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    がしゃこり
    ※一瞬蜘蛛が出る

    「久しぶりに来たな」
     藤色の髪を持つ青年が、山中の祠を訪れた。祠の戸を開くと、中にある鏡は割れかけている。嫌な気が漏れ出していた。それを確認して、青年は戸を閉める。そこに足音が響く。
    「お客さんかい?」
     青年は呪文を唱えながら振り返る。途端、辺りに彼岸花の海が広がった。そこから立ち上る匂いは甘く死に誘う。匂いを嗅いだ足音の主は力なく倒れた。その姿を見下ろして、青年は呟く。
    「厄介だな……」
     青年は九尾の狐を呼び寄せ、人間を運ばせる。そしてまた祠に向き直った。青年の胸中にはひとつのことしかない。彼のため、すべては彼のためだ。そのために青年は力を求めてきた。たとえ彼が自分のことを忘れていても──。
    「待っててね、司くん」
     青年の金の瞳が三日月のように細まった。
      
     司は普通じゃない高校二年生だ。産まれた時から妖怪が憑いていて、妖怪が見える生活を送っていた。妖怪は普通の人間には見えないことから苦労もした。だが、狐狸──憑いた狐と狸は人間に友好的だったため、司は妖怪と仲良く暮らしている。
    「ご主人! 遅刻しますよ!」
    「……ふがっ」
     文字通り狐に鼻をつままれ、司は目を覚ました。狐と狸が枕元にちょこんと座っている。狐のコン太と狸のポン太だ。司は彼らに礼を言って起き上がると、いつもの詰め襟を着て、朝の準備を済ませた。階下へ行くと朝食が出来ている。席につくと、妹の咲希がにっこり笑って言った。
    「おはよう! お兄ちゃん、コンちゃんポンちゃん」
    「おはよう!」
    「おはようございます」
     咲希をはじめ家族は狐狸を見ることが出来る。そのため挨拶もするし、狐狸の分の朝食も準備されている。朝食を済ませると、家族それぞれが家を出た。司も学校へと向かう。

    「聞いた? 隣のクラスの◯◯さん、一晩行方不明になってたんだって」
    「最近多いよね、神隠し」
     学校の廊下を歩きながら噂話に聞き耳を立てる。行儀は悪いが、噂話は司の貴重な情報源だ。司は妖怪の困りごとを解決し、人間とうまく暮らせるように橋渡しをしている。そのため、司は人の世を乱すような妖怪騒ぎがないか常に目を光らせている。悪さをする妖怪は回り回って妖怪の存在の害になるのだ。
    (神隠しか……)
     司は噂について考える。神隠しは天狗や鬼、狐の仕業とされる。と言っても、近年それらの妖怪も人里離れた場所に住んでいて、そもそも人間との接触が少ない。そんな現代に神隠しをして、次の朝には返す理由はなんなのだろう。……この件には裏がある! 気がする! 司はそう結論づけて脳内にメモを残す。
    「あ、神代くんだ!」
    「本当かっこいい」
     女子の黄色い声を聞いて、司は顔を上げた。聞き慣れない名前だが、話を聞くに転校生らしい。司は教室に面した窓から神代と呼ばれた生徒を見た。狐狸も窓によじ登り、彼を見る。
     神代は、確かに整った顔をしていた。まるで猫のような男だ。でも、どこか見覚えがあるような。そう思ってぼんやりと見ていると、神代は明確に司を見た。その証拠に、口が司くんと言っていた。神代の金の瞳が三日月の形に歪む。その瞬間、彼の後ろの空気が少し歪んだ、気がした。
    「……?」
     司は首を傾げた。ふと狐狸を見ると、彼らは毛を逆立てている。何かを感じたのだろうか。神代をもう一度見るが、外方を向いているし、感じた違和感もなかった。でも少し心地の悪さを感じて、司は人気のない場所へ向かった。狐狸と緊急会議をするためだ。
    「なあ、あの神代という生徒だが……」
    「あやつはいけません!」
    「そうだぞ! ご主人!」
     毛を逆立てながら狐狸が口々に言った。その警戒しようは珍しくて、司は目を丸くした。普段はフレンドリーな妖怪なのだが、と不思議がっていると、狐が言った。
    「あやつは禍々しい妖力を飼っています!」
    「俺たちじゃ太刀打ちできん」
     狸も続く。狐狸はそこまで妖力があるほうではないが、それでも規格外ということだろう。力の片鱗を見せたのは威嚇だろうか、危ない男なのかもしれない。しかも、神代は司のことを知っていた。司を威嚇して、彼は何を企んでいるのだろうか。
    「まあ、気をつけることにする」
     予鈴が鳴ったので司はそう締め、教室に戻った。

