俺の物語は君と交差する 時刻は二十一時といったところだろうか。スメールシティはまだ夜の活気にあふれている。普段なら酒の一杯でも飲んで帰ろうかと思うような時間だ。
「メラック……僕のことを支えてくれぇ……。」
しかし今日の僕はとても疲れている。久しぶりに旅人の依頼を手伝ったからだ。
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依頼人はフォンテーヌからやってきたドレスデザイナーであり、自国では強力なライバイがいるからという理由でスメールに越してきたそうだった。ドレスを宣伝するために広告を出すから、モデルになってくれる人間を連れてきてほしいということで、空は僕に声をかけたようだった。
「僕がモデルをするのは良い。ただ……相手は誰なんだ?」
「俺だよ。」
「え?」
「需要の拡大を狙ってるんだ。同性同士でも結婚式を行う文化が根付けば、より顧客を獲得できるからって。だから、相手は俺。」
最初は驚いた。しかしスメールシティにいる彼の友人で、新郎役をできるような人間は恐らく僕とアルハイゼンしかいないだろう。しかもアルハイゼンは見た目はいいが、どうも白いスーツを着ているビジョンが思い浮かばないし「そんな事に興味はない」とでも言い出しそうだからな。僕に頼もうと思うのもわかるよ。
「わかった。その依頼を受けよう、任せてくれ。」
二つ返事で了承したあと、カーヴェは空と共に撮影の準備に向かった。
長い着替えとスタイリストによるメイクが終わると「しばらく待っていてくださいね。旅人さんの準備がまだ終わっていないので。」と撮影の段取りやタイムスケジュールを管理するマネージャーにそう伝えられた。
撮影はスメールシティの中で行われる。ちょうど空が普段よく滞在している部屋の近くだった。沢山の人の往来がある場所だったが、教令院の許可は取れているらしい。
撮影が始まるまで暇だな。そうだ、外で少し新鮮な空気でも吸いに行くか。
「すみません、外で待っていても?」
「どうぞ!ついでと言ってはなんですが、外にも姿見を置いています。おかしなところがないか、改めて確認して欲しいです。何かあれば伝えてくださいね。」
「ありがとうございます。」
外に出ると、撮影クルーが準備を始めていた。白いレフ板やカメラのレンズが太陽光で光を放っている。
そして控室を出てすぐのところに、カーヴェの身長でも余裕で全身を写すことができる姿見が立てかけられていた。
姿見の前に立って、自分の姿を確認する。
白いスーツジャケットとスラックスに白いベスト、中の黒いシャツは全体の色を引き締めてくれている。そしてワンポイントの赤いネクタイには、ちょうど胸のあたりで交差する金色の刺繍が施されていた。
白いスーツは普段あまり着用することはない。動きにくくて仕事に支障が出る。また白は他の色に比べて手入れが大変だ。汚れが付いているんじゃないかと思うと気が気でないし、何より白を維持するメンテナンスが大変すぎる。
だからこの人生で白いスーツを着る事はないと思っていたし、僕には相応しくないと思っていた。
ただこれは……。
「これは……結構いけてるんじゃないか?」
「鏡を見ながら自分を褒めるなんて、どうにかしてしまったのか?」
鏡に写ったのはルームメイトのアルハイゼンだった。向き直す事なく鏡越しに見つめると、ふん、と鼻で笑う彼の姿が見えた。
「はぁ?僕は至って正常だ。ところでアルハイゼンなんでここに。今日の依頼のことは話していないぞ。」
「俺はこの現場の監視役を任されている。教令院が許可を出した以上、滞りなく撮影が進んでいるか、申請内容通りに撮影が行われているかを確認しなければならないからな。」
「仕事なら仕方ないが、僕だって依頼を受けてここにいるんだ。くれぐれも邪魔しないでくれよ。」
「君には興味ないから大丈夫だ。」
「はいはい、それならよかったよ。」
アルハイゼンがまさかこのような仕事を受けるなんて信じられなかったが、確かにただ“見ているだけ”の仕事は彼に取っては素晴らしいものなのだろう。
それに僕としても変にチヤホヤされるより、何とも思っていないようなやつの方がやりやすいからな。
しばらく姿を確認しながら、たまにアルハイゼンと他愛のない会話をしていた。すると姿見の横の扉が開いた。
「お待たせカーヴェ!あっ、アルハイゼン!おはよう。」
声の方に振り返ると、そこには着飾った空が立っていた。
白を基調としたジャケットとハーフパンツは、よく見ると金色の細かい刺繍が沢山あしらわれている。花や草の模様に縫われた刺繍は、ジャケットの上品さをより際立たせていた。また首元は何層にもレースが重ねられたジャボで飾られており、中心には白と金色のストライプ柄のリボンがフワフワと存在感を放っている。
目を奪われるような美しさだった。
「ど、どうかな?おかしくない?」
手を広げて全身を見せるようにくるりと回る。そうするとほんのり香水の良い香りが風に乗って漂ってきた。
「気の利いた感想を伝えられればいいのだけれど、君を見つめると照れてしまうな。その位美しいよ。」
