初めての…。晴れ渡る青い空。爽やかな朝の空気を吸い込みながら、東雲彰人と青柳冬弥はいつものように方を並べ歩いていた。
今日学校が終われば、明日は休みだ。大きなイベントが終わったばかりであったため、今週末は練習もなく、完全なオフとしていた。
最近は、セトリを詰めたり新曲の歌い方を色々試したりひたすら練習など、イベントに向けた活動ばかりで、駄弁るという事がめっきり減っていた。
そんな週末、ちょうど冬弥の両親は家を空けるとのこと。それなら、と、学校終わりにその足で冬弥の家に泊まりに行く事にした。せっかくだから、普段出来ないようなことをしながら最近のことやいろいろな話が聞きたい、という冬弥の意見もあり、たくさんお菓子やジュースを買ってお菓子パーティーをする事になった。大人びて見える所もあるが、こういうギャップを見せられると、その可愛さに思わず頬が緩んでしまう。本人が怒るので、そんな事口が裂けても言えないが。
そんな天然な所が憎めない俺の大事な相棒が、今、下駄箱の前で一枚の紙を持ち、固まっている。
「冬弥、どうした?」
「どうやら、ラブレターの様だ。」
あまり表情は変わらないヤツだが、眉間にかすかにしわが寄ったのが分かった。冬弥は、こういう恋愛ごとに疎く、ラブレターをもらったそばから断っている。しかし、断る度、相手が泣きながら走り去ってしまうのは、見ていて心が痛むと漏らしていた。
帰り道で聞いた所によると、今日の一件も例に漏れず、昼休みの間に断ったとの事だった。相手の子は、やはり走り去ってしまったそうだ。
「・・・好きとは、どういう感情なんだろう。」
ぼそっと、そう呟いたのが聞こえた気がした。なんて返して良いかも分からず、軽い食事と今夜のためのお菓子を大量に買い込んだ。
「お邪魔しまーす。」
「ああ。ゆっくりしてくれ。」
冬弥の家は、相変わらずでかい上に綺麗に整理整頓されていて、少し緊張してしまう。落ち着かずそわそわしていると、それを察した冬弥がふっと微笑み、
「部屋に行くか。」
と声を掛けてくれる。
「ああ、頼む。やっぱり何回来ても慣れねーな。」
と、苦笑いを返す。
部屋に入ると、荷物を置き、早速先ほど買った戦利品を並べていく。
ローテーブルの上に、所狭しと並んだそれを見て、冬弥はとても満足そうだ。俺は、その顔を見るととてもほっとする。出会ったばかりの頃は、歌に痛いほど感情が滲んでいたのに、顔は無表情のままだった。家庭の事情が絡んでいると知ったときには、俺に何か出来る事は無いかと悩んだものだ。それが今では、紆余曲折を経てこんなに表情がコロコロと変わるようになった。
素直になれるのは良い事だ・・・と、よく分からない立場で納得したところで、冬弥が目を輝かせて待っている事に気がついた。
「・・・んじゃ、始めるか!」
「ああ!」
いつも通り話しているだけなのに、心なしか声色が弾んでいる。状況が違うだけで、こんなに変わるとは。相棒の新しい一面を、また一つ見つけた気がする。
近況報告をしたり、最近おすすめの曲を話したり、滅多に見ないテレビドラマを見たりと、楽しい時間を過ごしていた。
そんな中、気になる事を思い出した。何の気なしに、そのことを口にした。
「そういえばさ、今日買い物してるとき、“好きって感情がどういうものか”とか、そんな事呟いてただろ?」
「ああ、そうだな。ラブレターをもらうが、大して話した事も無い…そんな相手に好きという感情が湧くのが、よく分からない。友達や親友なら、まだわかるのだが・・・恋愛感情というのがよく分からないんだ。」
「確かに、好きにはいろいろあるな。好きな食べ物とか好きな動物、好きな友達や好きな人、その中でも、特別好きな人って、いたりした事ないか?」
「特別に、好きな人・・・?」
「そう、一緒にいると胸がドキドキするとか、目も合わせられないくらい緊張するとか・・・。」
「・・・無いかもしれない。」
好きという感情が持てない理由が、一つ思い当たる。そういえば、こいつは小さい頃からずっとクラシック漬けであった。父親からの厳しい練習にひたすら耐える中、母親からの“それは素晴らしいことである”という言葉を聞かされ続け、助けを求める声は次第に上げられなくなる。そんな中、自分の心を守るため、様々な感情を無くしていったのだろう。その上、まともな愛情を注がれなかった冬弥にとっては、愛情がどういうものなのかよく分からないのも当然といえば当然なのかもしれない。
「彰人は、そういう経験はあるのか?」
不意に、冬弥が口を開いた。
「まぁ・・・そりゃ何回かはあったかな・・・。でもまだ小さい頃だったし、そこまででは・・・ってか、よくこんな恥ずかしい事普通に聞けるな、お前・・・。」
「そう、か?」
そうだ、コイツはこういうヤツだった。バカがつくほど真面目で、気になったら解決するまで一直線だし、歯に衣着せるという事を知らないヤツだった。
・・・でも、愛情を知らないままなのは、なんだか可哀想な気がする。オレがそんな事を思うのはおこがましいかもしれないけど、教えてやりたい。
・・・教えてやりたい?オレが?
