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    自宅ハンター♂メジロくん×ウツシ教官のハンウツ小説です。
    全編とここに載せていないぶんとオマケのどすけべを収録した文庫本を11月末に発行よていです。

    you are my sunshine. 空気を斬り裂く、だとか、大地が裂ける、とは、まさにこの事ではないか。
     里の者達は息を呑んで、一点を見つめていた。視線の先では、血に濡れるのも気にせず、肉の塊を抱きしめて泣き叫ぶウツシが居た。その腕の中の小さな体は、もう、動かない。半分以上無くなった頭部では、目を合わせる事も叶わない。だがそれでもウツシは、何度も、何度も呼びかけるのだ。
    「……どうしてだい? ねえ、目を開けておくれよ、起きておくれよ。俺は帰ってきたよ? おかえりって言っておくれよ、愛弟子……っ!」
     涙で顔中を濡らし、鼻水と唾液を垂らす様をまるで気にしない。けれど、それがウツシという男なのだ。里の者は皆知っている。彼がどれだけ強く、熱く、優しく、頼れる存在なのか。だからこそ誰も、何も言えなかった。ウツシに声をかけられる者などいない。
     ウツシの一番弟子であった少年は、もう帰ってこないのだから。


     それは、ウツシが任務でほんの少し里を離れている間に起こった。
     里守見習いの子供達が大社跡の入り口に山菜を取りに来ていた。里から近いその場所は普段は人の往来も多く、大型のモンスターはおろか、小型のモンスターも滅多に現れない。彼等にとってそこは遊び場だったから、なんの疑いもなく入って行ったのだ。その面々の中に、ウツシの愛弟子である少年も一緒にいた。ウツシから不在の間幼い弟分の面倒を見るように言われていたが、大社跡に行くと告げれば泣いて拒んだ。面倒を見ろと言われた手前置いて行く事も出来ず、かと言って友達と遊びたい盛りの少年は泣き止まない弟分の相手が嫌になり、ヒノエに半ば押し付けるようにして出かけてしまった。少々後ろめたさもあったが、友達と一緒に談笑しながら歩いていればそんな気持ちはすぐに何処かへ吹っ飛んでしまったようだった。
     しばらく山菜を取ってから誰かが言い出した。タケノコを取りに行こう、と。まだ春先の大社跡には食べられる物が沢山あるだろう、と。それに全員が賛同した。子供だけで危険な場所へ行く事に躊躇いは無かったのかと言えば嘘になる。けれどそれよりも好奇心の方が勝っていた。何より、見習いであるとはいえ、ハンターの訓練を受けている少年が一緒なのだから大丈夫だと、高を括った。
     結果だけ言えば、それは間違いだった。
     少年達は大社跡を奥へと進んでいった。奥に進むにつれ、少年はとある事に気づいた。鳥の鳴き声が聞こえない。風に乗ってくるはずの虫の羽音すら聞こえて来なかった。いつもなら聞こえるはずの音が消えていたのだ。少年以外は、誰もそれを不思議とは思わなかった。楽しんでいる友達等に水を差すような事はしたくなかった。何かおかしいと思いながらも、少年はそれを黙っていた。
     しばらくして、立派なタケノコを皆で掘り、籠に入れて安堵したのも束の間、いよいよ木々の葉擦れの音や小動物達の気配も消えた。代わりに得体の知れない何かがそこら中から感じられた。少年は恐怖を覚えながら友達に言った、そろそろ帰ろう、と。だが、既に遅かった。
     パキリッ、という枝を踏み折る音が聞こえた瞬間、誰もが息を呑んだ。振り返るとそこには、イズチが居た。小型のモンスターだが人の大人程の大きさがあり、少年達と比べれば遥かに大きい体躯だ。それが一体ではない。二体、三体……どんどん増えていく。イズチの大群だった。彼等は獲物を見つけて喜んでいるように鳴き喚いている。
     その光景を見た途端、少年達は悲鳴を上げながら駆け出した。イズチの群れは追いかけてくる。ハンター見習いの少年も恐怖に慄いたが自ら殿を務めた。見習いの為モンスターの狩猟は許されてはいないし、まして、そもそも自分一人でイズチを狩猟できる実力は無いと自負していた。しかし、それでも自分が皆を守らねば、と思った。
     走って逃げてもすぐに追いつかれるのは明白だったが、少年達は必死に逃げ続けた。そして遂にひとりが足をもつれさせて転んでしまった。好機とみたイズチ達が涎を垂らしながら迫ってくる。目の前にいた閃光羽虫の群れを刺激して、目くらましをして時間を稼いだ。突然の眩い光に驚いたイズチ達が混乱している間に、転んだ者を引っ張り起こし、転んだ際にばらまいてしまった山菜には目もくれず里を目指した。
     皆が里に続く坂を下るのを最後尾から見ながら、自分もそれに続いて走り出した少年だったが、先に転んだ者がばらまいてしまった山菜を踏んづけてしまい、滑って坂道を転がり落ちるように転倒した。地面で殴打した腕が痛い。それでも少年は慌てて立ち上がろうとした。早くしないとイズチの餌食になってしまう。焦りながら、なんとか立ち上がり後ろを見ると、すぐそこに、イズチが迫っていた。
     少年は咄嵯に武器を構えた。訓練用の武器だ。持ち手部分には血で汚れてボロボロになった包帯が巻かれており、豆が潰れる程に鍛錬に励んでいたのが見てわかる。少年はその武器を振りかざし、イズチに飛びかかった。しかしイズチもただやられる訳ではなく、鋭い爪を剥き出しにして飛びかかってきた。その爪と武器がぶつかり合い、火花を散らす。少年とイズチはそのままもつれ合って地面に倒れた。そしてそのまま取っ組み合う形になる。イズチは牙を突き立てようと口を大きく開けた。その瞬間を狙って少年は持っていた武器でイズチの顎を貫いた。するとイズチは動かなくなった。どうやら死んでしまったようだ。
     少年がほっとしたのも束の間、周りにいたイズチ達が騒ぎ出す。仲間を殺された怒りで、興奮状態になっているようだった。このままではまずいと悟った少年は急いでその場から離れようとした。だがそれは叶わなかった。いつの間にか取り囲まれてしまっていたのだ。もう逃げることは叶わない。そう思った少年は覚悟を決めて、武器を構え直した。見習いだから、狩猟が認められていないから、だとか言っている場合では無いのだ。ここで自分が戦わねば皆が襲われてしまう。土台無理な事とはいえ、帰ったらきっと教官は「勇敢に戦ったね」と褒めてくれる。
     少年は意を決して、目の前にいるイズチ達に向かっていった。背後から別のイズチが飛びかかってきているのには気付かずに──。


     子供達の悲鳴で大人達が異変に気付き、里守衆が武器を手にして駆けつけた時には、既に決着はついていた。息絶えた少年にイズチが群がり、それを貪っている。里守衆数人がかりでイズチを追払い、なんとか遺体を回収することが出来た。
     少年の遺体は酷い有様だった。腹を引き裂かれて内臓を食われ、胴体と下半身は繋がっていなかった。頭部は何度も噛み付かれたのか、頭蓋骨が陥没して、半分が欠損していた。辛うじて人としての原型は留めていたが、ハンター見習いのあの少年だと言われなければ、すぐには判別出来ない程だった。
     そんな少年の遺体を大事に里まで持ち帰り、筵の上に横たえさせたところで、息を切らしながらウツシが帰ってきた。惨状を目の当たりにして言葉を失った様子だったが、やがて耳を劈くような声で泣き叫んだ。少年の遺体に取りすがって、ずっと泣いていた。その姿はあまりにも哀れで、普段の彼からは想像もつかない姿だった。だからこそ、誰もが息を呑み、ウツシに声をかける事が出来なかった。
     人々の輪の外側、あまりな現状に固まって動けなくなっているヒノエの手を握る同じく固まって動けなくなっている幼児がいた。少年がヒノエに押し付けるように預けた弟分だ。少年と血が繋がっているわけでは無いが、二人とも親無しである為に、ウツシが引き取って面倒を見ていた。ハンターの訓練として木刀を振り回す少年の横で、見様見真似で木の枝を振り回す姿が微笑ましくあったが、少年からは「真似すんな」とよく邪険にされては泣かされていた。しかし、どんなに邪険にしてもウツシや少年の背中を追いかける姿に、少年は悪い気はしていなかった。お互い親無しという境遇や、兄弟子として面倒をよく見ていた事から、二人はなんだかんだ仲が良く、本当の兄弟のようであった。
     幼児は始めこそウツシの叫び声に驚いていた様だが、その瞳は、じっ、とウツシの顔を見つめていた。固まったままきょとんとしていた顔は次第に歪み、ヒノエの手を振り解くと制止する声に耳も貸さず、人混みをかき分け、ウツシの側まで駆け寄った。
    「きょおかん」
     と、舌足らずながらも懸命に声をかけ、真っ赤に染まったウツシの手を握る。嗚咽を漏らして泣き続けていたウツシは、ハッと我に返る。
    「っ……、メジロ……」
     それでも涙も嗚咽もなかなか止まらず、なんとか呼吸を整えて、やっとの思いで幼児の──メジロの名を呼んだ。
    「きょおかん、なかないで、なかないでぇ……!」
     メジロは一生懸命にウツシの手を握り、やがてウツシよりも大きな声で泣き出してしまった。その声に今度はウツシが驚いて固まってしまう。わんわん泣くメジロの声を聞いているうちに、ようやくウツシの涙も止まった。あれだけ強く抱き締めていた少年の遺体を筵の上にそっと戻すと、メジロに向かって両手を広げる。肌も装備も夥しい血で濡れていたが、メジロは臆する様子も見せず、その腕に泣きついた。
    「ごめん、ごめんよ……。心配してくれたんだね、俺はもう大丈夫だから、泣かない、泣かない……」
     ウツシはそう言って、メジロを優しく抱きしめた。その目尻にはまたもや涙が浮かび、流れ落ちていく。痛い程抱き付いて泣き散らす幼子を落ち着かせるように、ぽん、ぽん、と背を叩きながら頭を撫でる。あやしながら何度も繰り返される、泣かない。それは、ウツシ自身に言い聞かせているかのように、か細く震えていた。
     しばらくして、泣き止んだメジロを下ろしたウツシは、もう一度少年の遺体を強く抱き締めた。
    「おかえり。勇敢に戦ったね」
     本当に頑張ったね。そう言いながら、ウツシは再び遺体を筵の上に戻した。その後ろ姿はあまりにも小さく見えた。
     その後、少年の葬儀はしめやかに執り行われ、その間、メジロは小さな手でウツシの手をずっと握っていた。


    「……本当に大丈夫かい?」
    「大丈夫です」
    「忘れ物は? 俺もついて行かなくて大丈夫かい?」
    「本当に、大丈夫ですので」
     月日は流れ、メジロがハンターとしてギルドから認められてしばらく経った日の事だ。今日からハンターとしての本格的な活動が始まるというのに、ハンター見習いを卒業した時と同じように、ウツシは朝からずっとこの調子だ。
     ハンターと認められた当初は『訓練のおさらい』と称して、しばらくの間クエストにウツシが同行していた。しかし、いつまでもこのままではいけないと、お互い分かっていたのだ。ウツシに一人前と認めてもらえるよう、ひとりでも大丈夫だと安心してもらえるように、今回はメジロからひとりでクエストに行くと申し出たのだ。それも、イズチの討伐クエストである。
     だが、いざとなるとやはり不安で仕方がない。本当は、一緒に行って欲しい。側に居て欲しい。けれどこれ以上ウツシに迷惑をかける訳にはいかない。だから、必死に堪えた。
     ウツシは少し悩んだ後、何かを決心した様子で、うん、とひとつ大きくうなずいた。そして、メジロの両肩に手を置くと、にかっ、と笑ってみせた。
    「愛弟子よ、行っておいで!」
    「行って参ります!」
     ウツシは笑顔で手を振りながらメジロを見送った。その姿が見えなくなるまで見送り続けた。メジロもウツシの姿が見えなくなるまで何度も振り向いた。その度に、千切れそうな勢いで腕を振りながら、笑顔で見送る師の姿に安堵した。
     メジロの兄弟子だった少年が亡くなってから、ウツシは目に見えて落ち込んでしまっていた。メジロに対して過保護すぎる行動をとるようになったり、夜中に悪夢を見て飛び起きたりと、精神状態が不安定になっている事が見て取れた。メジロの前では笑顔でいたが、その表情に以前のような輝かしさは無く、いつもどこか悲しげだった。
     そんなウツシの姿を、メジロは見るのが辛くて堪らなかった。どうにか元気になって欲しくて、自分が立派なハンターになる事で少しでも敬愛する師の悲しみが癒えれば良いと思った。その一心で頑張ってきた。もう泣いているあの人の姿は見たくない。
     ウツシのあの太陽のような笑顔を守らねばと、強く強く、メジロは思った。


