アパートの玄関前に大きな段ボールを降ろす。
駅前のモールから歩いて十分ほど。重たい荷物を運んだせいでひたいに汗がにじんでいる。シングル布団六点セットの入った段ボールだ。交代しながら運んでくれる堀田がいなければ、さらに骨が折れただろう。
「へえ。新しくていいアパートだね、みっちゃん」
広くもない学生用のワンルームだが、家具も家電もない部屋の中はがらんとしていて、大きな男がふたりいてもさほど圧迫感はない。
「おう、あんがとな。重てえ買い物つきあわせて悪かったわ」
「そんなこと気にすんなって」
壁ぎわに布団の段ボールを置く。おなじくモールで買ったばかりのあれこれが入ったドラッグストアの袋も並べて置いておく。もうしばらくすれば実家から時間指定をして送った荷物も届くはずだ。
窓を開けて空気を入れかえる。早春の空気はまだひんやりしていて、汗をかいた体に心地がよかった。フローリングにふたりして直に座り、ドラッグストアの袋から出したペットボトルのふたを開ける。
春からひとり暮らしをするこのアパートの鍵をもらったのは、二日前のことだった。
宮城にあらためて告白すると約束していた卒業式はいよいよ明日に迫っていた。今日も昼休みに合わせて学校へ行き、宮城と弁当を食べてきた。二月から欠かさず押しつづけていたポイントカードも無事渡せた。あとは明日男らしく好きだと告げて、恋人同士になるだけだ。
「買い物につきあうのは全然いいんだけどよ、まだなにもないのに布団だけ急ぎで必要だったの?」
「それがよぉ……俺、明日恋人ができんだよ」
「は? 明日?」
今日できたならともかく、明日できると先のことを確定事項のように言ったせいでか、堀田はいぶかしげに首をかしげている。
「俺はそいつが好きだし、向こうも好きって言ってくれてんだけどよ。恋人になるのは卒業式の日に俺がちゃんと告白してからって釘さされてんだ」
「それはなんていうか……真面目な子なんだな」
そうだろうか。不良に飛び蹴りをかますような男だし、勉強だってしないから試験は赤点だ。バスケに対してだけは真摯だが。なんと返事をしようか迷っていると、はっとなにかに気づいたみたいに堀田があわてたのがわかった。
「え、もしかしてみっちゃん、明日いきなりここにつれ込もうって思ってない?」
「なんかダメか」
「そりゃダメだろ! わざわざ布団まで準備して、仲よくお話するだけってこたぁねえよな? 真面目な子にいきなりそんなことしたらこわがられないか?」
「うーん、こわがったりするようなやつじゃねえと思うけど……」
「不良のとき相手にしてた女たちとは違うんだから、もっと大事にしてやらねえと」
自分だって不良のくせにまっとうなことを言う堀田がおかしい。グレていたときにもまわりの女を相手にしたことなんてなかったが、宮城を大事にしなくてはならないのはたしかだ。
「徳男って彼女いんのか」
「お、俺? そりゃまあ、うん……」
「どんな子?」
そこそこ長くつるんではいるが、こういう話をするのははじめてだった。グレていたときは死んでいたようなもので人に興味などなかったし、部に復帰してからはとにかくバスケばかりだったからだ。ずいぶんと変わってしまっただろうに、それでも変わらず自分と親しくしてくれる堀田には感謝をしている。
「俺は中学からのつきあいだよ」
「そっか。俺はこういうの、はじめてだからよ」
「えっホントに?」
彼女と名のつく存在がいなかったわけではない。
だが中学のときに数人つきあった彼女はみなすぐ別れたし、好きだと強く思うこともなかった。告白されて暇つぶしでなんとなくつきあっただけだった。いまにして思えばフラれて当然である。
キスはせがまれてしたけれど、それより先となると経験がない。などと言えばよほど意外だったか堀田は目をまるくして、しかし力強くうなずいた。自分がしっかり教えてやらなくてはという使命感のようなものがわいてきたらしい。
「とにかくガツガツしないで、落ちついて相手すんだぜ。相手は真面目でか弱い女の子なんだからさ」
「か弱いどころか俺よりつえーけどな。無理やりなんてしたらまた歯折られるわ」
「歯って……えっ、えええ?」
手にしたペットボトルを取り落とし、堀田がざあっと青ざめる。つい口にした余計なひとことだけですべて伝わってしまったらしい。堀田は武骨な見た目に反して、とくに三井のことに関してはひどく察しがいいのである。
「……マジで言ってるの?」
「まーな」
さすがに引かれるだろうか。同性だということは抜きにしても、あの宮城である。
堀田も含めた数人でとり囲み、ボコボコに殴りつけたあの宮城だ。反撃をして三井の歯を折ったあの男だ。いくら部に復帰して和解したとしても、なぜよりによって宮城とつきあうのだと混乱するのは理解できる。
「…………それって、俺に言ってもよかったの?」
今日言おうと決めていたわけではなかったが、絶対に隠さなくてはと思っていたわけでもない。伝えて堀田が受け入れてくれるのならそれが一番いい。
「まあ、徳男になら言ってもいいと思ってたしよ。だってダチだろ!」
引かれた様子のないことが嬉しくて笑った三井に、堀田は両手を握りしめ、ブルブル体まで震わせだした。こちらを見つめる暑苦しい目には涙まで浮かんでいる。
「……俺よぉ、いま一瞬、最低なこと考えてたよ。卒業したらもう会うこともなくなるから、知られてもかまわねえと思ってこんな秘密教えてくれたのかって」
「そんなわけねえわ。おまえも仕事しだしたら忙しくなるだろうけど、時間作ってメシ行こうぜ。あと大学でもぜってー活躍すっからまた試合来てくれよな」
「ああ、絶対な。絶対行くから、みっちゃんも絶対活躍すんだぜ!」
豪快に笑った堀田の、大きな旗を必死に振ってくれていた勇姿を思いだした。野太い声援を気恥ずかしく思うのと同じくらい、最低な過去からの再起を信じ応援してくれる友人たちのいることに、本当はとても力づけられていたのだった。
グレて行き場のないときも、部に戻ったあとにもそばにいて、三井を応援してくれていた友人だ。親友のつもりでいる。これからもまだまだ見ていてほしいと思っているのだから縁を切るわけがない。
「まずは明日の告白だね。俺にできることあるなら、手伝うから」
「マジかよ! それじゃよお、卒業式のあと屋上に人が来ねえようにさ……」
さっそく好意に甘えて三井はペットボトル片手に身を乗り出す。告白の舞台について相談しながら笑い合うふたりを、開いた窓から入りこむ春がつつみこんでいた。