    「お、司の坊ちゃん」
    「久しぶりだな、猫又」
     放課後、司は学校の裏山に来ていた。ここは妖怪の多く暮らす場所だ。こういうところの妖怪は友好的で、司に色々な情報をくれる。狐狸と手分けして、神隠しについて聞き込みを行うことにした。妖怪たちは快く協力してくれたが、大した情報を得られない。そんな中、猫又が言った。
    「最近、悪鬼の鏡の封印が弱まってるよな」
    「そうなのか?」
     この辺りにはかつて悪逆を尽くした鬼がいたという。その鬼は花嫁を求めて人妖怪区別なく襲い、皆を困らせていた。そんなある時、妖怪を仲間に従えた人間がその鬼を鏡に封印した。という伝承がある。実際この山には祠があって、そこに鏡が安置されている。この伝承を人間は忘れかけているが、妖怪たちは悪戯でも封印を解いてはいけないと語り継いでいる。
    「ああ、みんな噂してる。いや〜な気が漂ってるよ」
     そう言って猫又は尻尾を縮こまらせた。司はその情報をメモすると、猫又に礼を言う。撫でてやると猫又はにゃーんと鳴いて喜んだ。ひと通り撫でたあと、司は鏡の元へ歩き出す。封印について調べるためだ。本当に封印が解けていたら大変なことになる。司に封印の力はないが何かできることがあるはずだ。

     祠は山の頂点にある。と言っても百メートルほどの低い山だ、すぐに登れる。山を登った司の目前に、祠が見えてきた。こじんまりとした祠は半ば草に埋もれている。普段は人に顧みられることもなく木々の間にひっそりと佇んでいる。しかし、今日は先客がいた。
    「やあ、奇遇だね」
     金の瞳を細めて、神代は会釈した。つられて司も会釈する。神代は制服を着たままここに来たらしい。優男といった風の男なのだが、どこか影のある雰囲気をしている。そもそも、何故こんな山中の祠にいるんだ。思った通り問いかけると神代は笑った。目が笑っていない。
    「散歩さ」
    「いいや嘘だね!」
     聞き取りから戻ってきた狸が口火を切った。隣の狐ともども毛を逆立てている。言い方は失礼だが司もそう思うので黙っていた。その言葉に、神代は狸に視線を合わせた。その鋭い金の瞳と目が合って、狸は怯えた様子で司の後ろに隠れる。
    「今も、君には妖怪がついてるんだね」
     神代は静かに言った。驚く様子もなく、まるで司が妖怪憑きだと最初から知っていたような口振りだ。それに、今もと言った。彼は司のことを知っている?
    「忠告しよう、──この祠に関わるな」
     真意を訊ねる前に、神代は司に身を寄せて、耳元で口を開いた。彼の背後が歪んで、妖力が溢れ出す。その力はあまりにも強くて、司の肌をちりちりと焼いた。足がすくんで動かない。
     言うだけ言って神代は去っていった。その背を見送って、司はへなへなと座り込む。未だ毛を逆立てる狐狸を撫でながら、司は神代が去った方向を呆然と見ていた。