「ありがとうカーヴェ!カーヴェもすっごく似合ってるよ、かっこいい花婿さんだね!」
「……。」
僕と空がお互いの服を褒め合っている間、アルハイゼンは静かにその様子を眺めていた。不機嫌、と言うほどではないが眉間に皺がよっていて、いつもより口数が少ないなと思った。
空はそんなアルハイゼンの顔色を伺う。どうやらリアクションを求めているようだった。
「おい、アルハイゼン。無言ってなんだよ、失礼だぞ。」
「……うん、良いんじゃないか。」
「ふふ、よかった!あのさ、嫌じゃなかったらアルハイゼンも――」
「撮影を開始します!みなさん集まってください!」
空が何かを言い終える前に、撮影スタッフの大きな声が響いた。モデル含め、撮影の準備がどうやら全て終了したらしい。
「お、そろそろ行こうか、空。」
「うん!」
「空。」
撮影場所に向かおうとする空を、アルハイゼンは呼び止める。空は振り返り、立ち止まる。しかしアルハイゼンはしばらくの沈黙ののち「……なんでもない。」と呟いた。
「そっか、じゃあまたあとで!」
空は小走りでアルハイゼンの元を去っていった。
――――――――
撮影は夜まで続いた。
かっこいい、素敵と褒められながらの撮影は悪くはなかったが、さすがに長時間となると体は疲れてしまうものだ。
疲れた体を引きずりながら歩き、ようやく家の前につくと部屋の明かりがついていた。当たり前だ「もう大丈夫だろう。では。」と撮影の撤収が終わる前に帰宅したアルハイゼンがいるのだから。
パンツのポケットをあさる。大きなライオンのキーホルダーを見つけると、鍵穴に差し込んだ。
「おっとあぶない、その前に。」
鍵を刺したまま、靴の裏の土を軽くはたく。
うちの家は扉を開けてすぐリビングがある。普段は遅い時間に帰ってくると、机を囲むように置かれた三台のソファーの真ん中でアルハイゼンは本を読んでいる。
そして帰ってきた僕を見るなり、薄めに淹れたコーヒーを飲んで「外で靴の土を払え、汚い。」というのだ。あまりにも毎回言われるものだから、習慣づいてしまった。
鍵をあけ、家の中に入る。
「ただいま。今日は疲れた……っては?」
僕は家に入るなり、その異質さに目を見開いた。
僕が帰ってくるとリビングにアルハイゼンがいるのはいつも通り。しかし今日は明らかに様子がおかしかった。机の上にはいくつもの酒の空き瓶が転がっており、アルハイゼンは赤い顔をしながら机に肘を置いてい。そしてつまみを用意するわけでもなく、ただ流し込むように酒をロックで飲み干していた。
「き、君一体なんなんだ。」
あまりの異様な光景に、僕は外套を脱ぐのも忘れて机の前まで向かう。転がっている瓶を見ると、どれも度数が高くて、僕なら一口飲んだだけで頭がふらふらしてしまいそうなものばかりだった。
アルハイゼンは酒に強いほうだ。だが流石にこの度数の酒たちを大量にロックで飲めば酔いが回るはずだ。何があったんだ?
アルハイゼンは戸惑うばかりで何も言葉を発しない僕をちらりと見ると、小さくため息をついた。
「はぁ……なんだ君か。今は顔を見せるな、嫌な気持になるだろう。」
「おいおいおい、どうしたんだよこれ。」
「喧しいぞ。」
口では強く当たっているが、目の前にいるアルハイゼンは、いつもの生意気な後輩の姿ではなかった。三本の大きな毛束はヘナヘナと垂れ下がり、全身から悲しみのオーラを漂わせていたのだ。
彼は空っぽのグラスに高価そうな赤ワインをなみなみに注ぎ、再び口をつけごくごくと音を立てながら飲む。何かに悩んでいるのだろうか。そう思うと珍しく僕にも『アルハイゼンを心配する』という気持ちが湧いてくる。
まるで雨に濡れた捨て犬みたいだ。流石に可哀そうに見えてきたぞ。仕方ない、相談くらい乗ってやるか。
外套を左に置かれているソファーに投げ置き、彼の隣に座って手からグラスを取り上げる。
「飲みすぎだ。そろそろやめておけ。……何かあったんだろ?先輩が聞いてやるから話してみろ。」
はぁ……と深くため息をついたあと、アルハイゼンは下を向きながらポツポツと話し出した。
「……俺の人生は言うならば、利き手で書いた小説だ。その小説はこれと言って特別な展開はなく、主人公はただ安定した自分の生活を続けているだけなんだ。映画になるような面白いエピソードも、心踊るような展開もない。……あぁでも君と喧嘩別れをして……それからあの酒場で再開して、ルームメイトとなった事は……周りから見れば少し面白いかもしれないがな。」
「なんだよ、気味が悪い。」
「俺という小説はそれ以外何も面白くないんだ。かといって特別読みにくいわけでもない。……空のことについて書いてある部分以外は。」
「は?」
「空を前にすると、本当に言いたいことや感じたこと、思いも何もかも上手に表現できなくて。俺の小説は空の部分だけ、まるで文字を覚えたばかりの子どもが書いたかのように拙くなってしまう。」
ふん、とアルハイゼンは自嘲気味に笑った。
「だから素直に伝えることができる君が……羨ましい。」
素直……?
