無垢なくちびる「キスしてもいいかい」
不意にアベルの手が頬に触れた。どうしたのかと目を合わせれば眼前の綺麗なその人はアビスにそう問い掛ける。キス──問いかけられた言葉の中の単語を拾う。キスとは親密な関係の者がするものではないか。他人との交流を避けざるを得なかったアビスにとって一生縁のない行為だと漠然と思っていた。そもそも崇拝するアベルとしていいもの、なのか。目の前のアベルがなぜ自分などにそう問いかけるのか、よくわからない心持ちだった。なんで、アベル様が。思考はあっちこっちにとんでいるのに答えるべき肝心な言葉は出てこない。彷徨わせた瞳を前に向ければ澄んだアメジストがこちらを見ていた。その視線に抗えず言葉の用意ができていないのに思わず口を開く。キスなんてしたこともない、想像をしたことも、望んだことも。だからしてもいいかなんて自分に問われてもよくわからなかった。好きにしてくれて構わない。アベルがしたいと望むなら尚更。アベルの望みなら全てこの身で叶えて差し上げたい、なんだって。そう思ったら自分の唇は小さくはい、と二文字を返していた。
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