    「う~ん」
     その夜、風呂に入りながら司は唸った。隣には狐狸も一緒で、共に風呂に入っている。あの後、司は鏡を確認したのだが、ひびが入って嫌な気が漏れ出していた。確かに封印が解けかけている。そのことと、祠の前に現れた神代のことが気にかかる。それにあの忠告だ。神代は鏡のことを知っていて、何かをしているのではないだろうか。
    「よく知らないやつを疑うのも悪いが、怪しいぞ」
    「あやつが何か企んでいるのは明らかです」
    「もし鏡に何かあったら大変なことになるぞ」
     司の考えに狐狸も同調する。そこで、司は祠を見張ることにした。神代がやってきて、悪いことをしないか見張るのだ。早速、司はこっそり家を抜け出すと、学校の裏山へと向かう。道中は何事もなく、すぐに頂上へたどり着いた。しかし、祠の前の様子を見て、司は声を上げた。
    「な、なんだ……?」
     そこは昼間と全く違う様相を呈していた。彼岸花がところ狭しと咲き乱れている。真っ赤な花は血の海のように地面を覆い尽くしていた。狂い咲きという言葉がよく似合う様子だ。司はその異様さに飲まれながらも、祠へ近寄った。鏡を調べようとする。祠の扉を開けた瞬間、鈴の音がした。
     ──りん。
     また鈴の音がして、司は振り返る。誰もいない。しかし今も鈴の音は鳴り続けている。同時に甘い匂いが香ってきた。嗅いだことはないのに、どこか知っているような匂いだ。それは優しいのに、魂を奪うような心地がする。だんだんくらくらしてきて、それが死を思わせる匂いなのだと気づいた。そのときにはもう遅く、司はその場に倒れ込んだ。視界の隅で狐狸が毛を逆立てている。
     遠のく意識の中、藤色の髪をした青年が現れた。音もなく現れた神代は、司を見ている。彼の金色の瞳が爛々と輝いている。彼は何事か呟いた。来るなと言ったのに、そう言っている。その言葉に何か返事をする前に、司の意識は途切れた。

     司が再び目を覚ますと、まだ辺りは暗かった。夢かと思ったが、彼岸花はやっぱり咲いている。毒々しいほどの赤だ。近くには狐狸が簀巻きにされて眠っていた。彼らの無事を確認したいのだが、身体は少しも動かせない。目線だけを動かすと、身体は空中へ磔になっていた。随分強い術を使われているようだ。
    「目が覚めたかい? 天馬司くん」
     背後から神代が現れた。昼間と全く同じ格好だ。司の前に立った神代は、困ったようなふりをして、肩をすくめた。余裕がある。まるで、司など簡単に始末できると言わんばかりの態度だ。そして、真顔になって言う。
    「……忠告したはずだけど、何を企んでいるのかな」
    「それはお前だろう、祠の周りで何をしている」
     司は臆せず食ってかかる。まっすぐ神代を見据えて、言い切った。相手が強かろうといつも全力で接する。これが司だった。これでいくつもの騒動を乗り越えてきた。神代は苛立ったように司を見て、言う。
    「鏡の封印を解こうと近寄ってくるものを追い払ってるんだよ」
    「オレだってお前みたいな鏡の封印を解こうとするものを追い払っているぞ!……ん?」
     司は首を傾げた。もちろん動かないので気分だけだが。神代もおかしいと気づいたようで首を傾げている。会話の記憶を遡って、司は気づいた。
    「オレたちの目的、同じではないか──!!」
     夜中の山に司の大声が響いた。