     その後、ボロボロの姿で帰ってきたメジロに、ウツシが狼狽したのは言うまでもない。


    -----------------------------


     寒い。寒冷群島なのだから当たり前だろう、とメジロは首を亀の様に縮こませながら震えていた。おまけに時間は夜間。冷え込みも当然である。
     だがそんな寒さや暗さなど、メジロにとってはどうでもよかった。
     ──早く帰りたい。
     ハンターとして活動を始めてそろそろ半年になるが、独りでの狩猟はまだまだ怖かった。完全に独り、という訳ではない。オトモのアイルーとガルクも一緒であり、なにより、メジロの武器は操虫棍だ。使役する猟虫の存在も有難かった。
     見習いを卒業してすぐは師であるウツシがクエストに同行してくれていた。もちろん、ウツシのオトモのデンコウとライゴウも一緒だった。クエストにまだオトモを同行させられないメジロに二匹を貸し、一緒に戦ってごらん、と優しく教えてくれたのだ。そして実際に二匹の動きを見ていて驚いた。ウツシと数々のクエストをこなしてきたのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、メジロが武器を構えてわたわたしている間に、数匹のイズチをあっさり討伐してしまったのだ。ウツシは一緒に戦った事を褒めてくれたが、実際あの場でメジロが出来た事なんてほとんど無かったと言っても過言ではない。今思い出しても、その情けなさに涙が出そうになる。自分なんかが戦わずともオトモが全部やってくれるのではないか?そう考えるようになってしまっても仕方ないだろう。
     どんどん悪い方向に思考が沈んで行くのを感じながら必死にその場で足踏みをする。少しでも休めばすぐに恐怖に押し潰されてしまいそうだ。それに、いくら寒冷地用に防寒対策が施された防具であっても、極寒の中でじっとしていれば凍傷になる恐れがある。こんな寒さの中ずっと立ち続けているのだって辛いのに、いつ襲ってくるかも分からない敵に対して神経を張り詰め続ける事はもっと辛かった。
     ──早く、帰りたい。
     涙を堪えているせいか、寒さのせいか、鼻水が止まらなかった。
     もふ、とした柔らかく暖かい感触に下を見れば、ガルクが体を寄り添わせながら心配そうに見上げていた。
    「うぅ、まろまゆさん。すみません、オレ、頑張ります……」
     まろまゆ。それはガルクの名前である。目の上に丸い眉毛のような模様があることから、メジロが名付けた。頭を撫でられたまろまゆは尻尾を振ってメジロに応えた。
    「ご主人、来たニャ」
    「ありがとう、ねじねじさん」
     そしてオトモアイルーの名前がねじねじである。尻尾が捻じ曲がったような形状であることが由来だ。こちらもメジロが名付けた。サポートタイプはファイト。きっと自分よりも活躍してくれると思っての選択だった。
     眼下を見やれば、こちらに泳いでくるイソネミクニの姿を捉えることが出来た。先程までの弱気な気持ちを押し込めて操虫棍を構え直すと、深呼吸をして精神統一を始める。寒さと緊張のせいで息苦しいくらいだったが、今この瞬間を逃してはならないことは分かっていた。
     イソネミクニというモンスターは泳ぎを得意としており、水辺が多い寒冷群島は相手にとても有利だ。おまけに動きもすばしっこく、猟虫を飛ばしても追いつかない事もままある。その不利な状況を打破すべく、閃光玉を投げつけたりクナイを投げつけたりしてとにかく注意を自分達に向けさせた。小賢しい動きにイソネミクニが怒り状態になったところで一目散で逃げ出し、それを追いかけてやってくるのを確認しながら適当な場所で翔蟲で崖の上に飛び乗った。目標を見失ったイソネミクニはしばらくその場をウロウロとしていたのだが、諦めきれない様子でしきりに鼻を使ってメジロ達のニオイを嗅ぎ回って後を追いかけて来る。
     そうしてイソネミクニが思うように動けない場所、自分達が戦いやすい狭い場所まで誘導した所でいよいよ戦闘が始まった──。

    「お疲れ様ニャ、ご主人」
    「回復薬が残り一個しかないのですが……!」
    「回復薬を使い切らなくなっただけ成長ニャ」
    「本当に成長しているのでしょうか……」
     激闘の末の勝者はメジロであった。だが、その戦いっぷりは到底褒められるようなものではなかった。イソネミクニの攻撃は避けられない。武器を砥ぎたくともなかなかタイミングを掴む事が出来ず、今だと思ってもイソネミクニに邪魔され、ならば攻撃しようにも、切れ味の悪い武器では弾かれてしまう。そんな状況の中、体力と集中力だけが削られていった。飛ばした猟虫が弾き落とされる度に情けない悲鳴をあげた。もう少しで捕獲可能という場面では、せっかく有利な場所に誘い込んだというのに逃げられてしまい、今度は此方がその背中を追いかけて走り回る事になってしまった。そうして、眠って体力を回復させている隙に痺れ罠にひっかけてなんとか捕獲を成功させた。
     狩猟完了の知らせをギルドに出そうにも、疲労と寒さで手ががちがちと震え、ミミズが這ったような文字しか書けなかった。
     ようやく書けたものをフクズクの足に結び付け、飛び去っていく姿を見て、どっ、と疲れが押し寄せてきたメジロはそのまま地面にへたり込んでしまった。するとそれに驚いたまろまゆとねじねじも心配そうに近寄ってきてくれた。二匹が傍に来てくれる事で幾分か心強く感じたメジロは、二匹を抱き上げて顔を埋める。柔らかな毛皮に包まれて少し落ち着いてきたのか、ぽろぽろと涙が零れた。猟虫も落ち着きない様子でメジロの腕にくっついてくる。余計に涙が止まらなくなった。三匹はメジロが泣き止むまでずっと側にくっ付いていた。
     狩猟に出る度にどんなにボロボロの姿になろうとも、メジロはしっかりと狩猟をこなしていた。例え狩猟中の姿がお粗末なものであっても、確実に実績を積んでいるのだ。きっとこれから依頼される狩猟内容はどんどん困難なものへとなっていくのだろう。
     そう考えれば今のうちからもっとしっかりしなければならない、そう思っても恐怖心というものは簡単に克服できるものでもなかった。
     ハンターという仕事はいつ死んでもおかしくない。いや、ハンターでなくとも生きているものはいつでも突然死んでしまう。明日は我が身では無い、とは言えないのだ。
     メジロは死にたくなかった。絶対に死ぬもんかと心に決めていた。必ず生きて帰って、里で待っていてくれるウツシに無事な姿を見せるのだ、と。
     クエストを成功させ、無事に帰還する度に「良くやったね!」と迎えてくれるウツシの姿を、暖かい太陽のような姿を思い出すだけで嬉しくなって胸が高鳴った。
     ──早く、帰ろう。
     フクズクを飛ばしたから直ぐにギルドや里に知らせが届くだろう。そうすれば、ウツシはいても立っても居られない筈だ。アヤメやゴコクから落ち着けと嗜められているかもしれない。そうまでして待っていてくれる師に一刻もはやく無事な姿を見せたくて、メジロ達は急いで帰り支度を始めた。

     結局、あまり無事とはいえないボロボロの姿に、今回もウツシを狼狽させてしまった。


    -------------------------------------------


     メジロは百竜夜行絵巻全図を見て育った。メジロのみならず、カムラの里の子供達はみんな其れを見て大人になる。例外は無い。里長のフゲンから絵巻を見せられ、五十年前に起こったという災禍を聞かされた日、その晩は恐怖で大泣きをした。里長の話し方が恐怖を誘って仕方なかったのだ。明日にでもモンスター達が里に押し寄せてくるのではと、暫くは夜泣きや寝小便を繰り返しては兄弟子やウツシを困らせた。ウツシに添い寝をしてもらい、俺が居るから大丈夫だよ、と優しくあやされながらその胸にしがみ付いてようやく安心して眠れたものだ。
     ハンターとなってそれなりの実績を積んできた今でも、メジロにとって百竜夜行は恐怖の対象だった。絵巻に描かれた恐ろしい姿形を思い浮かべるだけで背筋が凍り付き、身体の奥底が震えてしまう。中には実際に対峙したモンスターもいたが、一体だからどうにかできた話であり、あんな存在が何体も波のように押し寄せてくるのかと思うと絶望感すら覚えた。
     その百竜夜行がやって来る。
     偵察に向かったウツシの話では、目立った大物はアオアシラやドスフロギィといったもので、波の規模もそれ程でもないとの事だった。
     それを聞いて、なら安心だ、なんて言えるメジロではなかった。報告にあったどちらのモンスターにも良い思い出なんかなかった。アオアシラの爪は鋭く、殴る力は強い。ドスフロギィは毒を吐くし尻尾での薙ぎ払いはめっぽう痛い、そしてその取り巻きにも散々小突かれてきた。どちらにも苦手意識があり、両手を離して喜べる状態ではなかった。特にアオアシラとは相性が悪いようで、未だに上手く狩猟できる自信はない。
     戦う場所も普段とは違う。広大な場所ではなく、堅牢ではあるが狭い砦の中で戦うのだ。過去の経験を生かして作られた砦は、モンスターを一箇所におびき寄せる為の狭い通路、そしてその先に侵入してきたモンスターを迎え撃つ為の入り組んだ広場がある。広場には狩猟設備を収納した足場があり、これが壁や入り組んだ迷路のような役割も果たしていた。
     この狩猟設備を使った迎撃を行う訓練を、里の衆は日々欠かさず行ってきた。何十年も実践で使われる事の無かった設備を毎日磨き、そして己の腕も磨いてきた。いつの日か災禍が自分達に向けられる事があったとしても、決して屈せぬようにと。絶対に里を守るのだと。自分たちはカムラの里守だ、と。
     里守衆は自分達の使命を誇りに思っており、今回の百竜夜行に対しても意気軒昂としていた。それは彼らだけでなく、フゲンも同じである。老いたとはいえまだまだ現役であり、むしろ今こそ力を見せる時だという気持ちでいるようだった。
     そんな中、ひとりだけ不安そうな顔をしている事が、メジロは申し訳なく思うと同時に心苦しかった。自分だけが弱音を吐いて情けなくなる一方で、しかしどうしようもないほど怖くて仕方がなかった。あの恐ろしい化物たちを前にしたら自分はきっとうまく動けない。更に不安なのは、里守達の目の前で戦わねばいけないと言う事だ。普段の自分が如何に無様に立ち回っているかを、彼らの眼前に晒して、そして、失笑されてしまうのでは、落胆させてしまうのではと考えると涙が溢れそうになる。此れが我々の里を守るハンターなのか、と絶望させてしまうかもしれない。モンスターと対峙する恐怖、そして他人の目を気にしながら戦わねばいけない状況で、何も出来ずに死ぬかもと思うと嗚咽が漏れそうだ。
     それでも逃げてはいけないのだ。
     逃げたところで何処へ行こうというのか。
     カムラを捨てられるはずもなく、またウツシの元を離れるつもりもなかった。ならばやはり戦わねばならないのではないか……。
     皆がモンスター襲撃に向け準備を進めている。ウツシの情報を元にハモンが指示を出し、フゲンが大きな声で激励を飛ばしている。その声が空気を震わし、メジロの肩を揺さぶっているような気になった。
     自分も早く、あちらへ合流しなければ……。
     そんな思いとは裏腹に、なかなか身体が動かない。自分もモンスターと対峙する準備をしなければと分かってはいるものの、足がすくんで動けなかった。行かねばならないとは思いつつも怖くて動けないのである。
     とうとう皆の元へ行く機会を失ったメジロは、人目につかぬ場所で座り込んでしまった。膝を抱え、そこに顔を押し付ける。どんどん大きくなっていく皆の声や足音が、ますます自分の不安を煽り立てた。
    「愛弟子」
     するとその時、頭上から名前を呼ばれた。ハッと顔を上げればそこにはウツシの顔があった。優しい微笑みをたたえながら手を差し伸べている。その手を取ろうとし、止めた瞬間、我慢していた涙腺が決壊してしまったのかと思う程涙が溢れ出た。しまったと思った時には手遅れで、メジロはぽろぽろと大粒の涙を流し始めたのである。どうしたら良いのか分からなくなり、嗚咽を漏らしながら泣くだけのメジロを、ウツシはそっと背中を撫でてやる。
     暫くそうして落ち着くのを待っていると、嗚咽の隙間に何やらボソボソと声が聞こえて来た。
    「うっ、ひぐ、すみませ、すみません……っ!」
     何故謝るのかと尋ねれば、メジロは泣きじゃくりながらもこう続けた。
     一人だけ怖気付いている自分に皆が失望しているのではないか。あんなにも教官が居なくても大丈夫と言っていたにも関わらず、いざその時が来たらこの有様だ。呆れたり、愛想を尽かされるのではないかと思うと怖くて仕方がない、と。
     ふーっ、と聞こえた溜息に、メジロの肩が震えた。嗚呼、これは絶対に呆れられたに違いない。落胆の表情を露わにしているかもしれない。そんな弟子だとは思わなかったと言われるかもしれない。
     しかし、待てどもウツシは何も言わなかった。ただ黙って背中を撫で続けるだけだったのである。
     やがて落ち着きを取り戻したメジロが恐る恐る顔を上げると、そこに見えたのは穏やかな微笑みを湛えたウツシの顔だった。涙目になりながらも目が離せずにいると、視線を合わせるようにしゃがみこんだ彼がこう言ったのだ。
    「怖いよね、いつもと違う環境だし、モンスターもそれなりの数がこっちに向かってきている。うん、怖いよね」
    「……教官も怖いんですか?」
     メジロが恐る恐る尋ねると、ウツシは苦笑いをしながら頷いた。自分も怖いよ、と言ったのだ。意外だった。この人に怖いものなどきっと何も無い、と思って驚いた表情を浮かべるメジロに、ウツシはドスフロギィやアオアシラの動きを交えながら、いかに怖いかを語ってみせた。あの毒がどうだの、あの爪がどうだとか。その動きがまたそっくりだったものだから、メジロは思わず吹き出してしまった。
     こんなにも怖くて堪らないと思っているのに、何故この人といると自然と安心出来るのだろう。そんな事を考えているうちに、身体の震えが止まっていた。涙も止まった。
     やっと顔色が良くなったメジロにウツシも安堵したが、次の瞬間には、すっと真面目な顔となり、急な真面目な雰囲気にメジロはどきりとした。
    「酷な話をするとね、モンスターは確実にこっちへ向かってきているし、俺はそれを少しでも止める為に最前線に行かなきゃいけない。きみから離れて戦うことがなによりも怖いよ」
     笑顔を保とうとしつつも俯きがちになってしまったウツシの顔に、メジロは見覚えがあった。兄弟子が死んでしまってからしばしば見せるようになった顔だ。この顔をさせたくなくて努力をしてきた筈だと言うのに、結局また同じような顔をさせてしまったのだと思ったら自分が情けなくて仕方なかった。
    「……俺も、教官から離れるのは……」
     ──怖いです。
     思わず漏れ出た声は最後は言葉窄みとなり殆ど消えていったが、ウツシの耳には届いてしまっただろう。
     せっかく一度暖まった空気が沈んでいく中、だからね、という弾んだウツシの声にメジロは目線だけ上げた。
     ウツシはごそごそと腰のポーチを探ると、何かを掴んだ手をずいと差し出した。メジロはその何かを両手で受け取る。
     ふわり、と掌に置かれたそれは、赤と青の色鮮やかなビーズが付いた羽根飾りだった。太陽の光を反射してキラリと光っている。
    「最近は狩猟に闘技場のクエストも頑張っているから、ご褒美も兼ねて俺からプレゼントだよ」
     メジロはポカンとしながら、その羽根飾りとウツシを交互に見比べた。笑顔で耳を指差す仕草から察するに、どうやら耳につけるものらしい。
    「まぁ、陣中祝いみたいなものかな。俺の代わり、とはいかないだろうけど、俺が側に居ると思って身に付けてほしい。きみがそれを付けてくれていると思うと、俺も頑張れるから」
     にっ、と笑うウツシにメジロは再び涙が込み上げてきた。しかし、情けなさや恐怖によるものではなく、こんな時でも慈しみを忘れないウツシへの感謝から来るものであった。
    「ありがとう、ございます」
     やっとの思いでメジロは感謝の言葉を紡いだ。
     そんなメジロに、どういたしましてと笑いながら頭を撫でたあと、ウツシは細い竹串を取り出した。うさ団子に使われる物とは違い、もっと細くて鋭利なものだ。笑顔でそれを持つ師の姿に全てを察したメジロは、モンスターに対する恐怖とは別種の恐怖に、一瞬で顔色が青くなった。

