能あるタカは心隠す 下最後のパレードが終わり、寛久と夕依が待機所の寺で鷹山達を待っていると、やってきたのは鷹山一人だった。
「あれ?みっちゃんは?」
夕依は辺りを見回して美鶴を探したが、美鶴の姿はなかった。
「おい、ヨウ。スメラギさんは?」
寛久に聞かれて、それまで黙りこくっていた鷹山がやっと口を開いた。
「……分からん。」
腐れ縁の寛久でなくとも鷹山の様子がおかしいことには気付けるほど、鷹山は表情に重く影を落としていて、あまり正気には見えなかった。心配そうに鷹山を見上げる夕依の頭を撫でて、寛久は諭すように鷹山に尋ねた。
「…ヨウ、なんかあったのが?」
鷹山は下を向いて沈黙し、暫くして口を動かした。
「………間違えた。」
寛久は鷹山との付き合いの長さから、その一言で何があったのかを大体理解した。寛久は黙りこくる鷹山にまた尋ねた。
「…なんで。」
「そんなつもりで言ったわけじゃなかった。俺は…あいつに……」
鷹山は暗い表情に更に影を落とした。寛久はそんな鷹山を見て、今まで薄々感じていたことを確信したかのように息をついて鷹山に言った。
「……帰るべ。今日は疲れだし、休んで頭冷やせ。」
鷹山は心ここに在らずで、俯いて一点を見つめたまま黙り込んでいた。まだ心配した様子でオロオロする夕依に寛久は言った。
「夕依も俺が送ってってやるがら。車とってくるがら待ってろ。」
「うん…」
夕依は頷くと、歩いていく寛久の背中を見ながら鷹山の服の裾を引いて口を開いた。
「…よっちゃん実はね、夕依、みっちゃんに告白したんだ。」
「!」
夕依の言葉に鷹山は少し驚いて夕依を見た。しかし夕依は眉を寄せて残念そうな表情で言った。
「でもね、断られちゃったの。」
鷹山は心の中で安堵している自分がいることに気付き、困惑したように再び俯いた。夕依は寛久が歩いていった方向を見ながら話を続けた。
「みっちゃん、好きな人がいるんだって。ずっとずっと好きな人。その人のお嫁さんになるのが夢なんだって。」
「…」
「男の子なのにお嫁さんなの?って聞いたら言ってた。お嫁さんじゃなくてもいい、ただそばにいたいだけって。」
夕依の言葉に鷹山は小さく頷いた。
「……ああ、知ってる。」
知っていたはずだった。美鶴の思いも、自分の気持ちも。美鶴が泣いていた理由も本当は知っていたはずだった。なのに自分勝手に無意識の心無い言葉で、美鶴を傷付けた。鷹山は拳をきつく握りしめた。美鶴の泣き顔は鷹山の脳裏に焼き付いて離れなかった。
次の日の朝、日が登る頃に美鶴は重たい足取りで鍛冶屋敷にやってきた。美鶴は里の宿に一泊したものの一睡もできず、目の下にうっすらとクマができていた。鷹山に突然突きつけられた言葉を美鶴は未だ受け入れられずにいた。鷹山は仏頂面で無愛想気味だが心根は穏やかで優しい人間だと美鶴は知っているので、そんな鷹山のことだから自分を傷付けないように自らを卑下して遠回しに断ってくれたのだと美鶴なりに理解しているつもりだった。鷹山の邪魔になるなら潔く出て行くと心に決めていたのに、いざ鍛冶屋敷を前にすると心の臓が握り潰されて中から流れ出す冷えた液体に身体を内部から突き刺されるように胸が痛んだ。深呼吸をして戸を叩こうとすると、鍵が空いていることに気付いた。中に入ると、いつもは夜に閉められているはずの板戸が閉められておらず、屋敷の中に朝日が差し込んでいた。この時間なら鷹山が朝食を作っているかもしれないと美鶴は台所に向かったが、そこに鷹山はいなかった。しかし、酒をしまいこんでいた戸棚が無造作に開けられ、中の酒が全て無くなっていた。嫌な予感がして美鶴が居間に行くと、空瓶が床中にごろごろと転がっており、食卓で鷹山が最後の酒瓶とお猪口を持って、泥酔した状態で座っていた。
「ようちゃん!?」
美鶴が声をかけると鷹山は美鶴に気付いて顔を上げた。
「……美鶴」
一睡もしなかったのか鷹山の目元は酷いクマになっていて、意識も朦朧としているようだった。美鶴は鷹山に駆け寄り、背中に手を添えて言った。
「ようちゃん、これまさか全部一人で飲んだんですか…!?身体は大丈夫!?今お水を持ってきますから…」