ちょっと引っかかった気持ちに気づかないふりをしながら、話を続けた。
「ちなみに、好きって感情は置いといて、恋人同士になったらどんな事をするものかって言うのは知ってるか?」
「小説を読んでいる時に、そういう描写はたまに出てくるな。その辺はなんとなく知っている。一緒に出かけたり、遊んだり、ご飯を食べたりするのだろう?」
「まぁ、間違っちゃいないな。」
「でも、それなら相棒であるお前とはよくしているだろう。だから、恋愛感情がますます分からない。」
「うーん、そうだよなー。なんて表現したらいいのか・・・。」
コイツには、将来幸せな家庭を築いて、本当の愛を知って欲しいと思っている。しかし、いざ教えようとするとなんて表現して良いのか分からない。何より、本当の愛を理解して、好きな人が出来て、離れていってしまうのが嫌だとすら思ってしまう。なぜだ?
「…あ。」
「ん?」
知らないうちに、考え込んでしまったらしい。冬弥の発した一言で、意識が引き戻された。
「どうした?何か気付いた事、あったか?」
「あぁ…。でも、これは…。いや、でも…。」
いつになく、歯切れの悪い相棒の様子に、もしかすると好きという感情に思い当たる節があったのか、と、察しがついた。同時に、少しの嫉妬心が湧き上がる。
嫉妬?なんでオレが…?あれ?オレってもしかして、冬弥のこと…。
自覚を持ってしまうと、途端に気になって仕方なくなる。
そうか、オレがこんなに冬弥が気になってしまうのは、冬弥に特別な好意を抱いていたんだ。
冬弥は、一体何が気にかかったんだ。オレ以外の、何者にも囚われて欲しくないのに。
「…お前、一人で処理するとき、どうしてんの?」
そんな気持ちを急に自覚してしまったがために、思わず余計なことまで口に出してしまう。
出てしまったモノは仕方ない。そもそも、コイツが一人でする事なんかないだろ。
冬弥は、目を丸くしてこちらを見ている。クソッ、しくじったか。
「…彰人は、なんでもお見通しだな。」
「え?」
「実は、その時の事を考えていた。」
全くの予想外。
あの、性に関する事に全く興味なさそうなコイツが、一人でしているなんて。言いようのない背徳感に、一人身震いする。
「その…。そういう気分になるときは、必ずステージが成功した後で…。
おかしいと思って、色々調べてみたんだ。そしたら、音楽と、性的な快感は似ているらしいと言う記事を見つけた。」
…なるほど、コイツは音楽しか知らないから…。にしても、音楽に初恋なんて、何という皮肉だろう。しかも、それについてちゃんと調べてるいとは、何という真面目さ。
「…まぁ、その感情が個人に向くようになれば、それが恋してるって事なんだろうな。」
身構えた分、拍子抜けしてしまう。冷静に、分析までしてしまう始末。
特定の誰かじゃ無かった。それだけで、まだ脈はあるのかと安堵する。
そんな考えを一瞬のうちに巡らせつつ、テーブルに並べているお菓子に手を伸ばし、ジュースを飲む。
すると、思案していた表情の冬弥が、眉をひそめ、深刻そうな表情で、続きを語る。
「最初は、感情が昂ぶったまま戻って来れないからだろうと思っていたのだが…。
あるとき、真横で聞く彰人の歌声を思い出したら…その…。」
「ん?」
「すぐに…出てしまったんだ…。」
「………え?」
理解するのに時間がかかり、その後、遅れてやってくる衝撃。
「お前、それって…。」
適切な言葉が出てこない。
それって、オレの声で、イッたって事だよな?
「俺は、彰人の事が好きなのかもしれない。」
持っていたジュースはこぼれ、テーブルに水たまりを作っている。
お菓子も若干、水没している。
その状況にも気がつかないくらい、動揺していた。
「…あっ、悪ぃ!こぼしたっ!」
「す、すまない!俺が変な事を言ってしまったから…。もうこの話題はこれきりにする。だから、どうか忘れて…。」
「忘れられる訳ねーだろ!あんな事言われたら…オレも意識しちまうだろ…。」
「ひっ…すまない…。」
「あっ、違うんだ、怯えさせるつもりじゃ無かったんだよ…悪ぃ…。」
マジで余裕が無い。さっきからカッコ悪すぎる。クソ、こうなったら…。
「冬弥、聞いてくれ。オレも、お前の事が好き…かもしれない。」
やっぱりカッコつかなかった。余裕なさ過ぎて、笑えてくる。
「彰人も…オレを…?」
「あぁ。お前の話聞いてたら、だんだんお前が何に惹かれてるのか気になって、そのうち嫉妬心まで湧いてきて…。今までの事も考えてみたら、やっぱりオレ、お前の事好きかもしれない。いや、好きだ。」
「…うれしい。とてもうれしい。これが、恋愛感情というものか。」
「…そうだな。」
半ば、カッコつかなかった事に対する諦めもあったかもしれない。気持ちは妙に凪いでいて、流れるように、感情の変化を冬弥に伝える事が出来た。
気付けば、両思いだ。こんなスピードで両思いになれたのは冬弥の素直さのおかげだろう。
「お前の真面目で素直なとこ、すげぇ好き。ありがとな。」
「彰人…!こちらこそ、ありがとう!」
アイスグレーの瞳を、キラキラさせながらオレを見つめる冬弥。堪らない。こんな表情で見つめられたら…。
その瞳に吸い寄せられるように近づき、冬弥の背中に手を回し、抱き寄せた。
気付いたら、唇が重なっていた。
重なる瞬間まで、ずっと目が合っていた。
重なった瞬間、冬弥が目を閉じた。
もう少し、このまま…。柔らかい唇の感触と、抱き寄せた冬弥のぬくもりを感じながら、オレも目を閉じた。