きみに花束を贈れたらいいのに なあなあ、ここの新作食ったことある? そう言って差し出されたスマートフォンの画面には、何度か丸井くんと二人で行ったことのある喫茶店のホームページが映っていた。
「ううん、食べたことない」
どんなの? と聞く前に、丸井くんは画面を二回ほどタップして、新作のメニューが載っているページを表示した。たっぷりの生クリームが添えられた、バニラアイスと苺の乗ったパンケーキの写真が大きく映し出され、見ただけで少しお腹が空いてくる。値段の横に載っている、きらきらと装飾された季節限定の文字が目を引く。
「じゃあさ、今から行こうぜ」
言いながら、丸井くんは微笑んで俺の顔を覗き込む。一瞬どきりと心臓が高鳴った。大丈夫、ばれてない。俺は友達だから、ちょっと顔が近いくらいでどきどきしちゃいけない。
そして、どうしよう。もちろん行きたい。でも、今日は家でゲームしようって話だったから、財布の中をちゃんと確認してない。確認してないんだけれど、千円しか入ってない気がする。さっき見せてもらった画面には、パンケーキは九百円と書いていた。帰りの電車代、足りるかなあ。
「ごめん、ちょっとお金あるか見るね!」
かっこ悪いなあ、でもお金がなくなって帰れないなんてもっとかっこ悪いし。そう思いながら財布を出そうとする俺の右手を、丸井くんがぐいと掴んだ。
「いいって、俺が誘ったんだし。たまには奢ってやるよ」
掴まれた手首が熱い。思わず、わ、と振り払うと、丸井くんは少し気を悪くしたのか、なんだよ、と小さく眉をひそめた。
「あっ、えっと、その……丸井くん、手、熱いから! びっくりしちゃった!」
「……そうかあ?」
慌ててなんとか取り繕うが、丸井くんはかえって怪しく思ったようで、いぶかしげに俺をにらんできた。そして、もう一度腕を掴んで引き寄せると、今度は手のひらを重ねて指を絡ませながら、「ジロ君のが熱いぐらいじゃねえ?」と、なんでもないように言ってみせた。
きっと丸井くんにとっては、本当になんでもないことなんだろう。顔を近づけるのも、こんな風に手を繋ぐのも。俺が勝手に驚いたり、慌てたり、どきどきしているだけだ。……というか、こんな感情を持つ前は、俺だって平気でやっていた気がする。
「まあいいや、行こうぜ」
そう言うと、丸井くんは、ついてこいよ、と言わんばかりに一歩先を歩き出した。悪いからいいよ、そう断ろうと思っていたはずなのに、気づけば、うん、と頷いてその背中を追っている自分がいた。
「二名様ご案内します」
綺麗な高い声とともに、ウェイトレスのお姉さんが通路を歩いていく。小さなテーブル席を指し示して、こちらのお席へどうぞ、と微笑んだその人に軽い会釈をしてから、席に着いた。
「食うのは限定のやつでいいよな? 飲み物どうする?」
丸井くんは頰杖をついて、テーブルに広げたメニューを眺めている。
「んー、俺、今日は水でいいや」
「なんだよ、遠慮してんの?」
「ち、違うし! なんとなくそういう気分なだけ」
「ふーん、別にいいけど。じゃあ俺はキャラメルラテにしよ」
言うのと同時に丸井くんは呼び出しボタンを押した。ピンポン、と機械音が響く。少し向こうから、お伺いします、と薄く声が聞こえて、十秒もしないうちにさっきのお姉さんが注文を取りにやってきた。
この限定の苺のやつ二つと、キャラメルラテ一つ。丸井くんが言った注文を、お姉さんが復唱する。かしこまりました。苺とアイスのパンケーキがお二つ、キャラメルラテがお一つですね。メニューお下げ致します。流れるような言葉の後、お姉さんはメニューを持って店の奥に消えていった。
「お、あっちも美味そうだな」
丸井くんは水を一口飲んでから、壁に貼ってあった来月の新メニューを見て頬を緩ませた。どこどこ産の栗を贅沢に使った……という宣伝文句と一緒に、栗とマロンクリームがあしらわれたパフェの写真が写っている。
「次はあれ食おうぜ」
丸井くんは、にっ、といたずらっぽく微笑んで、今度はジロ君の奢りで、な? と付け加えた。ただそれだけのことなのに、また胸が早鐘を打つ。それを隠すように、もちろん! と明るく返事をした。
「お待たせ致しました」
他愛のない話をしているうちに、目当ての品が運ばれてきた。焼きたての温かなパンケーキの匂いと、バニラアイスと苺の甘い香りが混ざり、食欲をそそる。ご注文は以上でお間違いないですか、というお決まりの言葉に、少し食い気味に、はい、と返事をして、伝票がテーブルの端に置かれるのを視界の隅に入れる。丸井くんはもうナイフとフォークを手に取って、いただきます、とパンケーキを口に運んでいた。
「うっめえ、今回のは当たりだな!」
