やまねこさがし高校2年の秋。
僕、花沢勇作は修学旅行で北海道を訪れた事で過去の記憶を、死の間際に立てた誓いを思い出した。
次に生まれてくる時は、戦争のせいで心が壊れてしまった兄様を救いたい。
兄様もきっとどこかで生きておられる。
今の世に戦争はないけれど、ひとりぼっちで寂しい思いをされていらっしゃるかもしれない。
兄様と出会った北海道に行けば、必ず出会える。
そんな予感がして、僕は親元を離れ北海道の大学に進学する事を決めた。
今の両親は僕の気持ちを尊重してくれる人たちで、僕は第1志望校の法学部に無事に合格し、春から北海道で一人暮らしを始めた。
大学では小学生の頃からやっているバスケットボール部に所属しつつ、兄様が働いていそうな場所はないかと求人サイトを見る毎日を送っていた。
その頃に同じ法学部に知っている顔を見かけたので僕と同じように過去の記憶を持っていたらいいな、と思って声をかけた人がいた。
それが、鯉登音之進君だった。
鯉登君は剣道部で、バスケットボール部とは体育館をシェアして使っている事もあり、すぐに仲良くなった。
残念ながら過去の記憶は持っていなかったけれど、僕に心を開いてくれて一緒に遊んだりする間柄になった。
そんな時、僕は遂に見つけたんだ。
アルバイトの求人担当のところに鶴見と書かれているホームセンターがあるのを。
ここだ。
兄様は絶対ここで働いていらっしゃる。
何の根拠もなかったけれど、アルバイト先を探していると言っていた鯉登君も誘って応募していた。
面接は鶴見さんではなく、鶴見さんの部下だった月島さんとだった。
月島さんがいらっしゃるという事は、もしかして……。
面接が終わってお店の休憩室から店内に戻った時、僕の胸は高鳴った。
休憩室に続く、従業員しか出入り出来ない扉の入口近くにいた、お店の名前が入った紺色の上着に黒のスラックス姿の男性。
上着には『尾形』と書かれた名札がついていて、その方は髪型は僕の記憶の中のものとは違うけれど、黒目がちで色白のお顔は僕の知る兄様のお顔だった。
兄様……!!!
一瞬目が合い、僕は大声を出しそうになるのを堪える。
鯉登君みたいに記憶がない可能性だってある。
ここは慎重に……。
「あのっ、すみません、鯉登君が終わるまで、どのようなお仕事をされておられるのか聞いてもよろしいでしょうか?」
月島さんとの面接が終わり、月島さんが鯉登君のところに行かれてから、僕は兄様に話しかけていた。
「俺の仕事、って事ですかね」
あぁ、お声も同じ。
素敵な低いお声。
兄様……!!!
「はいっ、教えてください!!」
「……そうですね……」
兄様はお仕事の事を話して下さり、お店の商品の知識がとても豊富で素晴らしかった。
「こんなに沢山の商品があるのにひとつひとつ覚えていらっしゃるなんて凄いですね」
「長く働いていく中で身についていっただけの事です」
謙遜される兄様を、僕はとても素敵だと思った。
「僕、採用されたら尾形さんの下で働きたいです!!」
感動のあまりこう言ってしまった僕に、兄様は髪を掻きあげながら少し笑って下さった様に見えた。
それから少しして、僕は鶴見さんから採用のお電話を頂き、兄様と一緒に働ける事になった。
鯉登君も採用されて、初めての出勤はふたりでお店に向かった。
初日は月島さんからオリエンテーションという事で入社するにあたっての書類の記入や仕事をする上でのお話を聞くという流れになっていた。
「ロッカーはこちらです」
休憩室の中に更衣室もあって、用意された僕の名前のシールが貼られたロッカーの隣には兄様のお名前があった。
こんな偶然があるなんて、とてもとても嬉しくて、
「わぁ、尾形さんの隣だ。嬉しいなぁ。月島さん、今日は尾形さんとお話出来ますか?」
と、つい気持ちを抑えきれず言ってしまった。
「そうですね、オリエンテーションが終われば可能かと思います」
「やったぁ、尾形さんとまたお話出来るんですね!!」
兄様と呼んではいけない。
そこは堪えられたけれど、僕は喜びまでは抑えられなかった。
それから制服の紺色のエプロンに着替えて2時間ほどのオリエンテーションを受けて休憩していると、兄様が休憩室に現れた。
「尾形さん!」