    「というわけでな、祠を見に来ていたんだ」
     司はこれまであったことを簡潔に話した。類──神代類はそれを聞くと、司の拘束を解いた。そして小さな声で呟く。
    「じゃあ、司くんはあのときのままなんだ」
     それに気づかなかった司はひと息ついて、肩を回す。磔は肩が疲れる。簀巻きにされていた狐狸たちも解放され、催眠を解かれたがまだ眠っている。それで、と司は類に問いかける。
    「お前はどういう理由で来たんだ?」
    「……この街から強い妖力を感じたんだ」
     類は妖術師らしく、この辺りを転々としているらしい。妖術師とは、妖怪の力の源である妖力を行使する人間を指す。中には妖術で悪事を成すものもいるらしいが類はそうじゃないだろう。司はそう考えている。本当に悪い奴だったら精々化けるだけの力しかない司なんて騙さず、さっさと始末してしまえばいいからだ。
    「調べると、この鏡の封印が解けかけていたんだ」
     祠の中の鏡を指差して言った。鏡は月の光を反射して冷ややかに光っている。ひびの入った鏡面を見ていると、気持ちが惹きつけられる。とても綺麗だ。割りたい。完全に割ってしまって、破片が飛び散る様はどんなに綺麗なのだろう。そのときだった。
    『待っていたぞ、我が花嫁──鏡を割ってくれ』
    「……はい」
     司の頭の中に声が響いた。謎の声に命じられるまま、司はぼんやりと鏡に手を伸ばす。鏡を割って、あのひとのモノにならなければ。その手が鏡に触れる前に、類が司の腕を掴んだ。ぺちぺちと頬を叩かれ、司は我に返った。
    「……はっ!」
    「見ちゃだめだよ、影響される」
     そう言って、類は祠の戸を閉めた。そして、鏡から司を庇うように立ち塞がる。すると、頭の中に響く声は聞こえなくなった。不思議そうにしている司に、類が問いかける。
    「何か聞いた?」
    「……オレが、花嫁だと言っていた」
     花嫁という柄ではないので少し照れながら答える。すると、類は表情を無くした。どうやら怒っているようだ。無用心だっただろうか、と思っていると類は笑った。無理矢理作ったような笑顔だった。
    「僕がなんとかするよ、君はもう家に帰って」
    「そんなわけにいくか!」
     司は食い下がる。妖力は少ないが、何か出来ることがあるはずだ。そう言うと、類は少し目を見開いて、それから泣きそうな顔になった。類は司の頬を撫でる。司は頬が熱くなるのを感じた。
    「君は本当に……」
    「?」
    「わかった、でも僕の側から離れないで」
     類はポケットからお守りのようなものを取り出した。しかし、包みには何も書いておらず、妖力を感じる。司は渡されたそれをきゅっと握った。類の妖力は温かい。それに胸が締めつけられるような懐かしさがする。
    「それを持っていればいつでも君の元に向かえるよ」
    「そうか、礼を言う……それで、悪鬼を封印し直すにはどうすればいいんだ?」
     司は首を傾げて問いかける。その質問に類は答えた。いわく、満月の日に結界を張って無理矢理鏡に押し込んで閉じ込めてしまえばいいらしい。ずいぶん力づくだなと思わなくもないが、簡単な方が助かるのも確かだ。司は頷いた。
    「それで、僕たちは満月の日まで鏡が割られないように気をつける必要がある」
     さっき司が影響されたように、近くにいる人間が影響されて鏡を割りに来るらしい。近頃巷を騒がせている神隠しの原因はそれだと類は言う。ついでに言うと、今咲き誇っている彼岸花は鏡に引き寄せられた人間を眠らせるため類が張った結界のようだ。
    「ふむ、それならば満月まであと三日、張り切っていくぞ!」
    「おー!」
     いつの間にか目覚めていた狐狸が司の声に同調した。

     こっそり帰宅した司は、布団に入った。結局、類を手伝って夜明け近くまで見張りをしていた。幸い鏡を割りに来た人間はいなかったが、眠くて仕方ない。
     今日あったことについて考える。封印の解けかけた鏡と神代類。類は不思議だ。何も知らないはずなのに懐かしくて、胸が締めつけられる。
    「不思議だ……」
     司はどきどきする胸を抑え、眠りについた。
     
     次の朝、司は大あくびをしながら登校していた。司は足元をちょこちょこ歩く狐狸に言う。
    「……お前たち、オレの代わりに授業を受けてくれないか?」
     狐狸は昨日の夜、見張りをしている司の横で爆睡していた。その恨みを込めて見ると、狐狸は顔を見合わせてから言う。
    「では、私にはお揚げを」
    「俺にはみたらし団子を」
     抜け目のない狐狸である。司がまあいいだろうと言うと、二匹は喜んで跳ねた。学校に着き、人目のないところへ行くと、まずは狐が司に化けた。司より制服をしっかり着用しているが、それ以外は司と何ら変わりがない。狐が授業に行ったのを確認して、司は目を閉じた。