丸井くんは、一口分に切り分けたパンケーキに、アイスと生クリームをたっぷり乗せて、ぱくりと口に放り込む。幸せそうな表情に、見ているこっちも顔がほころぶ。
「……なに、なんかついてる?」
丸井くんは、面白がられていると思ったのか、少し不機嫌そうに表情を歪ませる。
「あ、えーと、美味しそうだなーと思って……」
「はあ? お前も同じの頼んでんだろ」
さっさと食えよ、と促され、俺もようやく自分のパンケーキに手をつける。パンケーキを一口分に切り分けて、生クリームと苺を乗せ、口に運ぶ。甘い生クリームの中に、苺のさわやかな酸味が引き立つ。そんな生クリームと苺の冷たさと、バニラアイスが染み込んだパンケーキのほのかな温かさが口の中で混ざり合った。美味しい。飲み込むと、喉の奥に優しい甘みが広がっていく。
「あ、っはは」
もう一口、とパンケーキを切り分けたところで、丸井くんが声を出して笑い出した。
「なになに、どうしたの」
「いや、……美味しそうだなーと思って?」
あ、見られてたんだ。頬に熱が集まっていくのがわかる。俺のことなんか見てないで早く食べなよ、と、言えた義理じゃない言葉を口にすると、丸井くんは、いや、ジロ君だって俺に同じこと言ってただろぃ、と楽しそうに笑った。
くすくすと笑う丸井くんから目をそらし、火照っていく頬を冷ますように、ぐいと水を口内に流し込む。恥ずかしいと思う自分と、でも幸せだな、と思う自分と、そんな気持ちも含めて、全部他人事みたいに見ている自分がいた。
丸井くんは笑いながら、なんだよ、と少し挑発的に言った。たぶん、俺が拗ねて黙っているんだと思っている。あながち間違いでもない、のかもしれない。べつに、なんでも。言いながら、切り分けたパンケーキを口に運んだ。
「お待たせ」
丸井くんは、両手にコップを持って、オレンジジュースのペットボトルとポテトチップスを脇に抱えたまま、器用に背中でドアを閉めた。丸井くんの家にお邪魔するのも、もう何回目だろう。部屋の真ん中に敷かれているベージュのラグには、俺がはじめに遊びに来た時にはしゃぎすぎてこぼしたジュースの染みがまだ残っていて、見るたびに申し訳ない気持ちになる。
「じゃーん、新作」
丸井くんはそう言って、最近発売されたパーティーゲームのソフトを俺に見せた。
「俺はもうチビたちとちょっと遊んだけど、ジロ君は?」
「はじめてはじめて! すげー、楽しみ!」
まあ、丸井くんと一緒に出来るならなんでも楽しいんだけど、という言葉は飲み込んだ。新作が楽しみ、っていうのも、嘘ってわけじゃないし。
そんな俺の思考はよそ事に、丸井くんは、おう! と慣れた手つきでゲームを起動させた。楽しげなBGMが部屋に響いて、テレビ画面には賑やかなデモムービーが映る。丸井くんがコントローラーのボタンを押すと、タイトル画面に切り替わった。ぼんやり眺めていると、ほら、とコントローラーを手渡された。
「そっちじゃないってジロ君!」
「……あっ」
俺の操作していたキャラが、画面の外に落ちて消えていく。もうこれで三回目だ。あーあ、俺このゲーム苦手、と、コントローラーを放り出して、三角座りして膝に顔をうずめる。丸井くんは、なにやってんだよ、と言いながら、大声をあげて笑っている。
「はー、ほんとジロ君好きだわ」
笑いすぎて涙が出たのか、丸井くんは目をこすりながらそう言った。その言葉の意味は、考えなくてもわかる。面白いから好き。友達としての好き。
「……俺も、丸井くんのこと好きだよ」
「あはは、そりゃどうも」
こんなタイミングで言ったって、気付かれないことくらいわかっている。それでも、丸井くんがあんまり屈託無く笑うから、なんだか騙しているみたいで、罪悪感で胸が締め付けられるみたいだった。
「あ、なくなっちまった」
丸井くんは、いつのまにか空になっていたポテトチップスの袋をぐしゃぐしゃに丸めながら、まだあったはずだから取ってくる、と言って立ち上がった。ありがとう、と言いながら、部屋を出るその背中を見送る。ばたん、とドアが閉められ、ひとりぼっちになるのと同時に、泣き出したくなるような孤独感に襲われる。
丸井くんはこんなに優しいのに。一緒にいるとこんなに楽しいのに。なんで俺はそれだけじゃ足りないんだろう。
俺の好きは、キスしたり、抱きしめたりしたいほうの好きなんだよって言ったら、丸井くんはどう思うんだろう。きっともう会ってくれない。もしかしたら、口もきいてくれないかもしれない。
本当は、何回も何回も、うるさいって怒られるくらい、大好きだよって言って、つぶれちゃうくらいぎゅってしたい。それで、わかったよ、そんなにしたら苦しいだろ、って、あきれたみたいに笑ってほしい。でも丸井くんは、そんなの嫌だよね。だって、気持ちわるいもんね。わかってるよ。わかってるのに。ごめん。ごめんね。好きになってごめん。