運動の後にも、いただきました。「ピーニャくん、風邪をひく予定はありませんか?」
「…………へあ??」
少し久しぶりのデートの途中だった。
自動販売機で飲み物を買っていたピーニャは、スマホロトムを操作していたノスケの突然の質問に間抜けな返事を返してしまった。
振り返ってみても、いつも通りの涼しい顔がこちらを見ているだけだ。
「え……と、今のところ、ない、けど…?」
そもそも「風邪をひく」のは不可抗力であって、予定してなるものではない。そんなことは知っているはずのノスケが何故わざわざ奇妙な質問をしてきたのか分からなくて答える声もあやふやになる。
「……そうですか」
心なししゅんとしたような気もする(表情は変わらない)が、「風邪を引かない」ことを残念がられてはますます意味がわからなかった。
「ノスケくん?」
「あ、ピーニャくん、それオレが持ちます」
なんの説明もないまま話は終わったようで、ぱっとどこか嬉しげに指さされたのは今しがた買ったばかりの飲み物だ。
「へ?いや、これは今、飲むから…」
「では、蓋を持ちます」
「いや別に…え、どうしたの?」
「さあどうぞ」
ずい、と両手を差し出してボトルの蓋を受け取ろうとするノスケに、ピーニャは困惑するしかない。
「え、と…じゃあ、お願い、します?」
「任せてください」
それが始まりだったように思う。
その日以降、ノスケの不可思議な行動が増えた。
元々やや奇想天外な言動が見られるところはあったが、それでも最近は輪をかけて様子がおかしい。
具体的には、やたらとピーニャの世話をしたがる(それも特に必要としていない事が殆どだ)、突然なんの理由もないプレゼントを用意する(あまりに値が張りそうなものは絶対に止めてくれと仕方なく釘を差した)、学校やSTCの送り迎えを申し出る(これは一緒にいれる時間が増えるので単純に嬉しい)等等だ。
恋人なのだからある程度のレベルなら嬉しいことだが、毎日、しかもやや過剰となるとなんだか逆に不安になってくる。一体なにが彼をそうさせているのか、訊ねたところで「ピーニャくんの喜ぶ顔が見たいので」というなんとも甘酸っぱい台詞が返ってくるだけで具体的なことは何も分からなかった。
それに、やたらとスマホを見ているような気もする。
そんなある日、放課後のエントランスでノスケを待っていた時のことだった。
『ネモに捕まりましt』という臨場感のあるメッセージを受けとった為、心の中でエールを送りつつぼんやりとその場に留まっているとすぐ後ろにいた女子生徒の話し声が聞こえてきた。
「なんか、最近彼氏が異様に優しいんだけどさあ」
「え、どういうこと?」
「やたらプレゼント買ってきたり、こっちの予定確認してきたり、『一緒にいたい』とか言って迎えに来たりするのに、すんごい着信気にしてんの」
「えーそれってさ」
「やっぱ?だよね」
どことなく覚えのある話に思わず聞き耳を立ててしまったが、次に彼女たちが口を揃えて言った言葉に固まってしまった。
「「浮気」」
「してるよねえ、やっぱ」
「いや確定でしょ。やましい気持ち隠してんじゃん?」
「うわ最悪ー。別れよっかな」
「スマホ見てみたら?」
「あー、ね」
不穏な会話をしながら去っていく彼女たちの気配を背中で感じながら、ピーニャは一瞬で真っ白になった頭を懸命に回し始めた。
状況だけならさっきの女子生徒とよく似たものだ。でも、そんなの確定なわけがない。そもそも、彼女の恋人だってまだ「そう」と決まったわけじゃない。いや、だって、そもそも。
彼が、そんなことをするはずがない。
「ピーニャくん!」
今まさに思い描いていた声がエントランスに響いた。
顔を上げればこちらに真っ直ぐに駆けてくる姿が見え、無意識に強張っていた体から少しだけ力が抜ける。
「お待たせしてすみません」
「ううん、大丈夫。ていうか、早かったね?」
「はい。たまたま近くを野生のボタンが通りかかったので」
「野生の…」
「ちょっと廊下に額こすりつけてお願いしてきました」
「後でボタンに謝っとくね…」
「大事なピーニャくんを待たせるわけにはいきませんので」
キリッという音が付きそうな様子で胸を張ったノスケに、先程の会話が脳裏を過る。
「……あ、のさ、ノスケくん」
「?なんですか?…あ!ピーニャくん、リュック、リュック持ちますよ」
「ちがっ……そういうの良いから!!」
思わず出てしまった大声に、ノスケが驚いたように目を開いたのが分かった。周囲から集まった視線にも気付いてまずい、と唇を噛む。
「ごめん、違くて…えっと、部屋で、話しても良いかな?」
苦し紛れに言った言葉に頷いたノスケの不思議そうな視線から目を逸らした。
「それで、あの、ピーニャくん、話というのは」
「うん」
ノスケの部屋に着いて、改めて向かい合う。
重たい空気は自分が作り出していると理解しているピーニャは、迷うよりも口に出そうと腹を括って口を開いた。
