線 キングスキャニオンのマーケット隅。物資が枯渇している中でもなんとかアーマーを交換できたコースティックは溜息を吐いた。だが、削れた体力を回復させる物資は見つからない。首を横に振り落胆するものの、ひとまず腰を下ろした。味方はすでにリング外でデスボックスになっている。勝利するには最終ラウンドまで物資を確保してハイドするしかない。彼の脳内には勝利への道筋がいくつか浮かぶが、どれも困難に思えた。
(あまりにも部隊数の減りが遅い……まぁ良い。被験者達が密集すればするほど実験は円滑になる)
「博士」
対峙したワットソンは左足を庇う動作のままトリプルテイクを構えた。だがお互いに一人残され満身創痍なのを確認すると、笑いながら銃を降ろす。
「どうして撃たない? 談合行為は規約に反する。君はルールを重んじる少女だろ、ミス・パケット」
「あなたこそどうして攻撃しないの? 弾がないならトラップを置けば良いのに」
「完全勝利を収める道筋を立てていたがこの部隊数だ……無意味だろうな。さっさとデスボックスシステムでドロップシップに戻りたいだけだ」
「相変わらず、誤魔化そうとするとおしゃべりになるのね」
彼女はトリプルテイクを背負い、そのままコースティックの前へ進む。そして対面するように床へ座った。「キングスキャニオンのラテライト層はすぐ風化するから……埃っぽいわ」と言いながら鼻を擦る。
「繰り返す、ミス・パケット! これはルール違反だ! さっさと立ち去ってくれ、私は疲れて……」
「どうして裏切ったの、どうして、嘘をつくの?」
彼女は言いながら、ガスマスクの保護シールドから見える瞳を覗き込んだ。
コースティックは反射的にホルダーに納めていたウィングマンへ手をかけた、が、弾切れをしていることを思い出し、意味のない行為だと手を降ろす。かといって彼女の問いかけに答える気もなかった。
「私は誰かとの間に一本の線を引いていて、それはみんな一緒なの」
「私は怖くてフェンスを置くか、大好きだから家族だって言って線を飛び越えて抱きしめてしまう……“極端だ”ってレネイに心配されたわ」
「私は貴方をフェンスの外に追い出した」
「貴方は、トラップを仕掛けないのに」
「私とあなたの間には一本の線がある」
「私は貴方をもうこちらに入れない」
「貴方もこちらに入ることを諦めた」
「でも──私は、フェンスを置かない」
「置かないって決めたの」
「もっと話をしましょう、おじさま」
「注射器をあげたいところだけど、それこそルール違反になっちゃうわね、やめておくわ」
ところが彼女は戻ってくる。
コースティックは身構えたが、こちらの警戒を見抜けない彼女はただ笑っていた。
「これならここに置いてもいいわよね!」
無邪気にホロスプレーを投げる。呆気に取られるコースティックを見て、ワットソンは目を細めて「じゃあもう一個おまけ!」と、ネッシーの小さなぬいぐるみも添える。
そして、声を上げて笑った。
「おじさまって、そんな顔もするのね!」
足を引き摺りながらも軽やかに去っていく彼女の背中を見つめて、コースティックは動けない。彼は視線をホロスプレーに向けた。輝くホログラムは彼女からの歩み寄りを示す印だ。一瞬喜んでしまった自分に苛立ち、彼は床を殴りつけようとする。
だが、床に『一本の線』を見てしまい、咄嗟に拳を止めた。
そして床を撫でる。
幻覚かもしれないが、彼はグローブ越しに何かを感じた。
それは乗り越えられない壁でも、拒絶のフェンスでも、死に誘うガストラップでもない。
ほどよい距離感を示す対話の線を、確かに感じたのだった。