此の色で纏わせて 我々は夏目先生の頼みで、今横浜の裏社会を騒がせている然る組織を調査している。本日は其の打ち合わせ、然う聞いていた。
だと云うのに、此の有様。福沢は目の前の光景を見詰め眉間に皺を寄せた。
「うーん、エリスちゃんは完璧だから何方も似合ってしまうなあ。困ったなあ。非常に困った」
本日は、森の診察室で落ち合い今後の作戦を立てる手筈であった。何時も森と福沢、二人で手を組む時は必ず其の様にしてきた。今は裏組織の破壊の算段と云った緊張した場面に似つかわしく無い、気の抜けた声色と内容が響き渡っているが。
声の出処は確認する迄も無く、森本人である。
福沢が指定時間に訪れた時から此の状態であった。赤と青、2色の幼児用礼装を片手にああだこうだと口にしている。
「……福沢殿、此方の礼装何方の色が善いと思います?」
「…………何故、俺が答えねばならん」
「だって今此処に居るのは私と福沢殿だけではないですか」
森は自身でも埒が明かないと思ったのか、傍に唯一突っ立って森の奇行を無言で眺めていた福沢に助けを求めた。
福沢は心の底から思った。
——俺に聞くな。
「……知らん。俺は其方の方面に詳しく無い」
抑も、今する事では無いのは確かだ。本日は裏組織壊滅の作戦会議の為の会合なのだから。
唯でさえ、夏目の言葉が無ければ森の縄張りに長居等したくは無い。話を終え、早々に此処から出て行きたい福沢にとっては此の会話は蛇足も蛇足、時間の無駄であった。だが、森はどうやら違うらしい。
「詳しい、詳しく無いは関係無いのですよ。唯、貴方の感性で答えれば善い」
暗に、本題に入れと促す福沢だったが、今日に限って森は中々蛇足から離してはくれない。
福沢には判らないが、森にとっては何か重大な意味が有る質問なのかもしれない。然う思い、福沢は此の話を早く解決し本題に入るのが最善、と当たりを付ける。
「………………強いて云うなら、此方だな」
然う云い乍ら、左側の礼装を指差す。
此れで此の話は終いだ。
然う思う福沢の気持ちとは裏腹に森は指差した礼装と福沢とを交互に見比べ、にやりと口元を三日月の形に歪めた。
「ほう……福沢殿は蒼色を好む、と」
「……何か問題でもあるのか」
苛立たしい笑みを浮かべ言葉に含みを持たせる森に、福沢が煩わしさを隠しもせず音に乗せて然う訊ねる。
果たして森と福沢の二人で此の話を続ける意味が有るのか。
「否何、矢張り男は然うで無くては、と思いまして……。貴方程の方でも矢張り男は男、と云う訳ですな」
「云っている意味が善く判らんが……貴君も蒼色の方が善いと思っていたのか?」
福沢を置いて一人で納得している森に、改めて問う。話の内容については全く興味が無いが、森の言葉の節々に福沢を揶揄する音が乗っており、どうにも腹立たしさが募る。
「否、私は此方の紅色です」
「……ならば、何故其の様な云い方をする?」
「お判りでない?……本当に?」
にやにやと福沢を揶揄して嗤う森に、回り諄い云い方を好まない福沢は更に苛立たしさが上がっていく。
——否、別に俺の意見は関係無いのでは無いか! 先程の問答はなんだったのだッ!!
福沢は内心然う叫び、初めから紅を選んでいた森に文句の一つでも云いたくなる。
「……早く云え」
福沢の様子に、態と首を竦める仕草をしながら勿体ぶった様に森は口を開いた。
「男ならば矢張り、相手に自分の色を纏わせたくなるものです」
「……自分の色」
云っている意味が判らんが?
然う思い乍ら顎に手を当て考える。其の福沢の様子に、紅い瞳を歪ませ乍ら森は嬉々として口を開いた。
「然う、だから矢張りエリスちゃんには真っ赤なドレスが一番似合うという訳です! 福沢殿、貴方も無意識に貴方の養い子に自分の色を纏わせては居ませんか?」
其所迄云われれば森の揶揄した意味も判る。
福沢は吠えた。
「……ッ! 貴君と一緒にするなッ!」
森医師の様な幼女趣味と一緒にされるとは世も末だ。俺は唯、何の意図も趣向も関係無く善意で乱歩を保護し面倒を見ているだけであって断じて目の前の男の様な趣味等では無い。
「おや、怖い……此れは福沢殿を怒らせてしまいましたな。此れ以上機嫌を損ねぬ為にも、徐々本題へ入りましょうか」
森の此の言葉を以って本題へと進んだ後も福沢は心の内で誰に聞かせるでも無い弁解が続いていた。
疚しい事は何も無い。断じて何も。
唯、お世辞にも正しい趣味とは云えない幼女趣味である森と同等であるかの様な言い草が福沢にとっては衝撃だったのだ。明け透けに言ってしまえば精神的打撃を受けた。
其の様な思考で、作戦会議が終わり家路に就く際も延々と弁明を垂れ続けた。
否、本当に違う。断じて、違う。
其の証拠に、今迄乱歩へ買い与えた物を思い出してみろ。
普段着や仕事着等の衣服から始まり、湯呑みや茶碗等長年使う生活用品、歯ブラシや文具等の消耗品、乱歩から 強請まれた物については……俺の意思では無いから除外するにしても。
どうだ? 森医師の云う、所謂自分の色とやらを乱歩へと充てがうなど————————。
今迄の色を思い出して、福沢は首を捻った。
うん、気の所為だな。もう一度考え直してみる。
……………………して、いない……筈。
もう一度、考える。
————————あれ?
