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    ue_no_yuka

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    ツルの嫁入り かの里は数百年前はとても栄えた場所であった。名馬の産地であり、数ある伝説が生まれた地であり、黄金の寺院を構えた一族が統治していたこともある。そして、数々の名刀がその地で打ち出された。しかし今日となってはかつての名声も人々の記憶の中で、吹いて飛ぶほど儚いものとなっていた。

    その里で生まれ育った陸鷹山(くが ようざん)という男は唯一無二の刀工の申し子であった。幼少の頃から鍛冶場に入り浸り作業の様子を眺めていた。六つの時から鍛冶場の手伝いを任されるようになり、十二になる頃には自らも槌を握り鋼を打つようになった。そうして十八の時に初めて一振の太刀を打ち出した。その太刀の見事さたるや。鷹山は業界で一躍有名になったのだ。刀工として十八という若さで名をあげることは例に無く、長年鷹山が刀工になることを良しとしなかった彼の祖母もそれを認めざるを得なかった。

    鷹山は一年の殆どを里の山中にある鍜冶屋敷で過ごしていた。日の出前に起床し、沢で体を洗い、網にかかった魚と畑で野菜を収穫して朝餉を作る。食べ終わると握り飯を持って鍛冶場にこもり、一日中依頼をこなしたり、刃文の研究をしたり、刀のことだけを考えて過ごす。空が橙色になると、朝と同じように夕餉を作り、たまに風呂をたいて湯に浸かり、日没と共に就寝する。これが鷹山の十八の時からの日常であった。麓に降りることは殆ど無く、来訪者が無い限りは半年以上一度も人に会わない時もあった。しかし鷹山は寂しさや人恋しさを感じることはなかった。なぜなら鷹山は刀以外にまるで興味を示さない男だったからだ。決して人嫌いやぶっきらぼうというわけではなく、本当にただ単純に興味が無かったのだ。それ故に周囲の人々は鷹山と距離を置く者が多かった。鷹山と親しいと言える人間は彼の師匠である陸 鳶翔(えんしょう)と二十数年来の幼なじみだけであった。


    ある夏の暑い日だった。その日も山中に鋼を打つ音が凛として響き渡っていた。些か薄暗い鍛冶場の中であかあかと火照る鋼と飛び散る火の粉が、汗の滴る鷹山を照らしていた。
    鷹山は刀を打つとき全ての神経を刀に注ぐ。そのため、鍛冶場の戸口にいる来訪者に気付いたのはやるべき工程を全て終えた時だった。
    「……誰だ。」
    鷹山は額の汗を拭いながら戸口の人物に尋ねた。

    そこに居たのは鷹山の目線くらいの背丈の痩せ型の青年だった。鷹山の身長は自動販売機ほどはあるので、決してその人物が小柄な訳ではない。歳は大体鷹山と同じであろうか。その青年は日本人にしては全体的に色が薄かった。しかし受ける印象は色の薄さに反して力強いものだった。鷹山は一振の刀を想像した。まつ毛の奥に見える薄茶色の瞳は白銀に光る切先を彷彿とさせた。
    ところが青年は凛とした印象とは裏腹に、柔らかく花開くような笑顔を見せた。
    「陸鷹山さん、お約束した通り全ての条件を満たしました。これからよろしくお願いします。」

