子連れ龍と冷たい手しゃくしゃくと、雪の上に小さな足跡が付く。
「たんこー!」
細かな雪を巻き上げながら、ふっくらとしたほっぺたを真っ赤に染めてこちらに駆けてくる菫。その姿を見ている丹恒の口元がふわりと緩む。
『氷原グマが見たい!』という子龍の声を聞いて丹恒一行はヤリーロVIの雪原へと降りている。当初は二人だけで出かける予定であったのだが、風邪を引いてはいけないとコートにマフラー、手袋に帽子などありとあらゆる防寒具を身につけさせていく丹恒を見て「そんなに心配ならお供連れていきなよ!」の一言によりもう一人、おまけが付いてくることになる。
なのかが呼び出したお供こと刃は、丹恒の隣で一言も発することなく静かに佇んでいる。その腕の中は子が身につけていた帽子や手袋が掛けられ、洋服掛けの様相と化していた。
羅浮での一件以降こうして列車の呼びかけに答えるようになった男に丹恒は内心戸惑っていた。自分で言っておいて何だが、刃は間違いなくこの子の親に当たる。自分の遺伝子を持つ子に興味があるのかと思ったが、それにしては自分から関わるようなことはしない。空気に溶け込むように佇むその姿はまるで真昼の亡霊のようだ。
「たんこー、どうしたの?」
その声に、丹恒は飛びかけていた意識をはっと引き戻す。足元では白い湯気を上げた菫が不思議そうにこちらを眺めている。
「済まない、考え事をしていた。菫、観察は出来たか?」
「うん」
そう言って小さな手がノートを広げる。子どもが持つには少し重厚な緑の革表紙のノートには、こぐまのスケッチと、その生態や毛の質感など様々な情報が記載されている。
「いっぱいかいた」
満足そうにそう言う菫であったが、その手が小さく震えている。書くのに邪魔だからと手袋を外した手は長時間雪に晒さられたことでかじかんでしまったのだ。
「全く、手袋を外すからだ。ほら」
「ひゃあ」
丹恒は自らの手でその小さな手を包むと、はぁ、と自分の息を吹き掛ける。暖かな息を当てて、偶に手を擦ってやれば、冷たかった手はあっという間に元の暖かな体温を取り戻した。
「おかえし」
そうしてぽかぽかになった手で、今度は丹恒の両手を握ってはぁー、と息を吹き掛ける。真っ白に染まる息で視界が染まる。小さな手がにぎにぎと握られる感触が擽ったく、思わず丹恒はふっと声を漏らす。
「もう十分だ。早く手袋をしないとまた冷たくなるぞ」
「まって」
丹恒の言葉を制し、菫は小さな手をずいっと丹恒の隣に突き出す。
「じんも」
顔を上げてみれば、丸くなった赤い瞳と目が合う。自分に声がかかるとは思ってもみなかったのだろう。驚いた刃の包帯を巻かれた手をふくよかな手が掴む。
子どもの手では到底包み込めない大きな手の先に息を吹き掛ける。一生懸命息を吹きかけて、すりすりと手を擦る菫であったが、何度か繰り返してから不思議そうに首を捻る。
「ぜんぜんあったまらない」
「……無駄な事を」
ここに来てようやく刃が口を開く。何の感情もない、平坦な声だった。
「元より碌に動かぬ。何も生み出す事のない手を、暖めた所でなんになる」
そうして刃は菫の手を振り払う。子を見つめるその目がガラス玉のように景色を反射する。
あぁ、まただ。またこの男はここではない何処かを見つめている。
水面に石を投げ入れるように、丹恒は胸がざわつくのを感じる。自分から進んで着いて来たくせに、丹恒達とは一切関係の無いというようなその姿が無性に腹が立つ。一体何処を見ているというのだ。お前はここに、丹恒の隣に居るくせに。
丹恒はぱしり、とその手を掴む。そして、振り払われる前にその手にはぁ、と息を吹きかけた。何度も何度も、冷たい手に息を吹きかけ、かさついた手を擦る。
「貴様まで何だ。情けでもかけたつもりか?」
「違う」
怪訝そうな顔をする刃の手を握る。初めて握る筈なのに、懐かしさを覚える手。
「例え上手く動かなくとも、何も生み出すことはなくても。それでも、手は大事にしろ」
そう言って、丹恒はまた、その手に息を吹き掛ける。傍に居た菫も真似をするようにその手にはぁー、と息を吹き掛ける。二人分の体温を分け与えられば、流石に暖かくなるというものだ。
手の中に感じる刃の体温が、少しだけ、ほんの少しだけ丹恒は愛おしかった。