僕はいてもたってもいられなくて、休憩中だからいいかと思い兄様の傍に向かってしまった。
「尾形さん、これからよろしくお願いいたします!!」
「あぁ……よろしく……」
あぁ、兄様。
僕を見て髪を掻きあげながら僕に応えて下さった。
早くもっと仲良くなりたい。
早く兄様とお呼びしたい。
休憩後、僕たちは月島さんから店内の地図をコピーしたものを頂いてどこにどんな商品があるのかを少しずつで構わないから覚えるように言われて、次回からの出勤日を決めてその日は終わった。
「ありがとうございました」
初日から兄様に会えるなんて、すごく嬉しかった。
「はぁ、緊張した」
更衣室でエプロンを脱いで着替えていると、鯉登君が言った。
「花沢はずっと楽しそうだったな。というか、あの尾形さんっていう人と知り合いなのか?」
「あ、うん、知り合いというか、面接に来た時に少しお話して素敵な人だなって思ったから今日会えてすごく嬉しくなってしまって」
「そうなのか……」
鯉登君に記憶があれば、僕がどうしてこんなにも気持ちが高揚しているのか分かるだろう。
そういえば、鶴見さんや月島さんはどうなんだろう。
そして、兄様も。
確かめられないかな、まだ。
でも、今日も兄様と少しの時間でもいいからお話したい。
「鯉登君、悪いんだけど僕、尾形さんに聞きたい事があるから休憩室に尾形さんが来るまで待とうと思ってて」
「分かった、じゃあ私は先に帰るぞ」
「うん、気をつけて」
着替えた後、鯉登君は月島さんに見送られて帰っていった。
誰もいなくなった休憩室で、僕は教科書を読みながら兄様が来るのを待っていた。
「勉強熱心だね」
そこに、鶴見さんが入ってくる。
「お疲れ様です」
「尾形主任を待っているんだってね。彼はあと15分くらいで退勤だよ」
鶴見さんは自販機のコーヒーを渡しながら笑顔で言った。
「そうなんですね」
頂きます、と言って僕はコーヒーに口をつける。
「兄上に会えて嬉しいかい?」
聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で言われ、僕は鶴見さんが過去の記憶を持っている事を確信した。
「勿論です。兄様と本当の家族みたいになれたらいいなと思っています」
「そうしてもらえたらこちらとしても安心だよ。尾形主任とは10年以上前に再会して以来ずっと一緒に働いているが、相変わらずだからね。まぁ…君を探していたからかもしれないが」
そう言って、鶴見さんは僕にくれたのと同じ自販機のコーヒーに口をつける。
兄様が僕を?
それが本当だったらすごく、すごく嬉しい。
「私も今は家族に再会出来て穏やかな日々を送っているよ。だから君たちにも過去とは違う明るい未来が来て欲しいと願っている」
「ありがとうございます、鶴見さん」
鶴見さんは僕に社員である兄様、宇佐美さん、月島さんには過去の記憶がある事を教えてくれた。
「じゃあ、私はお先に失礼するよ」
「はいっ、ありがとうございました!!」
鶴見さんが着替えていなくなってすぐ、兄様が休憩室に入ってきた。
「尾形さん、お疲れ様です!!」
「花沢さん、もう退勤したのでは?」
兄様の僕を見る目が少し驚いている様に見えた。
「すみません、尾形さんとお話したくて待っていました」
「……そうですか。少し待っていてください」
髪を掻きあげた後、兄様は更衣室に入って5分ほどで戻ってきてくれた。
「俺と話したいなんて、変わってますね」
「そんな事ないです、尾形さんは素敵な方ですよ!」
どうしよう。
兄様が過去の記憶を持っておられるのを知っているのに、どう切り出していいのか分からない。
「……あの時もそう言ってましたっけ……」
言葉を続けられずにいると、兄様がボソッと言った。
「!?」
音量が小さくてよく聞き取れなかったけれど、もう一度言ってくださいとは言えなかった。
「いえ、こちらの話です。で、今日はどんな話を聞きたいのですか?」
「え、えーと……」
結局、兄様とは仕事の事でお話は出来たけれど、肝心のところは話せなかった。
兄様も、僕が記憶を持って生まれてきたのかどうか気にしてくれていたらいいな、と思った。