アルハイゼンが素直でないときなどあっただろうか。まぁそれは置いといて、いつもストレートに皮肉やら意見を述べる彼が、若干遠回しにこんな話をするなんて。
ただ確実に僕も関係しているだろう……でも素直?そんなタイミングあったか?だって今日は一日中撮影をしていただけだし……あ、まさか。
「まさか君、僕に嫉妬したのか?」
「うまくいかないんだ……何も……。」
そう呟くとアルハイゼンは頭から机に倒れ込む。頭にぶつかった酒瓶がゴロゴロと転がって床に落ちていた。
しばらくするとすーすーと彼の寝息が響く。
まさかこんな事で悩んでいたなんて。
「はぁ……君がここまで不器用だとは思わなかった。でも大丈夫だよアルハイゼン。君がまだ文字を覚えたての子どもだというのなら、これから成長すればいいじゃないか。」
周囲に転がった酒瓶を一本一本集めていく。
この酒、僕も飲みたかったなぁ、残念だ。生意気な後輩の代わりに片付けをしてやってるんだ、また買ってきてもらわなければ。
コンコン
突然家の扉がノックされる。こんな夜遅くに誰だと耳を澄ませると、扉の向こうから聞きなれた声が聞こえてきた。
「カーヴェいる?遅くにごめんね、ちょっといい?」
まずい、空だ。夜遅いのは別に構わない。ただこんな情けないアルハイゼンを見られたら、それこそ取り返しのつかないことになってしまう。
「アルハイゼン起きろ!こら!この、こいつ!」
肩を掴んでアルハイゼンの体を無理矢理起こし、顔面に一発お見舞いしてやる。バチンと良い音が鳴って、手のひらがヒリヒリと熱を持つ。しかしアルハイゼンの目は未だ閉じられたままだった。
まずいまずい、起きない……!もう一度だ!
バチン!
「起きろ!この馬鹿野郎!」
大きく手を振りかざし、三発目をお見舞いしてやろうとすると、アルハイゼンの手が僕の手首をガッチリと掴んだ。
「三発目は必要ない。目が覚めた。」
開かれた彼の目からは、先ほどまでの泥酔の色はすっかり消えていた。あれほどの酒を飲んで、一瞬で酔いが覚めたのか?何とも難儀な男だ、酒に逃げるにもこんなに苦労しなければいけないなんて。
「空が来たぞ。僕は今から風呂に入るから、対応してくれ。……少しずつでも空に自分の気持ちを伝えられるように頑張れよ。」
――――――――
扉を開けると、彼は少し目を見開き驚いたような表情を見せた。恐らく扉の先にはカーヴェが立っていると思っていたからだろう。
「夜遅くにごめん。その……カーヴェは?」
「風呂だ。」
「えっと……今日撮った写真を何枚かもらってさ。カーヴェに渡して欲しいなって思って。」
「渡しておくよ。」
一通の便箋を空から受け取り、中から写真を取り出す。カーヴェが一人で写っているもの、空とカーヴェがポーズを決めているもの。二人が笑顔で向き合っているもの。どの写真もとても良い表情をしていて、端的に言うと素晴らしい出来だった。
ただ隣が自分だったらどれほど良かっただろうか。あの時誘ってくれた空の手を取って『俺も一緒に撮る』と言えれば……そしてカーヴェのように正直に感想を伝えられていれば。
『君がまだ文字を覚えたての子どもだというのなら、これから成長すればいいじゃないか。』
『少しずつでも空に自分の気持ちを伝えられるように頑張れよ。』
……たまには感謝しないとな。
「これ……とてもよく似合っていたよ、空。君はまるで一番星のようだった。君の光は周りの全てを霞ませるほど強く、美しかった。」
「へっ……あっ……その……ありがとう。嬉しいよ。」
目の前の小さな彼は、息を飲んだあと下を向く。身長差のために下を向かれると何も見えないが、耳まで真っ赤になっている彼の今の表情はなんとなく想像ができた。
「あのさ、俺次はアルハイゼンと一緒に写真撮りたい。ダメ……かな?」
「喜んで。」
「ほんと?うれしい!」
パッと顔を上げた空の瞳は潤んでおり、月の明かりに反射してキラキラと輝く。そして頬は暗くても分かるほどに紅潮しており、口元ははにかむように笑っていた。
可愛い。空、本当に愛おしいよ。
「ふふ、アルハイゼン顔真っ赤!」
「……君の方こそ。」
俺の小説は、空のことになるといつも拙くなる。
愛おしいからだ、好きだからだ。
まるで文字を覚えたての子どもが書いたように、文字は汚く内容もめちゃくちゃだ。
でも俺と君との物語はまだ始まったばかりだ。
少しずつでもいい。これから沢山と君のことを知って、君のことを書き綴り、いつ振り返っても美しく儚い小説を完成させよう。