     ジンジンとした痛みとは裏腹に、羽根飾りはメジロの耳元でふわりふわりと揺れていた。だが痛みのおかげで恐怖は和らぎ、脚の震えも止まっていた。可笑しいもので、今は迫り来るモンスターの波や里守衆の視線よりも、耳の痛みの方が気になって仕方ない。自分の恐怖とはこの程度のものだったのか、と失笑出来る程に。
     地面から足の裏を通して身体伝わる振動に、脅威は目前だとフゲンの声と銅鑼の音が響き、誰もが武器を構えた。
     メジロはその前線にいる。ウツシはそれよりも彼方に離れた最前線にいる。ふわり、とそよいだ風が羽根飾りを撫でると、離れ離れであるなんて恐怖は微塵もなかった。メジロの足元にはオトモ達がいて、肩にはがっしりと猟蟲が止まっている。何より背後には里守衆が居る。孤独では無い。
     いよいよ柵を乗り越えて入ってきたモンスターに、メジロは操虫棍を振り上げる。
     この後やってくる大いなる禍の存在に、まだ誰も気づかないまま。


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     いつもより好調に動けた、とメジロは思った。砦という狭い場所、尚且つ、里守衆等と一緒という慣れない環境にも関わらず、冷静に標的を見定め、的確にオトモや猟蟲に指示が出せた。もっとも、皆賢いのでメジロが細かく指示を出すまででもないのだが、それでもいつもより思考は冴えていたと思う。被弾も少なく、今までにないほど上手く立ち回る事が出来た。少しは成長出来ているのだな、と他人事のように考えてしまった。
     ウツシから与えられた羽根飾りがメジロに勇気をもたらしたに違いない。だがそれ以上に、メジロの中の“しっかりやらねば”、という気持ちが強くなったのが一番の要因と言えよう。与えられた羽根飾りに見合う成果を出さねば、と思った訳ではない。里長フゲンや里守衆も見ている前で無様な姿を晒して、万がいち百竜夜行の撃退に失敗した時に自分が責められ失望されるのは許容出来る。だが、自分をここまで育てて信頼してくれているウツシが、もしも“弟子ひとり育てる事も出来ないのか”などという非難を蒙る事だけは絶対にしたくなかった。自分の事を嘲笑うのは好きなだけすればいい、だが、何よりも大切な師を愚弄されるのだけは、例え里の者であっても許す事は到底出来ないであろう。
     だから、少しでも強くなって安心させようと思った。それに今思えば、フゲンがウツシに期待していた通り、自分もまた、あの人にとっての誇り高き猛き炎になりたかったのだ。そのためには何だってやる、どんな事でも耐え抜いてみせる。これからも──。
     そう、思っていた矢先だった。
     防衛が終わり里守衆達が引き上げる間、念のため殿として砦に残っていたメジロとヨモギとイオリだったが、ウツシの知らせ通り新たな群れがやってくる気配も無く、無事に此度の百竜夜行を乗り切れたと三人で安堵している時だった。
     最初に反応したのはメジロのガルクのまろまゆだった。耳をピンと立たせたかと思うと、瞬時に頭を低くして何かに向かって威嚇を始めた。足の裏から伝わる振動が、何かが此方に向かってきている事を示唆していた。それに気付いた他の面々にも緊張が走る。
     夜が明け空気が白み始めた砦の奥から灯りが見えた。揺れる薄紫の其れが提灯や松明の灯りなんかでは無いと、その場にいる全員が理解した。人魂のようにゆらりと揺れ、地響きと共に近づいてくる。目視できる距離にまで入ってきたとき、ヨモギは思わず声を上げた。
     無理もなかった。
     里の者なら誰一人例外無くその目に焼き付けてきた、百竜夜行絵巻の最後尾に描かれているモンスター、其れがいま目と鼻の先に現れたのだ。身体に纏った紫炎を揺らめかせ、弱ったアオアシラを口に咥えているその姿に全員が恐怖に慄いた。
     モンスターはただでさえ脅威である。だがあれはその辺にいる大型とも比べる必要も感じられないほどに格が違うと解った。そんなものをウツシが見落とすわけがない。前線からウツシが退いた後にやってきたのか、はたまた思いもよらぬ場所から無理やり入り込んできたのか。いずれにせよ、今この存在を認知しているのはメジロたち三人だけだった。
     咥えていたアオアシラを乱暴に放り投げた其れに対し、いち早く武器を抜いたのはヨモギとイオリだった。しかし流石に武が悪いと感じたイオリの撤退の案に賛成し、砦内部へ向けて全力で地面を蹴った。最後尾はメジロだった。子供達を先に行かせ、最悪自分が囮になれば……。そんな考えが頭を過った。二人が翔蟲で飛び上がるのを確認してメジロも急いで蟲を飛ばした。その時、背中に感じた鋭い風が、其れがあまりにも鋭利な爪が備わった腕を振り下ろした事によって生じたものだったとは考えるのも恐ろしい。
     間一髪で難を逃れ、三人が出会った其れが、五十年前に里を襲った百竜夜行と共にやってきた災禍『マガイマガド』だと知らされたのはフゲンと合流してからだった。
     メジロはフゲンにより、その災禍の狩猟を頼まれたのだ──。

     ウツシ教官が訓練用として連れてきたアオアシラ相手によく泣かされたっけ、とメジロは懐かしんだ。正直言うと今でも野生のアオアシラには泣かされている。何度相手にしても動きについていく事が出来ず常に泣かされてきた。そのため百竜夜行で上手く立ち回れた事は、メジロにとって大きな自信となった。猛き炎と呼ばれ、一人前と認められたものの、自分に才能なんて欠片も無いとずっと思っていた。それでもここまでやってこれたのは、ウツシのためという思いがあったからだ。自分が頑張れば頑張っただけ、上手に狩猟出来たら出来ただけウツシは太陽のように笑ってくれた。その時だけは過去の辛さを忘れられているように見えた。その笑顔のためには何だってする、と本気で思っていた。
     だが、マガイマガドに咥えられていたアオアシラが、ぽーんと放物線を描きながら落下していった時、その思いが音を立てて崩れたような気がした。いつも狩猟するのに苦労させられているアオアシラが、いとも容易く手毬のように地面を転がっていく姿を見た時、芽生え出した自信は簡単に枯れてしまった。地面にぐったりと転がる息も絶え絶えのアオアシラが、自分に見えた。ハンターとして戦う自分達も、こんな風に扱われるのか。そう思うと急に恐ろしくなってしまって、ヨモギとイオリが武器を構えた時、ひとりだけ動く事が出来なかった。せめてもと殿を務めたのは、年長者としての意地だったのだろう。
     里に戻った時、出迎えてくれたウツシの顔は決して晴れやかなものではなかった。
    「愛弟子、本当によく頑張ったね。だけど……」
     百竜夜行を切り抜けたと言うのに、あのマガイマガドの件もあってかウツシを含めた面々の表情は沈み切っている。マガイマガドが里から離れていったという報告だけが現在の救いと言えるかもしれない。
    「まあまあ、皆本当にご苦労だったゲコ。今日のところはゆっくり家で休むゲコー!」
    「うむ! 皆大義であった!」
     こんな時に明るいゴコクの声が心底有難いと思えた。ゴコクの声と共にフゲンが一声上げた事で、皆が緊張の糸が切れたように表情を和らげた。しかしその中でもウツシの表情は険しく、帰路につくメジロの足取りは重たかった。

