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    자마(ちゃま)

    @wo_shi_chama

    ちゃまです

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    자마(ちゃま)

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    オクバデ風味バデさんのみ生存if
    V共和国で家庭教師をするバデさんと、もう会えない彼の大事な人と、少年と詩の話です。

    #オクバデ
    okubade

    うつくしきもの「バデーニ先生、あの、できました」
     ペンを置き、解答を差し出すその一瞬が一番緊張する。手のひらで大切にあたためたものが、冷たい世界に晒される瞬間。自分の作り上げたものが、不出来で無意味なものだとわかってしまう瞬間。
     丸テーブルの向いに座った先生は、無言でぼくから計算用紙をひったくり、ルーペを近づけてしげしげと解答を眺め、
    「全然違う」
     と、一蹴した。
    「まず立式が違う。ということは、そもそもこの問題が何を問うているかを理解していないということだ。いいか、第二の公準によれば……」
     始まった。急に抗いがたい眠気に襲われる。
     幾何学はどうしてもだめだ。第一、線の長さや図形の角度を求める問題が、人生にどうして重要なのかちっともわからない。建築や測量なら専門家がいるし、そっちに任せればいいのでは?
     それに比べて詩や物語はいい。勇敢な王とその家臣による冒険譚は胸が熱くなるし、死別した恋人を想う詩を読めば、まるで自分の身が真っ二つに引き裂かれたような気持ちになる。自分の人生がどこかの誰かの人生と重なり合うその時、ぼくの魂は身体の檻を抜けて、どこか遠い国へ、はるか過去へ、あるいは見たことのない未来へ行ける。こういう感動が人生には何よりも大切だと思っている。
     先生の大きなため息が聞こえてきて、はっと我に返った。
    「もう一度解いてみろ」
     解答用紙を突き返し、先生は持参した本へと視線を向けた。ぼくが問題を解いている間、先生はそうやって読書や計算に時間を充てている。この人はぼくに物を教えるために来ているのでは? 多分、教えている時間よりも先生があれこれ自分のことをしている時間の方が長い。大体、講義のときすら教えているというより脅迫していると言った方が正確なぐらいで、鋭い眼光で射抜かれながら「解けるのか、解けないのか、どっちだ」なんて言われたら分かるものも分からなくなる。
     まあ、いい。どうせこの先生もすぐに辞めるだろう。
     今まで何人もの家庭教師が父と衝突して辞めていった。父は烈しい人だ。自分にも他人にも厳しく、おまけに優秀なので他人に多くを求める。当然ぼくにも、ぼくの歴代の家庭教師たちにもそうだった。
     バデーニ先生と父の馬が合うなんて考えられない。一か月……持って半年だろうか。それまでただ平穏に日々が過ぎていくことを願うしかない。

