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    kurage_honmaru

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    kurage_honmaru

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    RPFレッドドラゴンより、第二夜のあとの幕間妄想
    人をよく見ているエィハと、媛と夜散歩する婁震戒の話。少し物騒。

     ――――「仕事柄、こういったことも起こり得ます。あなたが気に病む話ではない」
     ――――「私が果たすべき役目を果たしたまでのこと」
     
     そう少年に伝えた男を、少女は黙って窺っていた。間合いを探るように、機を推し測るように、ただ黙ってその両目で見つめていた。


    * * *


     傷が、疼く。
     こぼれかけた呻きを噛み殺しながら、暗殺者・婁震戒は瞼を上げる。瞬きの間の微睡みから覚めると、眠る前と変わらない部屋が目に入るとともに己の状況が即座に思い起こされる。
     ここは不死商人・禍グラバがハイガに構える要塞の一室である。玻璃がはめられた窓から見える夜半過ぎの空には細い月が昇り、雲の切れ間から幽かな光を投げている。人の世の騒乱など素知らぬとばかりに、夜の世界はただ静謐の中にあった。
     〈赤の竜〉の狂乱から始まる騒乱――――彷徨える岩巨人の討伐、融資の名目で黄爛が持ちかけた経済圏買収、ドナティア司教による皇統種擁立宣言、革命軍指導者が扇動する武装蜂起。ニル・カムイは今や日を追うごとにその情勢を変えつつあった。街を歩けば、次はオガニが火を噴くに違いない、さてそれは何日後か、などというやや不謹慎な冗談混じりの賭けが耳に入ってくる。それらの喧騒も、帳が下りた夜にあっては嘘のように遠い。

     そこまで思考が巡ったところで、再び傷が疼いた。寝台に身を横たえたまま、婁は眉を寄せながら左の肩口を見遣る。当然、そこには腕などない。中身の詰まっていない袖がただ垂れ下がるのみだ。出血は止まり膿むこともなかったとはいえ、腕が千切れた傷痕は時折熱を持ち、脈と共にその存在を主張してくる。その煩わしさに、婁の口からはため息が落ちる。
     千人長・祭燕から受け取った〈楔〉を交渉材料に禍グラバから五行躰を買い付けたものの、さしもの不死商人もその支払いと注文に見合う品を用立てるには数日の時が必要だった。義手の到着を待つ間は、気まぐれに押し寄せる痛みをいなすより他ない。

    「痛むか、婁よ」
     不意に己が主の愛しき声が響く。婁は半身を起こし、右腕に抱える妖剣・七殺天凌へ思念で語りかける。
    「媛。申し訳ありません、お耳汚しでしたか」
    「いいや? むしろどのような声で鳴くものか愉しみにしていたのだがな。まぁおぬしにしては珍しい顔が見られた故、よしとしよう」
     妖剣からの揶揄いの響きが混じる声を受け、婁の目には安堵が滲む。不興を買うことは避けられたようだ。
    「ご所望とあらば、媛がお求めの声を差し上げましょう。痛苦の喘ぎが甘露となるならば幸いです」
    「ほう、言うではないか。そのように返せるならば心配は要らぬか。甘露というならば、おぬしの腕もわらわを潤す糧となれたのだ。よもや未練などあるまい?」
    「無論にございます。しかし腕が爆ぜた折は媛にお悦び頂けましたが、今はそれが叶いません。その点は口惜しく感じております」
     己の返答を聴きクスクスと笑いをこぼす主の様子に、婁は柔らかく微笑む。調査隊の前では決して見せない表情だった。