     それから数日は、砦の修復や怪我人の治療で慌ただしくもあったが、比較的穏やかな日々が続いた。百竜夜行の予兆も特に見られず、里の者達にも落ち着きと活気が戻って来ていた。
     それでもメジロに休む間などなく、大型のモンスターが単独で里付近に現れたから狩猟を頼むだとか、素材が足りないから手伝ってほしいだとか、やる事は次々と舞い込んできた。本当は皆と一緒に砦の修復を手伝おうと考えていたが、それは里守衆でやるからハンター業に専念してていい、と言われてしまった。
     砦の前で里守衆らの善意で追い返された時、メジロは安堵してしまった自分に腹が立った。砦の中に入らなければマガイマガドの事を思い出さなくてすむ、なんて思ってしまったのだ。いずれあれと対峙せねばならぬというのに、こんな事で怖気づいている自分が情けない。じっとしていると、何度も脳裏に地面にぐったりと倒れているアオアシラが浮かんだ。
     ──きっと次は自分だ。
     日々その強迫観念は強さを増し、飯も喉を通らず、通ったとしてもすぐに嘔吐してしまう程だった。
     だが、メジロはそんな状態でも飯を食らった。水で無理やり流し込んで、眠れなくとも布団に入って気絶するのを待って無理やり寝た。そして、狩猟に勤しんだ。モンスターの狩猟、素材集め、山菜集め、果ては迷子の仔アイルーの捜索。頼まれた事はなんでもやった。動いていないと、恐怖に押しつぶされそうだったからだ。動いていないとどうにかなりそうだった。食事と睡眠だけは怠らぬよう努めたのは、ウツシの教えがあったからだ。
     ──自分の為じゃない、教官の為に……。
     自分に対する評価は、ウツシの評価へ繋がる。どんな些細な賞賛でも、耳にしたウツシは鼻高々に喜んだ。その姿を見るだけで、メジロは自分が褒め称えられる以上に幸せだった。自分の生きる価値は是だと確信していた。この為に生きているのだ。
     だから、ハモンが考案したマガイマガド討伐の作戦を聞いた時も、胃の痛みを無視した。

     紫炎を纏った身体が、高速で突進してくるのを避けるのは何度目だろう。雪の上を滑るウルクススよりも素早いが、ビシュテンゴの奇をてらったような動きでも無い。目で追えるし、なにより身体がついていけている。効率的に狩猟出来ているかと問われれば、全くもってそのとおりではなかったが、回復薬が入った竹筒に未だ手を伸ばしていない事に、メジロ自身驚いていた──。

     遡る事一日と半日前、百竜夜行接近と共にマガイマガドの姿が確認された、と偵察に出ていたウツシからの知らせが入った。里中に緊張が走る中、フゲンから直々に討伐の命を受けたメジロは、やはり胃の痛みを無視していた。里のたたら場前で集まった里守衆に激を飛ばすフゲンの言葉はいまいち覚えていない。
     ハモン考案のからくりを使い、百竜夜行から分断させたマガイマガドを大社跡にて討つ。
     里にとって五十年越しの悲願だ。これが達成されればきっと里に安寧が訪れる。そうしたら──。
     そうしたら?
     ──安寧が訪れたら、オレはハンターを辞めるのか?
     否、そんな事にはならないだろう。安寧が訪れたとしても、それはカムラの里を襲うマガイマガドを討伐したに過ぎず、世界中のモンスターが消えた訳では無い。驚異は、災禍は、何処にでも訪れるのだ。それらを追い払うための依頼はいくらでも舞い込んでくるだろう。それを請け負うのがメジロであり、ハンターなのだ。此度の狩猟もメジロのハンター人生において、たったひとつの依頼でしかないのだ。
     そう考えが至った時、メジロの胃の痛みは治まっていた。ポーチにアイテムを詰める手も、震えが止まっていた。
     見送りに来たウツシが驚いたのは、思っていたよりもメジロが落ち着いた雰囲気を纏っていたからだったのだろう。夕日を背に出発の準備をしているメジロの紅い目がウツシを捉えると、炎のようにちろりと揺れた。
    「愛弟子、もう行けるかい?」
    「はい、大丈夫です」
     本当に? と、ウツシは聞き返しそうになったが、言葉は喉を通らなかった。
    「教官が一緒ですので」
     くしゃりと破顔しながら羽飾りを触るメジロを見て、ウツシは一瞬目を丸くしたが、すぐに同じように破顔した。
    「そうだね! 今回も俺は百竜夜行の方の前線に行くから一緒に行ってあげられないけど、離れていても俺は全力できみを応援しているからね!」
     大きな手ぶりでウツシがそう言えば、教官の声なら本当に届きそうです、とメジロは笑った。
     久しぶりに、ふたりして腹を抱えて笑った。

     目を閉じれば、数刻前のウツシの笑い声が頭の中に響くような気がした。実際に聞こえるのは、沢のせせらぎや風が草木を撫でる音。そして、遠くからかすかに響く大砲の音やモンスターの咆哮。砦での戦いはもう始まっているらしい。
     目を開けば、夜空に浮かぶ満月が煌々と輝いて闇を照らしてくれていた。しかしそれも完全ではない。
     光の届かない闇の中から、ぽっ、ぽっ、と紫炎が現れる。それは迷うことなくメジロ目掛けて飛んできた。翔蟲を使って空中に逃げれば、紫炎に続いて闇から姿を露にしたマガイマガドを眼下に捉える事ができた。ハモンの作戦は成功したようだ。
     お互い視線が交わった瞬間、メジロは落下しながら操虫棍を構え、マガイマガドは地面を蹴って飛びたつ。月光を反射する鋭利すぎる爪を棍でいなし、地面に転がってお互い距離をとる。刹那、メジロが大勢を整えるより先に、マガイマガドの背後で紫炎が爆発したかと思うと高速で距離を詰めてきた。運よく戻ってきた翔蟲で回避する事に成功したが、メジロは肩に痛みを感じ、見れば肩当てが外れており、血が流れていた。まるで雪の上を滑るウルクススのような、いや、それ以上の速さだった。驚いているメジロをよそに、身体をぐるりと回転させると、しなやかな鞭のような尻尾を叩きつけてくる。ビシュテンゴのようだと思ったが、そこまで奇をてらった動きではなく、メジロから見ればまだ読みやすい動きだった。だが威力はすさまじく、尻尾が叩きつけられた箇所の地面は陥没していた。まともに食らえば骨の一本や二本では済まないだろう。
     こんなマガイマガドを目の前にしたメジロの恐怖心は、初めて対峙した時に比べたら欠片しか残っていない程に薄くなっていた。動きは素早く一撃は重い。確かに驚異的な相手ではあった。しかし、このマガイマガドですら、これから狩猟していく数多いるモンスターの中の一匹なのだと思うと、今までの自分の恐怖心は何だったのかと笑いすら込み上げてきそうだった。
     怖くないわけではない。恐怖が無いと言えば嘘になる。先程の突進や尻尾での叩きつけを食らったらひとたまりもない事は実際に恐ろしいと思う。油断などしようものなら、一瞬であの鋭牙の餌食になるのは想像に難くない。
     息も絶え絶えに地面に横たわっていたアオアシラが脳裏によみがえる。
     自分も同じ目にあって堪るか、とメジロは頭を振って操虫棍を強く握った。

     月が沈み空が白む頃、土煙を上げ地面を揺るがしながら倒れたのは同時だったかもしれない。しかし、腕をついて起き上がったのはメジロの方だった。握っていた操虫棍はマガイマガドの喉を貫き、未だ脈打つその身体に突き刺さっている。時期にその鼓動も止まるだろう。
     ──勝った、終わったんだ、知らせないと、教官に、里長、に……。
     フクズクを呼び討伐完了の報告を出したかったが、手に力がはいらずポーチから紙と筆を出すこともままならなかった。こんな時の為に、メジロは自分のフクズクの脚に青い紐と赤い紐を結んでいた。青い紐だけ残して飛ばせば討伐完了に、赤い紐だけ残して飛ばせば救援要請となる。なんとか赤い紐をフクズクから外し里に向かって飛ばすと、メジロは地面に倒れ込んだ。
     猛き炎と紫炎の双炎による衝突は互角を極めた。もしもメジロが恐怖心に苛まれたままだったのなら、今頃地面に立っていたのはマガイマガドだったかもしれない。今となってはお互い地面に倒れているが、最後に勝ったのはメジロなのだ。
     主人が倒れた事に驚いたオトモ達が慌てて駆け寄ってきて何か喚いているが、当のメジロには遥か彼方から響いているような音にしか聞こえなかった。自分を心配するオトモをよそに、おもむろに羽飾りを耳からはずし見てみれば、ビーズの色は一部が剥げ、綺麗に揃っていたはず毛先は毛羽立っている。途端、メジロの目からは大粒の涙が溢れだし、嗚咽混じりの声で泣き始めた。その事にオトモ達はまた驚き、メジロの頭を撫でたり、頬を舐めたりして賢明にあやした。いつものように狩猟に対する恐怖心が今になって溢れ出したと思われているのだろう。
     そうではない。今のメジロにとってモンスターに対する恐怖だとか、怪我による痛みだとかはどうでもよかった。敬愛するウツシから贈られた羽飾りを、自分の狩猟技術が至らなかったが為に、こんなに傷付けてしまった事がなによりも悲しかったのだ。
    「すみません、教官っ、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
     息絶えたマガイマガドの隣で、メジロは子供のように泣き叫びながらやがて気を失った。その手には羽飾りが、ぎゅっと握りしめられていた。


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     ハンターの道に、終わり無し──。
     あれは誰の言葉だっただろうか、とメジロは宙を舞う自分を他人事のように思いながら青く狭い砦の空を見上げていた。もう何度ヌシアオアシラに放り投げられたか、数えるのは止めてしまった。地面に転がる自分を見て心配するオトモの声が砦内に響く。なんとか受け身は取れたが、散々放り投げられたせいで肋骨が何本か折れているだろう。メジロの呼吸は浅く荒いものになりつつあった。
     マガイマガドの討伐の後、身体を休めたメジロは徐々に体力を戻して、再びハンターとして狩猟の日々を送っていた。すっかり里の者たちからは猛き炎と認められ、里守衆等には「あんま無理すんなよ」と笑われる事もあるが、皆がメジロを信頼し、里も活気づいていた。
     そんな中、百竜夜行と共に突如として現れたのがヌシと呼ばれる個体のアオアシラであった。今まで見た事の無いような巨大なアオアシラ。その巨体から繰り出される攻撃は重く鋭く、並のモンスターならば一撃で仕留めてしまう程の威力があった。ただでさえ苦手意識のあるモンスターが巨大で狂暴化しているだなんて、メジロにとってなんという悪夢であろうか。
     しかし、そんな状況でも、里守衆等は怯むどころか逆に闘志を燃やして立ち向かったのだ。この里を守るのだという強い意志があった。それを見たメジロは奮起した。自分も頑張らねばならぬと。
     メジロのモンスターに対する恐怖心は以前より軽くなっているようにみえた。ウツシから贈られた新しい羽飾りが心強い味方であり、狩猟ひとつひとつが終わり無いハンターの道の途中にある通過点と思えたからだ。とはいえ、やはり恐怖心というのはそう簡単に拭えるものではない。怪我をするのも、狩猟を失敗するのも、最悪、死んでしまうのも怖い。それでも一番の恐怖は、自分に何かあった時にウツシが悲しむことなのだ。だから、どんなに怖くともメジロは決して逃げないと自分の心に誓ったのだ。
     なんて、気持ちだけ大層でも技術面が伴わなければ意味は無いのだが……。
     またヌシアオアシラに放り投げられ、砦内の壁に打ち付けられてしまったメジロである。いくら装備を着ているからといって、そして回復薬で傷を癒せても、痛みだけはどうしようもない。呼吸をする度に胸が痛い。そろそろなんとかしてこの狩猟を終わらせなければ。
     たかがアオアシラ、されどアオアシラ──。
     あれは誰の言葉だっただろうか。どんなモンスターにも油断してはいけない、そういう意味が込められていたはずだ。この言葉を言った奴がヌシアオアシラを見たらなんて言うのだろうか。たかがアオアシラ、なんて口が裂けても二度と言う事は無いだろう。
     垂れてきた鼻血を乱雑に手の甲で拭うと、メジロはポーチに手を突っ込む。ヌシアオアシラが突進してくるのに合わせ、その鼻先目掛けて閃光弾を投げた。弾けた閃光に目が眩んだヌシアオアシラは足を止めた。そこを狙って跳躍し、その首に向かって操虫棍を突き刺した──。


