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    ue_no_yuka

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    参拾肆

    タカは飢えても穂を摘まず 下 鷹山とアリョールが鍛冶場に入ってから六日。鍛冶場からは昼夜止まることなく鋼を打つ音が響いていた。風呂小屋の釜戸の前でしゃがみ込んだ美鶴は、鳴り響くその音を聞きながら、全身を覆うような不安を感じつつ、釜戸の中でパチパチと弾ける薪を見ていた。美鶴は鷹山とアリョールが鍛冶場に入ってから一睡もしていなかった。いつ二人が戻ってきてもすぐに温かい食事や風呂、布団が用意できているように、美鶴も起き続けていた。それに美鶴は、二人が寝ず飲まず食わずで刀を打ち続けているというのに、自分だけ寝るわけにはいかなかった。美鶴の目の下には濃くはっきりと隈ができていて、全身に疲労が滲み出ていた。美鶴は両手で頬を強く叩き、釜戸に蓋をすると立ち上がって屋敷に戻っていった。


    美鶴が屋敷に戻った丁度その時、屋敷の玄関が勢いよく開いて大きな物音がした。美鶴は急いで玄関に向かった。そしてその光景を見て美鶴は一瞬言葉を失った。
    「アリョール…!!」
    アリョールは玄関の床に倒れ込んでいた。美鶴は慌てて駆け寄り抱え起こした。アリョールの身体は燃えるように熱く、肌は真っ赤になっていた。ヒューヒューと乾いた息を小刻みに吐き、右腕が痙攣していた。美鶴はアリョールを担ぎ上げて居間に運び込むと、用意していた布団に寝かせた。美鶴は台所に行き、用意していた重湯を持ってくると、アリョールの身体を起こして、少しずつゆっくりと飲ませた。呼吸が落ち着き始めたので、美鶴は手拭いをお湯に浸して絞り、アリョールの身体を拭いた。乾いた汗と煤にまみれた身体で、お湯はすぐさま黒く濁った。美鶴は何度もお湯を変えながら丁寧に拭き続けた。身体を拭き終わると、美鶴はアリョールをしっかりと布団に寝かせ、掛け布団を肩までかけて休ませた。外ではまだ鋼を打つ音が聞こえていた。どうやら鷹山はまだ無事らしい。しかし、アリョールのこんな姿を見ると、美鶴は鷹山のことが心配で気が狂いそうだった。しかし美鶴は、鷹山との約束を思い出して唇をかみしめ、深呼吸をして気を落ち着かせた。
    その時、玄関の戸が開く音がした。美鶴は鷹山が帰ってきたのだと思い、急いで玄関に向かった。しかし、そこにいたのは鷹山ではなかった。その人物は美鶴の憔悴しきった顔を見るなり、困ったように笑って言った。
    「よォ、すげぇ顔だな、美鶴。」
    「…お師匠さん……」