     禍グラバは調査隊の面々へ出身国ごとに部屋を割り当てた。各勢力内での情報共有や密談を見越した心配りからの選択だろうが、婁にとっては己が主とふたりきりになれる場を得られたことが何より重要だった。言葉は思念で交わせようと、それだけでは満ち足りないものがある。
    「まぁ戯れはさておき、痛みが引かぬようであれば少し歩いて気を紛らわせぬか?」
     主からの声に、妖剣を伝いかけた婁の右手が止まる。戯れではないと、主へと寄せた唇へ昇りかけた言葉を飲み込み告げる。
    「……少しばかり痛むことは確かですが、不死商人の居城をそぞろ歩くよりも媛のお声に耳を傾ける方が、余程良薬になろうというものです」
    「わらわの声を聴くのであれば、歩きながらでもできよう? わらわがおぬしと歩きたいと言っておるのだがな?」
    「媛がそう仰せとあらば。すぐに身仕度を整えますので、しばしお待ちください」
     その声に否と返す選択は婁震戒に存在しなかった。甘やかな時はしばしお預けとなったが、仕方あるまい。七殺天凌を寝台に横たえ包まっていた毛布から抜け出すと、婁は寝台の近くに脱いだ皮鎧と靴を片腕で器用に身につけていく。その様子を眺める妖剣から愉しげな気配が漏れているのを感じ取り、主から見えないよう婁は口元に苦笑を浮かべる。
     どこまで解ってやっているのだろうか。


    * * *


     そうして特に行く宛もなく始まった夜歩きは、しかし長くは続かなかった。
    「婁」
    「ええ」
     気配を感じ見遣った先の暗がりには少女がいた。獣とつながる、金の眼の少女が。
     おそらくは待ち構えていたのだろう。焦る様子が窺えない少女は、暗殺者を貫くように見据えている。
     この要塞はつながれものも移動し易いよう、通路も広く頑丈な造りになっている。少女とつながる犬狼にも窮屈そうな様は見られず、少女がひとつ合図を送れば、即座に駆け出すことが窺える姿勢だった。
     ちょうど通路の明かりが少ない区画である。いざ事を構えるとすれば、窓からの月明かりが絶えた闇に乗じ一息に仕留めるのが得策か。

     視界の端で周囲の状況を探りながら視線は少女へ向け、暗殺者は口を開く。
    「エィハさん、このような時間に奇遇ですね。あなたも眠れないのですか?」
    「訊きたいことがあるの」
     返る言葉は無愛想で端的なものだった。
    「あなた、あれはどういうことなの」
     あれ、とは。そう返しながらも、向けられている話に婁は心当たりがあった。
     元より獣の少女と暗殺者には接点らしい接点がない。関わり合いになることを互いに避けているともいえる。そんな相手から向けられる話であれば、彼女の主――忌ブキに関わるもの以外にないだろう。
     そうなると一つ、覚えがあった。正午過ぎのことだったろうか、昼食のために顔を合わせた折に、忌ブキが婁へ頭を下げ詫びたのだ。婁の左腕がそうなったのは自分のせいだから、と。


     「僕がイズンを……岩巨人を…………殺せなかったから」
     俯きながら絞り出された声を聴き、妖剣と婁はふたりきりの思念でひっそりと笑い交わしていた。
     シュカから旅立って間もない頃は「殺す」と口にすることすら躊躇い、この島で見るには甘過ぎる「誰も犠牲にならない平穏」を夢見ていた小童が、少しは言えるようになったものだ。多少は地に足をつけて変わったと見える。そのきっかけはもう一人の皇統種か、革命軍か、隣に立つ獣の少女か、どれを喰らって絶望を与えれば、より味が引き立つか、と。
     愉しげに響く主の声を胸に秘めたまま、婁は忌ブキへと答えを返した。
     「仕事柄、こういったことも起こり得ます。あなたが気に病む話ではない」
     なおも続けようとする忌ブキの言葉をやんわりと遮ると、婁は会話を終わらせた。
     婁にとって左腕の喪失は己の失態を補った結果であり、主を強く悦ばせることが叶った名誉ですらある。皇統種に情けをかけられるようなものではない。
     「私が果たすべき役目を果たしたまでのこと」