     司は夢を見ていた。
     少年の手を引いて、山の中を歩く夢だ。風景は見慣れた学校の裏山だ。目線はいつもより低い。不思議なことに少年は類を小さくしたような見た目だった。けれど今の類より内気そうで、おずおずと司の後をついてくる。ふたりは山頂に向かって歩いていく。あの小さな祠が見えてくる。少年がついてきているか振り返る。しかし、少年はいなくなっていた。いつの間にか周囲が暗い。目の前には少年の代わりに武者が立っていた。
    『疾く我が物に、我が処へ』
     武者はそう言った。その周りには闇が広がっている。そこから、無数の手が伸びてくる。手は司に絡みついて、引きずり込もうとしてくる。呪詛のような呟きが絶えず聞こえる。司は闇に飲み込まれていく。
    「……くん、司くん」
    「っは……?!」
     司は跳ね起きた。きょろきょろと辺りを見回すも、武者はいない。代わりに類が司の顔を覗き込んでいる。司は安心して息を吐いた。類が心配そうに問いかける。
    「随分うなされていたけれど、大丈夫かい?」
    「ああ、少し夢見が悪かった」
     そう言いながら目を擦る。睡眠時間を稼ぐつもりがとんだ邪魔を食らった。司が再び寝直そうとすると、類が膝をぽんぽんと叩いた。
    「僕の膝を使うかい?」
    「えっ」
    「大丈夫、悪い夢は僕が取り除いてあげるよ」
     断りきれず、司は類の膝枕を借りることになった。男の膝なので固い。その代わりと言ってはなんだが、司は類に撫でられていた。しかも撫でるのが妙に上手いのだ。あまりに気持ちがよくてしばらくこのままでいいか、と思った司は膝枕をされたまま問いかける。
    「お前、前からオレのことを知っていたのか?」
     廊下でふと見たとき、類は司のことを知っていた。それだけではなく、司に妖怪が憑いていることも前から知っているような口振りだった。その言葉を聞くと、類は少し悲しそうな顔をした。そして、言う。
    「……君は有名だよ、ちょっと変わってるけどいい人って」
     はぐらかされた、司はそう思った。本当にそうなら、そんな顔をする必要なんてないのだ。多分、類はどこかで司と出会ったのだろう。司は自分の忘れっぽさを恨んだ。どこで会ったのか訊こうにも、類に話す気がないのなら追求できない。司が気にしているのに気づいたのだろう。類は手のひらで司の目蓋を下ろした。
    「僕もちょっと寝ようかな」
     そう言って類も目を閉じる。司も睡魔には抗えず眠りについた。類の言う通り、悪い夢は見なかった。

     その晩、ふたりは祠の前で鏡を見張っていた。最初に確認した鏡は昨日よりひびが大きくなっていて、今にも割れてしまいそうだ。しかし、まだ満月の夜ではないから手の打ちようはない。割りにくるものを追い返すしかすることはない。今日は学生がふたり、ふらふらと鏡を割りにきた。彼らは類の術で眠らせて、司が交番まで送り届けてやった。
     見張っている間、司が類を見ると難しい顔で祠を見ていた。封印が解けそうなことを憂慮しているのだろうか。そう思った司は類に問いかける。
    「封印が解けたらどうなってしまうんだ?」
    「花嫁を探して暴れまわるだろうね……と言っても、奴は君を狙うだろう」
    「それは不味いな……なんとかして再び封印しなくては」
     そうだね、と類は頷く。花嫁とは生贄のことなんだよ、とは言わなかった。司くんは絶対に渡さない。類は拳を握って誓う。その為に僕は力を求めたんだから、その想いは表に出ることなく満ちていく。類の脳裏にはあの日の笑顔が焼きついていた。
    「大丈夫、何があっても僕が守るよ」
     そう言って、司の頬に手を添える。キス出来そうな距離まで近づかれて、この台詞だ。司は赤面した。類はずるい、司はそう思う。今だって、守られるのではなく並び立ちたいのだけれど、あまりに真剣な顔で言うから何も言えない。

     二日目の晩、司は類を手伝っていた。と言っても、警官に化けて影響された人間を家に帰してやるだけなのだが。丑三つ時、司がうとうととしていると、類が何かの気配を察知した。
    「司くん、気をつけて」
    「ひっ!……くっ、蜘蛛!」
     類は立ち上がり、司の前に立つ。見ると、大きな蜘蛛が這っていた。どうやら鬼の力に影響されているようだ。自分の半分くらいの大きさの蜘蛛を見て、司は震え上がった。目を閉じて類にくっつく。震える身体を抱きしめて、類は妖力を解放した。
    「安心して、司くんには足一本触れさせないから」
     蜘蛛が糸を吐く。類は印を切り、業火で糸を焼き払った。そして妖力の弾を作り蜘蛛に向けて撃つ。蜘蛛は少し怯んだが、類に向かって飛びかかってくる。類は司を抱きしめたまま、後ろに飛び退いた。
    「悪いけど、痛くするよ」
     類は呪文を唱え、雷を放つ。豪雷は凄まじい音を立て、蜘蛛に落ちた。間髪入れず、浄化の印を切る。鬼の力は抜けていき、蜘蛛は元の大きさに戻っていく。小さくなった蜘蛛が去っていくのを見届けて、類は言う。
    「もう大丈夫だよ」
    「……っ、助かった!」
     抱きしめられていたことに気づき、司は赤面した。さっきはそれどころじゃなかったが、いい匂いもする。安全を確認して類は離れていったけれど、その夜司はどきどきで眠れなかった。
     