オリエンテーションの日から間もなくお店の中で勤務する日がやって来て、僕は鯉登君と学校が休みだった事もあり、1番早い時間帯のシフトで出勤した。
兄様は閉店作業があるので少し遅めの出勤だと鶴見さんに言われ、僕は兄様が来るまでの間は鶴見さんに仕事を教えてもらう事になった。
鶴見さんが気を利かせて下さったみたいで、僕は兄様の下で働ける事になっていた。
「今日からこちらで働く事になりました、花沢勇作と申します。アルバイト自体初めての事なので至らない点が多々あると思いますがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
朝礼で鶴見さんに挨拶をするように言われた僕と鯉登君は、先輩方を前に緊張しながら挨拶した。
先輩方は温かく僕らを迎えてくれて、特に女性の先輩方からは困った事があったらすぐに聞いてねという言葉をかけて頂いた。
お店が開店すると、鶴見さんが僕に一番よく聞かれる事やする事の多い仕事を教えて下さり、その後は今日は納品の日という事で僕は商品の場所を覚える為にもなると言われて品出しをしていた。
品出しをしていてもお客様をお見かけしたら笑顔でご挨拶するように教えて頂いていたのでそうしていたら、女性のお客様にたくさん話しかけられるようになってしまい、なかなか仕事が進まなくなっていく。
中高一貫の男子校に通っていた僕にとって、女性はどう接していいのか分からなくて、大学でも苦労していた。
「すみません」
お昼時だからかお客様の姿が少し減り、ようやく品出しに専念出来ると思った時だった。
「はい、いらっしゃいませ」
僕はまた、女性のお客様に話しかけられた。
「一緒にカーテンを選んで頂きたいんですけど」
「カーテンですね。只今担当者を呼びますので……」
教えてもらったばかりのインカムでインテリア担当の方を呼ぼうとした時だった。
「あなたがいいんです、お願いします」
そう言われて、手を握られた。
えっ、こういう時どうしたらいいのかな。
上手く断らないとお店に迷惑をかけてしまうかもしれないし。
「お客様」
そこに、兄様がいらして下さった。
「申し訳ございません。当店ではこのようなサービスはやっておりませんので、どうぞお引き取りください」
兄様は女性と僕の間に入ると、僕が掴まれた手を離して下さった。
「ちょっと、あなた何なの、失礼よ!!こっちはお客様なのよ!!!」
「あ〜、いるんですよね、お客様だから何でも許されると思っておられる方。生憎ですが当店では対応致しかねます。寧ろお客様がうちのアルバイト従業員にした事、防犯カメラからの映像で確認出来ると思いますので強制わいせつ罪という事で警察に届けられますがどうされます?」
怒っている女性とは対照的に淡々と話す兄様。
僕を助けて下さった兄様がとても素敵で、僕はますます兄様に尊敬の気持ちを募らせた。
「尾形さん、先程は助けて頂きありがとうございました!!」
その後、兄様と一緒に品出しをして退勤した僕は倉庫で在庫を調べていた兄様に声をかけていた。
「ああいう迷惑な客、結構いますから気をつけてください」
「はい、すみませんでした」
「もうよろしいですか?もう少ししたら他店に在庫の事で連絡する事になっているんですが」
「あっ、あの……」
今日は少ししかご一緒出来なかったから、まだお話したい。
そんな気持ちが僕にすごい事を言わせた。
「今度、尾形さんと一緒にご飯に行きたいので連絡先を教えて欲しいです」
「……いいですよ。俺でよければ」
兄様は一瞬驚いた顔をした後、髪を掻きあげて黒のスラックスのポケットからスマホを出して下さった。
「ありがとうございます!!!」
連絡先を交換出来た。
嬉しくて、嬉しくて、つい大声になってしまった。
「相変わらず大きなお声ですね……」
と、兄様はまた僕が微妙に聞き取れないくらいのお声で何かひと言仰った。
『食事、いつ行きますか?』
兄様からメッセージが届いたのはその日の夜だった。
『僕は夜ならいつでも大丈夫です、尾形さんに合わせます』
兄様から僕にメッセージを下さるなんて。
僕は喜びを噛み締めながらすぐに返信した。
『明後日、同じ時間帯の勤務ですが終わったら行けますか?』
兄様からもすぐにお返事が来る。
そんなに早く行けるなんて……!!!