     息絶えたヌシアオアシラの処理と、破壊された砦や狩猟設備の修復は里守衆等に任せ、メジロは砦の人気が無い場所でオトモ達と団子になるように身を寄せ合って座っていた。骨は折れているし、血を流し過ぎたせいで貧血気味だ。今になって身体も震え出した。モンスターと対峙している時は狩猟する事に必死過ぎて震える事はなくなったが、いざ全てが終わればこの体たらくだ。己が情けなくて涙が溢れてくる。しかし泣いている場合ではない。早く帰ってゼンチから治療を受けねば。やっとハンターらしい生活に戻れたのに、しばらくは養生しなくてはいけない。
     また小言を沢山言われるんだろうな、とふらつきながらも立ち上がった瞬間、視界が大きく揺らいだ。地面に倒れ込みそうになったところを誰かに支えられる。支えてくれた人物を見上げてみると、前線から引き揚げてきたらしいウツシだった。
    「お疲れ様、よくやったね愛弟子」
     その言葉に安堵した直後、メジロの目から先程まで堪えていたはずの涙が零れ出す。一度溢れてしまったらもう止める事は出来ない。次から次へと溢れ出し、何粒も地面へ落ちていく。
    「教官っ、オレ、勝てました。勝ちました……!」
     嗚咽交じりにそう言うメジロにウツシは優しく微笑みかける。だが微笑む金の瞳は水の膜によって揺らいでいる。
    「本当に、よくやったね愛弟子……」
     ずっ、と鼻を啜りながら、ごめんよ、と顔を逸らしたウツシの頬に、涙が一筋流れていくのをメジロは見逃さなかった。見てはいけないものを見てしまったような気になった。途端、メジロの涙はぴたりと止まった。
     メジロはそっと腕を伸ばして、止めた。今の自分に、ウツシに触れる資格は無い、と思ったからだ。
     今までは、クエストを成功させ、生きて帰ってさえすれば良いと考えていたが、それでは不十分だったのだ。今の自分の力では、ウツシを安心させる事は到底不可能だと悟った。
     今の自分では駄目なのだ。
     ──もっと、教官の為に、もっと強くならないと……!
     メジロは残っていた涙を拭うと、ピシっと背筋を伸ばした。その際、折れた肋骨から激痛が走ったが、なんとか堪えた。
    「ゼンチ先生に治療をしていただくので、本日は先に戻らせていただきます」
    「え、あ、そうだねっ、しっかり治してもらうんだよ。俺はもう少ししたら戻るから」
    「はい、お待ちしております」
     深々と頭を下げ、多少ふらつきながらも足早に砦を後にするメジロの背中に違和感を覚えつつも、ウツシはその姿が見えなくなるまで見送っていた。その金の瞳は、まだ揺らいでいる。


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     砂原という場所は何度来ても慣れない。照り付ける灼熱の太陽と、それが照り返す見渡す限りの黄金の砂。あまりの暑さに防具を脱ぎ捨てたく思うも、太陽光に直に肌を焼かれてしまいそれどころではない。むしろ肌を守るために、汗だくで蒸し焼きになりかけてでも防具を身に纏わねばならぬ。そして、月の光が煌々と降り注ぐ夜間は、昼間とはうってかわって砂原が銀色に輝く様が綺麗だ。あまりにも寒すぎるという現実から一時思考を逸らしてくれる。昼間の日光や夜間の冷たい風から身を守れる数少ない木陰や岩壁、何かの遺跡らしい人工物の陰というのは既にモンスター達がそれぞれの縄張りを主張しており、人間にはとても肩身の狭い場所である。
     そんな砂原で最も慣れないのは、角竜ディアブロスの存在であろう。
     メジロが上位ハンターと認定されてから半年ほどが経った。以前のような狩りに行く時の憂鬱な表情は面影もなく、凛とした表情で数多の依頼をこなす姿はまさに英雄だ、と、里の内のみにあらず、外でも噂されるようになっていた。とはいえ、成果だけ見ている者にはわからないだろうが、まだまだ技術には未熟な部分も多く、ジャギィに小突かれては渋い表情をしている事も少なくない。狩猟が終われば抑え込んでいた恐怖がどっと溢れ、オトモと身を寄せ合って震えが収まるのを待った。今後もハンターとして生きていくのなら、何百何千のモンスターと対峙する事になるのは分かっている。その度にこんな情けない姿を晒していてはいけないのだ。もっと強くなって、教官を、ウツシをいつも安心させられるようにならないと……。そう思って、震える膝を叱咤しながら里へ帰還するのだ。
     そんなメジロが受けた依頼が、角竜ディアブロスの狩猟であった。里の近くでは見かけないモンスターだったために、ゴコクが描いた絵を見ても最初はピンとこなかったが、砂の下から竜巻のような土埃を巻き上げながら姿を現した瞬間悟った、あれはマズい。草食で突進が得意と聞いて、リノプロスを大きくしたようなものだろうかと想像していたが、そんな可愛らしいものではないと明らかに解る。角竜と呼ばれるにふさわしい巨体に見合う大きな二本の凶悪な角。突進の際には目標目掛けてあれを突き刺すというのだから恐ろしいものだ。しかも、ただ大きいだけでなく、動きは俊敏で素早く、それでいて体力もあるためなかなかにしぶとく、攻撃しても怯む気配はない。角を避けて背後に回り込んだとしても、とげとげしい尻尾が槌のごとく振り下ろされ、それにまとも当たってしまえば頭蓋骨は簡単に粉砕されるだろう。その尻尾さえ避けたとしても、振り下ろされた衝撃で巻き上がった砂や石と呼ぶには可愛くない物体が飛んできて、それも避けなければいけない。こんな恐ろしいモンスターが居たのかと、改めて認識させられた。
     何が、とは言わないが、一瞬で持っていかれる、メジロはそう思った。
     砂原での狩猟自体は初めてではなかった。だが乾燥した空気、狭い獣道、泥でぬかるんだ地面、かと思えば灼熱のさらさらの砂漠地帯。慣れない環境での狩猟は思った以上に体力と精神力の消耗が激しい。
     ディアブロスの何度目かの突進を避けたあと、尻尾目掛けて猟虫を飛ばした。モナークブルスタッグという種類の猟虫は、メジロが上位ハンターになったお祝いにとウツシから贈られたものだ。モナークと呼んで可愛がっている。モナークが尻尾に到達した瞬間、ディアブロスの咆哮が響き渡った。耳を塞ぎたくなるほどのその方向は空気を震わせ、脆い岩壁が剥がれ落ちる程だった。その剥がれた岩壁がメジロ目掛けて落下してくる。間一髪で避けたまでは良かった。はっ、と顔を上げれば、こちらへ蜻蛉帰りしてくるモナークの背後に、今まさにこちら目掛けて突進してこようとしているディアブロスの姿があった。
     早く、と急かしたところでモナークの飛行速度が上がるわけでは無い。
     ディアブロスが頭を下げ、足で地面を蹴った。
     メジロは咄嗟に腕を伸ばして目の前まで戻ってきたモナークを掴んだ。同時に操虫棍で飛び上がったが、ディアブロスの翼に引っかかり壁へ叩きつけられてしまう。その後──。

     ──その後、どうなった……?
     見慣れない天井を眼前に、メジロは思考を巡らせた。きょろりと室内を見渡し、ここがテントの中だとわかった。わからないのは、何故自分がここにいるのかという事だ。身体を起こそうと試みるが、全身が鉛のように重く、おまけに脇腹に激痛が走り上手く起き上がれない。
    「気がつかれましたか?」
     急に聞こえた声に驚いてなんとか首を動かしてそちらを見れば、焚火の側に大柄な男が座っていた。褐色肌の身体は逞しく、千歳緑の髪は長すぎず、しかし前髪にいたっては目元を隠すほど重く伸びていた。メジロの方を見ているらしいが、その表情は窺えない。
    「皆さんとても良い子ですね。ずっと、貴方の側にいましたよ」
     なんの話かと思い視線を下げれば、腹の上にはモナークが鎮座していた。足元ではねじねじとまろまゆが寄り添って丸まっている。全身が鉛のように重く感じられたのは、現実の物理的な重さだったようだ。モナークの頭を撫でようと手を伸ばせば、指先も震えていて思うように動かなかった。それでもどうにか触れるとギギッと口をならして喜ぶモナークに、突然視界が滲み、ぼやけてしまった。泣かないと決めていたのに、また泣いてしまった。情けないと唇を噛んで堪えようとするも、涙は次から次に溢れてくる。どうして自分は泣いてしまうのか。こんなにも弱い人間なのだろうか。泣きたくない、そう思うのに、どうしても止められなかった。
     嗚咽を漏らすメジロに、男はゆっくりと立ち上がり、隣に座って頭を撫でた。その手は大きく暖かく、優しかった。男は何も言わずに、ただひたすらに優しく、何度も、何度も、撫でてくれた。その優しさにウツシを思い出し、余計に涙が止まらなくなった。
     ようやく涙も止まり落ち着いてきた頃、メジロはお互い初対面で自己紹介すらまだだった事を思い出した。そして、自分がなぜこの場にいるのかという疑問も。
     メジロが、あの、と声を発するよりも先に、テントの入り口が開いて色白の若い男が入ってきた。腸の処理がされたらしいサシミウオを手にしたまま、ふたりを見て固まってしまった。かと思えば、その表情はみるみる険しくなっていき、ドスドスと音を立てて近付いてくる。
    「オマエっ、ボクが居ない隙におにいさんに何してたッ!」
     怒りの形相で詰め寄られ、メジロは訳がわからずぽかんとする事しかできない。
    「シャチさん、なにもしてませんよ」
    「本当ですか? おにいさんがそう言うなら……」
     若干納得のいっていない不服そうな顔をしながらも、シャチと呼ばれた若い男は引き下がった。
    「すみません、彼はシャチさんです。俺は、おにいさんと呼ばれているので、貴方もそう呼んで下さい」
    「あ、はい。えーと、オレはメジロです」
    「メジロさんですね。よろしくお願いします」
     なにやら不思議なふたりだ、と怪訝な思いが顔に出てしまったのか、シャチにものすごい形相で睨まれ、メジロは肩を縮こませた。
     それから、シャチが取ってきたサシミウオを焼いている間、メジロはこれまでの経緯を聞いた。
     メジロがディアブロスに吹き飛ばされた時、別のモンスターを狩猟に来ていたふたりが偶然側におり、間一髪で救出できたのだそうだ。幸いすぐ側のオアシスにキャンプが設営されており、速やかに治療する事もできた。本来なら救助要請の無い狩猟にはあまり手を出すべきではないが、危機的な状況を見過ごすことも出来ず、お節介とは思ったが手を出してしまった、と。ちなみに、ふたりが狩猟する予定のモンスターはセルレギオスという、メジロはまだ知らないモンスターだった。
     落ち着いた雰囲気のふたり。ふたりとはいえオトモを連れていないスタイル。大小さまざまな傷はあれど手入れの行き届いた初めて見る見た目の武器。焼き上がったサシミウオを食べながら聞かせてもらった、とんでもない数の狩猟の話等々。メジロからすると雲の上のような存在だった。
     なぜそんなに狩猟するのか、と問えば、おにいさんは一瞬考えたあと「じっとしているのが苦手なんです」と答えた。こんなに落ち着いた歴戦のハンターという雰囲気なのに、なんともほっこりさせられる理由だとメジロは思った。けれど、もしかしたら自分と同じなのでは、とも思ってしまう。じっといているのが苦手なのは、何かを忘れる為、考えないようにする為なのでは、と……。
    「狩猟が怖い、と思った事は無いんですか?」
     おず、と問うメジロに、シャチは目に見えて怪訝な表情になった。それは明らかにメジロに対する嫌悪の現れ、とはいかなくとも見下したものだろう。
    「怖くて狩猟できないって人の気が知れませんね」
     ハッ、と鼻で笑うように言われ、それも仕方ない、とメジロは項垂れる。ハンターとして生きていく以上、いつだって危険と隣合わせなのだ。怪我をする事もあるば、時には、死に繋がる事も……。そのひとつひとつに怯えている暇なんてない。理解している、しているが、怖がる事はやはり間違いなのだろうか……。
     おにいさんがシャチに何か言おうと口を開きかけた時、テントを揺らすような咆哮がすぐ近くで上がった。メジロが戦っていた個体か判別は出来ないが、紛れもなくディアブロスのものだ。
    「様子を見てきます」
    「お願いします」
     武器を手に立ち上がったシャチは、テントから出る間際、メジロを一瞥した。まるで「臆病者は残ってろ」と言われているような視線だった。
     テントの中に残ったおにいさんとメジロの間に、若干気まずい空気が流れるも、それを破ったのはおにいさんだった。
    「モンスターというのは、こちらの恐怖心を確実に見抜いてきます。その時の彼等に慈悲は無く、普段よりも格段に、確実にこちらの命を取りに来ます」
     メジロはサシミウオを食べるのを止め、おにいさんの話す内容に、覚えがあるな、と俯く。駆け出しの頃、勇敢に立ち向かうオトモ二匹の横でわたわたしていると、その二匹を無視して自身目掛けて突撃される事がよくあった。あれは『一番狩りやすそうな獲物』を見定めて襲ってきていたのだろう。どうりで良く狙われると納得がいった。モンスター同士の争いではもっとわかりやすい、最初の威嚇でひるんだ方が負ける。爪や牙を交える事無く、たったそれだけで勝敗が決まってしまう事もあるそうだ。威嚇行動すら見せない人間なら尚の事ねらい目だったろう。
    「……あの子は、シャチさんは、何に対しても恐れを成す事無く、立ち向かっていきます」
    「それは、……勇敢ですね」
     まるで自分とは対照的だ、とメジロは心の中で苦笑する。
    「俺は、それが怖いです」
    「え?」
     思ってもみなかった言葉に、メジロは思わず聞き返してしまった。その声が聞こえたのか否か、おにいさんは焚火の方を向いたまましばらくの間黙っていた。重たい前髪で、表情は相変わらず伺う事は出来ない。
    「彼は、双剣使いなのですが、あの武器はモンスターに張り付いて、素早い動きと手数で圧倒するものです。いつ踏みつぶされるとも、噛みつかれるともわからない中、いの一番に懐に飛び込んで、切り込んでくれるんです」
     言葉を考えながらなのか、ゆっくりと紡がれる話に、メジロはじっと耳を傾ける。
    「何度転んでも、吹っ飛ばされても立ち向かい、武器を落としたのなら己の歯で噛みつくような、そんな戦い方をするものですから、狩猟が終わってから、骨折をしていた捻挫をしていたなどの怪我が発覚して、とても、心臓に悪い思いをします。頼もしい子です、本当に。けれども、勇気と蛮勇は違うのだと、そろそろ覚えて欲しいです……」
     パチッ、と焚火が踊り、おにいさんは薪の位置を調整しながら話を続ける。
    「俺たちハンターは、常に死と隣り合わせです。それが己自身なのか、近しい者なのか、どちらにせよ、それを忘れないための恐怖心と、貴方の帰りを待っている人がいることを、心に止めておけば良いと思いますよ」
     ちらり、とメジロの方を向いたおにいさんの前髪が揺れ、その隙間から覗いた金春色の瞳は、メジロが思っていたよりも柔らかかった。そうして、ふっと微笑んだように見えなくもない表情を一瞬した後、再び焚き火の方を向いてしまった。メジロはなんだか恥ずかしくなって、誤魔化すように残っていたサシミウオに齧り付いた。
     メジロ自身の話をしたわけでは無いのに、メジロが狩猟に対して恐怖心を抱いている事を見透かされてしまったのだろう。そして、それは悪い事ではない、とおにいさんなりの励ましだったのだろう。自分にも怖いものがあるというその話し方に、再びウツシを思い出した。他人を否定せず、受け入れてくれる、そういうところが、そっくりだ。
     メジロがサシミウオを食べきったのを見計らい、さて、とおにいさんが壁に掛けていた白い外套を纏う。そろそろ行きましょうか、とヘヴィボウガンを担いだその時、先程のディアブロスの咆哮が響いた。しかし、メジロには聞き覚えの無い咆哮も混じっているような……。
    「セルレギオスとかち合ってしまったみたいですね。俺たちが引きはがしますので、ディアブロスはお任せします」
     淡々と冷静に言い放ってテントから出ていくおにいさんの背中を、メジロは自分の荷物をひっつかんで慌てて追いかけた。メジロが起きてからテントの外で待機していたまろまゆとねじねじは、ようやく出発するのか、と待ちくたびれた様子を見せている。メジロの肩でモナークも羽を鳴らしている。はやく狩猟に行きたいのだろう、本当に頼もしい仲間達だ。
    「今、この場で要請を出してくだされば、俺が加勢しますが……」
     おにいさんが振り返った時、メジロの表情はテントの中で見せていたおどおどした頼りないものではなく、何かを決めた勇ましい顔つきになっていた。おにいさんは少しだけ驚いた顔をしたが、加勢の必要は無さそうですね、と柔らかいものに変わった。

