俺とお前は違うから「……俺、もう帰るわ」
賑やかな廊下で、壁に凭れていたルシファーは背を向けた。
黒い髪が小さく揺れる。
「待ってよルシファー。まだライブ見ていくんじゃないの?」
そこを、金髪の男が引き留めた。
名前をシガアと言い、今このライブハウスでライブをしている張本人だ。
今は休憩時間だが。
「もう充分見ただろ。それに、俺がここにいても邪魔になるだけだ」
……邪魔になるだけ、というのは、
それは、ルシファーとしての本心でもあった。
ルシファーはシガアの歌っている姿をまじまじとみることはなかった。
だからこそ、ライブハウスでシガアが歌う姿を見ることは、嬉しいものの筈であった。
……しかし、
バンドは一人では出来ない。
ボーカルがいるなら、周りには演奏する者が集うのだ。
最初から分かっていた。
だから、楽しそうに歌う姿を見て、今一度思い出したのだ。
「お前にはお前の仲間がいるだろ」
人間には、人間の。
仲間がいる。
契約者だからといって、悪魔の自分がここにいるのは場違いであった。
「でも…!」
シガアは歩いていくルシファーの肩を掴んだ。
外に出る際にと貸したサンダルがザリ…と音を立てる。
「…なんだよ」
ルシファーは振り向き、不機嫌に顔を顰めた。
それによってシガアは喉を詰まらせたが、深く息を吸うと、一息にこう言った。
「今日は君に俺の歌を聴かせたくて呼んだんだ…!」
「……は…?」
真っ直ぐに、シガアは自分の顔を見ている。
ルシファーは思わずたじろぎ、シガアからの視線を顔を背けることでしのいだ。
「あのね…この後の曲で、君に向けた曲があるんだ」
「…違う…」
「君を思い浮かべて、作ったんたよ」
「…やめてくれよ…」
「仲間からも好評でね、きっと君も…」
「シガア!」
相手の名を呼び、制止する。
ピタリと、シガアは動きを止めた。
ルシファーは叫んだ拍子に、彼の目を見てしまった。
酷くショックを受けたようだった。
それを見たルシファーは、既に泣きそうな気分であった。
本当に泣きたいのはシガアの方だろうに。
ルシファーは、髪をぐしゃぐしゃにしてその場に縮こまる。
酷い顔を、仮にも契約者である彼に見られたくは無かった。
廊下の隅に出来た黒髪の塊は、シガアには小さく震えているように見えた。
「違う……違うんだよ……こんな筈じゃ…」
相手の絞り出したような声を聞いたシガアは、相手の大声からのショックから目が覚める。
「……ごめん…」
シガアは自分もしゃがむと、ルシファーの背中を擦ってやった。
それでも震えが止まることはなかったけれど、少しでも安心してくれればと思っての事だった。
「無理だったら、家に帰っててもいいから……」
ルシファーは何も言わなかったが、静かに頷いた気がした。
◆
それから暫くして、シガアは歌い始めた。
その曲は、ルシファーに向けて歌ったものだと言っていた。
ルシファーは最後まで聴くことが出来ず、途中でライブハウスを出ていってしまった。
外は夜になっており、月明かりが辺りを照らしていた。
「……あーぁ……何やってんだ俺は……」
ルシファーは、近くの公園にいた。
ベンチに座って項垂れている。
「……俺なんかが関わっていいことじゃないのにな……」
呟いてみても、何も変わらない。
ただただ、虚しいだけだった。
ルシファーは空に浮かぶ月に手を伸ばした。
それは、掴めないものであることは分かっていたが、まるで何かを掴むように指を動かしていた。
「……もう帰ろうかな」
諦めて立ち上がった時だ。
「あれ? ルシファー?」
聞き覚えのある声が、自分の名前を呼んだ。
ルシファーはそちらを振り返ると、目を丸くさせた。
「えっ! どうしてここに!?」
そこにいたのは、シガアだった。
ルシファーはシガアを見て、すぐにその場から離れようとした。
「待ってよ!」
シガアが腕を掴んでくる。
ルシファーはそれを振り払おうとしたが、思いの外強く握られていて離せなかった。
「おい、放せ」
「嫌だ」
「……なんでだよ」
「だって、君は……君が、泣いてるみたいだったから」
「……泣いて、ない」
「そう見えたけど」
「…………」
「ねぇ、どうしたの?」
「……お前には関係ない」
「関係なくはないだろ」
「……うるさいんだよ」
「ルシファー」
「…………」
「君がそんなだと、俺まで調子狂っちゃうよ」
シガアは、ルシファーの体を引き寄せた。
抵抗する間も無く、ルシファーは相手の胸に顔を埋めることになった。
「……!」
ルシファーは驚いて離れようとしたが、シガアはそれを許さない。
「……離せよ」
「やだ」
「……何なんだ一体」
「分からない。でも、このままは嫌だったんだ」
「……意味分かんねぇよ」
「そうだね。俺もよく分かってないし」
「……だったらさっさと離せ」
「それは無理かな」
「……なんなんだよお前は」
「だから、俺にも分からないんだってば」
ルシファーは、シガアの腕の中で身動きが取れなかった。
シガアは相手の反応を楽しむかのように、抱きしめる力を強めていく。
ルシファーは、抵抗を諦めた。
「……シガア」
「ん?」
「痛いんだけど」
「あ、ごめん」
シガアはルシファーから離れると、彼の目を見た。
ルシファーも同じように相手を見る。
二人の間に沈黙が流れたが、やがてシガアが口を開いた。
「あのね、俺の曲を聴いて欲しいんだ」
「……いや、俺、帰るし」
「まだ時間あるから平気だよ。それに、俺が作った曲を、君に聴いてもらいたいんだ」
シガアはそう言うと、持っていた紙袋の中からCDを取り出した。そして、それをルシファーに差し出す。
「これ、あげる。だから聞いてほしいな」
ルシファーは差し出されたそれを受け取らずに、相手を睨みつけた。
「何で俺に渡すんだよ」
「え? 駄目だった?」
「そういう事じゃなくて、なんでわざわざ俺に聴かせるんだよ」
「だって、俺は君のことが好きだから」
「……はぁ!?」
「うん。あ、もちろん恋愛的な意味で」
「……ふざけんなよ……」
「ふざけてなんかいないよ。俺は本気だから。本気で、ルシファーのことが好きになったから」
シガアは真剣な表情だった。
冗談ではなさそうな雰囲気である。
ルシファーは顔を赤くすると、俯いてしまった。
「お、俺は……」
「いいから、とりあえず受け取って。それで、ちゃんと考えて答えを聞かせてよ」「…………分かった」
ルシファーは、シガアの手からCDを受け取った。
「ありがとう」
シガアは微笑む。
ルシファーはその笑顔を見て、更に頬を染めてしまう。
「あ、あのさ……」
「なに?」
「また、連れてきてくれよ……ライブハウス」
「え? いいの?」
「お前の歌、嫌いじゃないし……まぁ、たまになら、付き合ってやってもいいかなって思っただけだよ」
ルシファーは照れながら言った。
シガアは嬉しそうな笑みを浮かべると、相手の手を握った。
「分かった!また連れていくよ!」
「……ああ」
シガアとルシファーは、どちらからともなく唇を重ねた。
その後、二人は手を繋いで家に帰ったという。
その日を境に、シガアのバンド活動は好調となり、ルシファーも時々ではあるがライブを見に行くようになったとかならないとか。
終わり