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    ue_no_yuka

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    ue_no_yuka

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    弐拾捌

    比翼の鳥 下 再び美鶴の帰国の日がやってきた。その日はお祭り初日で、演者として祭りに参加する鷹山は二単位授業だった。学校が終わって正門に向かうと、美鶴が荷物を持って正門前で鷹山を待っていた。美鶴は鷹山に気付くと笑顔で手を振った。
    「ようちゃん!」
    二人は里の電車の駅に向かって歩き始めた。
    「新幹線は何時だ?」
    「十四時十九分発です。」
    里から電車で新幹線の駅まで約十五分。チケットはもう買ってあると言うし、遅くても十三時五十分頃に電車に乗れば間に合うだろう。現在時刻が午前十一時頃。鷹山が祭りの準備に向かわなければならないのは十三時半頃まで。駅までは歩いて三十分ほど。鷹山は美鶴を見て言った。
    「少し早いけど飯でも行くか。」
    「!はい!」
    美鶴は目を輝かせて嬉しそうに返事をした。


    鷹山は美鶴を連れて、里で有名な喫茶店へ向かった。市役所の前にあるその喫茶店は鳶翔が学生の頃から営業していて、店主は上品で物腰柔らかな老婆だった。曲がった腰でせかせかと働きながら一人でその小さな喫茶店を切り盛りしていた。鷹山は花雫家の祖父母によくその喫茶店に連れてきてもらっていて、いつも同じ昔ながらの中華そばと醤油炒飯、食後にヨーグルトパフェを食べていた。席につくと美鶴も鷹山と同じものを注文した。料理が出てくると醤油と出汁の良い香りが食欲をそそった。美鶴はラーメンのスープを蓮華ですくって一啜りした。あっさりとした優しい味が口の中に広がっていく。麺はスープとしっかり絡んでいて、チャーシューは固くて薄いが濃厚な味わいで、温かいスープの中で少しずつ崩れる。ラーメンのスープをすくっていた蓮華で醤油炒飯を口に運ぶ。パラパラのご飯に染み渡った香ばしい焦がし醤油の味が口いっぱいに広がる。どちらも初めて食べるはずなのにどこか懐かしさを感じる味だった。食後のヨーグルトパフェは、プレーンヨーグルトの中にバニラアイスと季節のフルーツが入っていた。ヨーグルトの渋みとバニラアイスの甘みが互いにコクを引き出し合っていた。季節のフルーツは林檎、葡萄、柿、キウイなど。ヨーグルトとバニラアイスと一緒に口に入れるとそれは美味だった。食べ終わると二人は揃って手を合わせ、勘定を払って店主にお礼を言い店を出た。美鶴は満足した様子で余韻に浸りながら腹をさすって言った。
    「とっても美味しかったです…」
    「俺も小さい頃からよく爺さんと婆さんに連れてきてもらってたんだ。昔は両親とも来たらしい…覚えてないけどな。」
    そう言って鷹山は遠い目をした。そんな鷹山の横顔を見ながら美鶴はふと一度も会ったことも聞いたこともない鷹山の両親のことが気になった。しかしそういったデリケートなことは鷹山が自分から話すまで詮索はするまいと美鶴は思った。この頃既に鷹山の両親に関する記憶は詠削によって一切無くなっていた。両親のことは人伝に聞いた話ばかりで実感がわかなかった。鷹山にとって親と言えるのは鳶翔ただ一人で、本当の両親に愛された記憶のない鷹山には人との関わり方がよく分からない時があった。だからこそ、そんな心の穴を埋める美鶴の愛情に、鷹山は本人も気付かないうちに深く依存していたのだった。美鶴は目を閉じて微笑んで言った。
    「そうだったんですね…僕はようちゃんの好きなものを知れて嬉しいです。連れてきてくれてありがとうございました。」
    鷹山はそんな美鶴を横目で見て、そうかと言って小さく笑みをこぼした。そして二人は再び駅に向かって歩き始めた。