     別れ際、頼み込んで交換してもらった、おにいさんのギルドカードの見た事もないハンターランクに、メジロはまだまだ自分の知らない世界があるのだと思い知らされるのだった。



    -------------------------------------



     イブシマキヒコとナルハタタヒメ。百竜夜行の真の原因であった二体がそれぞれ現れた時、メジロは落ち着いていた。存在そのものが災厄に等しくとも、どんなに驚異的な強さを誇っていようが、害であるなら討伐するだけだ、と。確かに二体の強さは、今まで狩ってきたどんなモンスターと比べてみても計り知れないものだった。ウツシも驚く程の腕前になったメジロといえど、風神雷神の名を冠する存在に危ない場面は何度もあった。オトモのまろまゆとねじねじ、そして猟虫のモナークが怪我を負った時は、相変わらず悲鳴を上げた。しかし大切な家族を傷つけられた悲しみの悲鳴は怒声に変わり、赤い瞳が烈火の如く燃えいた。その怒りは追い風となって、メジロを後押しした。
     多少の怪我を負いながらも無事にそれぞれを撃退してきたメジロを、里の者達は口々に賞賛した。けれども、討伐に至らなかった事を悔しく思う者も少なくなく、それはメジロが一番よく分かっていた。
     ──討伐しなければ意味がない。
     番はお互いを求めて再び相まみえる時が来るだろう、皆その時に向けて──。そんなフゲンの声が響く集会所の中、そのフゲンの後方に立っていたウツシの表情はお世辞にも明るいとは言えなかった。こんな場面で笑顔というのもそれはそれで不自然なのだが、真面目な、というよりかは険しい、或いは曇っているといった方が正しく思える顔つき。少なくともメジロにはそう見えた。しかし、メジロと目が合うと、普段のにこやかな表情に一変する。いつも通りの朗らかな笑みを浮かべたウツシだったが、何かを隠しているのは明白だった。
    「ウツシ教官」
     集会が終わった帰り道、ウツシに声を掛けるメジロだが、続く言葉が出てこなかった。一体何を言えばいいのか分からず、結局は黙ってしまった。引き止めてしまったのだから何か言わねば、と焦る気持ちとは裏腹に、思考と口は全く動いてはくれない。もだもだしていると、ぽんっ、と肩に手を置かれ、顔を上げればいつもの明るい笑顔のウツシが居た。そんな彼の背後から差す太陽の光が、まるで後光のようだ、なんて思い、口をぽかんと開けてしまうが慌てて引き締めた。
    「二体の捜索は俺たちでやるから、きみは普段通り、しっかり食べてしっかり寝るんだよ! 特に、今日はゆっくり休むこと!」
     いいねっ、と勢いよく明るくびりびりと耳に響く声で言われれば、メジロは、はい、と返事をするしかなかった。そんな素直な弟子の頭をガルクにするように、わしゃわしゃと撫で回してから、ウツシは颯爽とその場を離れていった。
     あまりの勢いに、師の背中を見送るしか出来なかったメジロは、しばらくその場で呆然としていたが、やはり違和感が拭えなかった。底抜けに明るいのは普段通りなのだが、その明るさが返って不自然に思えた。その不自然さの原因は自分ではないかと訝しむ。思い当たる事なんか、ひとつしかない。風神雷神を討伐に至れなかった事だ。自分がもっと強ければ、あの時自分が判断を誤らなければ、そもそもこんな事態には陥らなかったのではないか。ぐるぐると嫌な考えばかり浮かんだ。ウツシが自分を責める事など有り得ないという事は頭では理解出来ていても、心がついていかないのだ。ウツシは本当に何も無かったかのように振る舞っている。それがまたメジロを苦しめた。
     ──オレが、ちゃんと討伐出来なかったから……。
     その事でウツシを失望させてしまったに違いない。
     なんの為にここまでやってきたのか、メジロは己の無力さに打ちひしがれていた。撃退しただけでも偉業と呼べる、なんて里の皆は褒め称え、宴まで開いてくれたというのに、根本的な解決には至っていないのでは意味が無い。なによりも、ウツシの笑顔が守れないのなら、どんな賞賛もメジロには無価値に等しい。
     ──次は絶対に逃がさない、例え……。
     ふわっ、と身体にすり寄ってきたまろまゆの行動に、メジロはハッと我に返る。不安げに見上げてくるオトモたち。落ち着いてみれば最近あまり休めていなかったし、装備もあちこちほころんでいる。またゼンチ先生とハモンさんに叱られるな、と苦笑する。
    「教官の言う通り、今日はゆっくり休みましょう」
     メジロの言葉にまろまゆとねじねじは、表情がぱぁっと明るくなり、羽を撫でられたモナークも、ギギッ、と鳴いて嬉しそうだった。

     ハンターズギルドによって風神雷神の捜索が進められる中、メジロは自分も捜索隊に加わろうと思っていたが、それはハンターのする事ではないし、なにより、番の出現により活動的になった古龍と呼ばれる存在の狩猟でそれどころではない、とゴコクに首根っこを掴まれる始末であった。実際、古龍と呼ばれるだけあり、それらの狩猟は一筋縄ではいかず、結局メジロは捜索隊に加わっている暇など無いどころか、自身の休息もままならない程の忙しい日々が続いた。それでも、ギルドやウツシにばかり任せて、自分は何も出来ていないのではないかと思ってしまう事もあった。
     どれだけハンターランクが上がったところで心から喜ぶ事が出来ないと、さっきまで古龍と呼ばれていた息絶えたモンスターの前で、メジロは溜息をついた。
     狩猟を終えて里に帰っても、里や集会所といったいつもの場所でウツシを見かけない事が増えた。もちろん、風神雷神の捜索であちこち飛び回っていて帰ってくる暇も無いのだろう。久しぶりに出会えた時は、今まで溜め込んでいた分を全て吐き出すかのように、狩猟の成果をこれでもかと身振り手振りを交えて褒めてくれる。それは本当に嬉しかった。しかし、メジロと再会する度に、ウツシはやつれているように見えた。ウツシの事だから食事も睡眠も怠ってはいないとは思うが、目の下の隈を見ると、どうにも心配になる。そして、そんなウツシを見る度、申し訳ない気持ちになり、同時に、自分の無力さを呪った。自分が止めを刺しそこねたせいで教官や皆に迷惑をかけているのだと。だから、少しでも役に立ちたいと思うのに、結局自分はこうしてウツシに気を使わせてしまっている。そんな自分に腹が立った。せめて次こそは確実に討伐する為に、少しでも実力を付けねばと、狩猟に明け暮れた。