     あのやり取りの間、確かに獣の少女は皇統種の傍に控えていた。ただ黙って、金の両眼で暗殺者を見つめていた。
     ああ、と思い当たった風を装い、婁はエィハへ言葉を返す。
    「どういうことかと問われても、言葉通りとしか答えようがありませんね。私が腕を失くしたのは忌ブキくんの責任ではありません。負い目を感じる必要はないと、お伝えしたまでです」
    「忌ブキのことは同感よ。忌ブキは優しすぎるから、負わなくていいことまで負ってしまう。わたしが訊きたいのはそこじゃない」
     静かな声が響く。
    「あなたの主は、本当に黄爛なの」
     黄爛があなたの主なら、片腕を失ったあなたに何か接触するでしょう。だけどあなたは腕を失ってからもひとりのまま。腕のことだって、なんとも思っていないなんて嘘。むしろ楽しんでいるように見える。あなたの果たすべき役目は、誰のための役目なの。獣の少女は立て続けに問いを投げかける。
     ――――鋭い。内心で薄く笑いながら、婁はエィハの問いに耳を傾ける。おそらく、少女の問いは確信のある警戒ではない。しかしそれはそのまま、理屈抜きの直感でこちらの深みまで察知される恐れを意味していた。
     あの苛立たしい黒竜騎士と言動が読めない不死商人に気を回していたが、少女も同等の警戒対象だと認識を改める。黄爛との接触については、犬狼の眼で探っていたのだろう。猿芝居の一つでも打つべきだったか。

     そんな心中を出すことなく、婁は答える。背に負う妖剣は興味深げに沈黙したままだ。
    「さて、唐突な質問ですね。どうお答えしたものか。エィハさんはそれを聴いて、どうなさるつもりですか?」
    「忌ブキに、何をするか解らない人を近寄らせたくない」
    「ご安心を。遠からず離れることになるでしょう。元より〈赤の竜〉の調査任務が終わるまでのチームです。任務達成までの間、忌ブキくんともエィハさんとも、仲良くしたいと考えていますよ」
    「ねぇ、話を逸らさないで。わたしには解るの。あなたはわたしと同じ。仕える者で殺す者。なにより」
     つながっている者。暗殺者のはぐらかす受け答えへ、獣の少女は真っ直ぐ告げる。
     いつの間にか、細い月は雲に飲まれ、通路はほぼ闇の中にあった。わずかな明かりを反射し光るのは、金色と赤色。獣の少女と暗殺者の眼。そして。

    「あなたの眼、その剣と同じ色をしているのね」

    「エィハさん」
     暗殺者は変わらず穏やかな声で答え、目を細めながら獣の少女へと歩を進める。殺気を見せることなく、穏やかに。殺気など、仕留める刹那にこぼれるだけで十分だ。話す中で間合いを探り、既に目の前の少女を斬り捨てる用意は整っている。残すは、主の許しのみ。
    「あなたはとても鋭い眼をお持ちですね。それはあなたの主を守るためにきっと必要なものです」
     もはやその場は要塞の通路ではなく、獣が待ち受ける夜の洞穴と等しかった。
     一歩一歩、音も立てずに距離が詰められていく。
    「ですが、行動は些かばかり向こう見ずと言わざるを得ません。あまり他人の懐に踏み込み過ぎると、火傷をすることもありますよ?」
     あと二歩。しかし。
    「しないわ」
     獣の少女の落ち着き払った声に、暗殺者の足が止まった。それを見た少女は続ける。
    「わたしがあなたなら、今はわたしを斬らない。まだその順番じゃない。失くした腕の代わりもない。それで十分な働きができるとは思えない。
     あなたは、主へ果たす役目でそんな風に手を抜く人じゃない」
     違うかしら。その問いに、婁のみに聴こえる甘やかな声が笑う。
    「これは一本取られたのぅ、婁や」
    「媛」
    「ならぬ。ここでその娘を斬ることは許さぬ。抑えよ」
    「……承知致しました」
     最愛の主から許しが出ない以上、この場で婁から仕掛けるという選択はなくなった。先程まで雲に隠れていた月が顔を出し、朧げながらも通路に影が落ちる。潮時だろう。

