キ夢「えっ、そ、それしか食べないのか」
「もうお腹いっぱいで」
全然減ってないじゃん、という言葉は飲み込む。彼女の皿に盛りつけられたクロワッサン、スクランブルエッグ、焼いたハムやソーセージ、サラダ諸々3分の1程度しか減っていない。「残った分は夜に食べるね」と言って皿にラップをしようとする彼女の手を慌てて止める。
「えーとその、もうちょっと食べない?」
「もうちょっと?」
「あッ…温かいやつ!卵とかソーセージとかそういうのは今食べた方が美味しいぜ!」
彼女はきょとんと目を丸くして、じゃあと言ってソーセージを口に運んだ。胃の小さい彼女の食事の量を無理強いするのはよくない、よくないけれど、彼女の皿に盛った食事はただでさえ少ない量だったのだ。色んな味を満遍なく食べれるようにと少しずつ盛り付けたが、オレが思う以上に彼女は小食だった。
「…あ、お昼ごはんに持っていこうかな」
「そ…ッ、そうだな、そうしよう」
そう言って彼女は自身のランチボックスに残った朝食を詰め始めた。本当は今日の昼は外食に誘いたかったがしょうがない。一気に食事の量を増やしたら間違いなく体調を崩すだろうし、そのせいで食事に対する嫌悪感を持たれてしまったら本末転倒だ。恋人のオレがかろうじて関われる領域、「彼女の食事量を増やす」という所は無遠慮にずかずかと踏みこむにはあまりにもデリケートな部分だ。だけどナックルシティには美味しい食事を出すカフェもレストランもデリもいっぱいあるし、少しでもいいからそういうものも口にしてほしいというのも恋人としての純粋な願いだった。じゃあどうやって切り込むべきか?オレの淹れた紅茶をニコニコしながら飲んでる彼女は「濃くておいしいね~」とかなんとか言ってて、その一言だけで彼女の前の生活を連想してしまって涙が溢れそうだった。茶葉多めにしてよかった。ミルク後入れしても美味いぜと教えてやるとどこかウキウキした様子で試している。顔を覆って泣きたい気持ちだ。オレにとっては紅茶を淹れるなんて些細な出来事でもこんなにも喜んでくれる。
相当な貧しい生活を続けていた恋人の喜んだ顔をもっと見たいというのはエゴでもなんでもない。当然の権利。食事量の少ない彼女の健康状態の改善は勿論、笑顔を見るためにオレのすべきこと。成すべきことは定まった。
「これカロス地方で有名なパン屋のブリオッシュだって。一口食べてみなよ」
「これカブさんから貰った土産のお菓子。好きな味じゃないか?」
「今日はオレさまが実家でよく食べてた料理作ってみたんだ。味見してくれないか?」
「お中元で甘いお菓子貰ったから食べないか?どれ食べたい?」
「カントーの郷土料理チャレンジしてみたんだけどどう?」
オレはとにかく色んな食事を彼女に食べてもらうことにした。
押し付けがましくならないように、恩着せがましくならないように、気後れさせないように。彼女がたくさん食事を取れるようになれればいいとついのは二の次。色んな美味しいもの食べて欲しいというのはオレのエゴだけど恋人の喜ぶ顔が見たいというのはエゴじゃない。いやもうエゴとかエゴじゃないとかどうでもいい。美味しいね、って笑ってくれる彼女の笑顔見たさで、オレはあらゆるデリや貰い物、お菓子、レトルト、ファストフード、時にはオレが作った食事などあらゆるものを彼女に食してもらった、もちろん少ない量を。まぁオレの考えなんて彼女はとっくのとうにお見通しかもしれないがいいじゃないか。せっかく恋人に昇格して、恋人になる前は「悪いから」と断られていたあれこれの差し入れや一緒の食事ができるようになったのだから。オレの提供する食事の中にもし彼女が好む味付けや料理があるのなら次の食欲に繋がるかもしれない。彼女に好き嫌いは無い。大体のものを「美味しいね」と飲み込んでいる。可愛い…いや、無いからこそ見つけ出して、「もう少し食べたい」とか「また食べたい」とかの好みを見つけ出すのがまず第一歩だ。
週末の夜、家にやってきた彼女に存分に寛いでもらっている間に食事の準備を進める。最初は慣れない料理に随分手間取っていたが大分段取りが掴めてきた。指先の絆創膏はまだ必要だがそこはなんでも卒無くこなすキバナさまなので経験のない料理という分野とはいえすぐに上達する…はず。
「キバナくんってお料理も出来るんだね」
付き合う前からよく食べていた(というか食べるものがそれしか無かった)白米に合うおかずをテーブルに並べて彼女は目を輝かせた。箸を伸ばして美味しいね、と笑みを浮かべてくれるのはいつものことだが最近はキッチンに立つオレの姿を見て機嫌良さげにしている。
正直、次の日が休日である週末の夜なんてベッドに直行して飯は後回しでも良かった。が「彼女に食事を取らせる」という強い使命感は性欲よりも勝ってオレを突き動かした。とはいいつつ食事取って一休みしたらやることやってるけど。
そんな試行錯誤を繰り返してしばらく。なんでも「美味しい」と答える彼女の好む味の傾向は未だわからないままでオレの頭を悩ませていた。次はアローラ地方の食事に挑戦してみるか…とスマホロトムで調査を続けるオレの傍で、夕飯を終えテレビをじっと眺めていた彼女がぽつり、と呟いた。
「うーん、なんか…」
「うん?」
「お腹空いたから、おやつ食べようかな…」
ふーん、まぁそういう日もあるよな?なんて言いながらオレはスマホロトムに視線を戻したが、内心はもう紙吹雪が舞うパーティータイムでミラーボールが壊れたように回り狂っている。素っ気ない反応に努めたのは彼女がオレの大げさな反応に気後れさせないためである。
彼女にとってただの呟きかもしれないが以前には絶対、こんな事は言わなかった。一日三食の食事を終えた後に空腹を覚えたとしても、彼女には空腹を満たす方法が無かった。そんな彼女が今は、「おやつ食べたい」と恥ずかしそうに呟いている。キッチンから小さいスナック菓子を持ってきた彼女はそのまま袋を開けて口にひとつ放り込んで咀嚼を繰り返している。嬉しそうに味わっている横顔をみるだけでとてつもない幸福感が湧き上がって仕方ない。
「あの~、キバナくん」
スナック菓子の袋をオレの方に向けて差し出した彼女はいつになく優しい顔でじっとこちらを見つめた。胸が高鳴る。オレってこんなに初心だったっけ?
「色々と…気を回してくれてありがとう」
「え?いやオレさまなんもしてないしマジで」
「ふふ、そうだっけ?その…、だからっていうわけじゃないけど、キバナくん。好きだよ」
笑顔がふにゃ、と緩んだ。慣れない自炊、これは食べたとかあれは食べてないとか、遠い地方のレシピを調べたり調味料を求めてスーパーを梯子だとか、そういうの色々考えるのはまあまあ大変だったけどこれ以上の報酬ってなにもないじゃん。あれ?オレってオレが思うよりずっと彼女のこと好きなのかも…。
「オレさまも好きです…」
「なんで敬語?知ってるよ?」