     そうして、漸くその時は訪れた。
     かつてナルハタタヒメを討伐しそこねた龍宮砦跡、そこを目指してイブシマキヒコが徐々に高度を落としているという。ウツシからの知らせを聞いて、フゲンより改めて風神雷神の討伐を依頼され、メジロは急いで自宅へ戻った。
     ──今度こそ、絶対に……!
     自宅の整理箱をひっくり返す勢いで、狩猟に必要なものを畳の上に並べていく。この数か月休む間もなく狩猟に出ていた為に、薬類の数が明らかに減っていた。狩猟の腕前は上がっているとはいえ、お世辞にも被弾率が低いというわけではなく、特に回復薬はお世話になり続けている。使う量は明らかに減ってはいるが、情けないかもしれないが、やはりこれが無ければ安心出来ない。これはすぐに補充しなければならないと頭の片隅で考えながら、調合のための材料や道具も引っ張り出す。武器に防具に調合の材料に道具、畳の上は足の踏み場もない程になっていたが、片づけは帰ってきてから行えば良いだろう。片隅でねじねじが要らない物を拾い上げてくれているのが、視界の端っこに映った。
     擂り鉢で薬草をすりつぶしていると、控えめに戸を叩く音が聞こえメジロは顔を上げた。開いていますよ、と声をかければ、ウツシが顔を覗かせたのでメジロは慌てて立ち上がった。そして自分の部屋の惨状を見られた事に恥ずかしさを覚え、顔面が蒼白になる。
    「教官!? す、すみません、すぐ片づけますので……!」
    「ははは、気にしなくていいよ、適当に座るから」
     ウツシは苦笑しながら部屋に入り、少しだけ散らかった室内を見渡した後、囲炉裏の側の座布団を手に取りその上に腰を降ろした。
    「しっかり準備しているみたいだね、感心感心」
     そう言って、ウツシはにこりと微笑んだ。姿勢を正して立ったままのメジロに対してもう一度苦笑すると、続けていいからね、と促し、ようやくメジロも腰を降ろす。ちらりとウツシを見た後、おずおずと調合を再開した。風神雷神の狩猟の為の準備を整えていたメジロだったが、ウツシの来訪に動揺してしまい、上手く手が動かなかった。そんなメジロを見かねたのか、ウツシは立ち上がると手を差し出す。
    「貸してごらん、俺がやるからきみは荷造りをしてて」
    「え、と、お願いします」
     メジロは戸惑いながらも、手にしていた道具をウツシに手渡す。ウツシはそれらをひとまとめにして抱えると、勝手知ったる様子で材料を集めると器用に調合していく。その様子を、メジロはポーチに荷物を詰めつつ横眼で見つめた。ウツシの手つきには迷いがなく、メジロがやると時間がかかってしまう作業も、ものの数分で終えてしまう。その速さに驚くと同時に、やはりこの人は凄い人なのだなと再認識した。
     薬草を摘む指先、摺鉢を見つめる伏せられた目と長い睫毛、俯きがちになっている事で垂れた前髪。そのひとつひとつを目で追いかけた。
    「そんなに見られてると、なんだか恥ずかしいな」
     垂れた前髪でメジロから表情は伺えなかったが、はにかんだような照れ方がなんだか可愛らしく見えてメジロはどきりとする。いつもとは少し違う雰囲気に、鼓動が速くなる。
    「すみません」
    「ははっ、キミはいつもすぐ謝るよね」
    「うぅ、すみませんッ」
    「ほらあ、怒ってるわけじゃないんだから、謝らなくていいの」
    「うぅう〜……」
     唸る事しか出来なくなったメジロに、ウツシは本日何度目かの苦笑を漏らした。
    「キミはさ、何に対してもだけどもっと自信を持っていいんだよ。自分の事でも、狩猟の事でも」
     出来上がった薬を竹筒に詰め、調合を終えて道具を片づけ、改めて腰を下ろすウツシに、はい……と消え入りそうな声で返事をするメジロ。その様子を微笑ましげに見守るウツシの顔は穏やかで優しかった。その優しさに、メジロは鼻の奥に、つん、としたものを感じたが、ぐっと堪えた。油断すればすぐに溢れてしまいそうになる己の涙に、メジロは歯を食い縛って耐えた。
     差し出された出来上がった薬を受け取るべく手を伸ばすも、ウツシの手からそれが離れることはなく、メジロは顔をしかめた。が、それも一瞬の事で、ウツシはぱっと手を離して薬の詰まった竹筒をメジロに手渡す。
    「さ、キミの準備が良いなら、今からでも明朝でも見送りにいくよ!」
     パンッ、とメジロの肩をウツシが叩いたのを合図に、戸口の前で今か今かと待っていたまろまゆとねじねじが立ち上がった。その勢いの良さにメジロとウツシが吹き出したには同時だった。
    「今すぐ行けます」
    「うん、行っておいで!」
     そうして、ウツシやフゲン達といった里の者が見送る中、メジロ達を乗せた小型の屋形船は桟橋から離れていく。雲行きは怪しく、荒れる大海原に対して、遠ざかって小さくなっていく船の姿はなんとも頼りなさげに見えた。そんな中でも煌々と燃えるメジロの瞳は、遠ざかって小さくなっていくウツシただ一人を、ずっと見つめていた。それに応えるように、ウツシもずっと手を振り続けていた。
     やがて、ぽつり、一粒の雨がメジロの頬に落ちた。
     雷雨がくる。
     いや、雷雲の真っ只中に向かうのだ。



    -------------------------------------



     雷鳴轟く。大地が揺さ振られる。響く咆哮に岩壁は剥がれ落ち、宙を舞っていたメジロをも地面に叩き落とす。悲鳴は上げなかった。そんな余裕すら無い。一瞬の油断と隙も許されない。
     それは雷神も同様であった。脳天を貫くような突きを何度も食い、羽衣のように美しかった身体や爪はボロボロに砕け、ついに子を宿した腹を何度も殴られ、今まで蟻以下としか認識してこなかった存在に、いま自分は命を奪われているのだとようやく理解が追いついたらしい。
     それでも雷神は、母としての矜持だけは無くさなかった。自らを殺しに来た小さな存在に命乞いをすることなく、飛び掛かってきた其れに対し、最後の力を振り絞って口を大きく開いたのだ。
     雷神・ナルハタタヒメにとどめを刺すべく、その顔面目掛けて飛び掛かったメジロの目の前で光が集まる。集まった光は大きな塊となり、雷鳴を轟かせながらメジロに向かって放たれた。
     ──まずい……!
     避けるならいまこの瞬間しかない、と、引く姿勢に入ろうとしたメジロに対し、猟虫・モナークは臆する事無く光の中へ突き進もうとしていた。その頼もしい姿に、メジロは操虫棍の柄を強く握りしめた。
     ──行こう!
     モナークと共に光の中へ。全身に千切れるような凄まじい熱量を感じ、それが痛みかどうかわからなくなるより速く、メジロの操虫棍が雷神の顎を貫き──遂にナルハタタヒメはその命を絶った。
    「モナーク、戻ってこいモナーク!」
     巨体が地面へと倒れただけで地震のような揺れが起き、揺さぶられた縦穴の岩壁が次々と剥がれ落ちていく。それを避けつつ、急いでモナークを回収しようとするメジロだが、その姿が何処にも見えなかった。落ちていくナルハタタヒメの身体の下敷きになったのか、剥がれ落ちる岩壁に巻き込まれたのか。
     これ以上の滞空は無理だと、メジロが地を目指した時、一際大きな音を立てて崩れ出した天井の岩の欠片がメジロの後頭部を直撃した。突然の事に理解が追い付かないメジロは、衝撃が襲ってきた方を向いた。ぽっかりと開いた穴からは、道中までの雲行きが嘘のように晴天が広がっている。その遥か彼方では太陽が煌々と照っていた。
     ──空が、狭くて遠い……。
     落下していくメジロを、地面で待機していたまろまゆとねじねじがなんとか受け止めたおかげで、新しい外傷が増える事は免れた。
    「モナーク……、帰る、ぞ……」
     薄れていく意識の中で呟くように言うメジロの言葉に、モナークは答えない。

     愛弟子。

     ──ほら、教官も呼んでるから、お前達だけでも帰るんだ、モナーク……。

    「愛弟子」
     はっ、とメジロが目を覚ますと、眼前には狭くて遠い空ではなく、何処までも広がる雲一つない空が広がっていた。記憶よりも少し太陽が傾いている。全身がひどく痛み、上手く動かす事が出来ない。それどころか、手足がくっついているという感覚も怪しい。本当に自分は五体満足なんだろうか。
    「愛弟子ッ!」
     なんとか首を動かして此処がまだ龍宮砦跡だと言う事と、自分の手足がしっかりとくっついている事を確認した。そうして首を一周させたところで、その人、ウツシの姿をメジロの目が捉えた。
    「ウツシ、きょうかん……?」
    「俺がわかるんだね、良かった……!」
     ウツシが目の前に居る。隣に座り込んでこちらを覗き込んでいる。その事実に喜ぶよりも、何故此処にいるのかという疑問の方が先に湧いてくる。確かにウツシに見送られて里を出発したはずなのに。困惑の表情で見つめてくるメジロが何を言いたいのか理解したウツシは、申し訳なさげに、ごめんね、と零した。
    「里で待ってなきゃいけないのは分かってるんだ。もしもの時、万が一に備えて」
     そう、万が一、メジロが風神雷神討伐に失敗した場合は、里で控えているウツシが代わりに討伐に向かう手筈になっていた。メジロの討伐失敗、それは高い確率で彼の死を意味していた。
    「そんな万が一が本当に起こってしまったら、もう一度『愛弟子』を失うなんて事が起こってしまったら、俺はきっと耐えられないッ……!」
     だからウツシは、メジロを送り届けて帰ってきた船頭に無理を言って、もう一度船を出してもらった。桟橋が目視できるぐらいの距離まで近づいた時、砦跡に開いた大穴からマガイマガドが飛び出してくるのが見えて恐ろしい程の不安に駆られた。風神雷神のみならず怨虎竜まで相手となれば、いくら易々と古龍を狩猟できるようになってきたメジロと言えど分が悪いはず。
     どうしても最悪の想像をしてしまう。メジロの兄弟子が無残な姿で戻ってきた時の事を思い出してしまう。ウツシの脳内で、あの時半分潰れてしまっていた兄弟子の顔がメジロの顔に置き換わる。慌てて頭を振って想像を消した。
     そんな事起こるはずがない、いや、起こしてたまるものか、と。
     桟橋にもう僅かという距離で、居ても立っても居られなくなったウツシは飛び出し、そのまま大穴に突入したその時、目の前で光が弾けてあまりの光量に思わず目を閉ざした。そうして目を開けば、地に落ち行く雷神と、同じに地に落ち行くメジロの姿だった。幸いにもメジロはオトモ達に受け止められたようだが、それでも無事とは言い難い。慌てて駆け寄り何度か声をかけ、そうしてようやく安否が確認できて今に至る。
     血濡れたメジロの頬を撫でるウツシの手は震えていた。表情もいつもの明るく頼りがいのあるものとは程遠い。健康的な日に焼けた肌が浅黒く見えるのは、血の気が引いているからだろう。
     本来であれば里に残っていなければいけないというのに、それを破ってまでメジロの許に駆けつける行為は誉められたものではない。ウツシの弟子として、ハンターとして討伐を任されているメジロに対する信頼をも崩しかねない行為だ。それでもウツシはそうせずにはいられなかったのだ。
     メジロはいつの日だったかに出会った、大柄なハンターに言われた言葉を思い出す。
    『貴方の帰りを待っている人がいることを、心に止めておけば良いと思いますよ』
     帰りを待っている人がいることは、重々に理解しているつもりだった。ウツシだけでなく、里にいる皆が帰りをまってくれていると、分かっているつもりでいた。帰りを喜んでくれる人がいると。だが、それはメジロが手柄を立てて帰ってくるから喜んでくれているのだと思っていた。なんの成果も得られない自分に価値はない、とずっと思っていた。ウツシでさえ、それを喜んでくれているのだと信じてきた。泣き虫じゃない、強くていつも手柄を立てて帰ってくる、英雄である自分を、皆が求めているのだと。
     しかし、そんな事を目の前にいるウツシに言えば、きっと叱られるに違いない。そう思わせる程に、ウツシの行動はメジロにとって予想外だったのだ。
     帰りを待っていられない程に、帰りを待っていてくれる人。
     かつて幼い頃の自分も、任務に出かけたウツシがいつ帰ってくるのかと、里の門に張り付いてでも待っていた事をメジロは思い出す。帰ってきてくれただけで嬉しかった事を思い出した。ウツシの今回は行動は、あの時の自分と同じなのだ。いつの日だったか出会った大柄なハンターが言いたかったのは、こういう事だったのかもしれない。
     メジロはウツシの手に自分の手を重ねた。震えっぱなしの手は冷たく、温めるように握りこむ。それでも震えるウツシの目に涙は見えなかったが、その表情は確実に泣いていた。凛々しさの面影も無く、戦慄く唇からは今にも嗚咽が漏れそうになっている。
    「教官、一緒に帰りましょう」
     微笑みながらそう言ったメジロの身体は傷だらけでボロボロだったが、今のウツシにとってはどんな存在よりも頼もしく見えた。唇をぎゅっと噛みしめ、頷くだけで精いっぱいだった。
    「みんなで一緒に……、そうだ、モナークを知りませんか? 呼んでも戻ってこないんです……」
     言われてみれば、常にメジロの側に居るはずのモナークの姿が見えなかった。ウツシは雷神の死骸と大きな岩の欠片が転がっている辺りを見渡し、そして、ちょっと待っててね、とメジロの側をゆっくりと離れた。まろまゆとねじねじに身体を支えられてやっとの思いで上体を起こしながら、どこかへ向かうウツシの姿を追う。しばらく歩いたウツシは一度しゃがみ込むと再び立ち上がり、振り向いたその腕の中にはモナークの姿があった。嗚呼、良かった、と腕を伸ばすメジロだったが、浮かない表情のウツシに様子がおかしい事に気づき、その手が止まる。
     ウツシの腕の中でモナークは仰向けになっていた。立派な大顎は折れて、美しかった羽は収納されず出たままになり、手足は中途半端に腹側に曲げられたまま固まっている。そして、目に光はなかった。
    「……嘘だ、嘘だ、そんな、う、モナーク、モナーク……!」
     メジロの言葉に反応する事なくモナークは動く様子は無かった。その光景を見て、伸ばした腕は絶望したように崩れ落ちる。だが、メジロはまだ諦めていなかった。まだ、生きているかもしれない。そう思い、必死にモナークに声をかける。しかし、何度呼んでも返事はない。
     メジロの嗚咽と、それに呼応するかのように、悲しむように、まろまゆの遠吠えが虚しく響いた。
    「うぁ、あぁああ……!」
    「……里に帰ったら、お墓を作ってあげよう」
     動かなくなったモナークと、それを抱きしめるウツシにしがみ付きながら、メジロは何度も頷いた。