     黙りこくる暗殺者を前に、獣の少女は言う。
    「……忌ブキに危害を加えない限り、誰かに何か言うつもりはないわ。あなたの主は黄爛なのか、そうじゃないのか、知りたかっただけ」
     誰が忌ブキの敵になるのか、確認したかっただけ。そう告げる少女に婁は薄く笑ったまま返す。
    「なるほど。擁立された皇統種の見方については、意見が合いそうですね」
    「そうね。あなたがあの皇統種を狙うなら、それを止める気はないわ」
    「それはどうも、ありがとうございます。エィハさんとこんなに言葉を交わせるとは思いもしませんでした。刺激的な時間でしたよ」
     話を終わらせようとする暗殺者に、少女は口を開きかける。しかしそれを見越したように、声が続く。
    「言ったでしょう。遠からず離れることになる、と。それまでもその先も、あなたはあなたの主にただ一心に尽くせばいい。私とて同じことです。私たちは、そう在ると決めた者なのですから」
     では失礼します。その言葉で斬り捨てるかのように、暗殺者は踵を返し去っていく。後には少女と、彼女を気遣うように頭を寄せる犬狼だけが残された。

    「…………平気。大丈夫よ、ヴァル」
     暗殺者の姿が完全に見えなくなってから、エィハはヴァルの頭を撫でる。自分自身を落ち着かせるように、何度も。
     あの暗殺者がここで事を構えると思っていたわけではない。けれど、もしその事態になったとしたら斬られていたのは自分だっただろう。忌ブキの敵を見定めるためとはいえ、危ない橋を渡っていたことが今になって認識される。余計なことを考えるまいと頭を振り、小さな声でもう一度固く誓う。
    「忌ブキが望む未来を掴むために、わたしは生きる。あの子の剣になるんだ」
     エィハの声を聴き、ヴァルは再び頭を寄せる。無理をするなと気遣うようだった。その鼻先を軽く撫で、心配いらないわと繰り返しながら、冗談めかしてエィハは言う。
    「ヴァルと私の眼がもっと見えるようになったら、危険な人にもっと早く気付けるかしら」


    * * *


     部屋に戻るや、婁は妖剣を寝台へ静かに置き、無言のまま皮鎧と靴を脱ぎ始めた。その背に揶揄う響きの声がかけられる。
    「婁、婁よ。一体何を拗ねておるのだ。おぬしが望んでいたように、そぞろ歩きは早々に終わらせたではないか」
    「……お気付きでしたか」
    「うむ。おぬしの抵抗が随分可愛らしく愉快だったのでな、つい遊び心が起きた」
    「……左様ですか」
    「なんじゃ、その程度で拗ねたか? でなければ、あの娘に一本取られたことか? おぬしの主がわらわと知られたところで、あの娘には何もできまいよ」
     そうではありません。妖剣に背を向けたまま手を止め、低い呟きが静かに返る。

    「御身と私の眼が同じ色だと。それはかつて、私が媛から頂いた御言葉です。
     あの娘にそれをなぞられることに、些かばかり苛立ってしまいました。そのせいで早まりかけたことを、今悔いています」

     その答えを聴き、妖剣はしばし沈黙する。次に婁へ聴こえてきたのは笑いを堪えるような声音だった。
    「……ふふ。なんじゃ、そこか。おぬしは本当におかしな奴よ」
     向こう見ずとはどちらのことやら。主の言葉を聴き、返す言葉もないと言わんばかりに婁は項垂れる。しかし続く言葉に、婁の目には光が灯り、妖剣を振り返る。
    「ならば、どこぞの誰かに多少なぞられた程度で苛立つことのないよう、わらわがまた囁いてやろう。さっさと寝支度を整えぬか」
    「……! 今すぐに」

     言うが早いか、片腕とは思えない速さで婁は支度を整える。寝台へ潜り込み、妖剣へ愛しげに指を這わせるその姿に、妖剣はころころと笑う。
    「のぅ、婁や。眼の色に触れられたくないのであれば、仮面でもつけてはどうじゃ? 多少は誤魔化せるのではないか?」
     妖剣はいつものように戯れを囁いただけだった。婁もそれを察して柔らかく笑む。
    「いつか纏うことがあれば、そのように致しましょう」

     月はふたたび雲に覆われた。ふたりが交わす睦言を聴くものはいない。





    〈了〉
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