美鶴は鷹山を壁にもたれさせ、台所へ行こうと立ち上がろうとした。しかし鷹山が肩を掴んで美鶴を自分の方に引き寄せた。泥酔した鷹山は力加減が分からないのか、美鶴は鷹山の胸板に力強く押し付けられ身動きが取れなくなった。
「…行くな、美鶴……」
鷹山は美鶴の頭に頬を擦り寄せて目を閉じた。鷹山にそう言われて、美鶴の心臓はじわりと熱くなり鼓動を早めた。
「昨日は、悪かった…お前の気持ちを踏みにじるようなことを、言った……」
「…いいんです。気にしないで下さい。」
いつになく弱気の鷹山に美鶴は自分の気持ちを押し殺して、諭すように言った。
「俺は…夕依の方がお前に合ってると思った…。女だから、お前の親父も納得すると思ったし、俺と顔が似てるあいつなら、お前も良いかと…でも……」
自信無さげに力なく呟く鷹山にずっと美鶴の中できつく閉めて抑え込んでいた思いの口紐がプツンと切れた。美鶴は鷹山の胸ぐらを思い切り掴んだ。
「馬鹿なこと言わないでください!!!」
美鶴からは聞いたこともない大声で、驚いた鷹山は一気に酔いが覚めた。美鶴はそのまま鷹山を畳に押し倒した。
「僕が十六年間、どんな思いで生きてきたか分かりますか?!身体を絞って、スキンケアも欠かさずして、料理だってようちゃんが望めばなんだって作れるように練習しました…!!日本語以外も、中国語だってフランス語だって、少しでもようちゃんの助けになれるように勉強しました…!!ようちゃんの大好きな刀の話ができるように、専門知識まで全部覚えました…!!」
鷹山の頬に雫が落ちた。乱れた前髪からのぞく、雫を弾く薄茶色のまつ毛の奥の瞳は変わらず力強く鷹山を見つめていた。
「僕はっ…ようちゃんのお嫁さんになるためだけに生きてきたんです…!!!」
美鶴は息を切らして、鷹山に覆い被さるように畳に肘をついた。鷹山は未だ驚愕のあまり目を見開いたまま固まっていた。
「僕にとって、あなただけが全てなんです…」
そう言って美鶴は鷹山の胸に顔をうずめた。鷹山はそんな美鶴を見ながら尋ねた。
「なんで俺なんだ…?」
すると美鶴は鷹山の胸に手を当てて言った。
「それはあなたが、ようちゃんだからです…」
自分の胸の上で小さく息を切らしながら鼻をすする美鶴を見て、鷹山はどうしようもなく愛しさと安らぎを感じていた。鷹山は美鶴の頭と背中を優しく撫でた。そして小さく笑顔を浮かべて言った。
「…馬鹿なこと言ってるのはどっちだ…。全く意味がわからん…。」
鷹山は美鶴の前髪を掻き分けて顔を見た。涙で濡れた頬を赤くして、美鶴は鷹山を見つめた。鷹山は美鶴の涙を親指で拭った。美鶴の桃色の薄い唇からこぼれた吐息が鷹山の手にかかった。二人は見つめ合い、鼻先で触れ合ったあと、唇を重ねた。離れてはまた重ね、離れては重ねた。美鶴の長いまつ毛が頬に当たって鷹山は少しくすぐったかった。美鶴の涙はもう止まっていて、頬が真っ赤に火照っていた。
「…美鶴」
「……はい」
鷹山は手の甲で美鶴の頬をなぞった。美鶴はひんやりとした鷹山の手に頬を擦り寄せながら目を閉じ、再び鷹山を見つめた。鷹山はそんな美鶴を見てまた小さく微笑んで言った。
「ずっと、そばにいてくれ。」
美鶴は嬉しそうに目を細めて言った。
「はい、もちろん。喜んで。」
美鶴は鷹山の胸に手を当て頬をくっつけた。鷹山も美鶴の背中に手を回して美鶴を抱きしめた。二人はそのまま重なり合う互いの呼吸と心臓の鼓動だけを感じていた。
「……ようちゃん…?」
暫くして美鶴が鷹山を見ると鷹山は美鶴を抱きしめたまま小さく寝息を立てて眠ってしまっていた。美鶴は起き上がって毛布を取りに行こうとしたが、鷹山の腕にがっしり捕まっていて離れられなかった。諦めて鷹山の上に被さったまま鷹山の心臓の音を聞いていたら、美鶴もいつの間にか寝てしまった。そのまま二人は日が落ちる頃まで眠っていた。目を覚ました時、美鶴は涙で赤く腫れ上がった顔を鷹山に見せるわけにいかず必死で隠したが、飲みすぎと疲労で頭痛と吐き気に襲われていた鷹山はそれどころではなかった。