    「司くん、決起集会をしないかい?」
     翌日の五限の中休み、類がやってきて言った。学校を抜け出したふたりは付近の神社の石段へ横並びに座った。この辺りは田舎で、遊び場は市内の方へ出ていかないとない。なので、近くの商店で飲み物を買ってきた。それを飲みながらふたりで話す。
    「眠くないかい?」
    「ああ、大丈夫だ」
     今日も狐狸に授業を受けさせて睡眠時間を稼いである。司は類を見た。まだ出会って間もないのに、その横顔を恋しく思う自分がいる。
    「……なあ、鬼を再び封印したら、お前はどうするんだ?」
     司はそう問いかける。司の通う高校に転校してきたように、どこかへ行ってしまうのだろうか。それは嫌だと思った。司は類に手を伸ばす。
    「どうだろう、何とも言えないけど僕は目的に従って動くよ」
     類は前を向いたまま言った。その目には決意の光が灯っている。こっちを見てほしいと思ったけれど、言えなかった。司は手を引っ込めた。そして、笑って言う。
    「お前が目的を達成できるよう祈っているぞ」
     その後も話は続いた。夕方になった頃、ふたりは立ち上がり、山へと向かった。

     その晩、満月の下。ふたりは儀式を始めることにした。割れかけた鏡から新しい鏡に鬼を移すのだ。類が祠を開け、鏡を取り出そうとしたときだった。急に鏡から膨大な妖力が溢れ出す。そして、鏡が割れた。封印が耐えきれなくなったのだ。
     靄が溢れ出し、鬼を形作った。その姿に司は驚く。それは夢に出てきた武者と全く同じ姿をしていたのだ。類は呆気にとられる司を庇うように立った。狐狸も逃げずに威嚇している。
    「こんなときに!」
     鬼はまっすぐに司に向かってくる。類は突進を防御結界で受け止めた。その衝撃で狐狸は飛ばされる。鬼は腰に提げていた刀を抜き、呪いをまとった刃を振り下ろす。それを受け流して、類は鉄砲の形の手から妖力の弾を撃った。しかし鬼は弾を斬り落とす。壮絶な戦いだった。ずっと見ていた司の背に冷や汗が垂れる。
     類の力は、司では到底及ばない。これまで司は色々な妖怪騒ぎを解決していたが、こんな戦いはなかった。せいぜい妖怪と知恵比べをする程度だ。自分の無力さを痛感して、唇を噛む。何か出来ることはないか、考え始めた司の背後から手が伸びてきた。
    「!」
    「司くん!」
     影響された人間が、司を羽交い締めにした。司も抵抗するが、影響された人間が大人の男なので力で及ばない。そして、男から漏れる妖力で眠らされてしまう。後ろで何か起こっていることに気づいた類が振り返る。その隙をついて、鬼が類に襲いかかる。間一髪類は攻撃を防ぐが、その間に司は男に連れ去られてしまった。追おうにも、鬼が妨害してきて動けない。仕方ないので、類は切り札を使うことにした。
    「餓者髑髏!」
     呼ばれた餓者髑髏が、類の背後から這いずり出る。巨大な骨の手が伸びて、鬼を襲う。さすがの鬼も恐れをなしたのか、闇の中に消えていく。祠の前には類と気を失った狐狸が残されていた。
    「狐狸くんたち、起きて」
    「う~ん……」
     二匹を拾い上げて、背中を叩くと目を覚ました。身体を検分するが、怪我はないようだ。狐狸は司が連れ去られたことに気づくときゅーんと鳴いた。そして類に頭を下げる。その様は真剣だった。
    「多数のご無礼を許してくれとは言いません、ですがどうかご主人をお救いください」
    「俺からも頼む」
    「頭を上げて、僕もそのつもりだよ」
     類は狐狸の顎を撫でた。気持ちよさそうに転がったので腹も撫でてやる。類は必ず司を守ると決めていた。そのためならなんでもする。
     類は友達の少ない人生を送ってきた。人間は見えないものを見る類を気味悪がって離れていくし、妖怪は生まれつき妖力の強い類に恐れをなして逃げていく。そんな中、類は司に出会った。
     司は正しく光のような人だった。人間妖怪分け隔てなく接し、二種族の橋渡しをしようとする。そんな司に惹かれるのは当然のことだった。
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