     V共和国。
     東方異教徒との交流によって、古代の知と莫大な富がもたらされた国。
     芸術を愛し、そして何よりそれを生み出す人間を愛する国。
     ぼくの生まれた国。
     この国やF共和国、あるいはM公国では、今まさに芸術の花が大きく開いている。美しきものはそこかしこにあふれ、それをはぐくんだ大地を誰しもが祝福している。
     ぼくの父以外は。
     それもしょうがないことだと理解はしている。判事の家系に生まれた父にとって、あらゆる要素が明瞭に意味を持って絡み合い、一本の強靭なロープのように編まれた法体系は美しいものなのだろう。そしてそのロープにぼくが縛られることを望んでいる。
     父はぼくをB大学へ進学させようとしている。B大学へ行くのは、別に構わない。けれどそこで法を学んで、父と同じように判事になるのはごめんだ。一片の隙もないようなものでなく、もっと余白があって、それゆえに自由な美しさを追い求めていきたい。文学はそれにぴったりだ。
     そろそろ先生が来る時間だった。机の上に出してあった本や自作の詩、こっそり外出した時に買った手乗りの馬の模型やら、きらきら光る石やらを棚にしまい、布をかける。こんなものをバデーニ先生に見られてしまったのなら最悪で、万が一父に伝わったのならば、ぼくはギリシアの悲劇よろしく死ぬしかないだろう。つまり──恥ずかしいのだ。こうした品々を見られることが。そしてそれらを価値のないものと切り捨てられることをひどく恐れている。
     コンコンと軽いノックの音が聞こえた。「坊ちゃま。先生がいらっしゃいましたよ」。手伝いに来ている年嵩の女性の声だ。曖昧に返事をして待っていると、先ほどよりも強いノックが響く。
     入室したバデーニ先生はにこりともせずに椅子に座り、持ってきた本やらペンやらを机に広げた。ぼくもインク壺を引き出しから取り、向かいに座る。
    「先生、今日は何を」
    「これだ」
     先生が、積み上げた持参の本の中から一冊抜き出し、真ん中あたりのページを開いてよこす。
     げ、と眉をよせた。確率の問題だった。正直、一番苦手だ。賭博師でもないのにどうしてこんなこと……そもそも、賭け事は当たらないから面白いというのに。
     ああだこうだと考えていても仕方がないのでペンを取る。ちらりと先生の様子をうかがうと、彼はとっくに自分の世界へ入ってしまっていた。
     がくりと肩を落としながら問題に向かう。箱の中にくじがいくつか入っており、当たる確率を求めればいいらしい。
     ばかばかしい。そんなことをして何になる。そういえば、この前読んだ物語にくじに熱中して破滅する男がいた。当たりが出たらくじに使った値段の三倍の金をもらえるということで、大金をはたいてくじに挑んだ男の話だ。結局、くじがなくなるまで引いてもあたりは出ず、最初にくじを引いた別の男が当たりを出していたので、男はとんだムダ金を使ったといった話だったのだが……。
     と、ふとひらめいたことがあった。
    「くじを……全部引けばいいのでは?」
    「はあ?」
    「いや、くじを全部引いてしまえば、それは『必ず起こる』ということになるのでは?」
     バデーニ先生は、奇怪なものでも見るような目つきで三秒ほど固まったのち、
    「話にならんな」
     違うらしい。我ながら冴えていると思ったのだが。
     先生は顔の横にかかる髪を二、三束つかんで長く息を吐いた。
    「あのね、君のその頓狂な発想は算術には不適切だ」
    「ふ、不適切……」
    「そうだ」
     それだけ言うと先生はさっさと自分の手元の世界へ戻ってしまう。まずい。このまま終わるのは非常にまずい。
     意を決して口を開いた。
    「あのう……」
    「なんだ」
     うんざり、といった風に先生が顔を上げる。その表情に一瞬怯んだものの、この先数か月の安寧のためには退けない。
    「そもそも、ぼく数を足したり引いたり、何かを推測したりなんて大してやりたくないんです。父がやれというからやっているだけで……」
     ぎゅ、と先生が目をすがめる。片方だけの、ガラス玉みたいな瞳がほとんどまぶたに隠れる。怖い。怖いが、ここで引いたらまたちくちく言われながら算術の授業を受けることになる。それは非常にまずい主にぼくの精神が。
    「だからその、」
    「では、君は一体なにがしたいと」
     バデーニ先生は、言い淀むぼくを遮るように声を上げた。あっと思うが、もうここまで来たら後には退けない。
    「詩人に……」
     言ってしまった。
    「は?」
    「いや、詩や物語を書いて暮らしていきたいというか……」
    「は? なぜだ」
    「なぜ!? それは、それは……」
     なぜ、と問われて気づいた。なぜ、ぼくは詩を書きたいのだろう。いざ理由を問われるとうまく言葉にできない。
     好きだから。それも一つの理由だと思う。詩や物語に心を躍らせる瞬間が大好きだ。けれどもっと大きな理由があるはずだ。
     うつむいたまま黙っているぼくに、先生はいいな、と前置いて、
    「私は君の御父上に、君をB大学へ入学させられるまで鍛えろと言われている。当然、たんまりと報酬をもらってな」
     父、という単語が聞こえてきてとっさに身を固くする。
    「であれば、私が君に教えるべきは代数や幾何であって、ふざけた妄想に付き合っている暇はないんだ」
     先生はそう言ったきりまた難しい顔をして読書を再開してしまった。呆れただろうか。きっとそうだ。現に先生の口角は面白いくらいに下がっている。
     けれどどこか……苦い顔をしていた。治りかけた傷にうっかり触ってしまったときのように。