「ノスケくん、浮気なんて、してない…よね?」
間。
ノスケの表情は変わらない。彼の無表情の下にある多彩過ぎる感情を知っているピーニャは、それが本当に驚いている故の無反応だとわかった。
「………は?え?ピーニャくん、どういう…え?オレが?何で?」
暫くして回り始めたらしい頭で言われたことを理解したノスケが、心底意味がわからないという様子で聞き返してくる。
「浮気?なんでそんなことに?オレですよ?毎日36時間574日ピーニャくんとのすけべについて新境地開拓の余念がないオレが?何寝ぼけたこと言ってるんですか?見ます?オレの頭掻っ捌いてご覧に入れます?ほぼピーニャくんの痴態とこの先予定しているプレイの詳細についての映像しか流れませんが?」
「うんなんか、違いそうなのは分かったけど、少しは他の事も考えてもらっても良いかな?」
ずずずい、と圧の強い真顔を近づけて来るノスケの肩を押しつつ首を振れば、まだ納得のいかないような顔でじっとこちらを見ている。
黙っていれば綺麗な顔は目力もあるため迫力がある。無言の圧力に負け、ピーニャはぽつぽつと先程の出来事を話した。
「……だから、最近のノスケくん、なんか変だし…無いとは思っても、なんか…一応、確認したくなっちゃって」
恋人の不貞を無闇に疑うことは良くないと分かっているので、少しだけ気まずい。
視線を落とせば、何故か視界の隅にあるノスケの手がふるふると震えていた。
「オレは…」
「?ノスケく」
気を悪くさせたかと慌てて顔を上げれば、カッと目を見開いたノスケが真っ直ぐにこちらを見て声を張り上げた。
「オレはただ、ピーニャくんのスパダリになりたいだけなんです!」
「……え?」
なんて?
きょとん、と目と耳を開いたままのピーニャに、拳を握りしめたノスケが苦しげに目を閉じる。
「だってピーニャくん、言っていたじゃないですか!だからその期待に応えようと、オレなりに『スパダリ』を調べて実行していたんです!」
「ボク?いつ?」
だからやたらとスマホを眺めていたのか、と思うも、言われたことに心当たりはない。そんなピーニャに、ノスケは「言ってましたよ」と力説するように声に力を込めた。
「この前のデートの時、いい感じのカップルを見て『スパダリ良いな』って言っていたじゃないですか!」
「この前の………………あ!!!」
何かに思い至り声を上げたピーニャに、「ほら!」とノスケが反応する。
「違うよ、ノスケくん、ボクあれ『スポドリ』って言ったんだよ!!」
「…………ほあ?」
口を開いて止まったノスケが多大な勘違いをしていることに気がついて、頭を抱える。
「ボクあの後飲み物買ったでしょ?確かその時男の人の方がスポドリ持ってて、そっちにしようかな、て…ノスケくん?」
ぴしりと止まったままのノスケの顔を覗き込めば、ピーニャと目が合った瞬間ばっとそのわかりにくい顔が赤くなる。
「は??スポドリ??え?じゃあなんですか?ボクはピーニャくんのスポドリニなればいいと?ピーニャくんのスポドリってなんですか?出してくれるんですか!!??どこから???!!」
「もう何言ってるかわかんないよ!落ち着いてってば!!」
恥ずかしさからか錯乱したようにピーニャの肩を掴んで迫ってくるノスケの顔を掌で押し退けた。
とにかくお互いの勘違いだったことが判明して、安心したやら情けないやらで微妙な空気が辺りに広がっていく。
「そ、それに、さ」
そんな空気をなんとかしたいのと、どうやら落ち込んでいるらしいノスケをどうにかしたい気持ちから口を開く。
「ボクにとっては、ノスケくんはその…充分すぎるくらい、良い、彼氏…だからさ」
わざわざスパダリとか目指さなくても、そのままで良いよ。
照れくさくて小さな声になってしまったが、言いたいことは伝えられた。
熱くなった頬を抑えていると、項垂れていたノスケがゆっくりと顔を上げた。
「ピーニャくん…」
「ボクも、浮気なんて言っちゃってごめんね」
「いえ、…オレも、不安にさせてごめんなさい」
落ち着いたのか静かな口調に戻ったノスケが困ったように首を降る。
良かった、といつも通りになった空気に安堵の溜息を吐くと、床に正座をしていたノスケが徐ろに立ち上がった。
「ノスケくん?」
「ピーニャくん、閃きました」
「うん?」
「ちょっと、スポドリ買ってきますね」
言うが早いか踵を返して部屋を出ていこうとするノスケに、嫌な予感を覚えて慌ててその手を掴む。
「待って待って待って!なんか嫌な予感しかしない!!」
「大丈夫です!スポドリの成分は概ね人体に必要なものなので」
「違う!そういうことを心配してるんじゃない!」
「オレに任せてください!」
「無理!!!」
その後勝ち誇った様子で自動販売機の前に立つノスケが、熱い戦いを終え晴やかな顔のネモと疲れ切ったボタンにより目撃されたとか、しないとか。
終わり