     里に戻ってきたふたりの姿に皆が沸き立ったが、布に包まれた猟虫の事を知ると、祝賀会よりも先に葬儀を行おうという話になった。最も勇敢だった者を見送る為に、里の皆が集まってきた。最も勇敢だったその猟虫は竹で編まれた籠に布に包まれたまま収められ、先に旅立っていった歴代の猟虫や翔蟲達が眠る墓地に埋葬された。
     ──今までありがとう、皆によろしく……。
     戦友が収められた籠に自ら土をかぶせながらメジロが発したその言葉は、隣にいたウツシの耳にはっきりと届いていた。
     ひとり、またひとりと皆が祝賀会会場へと移動していくなか、最後までその場にとどまり続けたメジロの手を、ウツシはずっと握っていた。



    -----------------------------------


     メジロが風神雷神を見事討伐してから二月経った。全身に打撲や軽い火傷を追っていたがそれも回復し、現在は落ちた体力や筋力を戻す訓練に日々励んでいる。風神雷神を討伐したからといって脅威がなくなったわけではない。モンスターは里の周辺のみならず、世界中どこにだって存在している。メジロが未だ見た事も聞いた事もないようなモンスターも。そんな脅威達から里や困っている人を助けるのが、ハンターとしての今後の自分の使命だとメジロは考えている。
     ハンターの道に終わりはない。
     それはオトモたちも同じであった。メジロや、これから成長していくハンター見習い達の為に、自分たちも成長しなくてはと、オトモ広場で訓練に明け暮れていた。
     その中にメジロの姿もあった。激しい運動はゼンチやウツシから止められているので、里の中を散歩がてら歩き回ったり、軽い柔軟を中心とした運動をしている程度だった。それでも、オトモ達とじゃれ合いながら、体力の回復や狩猟の勘を取り戻していった。
    「やぁ、愛弟子。遅くなってごめんね」
    「ウツシ教官ッ」
     ウツシは、オトモ広場の端っこでひとり柔軟をしていたメジロに声をかけた。途端、メジロの顔はぱっと明るくなった。もしもガルクのように尻尾があったのなら、激しく振り回していたに違いない。
     最近のメジロはよく笑うようになった、とウツシは感じていた。屈託のない、というには若干困っているようにも見えるが、笑顔を作るのが下手なだけで、あれで本人なりに笑顔のつもりなのだろう。とはいえ、暗めの表情が多かった昔に比べると、今の笑顔が見れるのはなんとも言えない嬉しさが込み上げてきて、つられてウツシの顔も自然と綻ぶ。
    「おやつのうさ団子と、こっちはハチミツ水だよ」
     風呂敷包みとは別に取り出された竹筒を受け取ると、メジロはそれをしっかりと握りしめる。
    「ありがとうございます。では、参りましょうか」
    「うん、そうだね」
     オトモ広場の端にウツシが育てている翔蟲用の小屋があった。ここで育てられた蟲たちはメジロはもちろんのこと、里の者たちにも日頃から世話になっている。その小屋の奥に、蟲達の墓地があった。蟲の一生というものは、人から見るとほんの一瞬と呼べる程とても短い。その為、彼等一匹一匹の墓というものはないのだが、代わりに大きな石を積み上げて墓標のようなものが建てられる。
     今日はモナークの二度目の月命日になる。
     墓の前にしゃがみ込むと、メジロとウツシはまず手を合わせた。そして竹筒に入ったハチミツ水を供える。モナークだけでなく、蟲たちは皆ハチミツ水が大好物だった。だから皆で分けられるようにと多めに用意してきた。
    「毎回付き合ってくださって、ありがとうございます」
    「かまわないよ、俺もこうして蟲達のお墓参りが出来るからね」
     しばらく黙祷を捧げたのち、ふたりはオトモ広場の大木の間に掛けられた橋の上に並んで腰を降ろしていた。ウツシが買ってきたうさ団子の包みは、まだ広げられていない。メジロは時折チラリと横目でウツシを見やる。すると視線に気付いたウツシもまた、こちらを見て微笑み返すのだ。しかし目が合う度に恥ずかしそうに目を逸らしてしまう。何か話があるのだろう事はわかるが、無理に聞き出そうとはせず、ウツシは「そういえば」と口を開く。
    「今更の疑問なんだけど、キミはどうして操虫棍を選んだんだい?」
     多種多様な武器の中からメジロが選んだのは操虫棍だった訳だが、長年その事に対してウツシは疑問を持っていた。決して文句を付けたいわけではなく、ただただ好奇心からくる疑問であった。
     メジロは少し目を泳がせたあと、観念したようにゆっくりと口を開いた。
    「もともと蟲が好きだったのもあるんですが、そのぅ、教官が……」
    「うん、俺が?」
    「蟲を触っている教官の姿が好きだったんです。蟲達に対する慈愛に満ちた顔や、楽しそうな声に俺はいつも幸せを感じていました。つまり、オレは、教官が好きなんです」
    「へ?」
     思ってもみなかった答えにウツシの声は裏返った。そしてメジロは、頬を赤く染めながらそのまま続けた。
    「風神雷神討伐の時、オレは討伐さえ出来れば喜んで貰えると思っていました。例え、刺し違えてでも、今度こそ討伐を成功させれば、きっと教官が喜んでくれると」
     メジロの言葉に思わず反論を出しそうになったウツシだったが、でも、と続けられた事で、ぐっ、と堪えた。
    「でも、教官がオレの後を追ってきてくれた時、結果よりも、オレ自身が教官の許に戻らないと意味がないんだと思ったんです。それに、死んでしまったら、オレの考えや気持ちを伝える事が出来なくなるって気づいたんです」
     メジロは俯いていた顔を上げ、ウツシを見つめていた。その表情はどこか決意に満ちたものだった。
    「貴方が居たから、貴方の為に、オレは今日までハンターとして生きてこれる事が出来ました。貴方じゃなかったら、オレはきっとここまで成長出来なかったかもしれません。貴方はオレにとっての太陽なんです」
     そう言って、メジロは微笑んだ。ゆっくりとウツシの手に自分の手を重ね、それ以上の事はしなかった。それ以上は、ウツシに委ねるつもりなのだ。
     何も言わなくなったメジロの前で、ウツシは顔を真っ赤にして目を瞬かせていた。しきりに視線を泳がせたかと思うと、目を見開き、その目には涙の膜が貼っていた。その様子にメジロはぎょっとして、思わず手を離す。しかし、完全に離しきる前に、ウツシに握り止められた。
    「いや……その……あのね、今、凄く嬉しくてさ。こんな気持ちになった事ないんだよね。だからちょっと戸惑ってるというか。まさかキミが俺と同じ事を思ってくれてたなんて思わなかったから」
     そう言って鼻をすすった後、メジロの手を握る手に力を込めた。
    「あの子を、キミの兄弟子を失ってからというもの、沈んだ俺を必死に元気づけようとしてくれるキミを見てたらさ、ああ、俺がしっかりしないでどうするんだって、泣いてちゃ、駄目なんだっ、て……!」
     涙と嗚咽のせいで言葉は途切れがちだったが、それでも懸命に伝えようとする彼の様子に、メジロも胸を打たれたのか、目尻に涙を浮かべながらうんうんと何度も頷いた。
    「俺の世界に明るさを取り戻してくれたキミは、まさに猛き炎で、俺の太陽だよ!」
     頬を涙で濡らしながらにこりと笑うその顔に、丁度陽の光があたり、溢れる涙が光を反射して輝いていた。
     ──嗚呼、本当に、この人こそが太陽だ。
     ウツシの涙を指で拭ってやるメジロもまた、頬を涙で濡らしていた。
    「教官、泣かないで。泣かないでください」
    「ははっ、以前もキミはそうやって俺を慰めてくれたね」
    「そうでしたっけ?」
    「うん、そうだよ。そうだったよ……」
     お互いがお互いの涙を拭い合う事で、ふたりの距離は自然とどんどん近づいていく。
    「オレの気持ち、教官が思っているような綺麗なものじゃないかもしれませんけど……」
    「構わないさ、キミの気持ちならなんだって嬉しいよ」
    「そんな事言われてしまったら、オレ……」
     ゆっくりと近づいてくるメジロに、ウツシはそれを受け入れようと目を閉じたが、不安定な橋の上に座っていたために体勢を崩し、鈍い音を立ててお互いの顔がぶつかった。あまりの衝撃にウツシは口を押さえ、メジロは鼻を押さえながら距離を取った。メジロの唇には血が滲んでおり、自分の口の中に血の味が広がった事で、ウツシも唇を切ったのだと気づく。
     しばらく呆然とお互いの顔を見ていたが、どちらとも無く吹き出し笑い合った。オトモ広場全体に響く程の笑い声に、眼下に居たオトモ達がなんだなんだと見上げてくる。それを気にする事なくひとしきり笑うと、お互いの顔を見つめ合う、そうしてまた腹を抱えて笑い合った。
     何度かそんな事を繰り返したいる間に、興味を無くしたらしいオトモ達がちりじりになった頃には、ようやくメジロとウツシも落ち着き出した。そして、今度こそ、唇をそっと重ね合った。


     メジロが風神雷神を討伐してから四月経った。落ちた体力や筋力はすっかり回復し、今では操虫棍を振り回して自在に宙を舞える程になっていた。しかし、その肩に猟虫の姿は無い。
    「やあ、愛弟子。もう復帰目前だね」
    「ウツシ教官」
     訓練の様子を見に来たウツシにメジロは笑顔で応えたが、ウツシが抱えている竹籠に気づいて目を丸くした。それはしきりにガタガタと動いており、中に何かいる事は明白だった。
    「教官、それは?」
    「俺からの復帰祝いだよ」
     ほら、と蓋を開けられた籠の中に居たのは、頑丈そうな大顎とメジロの顔を映し出すほど艶やかな甲殻を身に纏ったモナークブルスタッグだった。急に視界が明るくなった事に驚いているのか、ギギッと鳴いている。
    「モナークッ!」
     長い時を一緒に過ごしたかつての戦友とは違う個体だと理解は出来ても、そう呼ばずにはいられなかった。ウツシによって訓練済みのそれは、メジロが合図を送ればすぐさま肩に飛びついてきた。居心地悪そうに羽を出し入れしたり、顎を動かしていたが、背を撫でてやればようやく落ち着きを見せ、メジロを新しい主と認識したらしい。久しぶりに肩に感じる重さが、こんなにも心地良いのかとメジロの頬が綻ぶ。
    「ありがとうございます、教官ッ!」
    「来週の復帰に間に合って良かったよ。それで、呼び方はそのままにするのかい?」
    「はい、やっぱり慣れ親しんだのが一番だと思うので」
     よろしくなモナーク、と呼び掛けても、まだ自覚がないらしい本人はとくに反応を見せなかったが、それでもメジロには嬉しかった。
     来週の復帰が今から待ち遠しかった。それはメジロのオトモのまろまゆとねじねじも同じ気持ちで、しきりにポーチの中身を入れたり出したりして確認をしたり、いつもより走り込みの距離が長くなったりと、とにかく浮かれていた。
     こんなにも、狩猟が楽しみだと思えるようになるなんて、新米の頃の自分が知ったらどんな顔をするだろうか。
    「茶屋に行こうよ愛弟子。教官もうお腹ぺこぺこだよぉ」
    「こんな時間ですもんね、すぐ仕度します」
    「ははっ、急がなくても大丈夫だよ」
     時刻は正午。ふたりのことを、太陽が天高くから煌々と照らしていた。


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    ここまで読んで下さりありがとうございます。
    ふやりの初夜編や、ここに載せていない分や、おまけのどすけべなどを収録した文庫本を、11月末に発行予定です。
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