『行けます、よろしくお願いいたします』
それでやりとりは終わってしまったけれど、僕の心は躍った。
ずっと憧れていた、兄様とのお出かけ。
それが明後日には叶う。
あぁ、着ていく服、どうしたらいいかな。
ここはお洋服に詳しい鯉登君に相談してみよう。
早速僕は仕事に着ていけて、少しお洒落に見える服を買うならどういうものがいいのか鯉登君にメッセージで相談し、翌日の部活の後で鯉登君が前に教えてくれた服屋まで買いに行った。
『上が白のTシャツで下はグレーのパンツ、夜はまだ寒いから黒いカーディガンとか羽織ればいいと思う』
迎えた当日、鯉登君は剣道部の大会があって休みだった。
教えてもらったコーディネートで仕事に行き、女性の先輩方に可愛いとかかっこいいとかすごく似合ってると褒めて頂いた。
鯉登君、すごいなぁ。
「おはよ、花沢君」
エプロンに着替えて更衣室から出ると、社員の宇佐美さんが休憩室でコーヒーを飲んでいた。
「宇佐美さん、お疲れ様です」
「今日、何か楽しい予定でもありそうだね。お洋服、買ったばかりなのが分かるよ」
「はい、今日は……」
「百之助が着替え持ってきてるの見ちゃったからどういう風の吹き回しかと思ったら……そういう事か」
僕が言う前に、宇佐美さんは兄様と僕が約束をしている事に気づいた様だ。
「花沢君、次は兄弟仲良くね」
「はいっ、勿論です……!!!」
笑顔の宇佐美さんに、僕も笑顔を返していた。
今日は仕事中も仕事が終わっても兄様と一緒。
仕事では僕は男性の先輩から閉店までにする事などを教えて頂き、兄様とはほとんど接触する事がなかった。
『尾形さん、内線3番にお電話です』
『今向かいます』
時々インカムから兄様のお声が聞こえてくる度、ここで一緒に働ける事のありがたさを感じた。
「尾形さんってさ、資材担当なのに腕力あんまりないんだけど仕事すごい出来るからかっこいいんだよな」
先輩に閉店作業を教えて頂きながら進めていると、その先輩が突然兄様の事を話しだす。
「そうなんですね」
確かに兄様は過去でも狙撃手としての腕は素晴らしかったけれど、腕力も必要な接近戦は苦手だったと思う。
あの頃の兄様と同じなんだ。
でも、もう、兄様にあの頃と同じような思いは絶対させない。
「ま、力仕事はオレたちバイトがやればいい話だし、宇佐美さんや月島さんも手伝ってくれるから別にいいんだけど。そういや、花沢君は……」
先輩が知っている、お仕事中の兄様の姿。
僕もこれからたくさん知れたらいいなぁと思った。
閉店作業も終わり、待ちに待った時間がやって来た。
『皆の前であなたを車に乗せると何かと面倒な事になりそうなので、退勤したら近くのコンビニに向かってもらえますか?』
というメッセージを出勤する少し前に頂いていた僕は急いで着替えて兄様の言う通りにしていた。
『駐車場に着きました。黒の乗用車でナンバーが……』
兄様にと思って缶コーヒーを買っているとメッセージの通知音が鳴ったので、僕は会計を済ませて早足で駐車場に向かった。
外に出ると、兄様が灰皿が置いてあるスペースで煙草を吸っていらした。
「花沢さん、一服するので助手席に座って少し待っていてください。鍵、空いてますから」
「は、はい」
僕は言われた通りにお車の助手席に座らせて頂き、兄様が来られるのを待った。
全身黒のお洋服の兄様はすごく大人な雰囲気で、お仕事の時とは違うかっこ良さがあって、僕は兄様の事をずっと見つめてしまっていた。
「お待たせしました」
「いえっ、そんな、あっ、これ良かったら……」
運転席に乗り込む姿もかっこ良い兄様。
僕はさっき購入した缶コーヒーを渡した。
「ありがとうございます」
兄様はすぐに缶を開けて飲んで下さる。
「俺の知ってる店でいいですか?」
「はい、楽しみです!!」
兄様は仕事帰りによく行くという定食屋さんに僕を連れて行って下さった。
お店にはそんなに沢山のお客さんがいる訳でなく、すぐに席に着くことができた。
「ご馳走しますので、お好きなものを食べてください」
「そんな、申し訳ないです。自分で払います」
メニューを眺めながら話す兄様にこう言われ、僕はすぐに言葉を返したけれど、
「……ここは兄に出させて下さい。再会の祝いです」
と、続け様に言われた言葉に、僕は心臓の音が大きく高鳴ったのを感じた。
「兄……様……」
嬉しさで胸がいっぱいになって、ついずっと呼びたかった呼び方で呼んでしまった。
「勇作さん、よく俺を見つけられましたね。俺は10年以上経っても見つけられずにいたのに」
髪を掻きあげながら話す兄様。
兄様も僕の事を探して下さっていたなんて……!!!
「あにさま……嬉しいです。再びお会い出来た事、こうして一緒にいられる事、兄様が僕を探して下さっていた事が……」
話しているうちに涙が出てきて、止まらなくて、僕は手で顔を覆った。
「勇作さん、こんなところで泣かないでください」
「ず、ずみばせん……」
鼻水まで出てきてしまったので、テーブルにあったティッシュで鼻を噛む。
それから、僕は兄様と同じ日替わり定食をご馳走になり、帰りもアパートまで送って頂いた。
兄様には、仕事以外の時は兄様と呼んで構わないと言われて、これからは時間が合えば食事をしようと誘って頂けた。
これからはずっと、兄弟ふたりで仲良く生きていけるのだと思うと、僕はこれからの毎日は幸せで満ち溢れたものになる事を確信した……。