    鳶翔は囲炉裏のそばに腰を下ろすと、懐から携帯を取り出し、一枚の写真を表示して美鶴に向けた。そこには、絵巻物の一部と思しき写真が写っていた。絵巻物には、刀を持った男と例の侍女が描かれていた。
    「こいつは去年発見された絵巻物の最後の続きの部分だ。そして、この男が持っている刀が詠削だ。これを見て何か気付くことは無いか?」
    美鶴は携帯を手に取って画面を覗き込んだ。一見女性にも見える中性的な顔つきの男と侍女、そして男の手にある詠削には……
    「……鞘が無い?」
    美鶴の言葉に鳶翔は頷いて言った。
    「俺が花雫家の奥の間で見た詠削にも鞘は無く、刀身がむき出しだった。鷹山が持ち帰った詠削にも鞘は無かっただろ?」
    鳶翔の問いかけに美鶴は携帯を返しながら頷いた。鳶翔は美鶴から携帯を受け取ると語り始めた。
    「その絵巻物が見つかってから、寬久と大智に鞘を探してもらっていたんだが、昨日の夕方、大智からそれらしき鞘が見つかったと連絡があった。……鞘は刀身を覆い、刃が周りを傷付けないようにするためのものだ。その鞘が無ければ、むき出しの刃は近くにあるものを傷付ける。詠削を鎮めるには鞘に納めることも一つの有効な手段だと思うんだ。」
    それを聞いて美鶴はゆっくりと唾を飲み、鳶翔に尋ねた。
    「それで、鞘は一体どこに?」
    鳶翔は腕を組んで美鶴を見て言った。
    「鎌倉だ。」
    美鶴は目を見開いた。鎌倉。その場所は奥原氏を滅ぼしたとされる幕府があった場所だった。
    「遥福寺(ようふくじ)は知ってるか?」
    鳶翔の問いかけに美鶴は頷いて答えた。
    「幕府に討伐された将軍の弟と奥原氏の霊魂を鎮めるために建てられたとされている寺院ですね。確か十五世紀初頭に焼失してしまい、その本来の姿は幕府の時代に書かれた史書にしか残っていないという…」
    鳶翔は、美鶴は本当になんでも知っているのだと感心しながら続けた。
    「大智によると平成初期に発掘調査が行われた際に出土した物の中に、刀の鞘らしき物があったそうだ。肝心の本体が見つからなかったことから所有者が分からず、地方公共団体の保管庫の奥底に眠っていたらしい。詳しく調べてみると鞘の塗装に、当時は使われているはずのない金属が使われていたようだ。」
    鳶翔の言葉に美鶴は顎に手を当てて言った。
    「それは、忠蘭の作った詠削の鞘である可能性が高いですね。忠蘭は人間離れした技術を持っていましたから。」
    「大智から連絡が来たあとすぐに、寬久に取りに行って貰ったんだが、さっき連絡があって、鞘が詠削の物だと確認できないと渡すことはできんと、向こうの職員に言われたようなんだ。だから美鶴、ここには俺が残るから、お前達は詠削を持って鎌倉に行って、鞘が本当に詠削のものか確認してきてくれ。」
    鳶翔はそう言って、拳を床について頭を下げた。美鶴は慌てて顔を上げさせた。もちろん鳶翔の頼みとあれば断る理由など無いが、アリョールがこんな状態で戻ってきた今、美鶴は鍜冶屋敷から、鷹山から離れることが不安で仕方なかった。しかし、鞘が本当に詠削のものであれば、詠削を鎮める鷹山の手助けができるかもしれない。美鶴は鳶翔の目を見て頷いた。
    「分かりました。」
    鳶翔はありがとうよと言って美鶴の肩をさすった。美鶴は自室へ行き出発の準備を始めた。



    準備ができると美鶴は、詠削の置いてある屋敷の二階の一室へ行った。被せてある白い布を取ると、美鶴はその姿に目を奪われた。近くで見ると、詠削は恐ろしいほど美しかった。美鶴は呼吸も忘れて魅入った。詠削にはどこか不思議な引力が感じられた。美鶴は深呼吸をすると、ゆっくりと手を伸ばし、詠削の柄を握った。するとその瞬間、頭が割れるように痛んで、無数の声が一斉に身体の中に押し寄せてきた。美鶴は思わず目を瞑った。声は男であり、女であり、若々しくもあり、老いてもいた。無数の声はやがてひとつになっていき、強く美鶴に語りかけてきた。