     ぼくはどちらかというと……悪い生徒だと思う。ため込んだ宿題を直前に思い出し大急ぎでやることが多々ある。今日もそうだった。朝までは宿題のことを覚えていたのだが、久しぶりに図書館に行ったら見たことのない詩集が一冊あって、夢中になって読んだり、それを書き写したりしているうちに、すっかり宿題のことなど忘れてしまっていた。
     というわけで、机に放置されている宿題を見て全身の血の気が引き、大慌てでを進めているというわけだ。
     追い詰められたときの集中力は時に異常だ。だからぼくは、もう家庭教師の時間がやってきていて、先生が後ろに立っていることにすっかり気が付かなかったのだ。
     横からにゅっと手が伸びてきて、散らばった机上から一枚の紙を抜き取る。あっと思い顔を上げた。今日写してきた詩かもしれない。
     と、そこで、今日写したものはまだカバンにしまったままだったことを思い出した。
     ならばあれは一体──。
     全身の血の気がさあっと引いた。
    「う、う、うわーっ! み、見ないでください!」
     ぼくの自作の詩だ。それも昨日の夜書いたもの。古代の恋愛詩に触発された詩だ。書いた当日は世紀の大傑作だと思ったのだが、今朝読み返してみたらお手本の恋愛詩の二番煎じで、言葉選びもリズムもどこか垢ぬけなく、はっきりいってひどい出来だった。だからもう、今夜燃やしてしまおうと思っていたのだ。
     バデーニ先生の手から紙を奪い返そうと必死に手を伸ばすが、先生はひらりひらりとぼくをかわし、窓の方へと行ってしまう。懐からルーペを取り出して、しげしげと詩を眺め出した。
     もうそこでぼくは諦めてしまった。読まれてしまったのはしょうがない。あとは何を言われても大丈夫なように胸に城壁を築くだけだ。
     バデーニ先生は、長い時間をかけてぼくの詩を読んだ。途中で先生はぼくに背を向けて窓の方を見た。
     短い詩だ。先生は何度読んだのだろう。数分が経って、先生はようやく顔を上げた。
    「……会いたい人がいる」
     先生の肩が細かく震えている。
    「だが、もう会えない」
     先生の声は揺れて、かすれていた。
    「再び会える日は、もう来ない」
     先生はうつむいて、
    「だというのに、どうしてだろう」
     先生は悲しそうで、
    「彼が、今近くにいる気がしたんだ」
     けれど、こころの底から懐かしむように先生はそう言った。
     ぼくは先生が泣いているんじゃないかと思った。途端に喉の奥がきゅっと締まって息ができなくなる。先生の悲しみが空気を伝ってぼくの身体に注ぎ込まれる。
    「……もう会えない愛する人に宛てた詩は、たくさんあります」
     この悲しみを少しでも和らげたくて、ぼくは口を開いた。
    「先生が一体どんな人生を送ってきたのかはわかりませんが、たくさんの言葉に触れるうちに先生の気持ちも軽くなるんじゃないかなって思います。文学は、そのためにあると思う。遠く離れた誰かを癒すために。ぼくはそういう……感動を届けたいんです」
     なぜ、詩を書くのか。
     いつか先生に尋ねられたことだ。その答えが、今やっとわかった。時間を越えて、胸の中に染み入って傷を癒す言葉たち。そんな言葉にぼくは感動していて、同じように、誰かを感動させたいのだと思う。
     先生は小さく息をついた。笑った、のだろうか。
    「で、なんでこんなものがここに?」
     くるりとこちらに向き合った先生はひらりと紙を掲げた。泣いていると思っていたのに、びっくりするほどケロリとした顔をしていた。
    「えっ? あ、いや、たまたまというか……」
    「そんなわけあるか」
     先生は紙を机に戻すと、机上やその下をぐるりと見まわしたのち、
    「まあ、どうせその棚とかだろう」
     と棚にかけていた布を取り去ろうとする。なんたる横暴。
    「あーッ! あーッ! 見ないで! だめです!」
    「なぜだ。しまっておいてもしょうがないだろ」
    「それは……! そうなのですが……」
     もぞもぞと落ち着かないぼくに、先生は早くしろとでも言いたげな厳しい視線を向けてくる。
    「怖い、というか」
     ぼそり、と情けないくらい小さな声だ。
    「この世に素晴らしいものはいくらでもある。でもぼくの作品が、そうであるかは限らない。ぼくの書いたものが、不格好だ、無価値だ、と一笑されて終わってしまうのが恐ろしくて、でも、心のどこかでぼくは優れているのだと思うことはやめられなくて」
     バデーニ先生は黙ってぼくの話を聞いていた。白く濁った片方の瞳がぼくをとらえる。すべてが見透かされているようで居心地が悪い。
    「はじめっから価値のあるものなんて、しょせん何かの模倣だ」
     濁った水に一粒の清らかな雫が垂れて、その波紋が水全体を浄化していくような、そんな声だった。はっと息をのんで顔を上げる。
    「生まれたものに初めから価値などない。しかし、ただそこにあるだけのちっぽけなものが、誰かの心を動かし、価値を生んでいく」
     ぼくは呼吸を忘れて、先生の声に聞き入っていた。先生の姿に、ぼくの知らない誰かの影が重なる。髪を結んだ男の影は、先生に寄り添っているように見えた。
    「そういうものだろう?」
     窓越しの太陽を背負った先生は、あっけらかんとそう言った。
     まぶしい。
     逆光で先生の顔はよく見えない。けれど、光の作る先生の白い輪郭はとても眩しかった。