***
「ねえ福沢さん」
乱歩の朝の支度を手伝っている時だ。
乱歩は何時まで経っても一人で着替えようとしない子供だった。何かと小言を云い一人で着替えられる様にと促すのだが、面倒だ何だと言い訳にも満たない言葉を並べ巧みに避けようとする。
着物はどうにも一人では着る事が出来ないらしく——其の件については、福沢の方が先に諦めることにした——最近漸と甚平ならば着替えられる様に成った。
其の乱歩が、休日を怠惰に過ごそうと布団から出てこない様子であった為、福沢の監視の元、着替えを行わせていた。
「……なんだ?」
「最近、服の選色変わったよね?」
————ッげほげほっ!!!
起き抜けで意識もはっきりしていないにも関わらず、乱歩は意表を突く言葉を話し其れを聞いた福沢は噎せた。
最近福沢が気にしている内容を的確に突かれたのだ。
——流石は乱歩……。
福沢が内心然う零すが、未だ目も閉じかけている乱歩は其の見た目からは判断出来ぬ口振りで福沢を追い立てる。
「前まで選んでいた鈍色だったり空色だったり雪色だったりが少なくなって、何故か只管赤は止めろって煩いしさあ。別にそんなに赤色が好きな訳じゃ無いから善いけど」
出会った日の劇場で自身の過去を暴かれた時の様な心地が久々に福沢の胸に飛来する。
内容が内容で有るし、乱歩が善く見えている事は承知の上だ。もう前の様に乱歩に遠当てをする事も無い。然し、乱歩に此の様に内心を言い当てられる時、名探偵に追い詰められる犯人の気持ちが善く解るのだ。
極めつけに此の言葉だ。
「福沢さん若しかして……」
頬に冷や汗が伝う。
本当にあの劇場の再来だな。……ばれて仕舞うのか。森医師が原因で俺が変に意識してしまっている事を。否、ばれるも何も俺は一切疚しいことは考えていない。故に乱歩に気付かれても構わないのだ。
然し、乱歩には森医師の事は伝えていない。本人は持ち前の頭脳で気付いているやもしれんが。
俺が会社を立ち上げるために必要だと云って、通常業務である探偵業と平行して昼間や通常夜に家を空けていることは知っている。唯、誰と何をしているかは伝えていないのだ。乱歩本人から聞かれれば答えるつもりではあるが、裏の仕事を手伝う後ろめたさで疚しさを抱えているからだろう。故に未だに乱歩に伝える事はしていない。
今回の件も含め、全て乱歩には見通されているのだろうか。
無意識に緊張し口内に溜まった唾を飲み込んでいた。
「…………なーんか自分で着替えたらお腹すいてきちゃったなーーー! 福沢さん、話は後にして朝ご飯食べようよ!」
何時の間にか寝ぼけ眼から一変し、目を開けて此方をじっと見ていた乱歩は不意にお腹を摩りながらけろりと話を変えた。
内心張りつめていた心がゆっくりと解れ、乱歩に気付かれぬ様にそっと息を吐く。
「……嗚呼」
此れは福沢と乱歩が武装探偵社を設立する数ヶ月前の出来事だ。今後、夏目の助力もあり、数ヶ月裏社会で森と共に暗躍し続けた福沢が無事会社を立ち上げ、月日をかけて数多の社員を仲間へと加える……其の過去の出来事である。
其の数ヶ月は福沢にとっても森にとっても今後の自身の小さな変化に由来するやり取りが多く存在した。其れを本人達が知るのは今より数年先の事である。
例えば、この先の未来での事。
福沢と乱歩の関係が今と大きく変わる時、今回の森が発した“相手に自分の色を纏わせたくなる”と云った発言を覚えていた福沢が、開き直ったかの如く実行し満足気に頷く姿が見られる様になる。
が然し、森と福沢……加えて彼の乱歩すらもこの時点では知る由もなかった。
了