見せる。
が、此の日は乱歩に苦言を呈す事の出来る福沢さえも何も云わなくなる為、福沢と共に現場に行く以外は唯の祝われる事が仕事の男に成る。
そんな乱歩が高揚した様子で与謝野に語りかける。
「賢治くんの実家から林檎を貰ってね、林檎パイの調理方法迄教えて貰っちゃった! 其れもだけど何よりも、イーハトーヴォ村の色んな調理方法を書いて纏めた本を貰ったんだよ!」
「はいはい判ッたよ、今年はそれだね」
与謝野が探偵社に入った時は既に、乱歩の誕生日にはどれだけ忙しくとも、必ず時間を作って現場に同行していた福沢が居た。
与謝野の此の行動は福沢に対抗して云うならば、乱歩の誕生日には忙しくてもそうでなくても、必ず要望の料理を作る……と云った所か。
「好い紅茶も買ッてきたから、出来たら一緒に飲むとしよう」
「やったあ! じゃあ僕はもう少し名探偵のお仕事をやってあげても善いかな〜。なんかそう云う気分かも?」
探偵社を出る時には福沢と少し揉めていたらしいが、今は其の様子が見られない。寧ろとてもご機嫌である。
乱歩の隠し事が福沢にバレて、痴話喧嘩が始まり其れが解決した事は確かだな。
乱歩の仕事をしても善い、と云う発言に事務員達が一斉に動き出す。気紛れな乱歩が何時まで其のやる気を保たせるのか、周囲には判らないからだ。其の為、探偵社に来た依頼を処理しようと事務員達は常に必死に乱歩の動向を探っている。
手渡された調理本を片手に、先程ちらと見かけた賢治に礼を云う福沢を思い出す。
乱歩のあの様子を見れば、納得がいった。
あれだけ喜んで貰えれば嬉しいだろうし、これは福沢も今後家の台所で試行錯誤する事が増えるのだろうな。と、与謝野は小さく笑った。
林檎パイの調理方法を見乍ら歩く。そんな与謝野に、事務員から事件資料を渡されていた乱歩が、後ろから声を掛けた。
「………………そういや、なんでわかったの?」
序の様に出された声にしては不貞腐れた声色だった。
乱歩には、自分が福沢と揉めた事を与謝野に知られている事も解っていた。だからこその此の問いだ。
苦笑いをして振り返り、揶揄う様に肩を竦めて鋭い人間なら誰にでもばればれであったことを伝える。
「なに、乱歩さんの超推理には及ばないが推理ッてもンを妾も一寸ばかしやッてみただけさ」
「……なるほどね、流石は与謝野さんだよ」
参ったように頭を掻きながらそう云った乱歩は、切り替えるように懐から眼鏡を取り出し、然して付けた。
事件の方に集中する様だ。
却説、残りは林檎パイを作り終えてから、美味しいお茶と共に本人に直接聞くとしよう。
与謝野は本日の主役から根掘り葉掘り話を聞かなければならない。然してその話の進み具合は今から作るお菓子にかかっているのだ。
「責任重大だねェ……それじャあ、頼むよ」
そう独りごちり、与謝野は調理本を揺らした。