     二年後、ぼくは無事B大学へ進学した。それと同時に、先生は家庭教師を辞した。
     大学での修辞や文法の授業は面白い。算術は少し難しいけれど、バデーニ先生に鍛えてもらったおかげで何とかやっていけている。法学もまだかじっただけだが案外面白い。父と同じ道を歩むかはわからないが、それもいいのかもしれない。
     何より、ここには同じく芸術を愛する仲間がいた。学業のかたわら町で演劇をしている者もおり、今度、劇団の所蔵している東方の戯曲を見せてもらう予定だ。
     講堂に残って課題を片付けていたら、いつの間にかすっかり日が暮れていた。背の縮んだろうそくに息を吹きかけると、あたりはすっかり闇の中だ。かすかな光は窓から差し込む夜空の輝きだけだった。
     その窓から空を眺める。空気はすっと澄んでいて、砂糖をまぶしたような星空がよく見えた。息をひそめて静謐な美しさを目に焼き付けていると、一条、尾を引く星を見つける。
     先生も、同じ空を見ているだろうか。
     こんな夜にふさわしい物語をひとつ、ふたつ、考える。そうだ。あの星に乗って、離れ離れになった恋人が訪ねてくる話はどうだろう。きっとそれがいい。再開した恋人たちは、抱き合って涙を流すのだろう。その涙はまた別の流星となって、いまだ別れたままの人々に降り注ぐのだ。
     今日の空は、そんな物語にうってつけで、涙が出るくらいに綺麗だった。
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