    駅に着くとまだ時間があったので、美鶴は土産売り場でおみやげをいくつか買った。どこにでも売っていそうな夜叉剣舞サブレー、カッパの鼻くそチョコ、切っていないそのままのいぶりがっこ。美鶴のチョイスにセンスのなさを感じながら鷹山は本人が良いなら何も言うまいと微妙な表情で眺めていた。美鶴は切符で改札を通り、鷹山は駅員に断ってホームに入った。二人はそのままホームの端まで歩いていきベンチに腰を下ろした。真昼の駅はがらりとすいていて、人がほとんどいなかった。心地よい秋風が吹き抜け、鷹山は静かに目を閉じた。美鶴もそんな鷹山を見て、同じように目を閉じた。駅の中でさり気なく流れる祭囃子と、はしゃぐ子供の声がどこからか聞こえた。美鶴は目を瞑ったまま口を開いた。
    「…今回は泊めて頂いてありがとうございました。」
    「…気にするな。お前の来たい時にいつでも来ればいい。」
    鷹山がそう言うと美鶴は頬を染めて微笑んだ。
    「はい…今度はもっとちゃんと、約束を果たしてから来ます。」
    鷹山が美鶴を見ると、美鶴はあのどこか力強い瞳で真っ直ぐに鷹山を見つめていて、鷹山と目が合うと愛おしそうに微笑んだ。鷹山はドキッとして顔を背けた。美鶴はそんな鷹山を見て困ったように笑った。するとホームにアナウンスが響いた。
    『まもなく一番線に各駅停車海辺行きが参ります。新幹線をご利用のお客様はこちらの電車にお乗り下さい。電車が参ります。黄色い線の内側にお下がりください。』
    線路の向こうに電車が見え始め、警笛の音が聞こえた。美鶴はベンチから立ち上がると、くるりと振り返った。鷹山が美鶴を見ると、美鶴は俯いて何か言いたげに頬を染めて口をモゴモゴしていた。鷹山は首を傾げて美鶴の顔を覗き込んだ。すると美鶴は恥ずかしそうに瞼を伏せながら言った。
    「…あの、六年前僕がようちゃんに花を渡した時のこと、覚えていますか…?」
    そう言ってさらに頬を赤くする美鶴を見て、鷹山は思い出したように頷いた。
    「…ああ」
    鷹山は服の裾を握りしめている美鶴の手にそっと触れた。美鶴は震える手で鷹山の手を握って言った。
    「僕、料理も家事もひと通りできるようになりましたよ…」
    「お前の飯はすごく美味かった。」
    「今度は会う時は料理も他のことも、もっとできるようになってますね…!」
    「ああ。無理はするなよ。」
    鷹山は美鶴の手を握ったまま立ち上がった。鷹山の顔を見上げた美鶴の瞳は潤んでいるようで、変わらず鷹山だけを強く見つめていた。鷹山はそんな美鶴の瞳に吸い込まれるようにゆっくりと顔を近付けた。美鶴は目を閉じて少し踵を上げた。柔らかいもの同士が触れ合って、胸の当たりがくすぐったくなった。電車が警笛を鳴らしながらホームに入ってきて、美鶴の背後から強く風が吹いた。触れていたものがゆっくり離れると、美鶴は風で乱れた髪を耳にかけながら目を瞑って微笑んだ。鷹山はそんな美鶴にただ見とれていた。電車が停車し、美鶴は荷物を持って再び鷹山の前に立つと、明るい笑顔で言った。
    「ではまた!お元気で!」
    「ああ。お前も元気でな。」
    美鶴は開閉ボタンを押して電車に乗り込むと、がらがらの車内の椅子に荷物を置いて鷹山に手を振った。鷹山も顔の横に手を上げて小さく微笑んだ。暫くして電車が動き出した。美鶴は鷹山が見えなくなるまで手を振り続けた。鷹山は電車が見えなくなると、改札に歩いていき、駅員にお礼を言ってホームを出て、そのまま祭りの準備に向かって歩き始めた。鷹山は歩きながら口元を押さえた。美鶴の薄い桃色の唇の柔らかい感触がまだそこに残っていた。未だ引かない熱と、静まらない心臓の鼓動をうるさく感じながら鷹山は歩き続けた。その時、偶然駅にいた鷹山の祖母・雲雀は、いつもと様子が違う鷹山を遠目に見つけた。唇に触れながら心做しか頬をそめて、そこにいながらそこにないものを見つめているかのような瞳は、雲雀の中にある男を彷彿とさせた。雲雀は何度も見たその光景に、ただ呆然と立ち尽くしていた。