    青年は二礼二拍手一礼して鍛冶場に入ってきた。鷹山はすぐに彼が依頼人であると悟った。鍛冶場を知らぬ人間であれば、鍛冶場を神聖な場所であると思っておらず正しい礼儀は知らないからだ。鷹山は汗を拭った手拭いを首にかけると青年に向き直った。
    「…依頼か。いつまでだ。」
    青年は鷹山の前に立って言った。
    「イライではないです。約束したでしょう?言われた通りに家事全般は完璧ですし、それ以外にも必要に応じてありとあらゆる行動を取るため、万事においてそつなくこなせるよう訓練してます。一般的な家具メーカーのしがないサラリーマンですが自立もしてます。」
    青年は平滑流暢に言葉を続けた。しかし、鷹山は彼の言うことに関して一切の心当たりが無かった。
    「…何を言ってる。まずお前は誰だ。」
    「えっ…覚えていないんですか?!ミツル、住良木 美鶴(すめらぎ みつる)です…!」
    美鶴と名乗った青年は酷く驚いた様子で勢いよく鷹山に詰め寄った。美鶴は近くで見ても肌荒れむだ毛ひとつない本当に陶器のような肌で、薄茶色の長いまつ毛は瞬きする度揺れていた。鷹山はその最早人間味を感じられない美しすぎる容姿に少しばかり不気味さすら感じた。こんな男に一度でも会ったことがあるならば、わざわざ思い出そうとせずともすぐに分かるものだ。
    「…知らん。」
    「そんな…!!」
    美鶴はそう言って両手で顔を覆った。小さな顔が両手にすっかり隠れて見えなくなった。
    そのままなかなか動かない美鶴に鷹山が声をかけようとすると、美鶴はいきなり顔を上げ、遠くを見つめながら語り始めた。
    「十六年前にこの里を初めて訪れたとき、山中で迷子になった僕をようちゃんが見つけてくれたんです。」
    鷹山は自分の呼び方やらいきなり始まった昔話のことやら自分の呼び方やら色々と突っ込みたかったが、そんな鷹山をよそに美鶴は話を続けた。
    「そのときようちゃんは鍛冶場のお手伝いをするようになって二年目で、鍛冶場のことを僕に説明してくれて、将来はお師匠さんのような刀工になるのだとおっしゃってました。僕はそんなようちゃんに惹かれて結婚を申し込んだんです。ようちゃんは、多くを語らず無口過ぎず、家事をそつなくこなし気が回り、自分に頼りきらず自立できるようなら結婚してもいいと言ってくれました。っ…ですから!十六年かけてお約束を果たして参りました!僕と結婚して下さい!」
    「……」
    鷹山は見た目ではわからないがそれなりに困惑していた。誰かと結婚の約束をした記憶など微塵もない。そもそも人に興味を持たない鷹山が結婚など、まるで有り得ない話だった。
    「…記憶にない。」
    「っ…」
    美鶴は落胆した様子で項垂れた。鷹山はもう一度十六年前のことを思い出そうとした。しかし、それらしい思い出は見つからないし、そもそもそんなに昔のことはあまり覚えていない。人違いなのではないかとも考えたが、今この里に刀工は鷹山しかいない。ましてや十六年前に同い年の見習いがいたはずもない。美鶴の言う人物が鷹山であることは間違いないのだろう。美鶴が嘘を言っているようにも思えず、鷹山が思考を巡らせていると、美鶴は薄茶色の瞳を小さく震わせながら鷹山を見つめ口を開いた。
    「…押し付けがましくて申し訳ないことは分かってます…でも、少しでもおそばに置いて頂けませんか…?ようちゃんの邪魔だけはしませんから…」
    鷹山はこの鍜冶屋敷で師匠・鳶翔以外と過ごしたことがなかった。正直鳶翔以外の人間と暮らすのは全く気乗りしなかったが、こんな不便な山中で、いかにも弱々しくて小綺麗な男がそう長くも持たないだろうと鷹山は思った。
    「分かった。好きなだけここで過ごすといい。」
    「ホ、ホントですか…!?ありがとうございます…!」
    「だが俺の邪魔はするな。俺がお前を少しでも鬱陶しく感じたらすぐに出て行ってもらう。」
    「はい!もちろんです!」
    美鶴はそう言ってまた満面の笑みを咲かせて見せた。鷹山はそんな美鶴を見て何故か悪い気はしなかった。
    「来い。屋敷を案内する。」
    「はい!」

    こうして二人の仮初の新婚生活が始まった。
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