    触れるな…愚か者…

    声が頭に響く度、頭を揺さぶられるような激しい痛みを感じた。それでも美鶴は詠削を離すまいと、爪が手に食い込むほど強く柄を握りしめた。

    触れるな…血を絶やす者……

    声は再び響いた。美鶴は心の中で詠削に語りかけた。

    『僕は確かに花雫の血を絶やす要因になるかもしれません。けれど、ようちゃんのことは誰よりも幸せにしてみせます。』

    黙れ……その吾子の記憶(うた)、削ぎ落としてくれる………

    『もうすぐ貴方の片割れが帰ってきます。そうすれば貴方も使命から解放されるはずです。』

    ………雪齋…


    するとその瞬間、脳を揺さぶるような頭痛が一瞬和らいだ。美鶴は瞑っていた目を見開くと、すぐさま詠削を用意していた桐箱に入れ蓋を閉じた。すると先程までの頭痛は徐々に引いていった。美鶴は額の汗を拭って息をついた。その様子を背後で見ていた鳶翔も安堵のため息をついた。そして美鶴の背中を見ながら思った。自分が耐え切ることのできなかった詠削の凄まじい力に耐え抜くことができた鷹山と美鶴なら、本当に花雫家の呪いを解くことができるのかもしれない。美鶴は桐箱を抱えて立ち上がると鳶翔に向き直って、凛とした瞳で鳶翔を見つめ、口元に笑みを見せて言った。
    「それでは、行って参ります。」



    翌日の明け方、この七日六晩山中にこだましていた鋼を打つ音が突然ピタリと止んだ。アリョールの枕元に座って様子を見ていた鳶翔は、予定より早く音が止んだことに一抹の不安を感じ、屋敷を出て駆け足で鍛冶場に向かった。鍛冶場の中を覗き込むと、鷹山は刀を打つ作業を終え、最後の焼入れを行っていた。鳶翔はその姿に目を見開き、息を飲んだ。鷹山の目は真っ赤に充血し、目の下には遠目からでもわかるほどはっきりと隈ができていた。赤とも黒とも緑とも紫とも言えない色をしたその身体からは、信じられないほど湯気が上がっていて、所々血管が浮き出ていた。そんな姿を見ても鳶翔はただ目を見開いたまま立ち尽くすことしか出来なかった。本当ならば、鋼を打つ作業以外は休まず続ける必要はないため、一度作業を中断することもできたし、身の安全を考えれば一度休むことが絶対に必要だった。しかし、声をかけずとも鳶翔には分かった。今声をかけても鷹山は絶対に聞こえない。それどころかきっと、耳元で大声で叫んでも、殴り倒しても気付かないだろう。それほどまでに鷹山は目の前の作業だけに集中していた。鳶翔は後退りしながら静かに鍛冶場から離れ、屋敷の母屋に戻って、鷹山の帰りをただ待ち続けた。

    日が西に傾き始めた時、鍜冶屋敷の扉が音を立てて開いた。鳶翔はすぐさま玄関に向かった。玄関口にいた鷹山は微かに息を切らしながらも、両足でしっかりと立って、鳶翔を真っ直ぐ見つめながら、右手で一振の刀を突き出して言った。
    「……できたぞ…雪齋……」
    鳶翔は驚きのあまり口を開けたままそれを受け取って、木でできた仮の拵(こしらえ)である白鞘(しらさや)を抜いた。

    鳶翔は口元に薄ら笑いを浮かべて魅入った。それは、言葉を失うほど見事な刀だった。西日を反射して微かに黒光りする刀身に、白くうねる匂出来(においでき)、元幅に比べ先端は細く小切先、反りは茎(なかご)から腰元あたりで強く反る腰反り、平安後期の太刀の特徴である細身な見た目に反し、黒雲母を含んだずっしりとした重み。

    鳶翔は刀を鞘に仕舞うと、鷹山を見て誇らしげに微笑んで言った。
    「お前ってやつァ…ほんとに凄い奴だ……」
    そう言って鳶翔に頭を撫でられ、鷹山は少し嬉しそうに小さく笑みをこぼして言った。
    「…師匠の弟子だからな…」
    その言葉に鳶翔は、目頭が熱くなる思いがした。鷹山は鳶翔から刀を受け取ると、目元を押さえて俯く鳶翔に、しばらくガシガシと頭を撫でられた。
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