    それから三年後、花雫家当主の清鳳が亡くなり清鳳に息子がいなかったことから、次期当主として清鳳の姉・鵺子(ぬえこ)の息子・成美(なりよし)や、清鳳の妹・鶚(みさご)の息子・桂樹が候補に上がった。しかし雲雀は次期当主として孫の鷹山を強く推した。成美や桂樹は苗字が花雫ではない上に、花雫家の当主という立場にはあまり興味がなかったため、まだ高校生だった鷹山に代わって雲雀が当主代理を務めることでその件はすんなり落ち着いた。その年の大晦日、花雫の屋敷に集まった親戚一同は皆口々に年を越す前に亡くなった清鳳の話をしていた。清鳳は活気と男気に溢れた人格者だった。清鳳が当主の間は皆が記憶を失うことも少なく、花雫家は至って平和だった。清鳳のやらかし話で盛り上がる宴会広間で、鷹山は一人廊下の隅で酒を飲みながら外の景色を眺めていた。すると、幼い少女が背後から鷹山に忍び寄って、目隠しをして言った。
    「だーれだ?」
    鷹山は分かりきっていたがあえて分からない振りをして言った。
    「…誰だろうな。双子ではないし…もしかして真(さな)か?」
    少女はくすくすと笑って手を離すと、胡座をかいた鷹山の膝の間に飛び込んで言った。
    「ざんねん!ゆいでしたー!よっちゃんなにしてるの?みんなであっちであそぼーよー!」
    「俺はいい」
    「ええーあそぼーってばー!」
    夕依は手足をじたばたさせて駄々をこねた。夕依は四年前叔母の燕匁とその夫で花雫家婿養子の武夫の間に産まれた、鷹山のたった一人の従妹だった。夕依は親戚一同に鷹山の幼い頃に瓜二つと言われていたが、その性格は真逆だった。大人しくて人見知りの鷹山と違って、夕依は明るく活発で人懐っこい性格だった。夕依は親戚の中でも鷹山に特に懐いていて、それまで親戚達とは疎遠だった鷹山も、夕依のおかげでよく関わるようになり、人が多いのは相変わらず苦手だが個人個人との関係は良くなっていっていた。夕依が暴れるせいで酒が飲めず困っている鷹山に、成美の妻・マリ子が料理を盛った皿を持って来て言った。
    「鷹山ちゃん、ご飯食べてる?あ!鷹山ちゃんまたお酒飲んでるでしょ!?」
    鷹山が咄嗟に酒瓶を隠したのをマリ子は見逃さなかった。親戚の爺婆や男衆は鷹山が高校生になるなり飲め飲めとはやし立ててきたし、鷹山自身も酒には興味があったので、宴会の席ではよく酒を注がれたが、その度にマリ子がグラスを取り上げていた。鷹山は明後日の方向を見ながら言った。
    「…飲んでない。」
    「二十歳までお酒はだめ!まだ高校二年生でしょうが!」
    マリ子は素早く酒瓶を取り上げると代わりに料理で盛り盛りの皿を押し付けた。鷹山は渋々皿を受け取って食べ始めた。すると、広間の奥から手をパンと叩く音がした。心做しかマリ子の表情が強ばった。皆がそちらを向くと、雲雀が奥の席で立ち上がっていた。
    「さあ、奥の間へ参りましょう。」
    雲雀にそう言われると花雫の人間は皆立ち上がって、奥の間へ向かっていった。鷹山もマリ子に皿を渡すと、夕依を抱きかかえて立ち上がった。鷹山は暗闇の中に浮かぶ灯火へ向かって進んでいった。何をするのかも分からないのに、頭がぼーっとして、何故かそちらへ引かれるのだった。普段は絶対に入ってはいけないと言われている奥の間だが、以前一度祖父に連れて行って貰ったことがあった。しかしそこで何をしたかは覚えていなかった。鷹山はそのまま他の花雫の人々と共に、暗い闇の中に消えていった。


    ハッと目が覚めると、そこは花雫の屋敷の一室だった。鷹山は大晦日の夜はいつも花雫の屋敷に一泊して、元旦に鍛治屋敷に戻っていた。一瞬頭が割れるように痛み、鷹山は目を瞑って額を押さえた。そして再び目を開けると、そこには先程と同じ景色があった。しかし、胸にぽっかりと穴が空いたかのような喪失感があった。何があったのかは思い出せない。ただどうしようもなく言い表せぬ不安に駆られるような、支えをひとつ失ったような感覚だった。
    「刀を作ろう…」
    鷹山はそう呟いて布団から出ると、着替えて屋敷を後にした。

    鷹山は雪の中を鍛治屋敷に向かって夢中で走った。ただ今すぐに刀を作りたかった。それ以外のことが鷹山の頭にはなかった。雪に足を取られそうになりながらも、止まらずに走り続けた。早くこの不安を忘れ去りたい、ただその一心で鷹山は真っ白い景色の中をただひたすら走り続けた。



    七年後、夏の暑い日。依頼の刀を打ち終わった鷹山は、滝のように流れる汗を手ぬぐいで拭った。
    四年前に鳶翔が突然いなくなり、里内を探し回ったがどこにもおらず、誰に聞いても鳶翔の行先を知る人はいなかった。鷹山は、もう自分を愛してくれる人間はこの世に一人もいなくて、本当に孤独になってしまったのだと感じた。そんな孤独感を忘れようとしているのか、鷹山は一年の殆どを山に籠ってほとんど人に会わず、毎日刀を作ることだけに時間を費やしていた。しかし腐れ縁の寛久や従妹の夕依が何かにつけて構ってくるので、面倒臭くはあったが孤独感は少しだけ和らいでいた。
    ふと、鷹山は鍛冶場の戸口に人の気配を感じて振り向いた。そこには見たこともないほど美しい男が立っていた。何故か胸がざわめく感覚がして鷹山は鶸色の瞳でその男をじっと見て尋ねた。
    「………誰だ。」
    男は少し驚いたように目を開き、困ったように笑って言った。
    「陸鷹山さん、お約束した通り全ての条件を満たしました。これからよろしくお願いします。」


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