1話「ちから」聞こえてきた怒鳴り声に、まどろみからゆっくり体を起こす。こんなにも気持ちの良いコーストエリアでなぜそうも苛立つことができるのか。
木陰の花畑から目を凝らすと、うなだれる部員と、去っていくスグリの後ろ姿が見えた。
「……よぉ、がんばってんねぇ」
部員に声を掛けると、彼は小さな声で、辞めようと思ってます、と呟いた。
エリアをだらだらと歩きながらスグリを探す。大して遠くまでは行っていないはずだ。彼は何か言い捨てる時ばかり速足で、しかし動きはいつも遅い。
ただそれでもなかなか見つからず、やはりまた寝ようかと思ったところでようやく、砂浜のヤシの木にもたれ、手持ちに指示を出している彼を見つけた。
カキツバタが声を掛けるよりも先に、いやに俊敏な動きでその顔がこちらを向く。
「さすがチャンピオン様は精が出るねぃ」
笑みを浮かべて近付こうとすると、彼はわざとらしく、いかにも下らない奴が来たとばかりに目をつぶってみせた。それからするりと顔を背け、手元でボールを操作し手持ちを仕舞いながらヤシの木から離れ、砂浜を歩きだした。その歩き方はいつもの—最近の—彼らしく、急ごうとしているように見えてその実、足元のおぼつかないものだった。ゆえにカキツバタが大股でザクザクと進めば容易に追いつける。
「チャンピオン様、逃げないでくだせぇよぉ」
スグリはわざわざ聞こえるように溜息を吐いてからゆっくりと振り向いた。
「何?」
「いやね、我らが最強チャンピオンスグリ様がさっき責めてた部員くん、辞めちゃうかもよ」
「それが? 付いてこれないなら辞めればいい」
「かわいそうじゃないかぃ。これで何人目よ?」
「努力不足の何がかわいそうって?」
「努力も才能のうちって言いますでしょぉよ。それぞれのペースってものがあるんさぁ」
ハッ、とスグリは笑った。
「カキツバタみたいに? 努力の才能がありませんって言い訳?」
「おおぅ?」
「努力の才能がありません、だから弱いままです、それで良いんです、それが良いんですって? 何のために部活やってんの? 3留してるのに弱いカキツバタが未だにそんなこと言ってていいの?」
「……んー……」
腰に手を当てて挑発的に喋るスグリを見下ろす。
「……最強チャンプ様は、皆にそういう言い方してるのかい」
「……そうだけど? カキツバタまで傷ついたとか下らないこと言い出すわけ? そういう甘えた精神も俺にも負けるほど弱い原因の一つなんじゃない?」
「……スグリよぅ」
身を屈め、上から覗き込むようにしてスグリに顔を近付ける。
お前さん、いい加減にしとけよ、とでも言うつもりだった。
自分の陰に入った、自分よりも一回り小さなスグリの全身に走った僅かな怯えの気配を見つけなければ。
「何、カキツバタ」
一瞬確かに泳ぎそうになった目が、カキツバタを睨む。
隈、充血。
「……いや」
身を起こし、スグリに背を向ける。背後から音のない呼吸の気配がした。
「最強チャンプ・スグリ様は、もう少し人に優しくなった方が良いと思いますがねぃ。これ3留してるオイラの老婆心ってやつ」
「……」
ひら、と振り向かないままに手を振り、そしてまた気持ちよく寝られそうな場所を探しに、カキツバタはだらだらと歩き始めた。いつもは空を眺める方が好きだが、今日は足元で蹴飛ばした砂の方の動きが気になった。
きっと、自分にはスグリに今の行為を止めさせることそのものは可能だったのだろう。
しかし、それをやればその瞬間、何か別の、もう戻れないルールに変わってしまい、その責任を自分が負うことにもなっただろう。
ルールを変えたいわけではないのだ。あくまで変わりたくないから、変えてほしくないのだ。
(今度、栄養ある夜食でも奢ってみようかねぃ)
あるいはこれが、留年したゆえに生じた、もしくは留年する原因となった、弱さだろうか。
カキツバタは再び、心地の良い花畑に寝転んだ。