白痴に捧ぐ俺が同人誌の悪魔に未来へ呼び出されてからはや一ヶ月。
目の前の未来の俺……自分とは思いたくない、記憶を無くして呆けた男は相変わらずぼんやりとしている。
公安は俺を処分しないと決めたらしく(処分して未来の俺に影響が出ると困るためとのこと)俺は未来の俺の暮らすマンションに身を寄せるという名の未来の俺の介護をする羽目になっている。
まあ、介護要員の公安職員は定期的にやってきてはいるが。
「おい、歯ぁ磨くぞ。口開けろ」
起床したばかりでまだ寝ぼけ眼の未来の俺を洗面所まで引っ張り、口を開けるよう促す。
未来の俺は言われた通り素直に口を開け、俺は歯磨き粉をつけた歯ブラシで丁寧に歯を磨いてやる。
子供もいたことがないのに自分相手に子供の世話の真似事をしている……それがなんだか可笑しくて思わず自嘲する。
「口すすげ。そう、良い子だ」
未来の俺はきちんと命令すれば大概のことは出来る。
口をすすいだ未来の俺の口元をタオルで拭いてやり、俺たちはキッチンへと移動する。
「椅子に座ってろ」
だまって椅子に座る未来の俺を横目に俺は冷蔵庫(俺がここにやって来るまで空っぽだった)から卵とベーコンを取り出し、フライパンに油を引き熱する。
熱くなったフライパンの上にまずベーコンを四枚並べ、そのベーコンの上に卵を二つ落とした。
フライパンに蓋をし、その間にトースターに食パンをセットし、冷蔵庫から牛乳を取り出すと俺は食器棚から適当に皿を二枚、グラスも二つ取る。
トースターから焼き上がった食パンを皿に移し、フライパンの中の目玉焼きをトーストの上に乗せた。
牛乳もグラスに注ぎ、未来の俺の前にトーストと牛乳を置いた。
「ほら、食え」
未来の俺はトーストを一口齧り、また一口齧る。
俺も目の前に皿を置き、椅子に座りトーストを齧ると牛乳でそれを胃に流し込む。
料理なんて一切してこなかった俺が簡単なものなら作れるようになるとは、人間追い詰められればなんでも出来るようになるものだ、と妙に感心してしまう。
いつのまにかトーストを食べ終えていた未来の俺は牛乳も飲み干し、じっと俺の後ろの壁を見ている。
俺もトーストを口にねじ込み牛乳で流すと、空の食器を集めシンクに置いた。
食器は今日来る介護要員が洗ってくれるだろう。
そして未来の俺を寝巻きからシャツとスラックスに着替えさせるとソファに座らせた。
あとは連絡が来るまで自宅待機だ。
俺もソファに座り、未来の俺を横目で見る。
ぼんやりと宙を見ているこいつと初めて出会った時、俺はこいつが未来の自分だとは信じられなかった。
何がどうなって白痴のこいつに俺はなってしまうのか。
そして何故公安に飼われているのか。
納得のいかない事実は大量だが今はぐっと飲み込むしかない。
こいつの部屋も俺が来るまで酷い有様だった。
ゴミは散乱してるし、どうせ使えないからと家電らしい家電もないし、碌なものを食べていない気配もする。
俺は何とか家電を手配し、ゴミ袋にゴミを詰め込み、不慣れながら料理をする。
それがもう一ヶ月だ。
元の時代に戻れる気配もないし、俺には行くとこもない。
甘んじて俺は未来の俺のおもり兼、公安への協力を約束してここにいる。
「お前さ」
未来の俺からの返事はない。
「俺が来なかったらこうやってずっと一人で生きていくつもりだったのか?」
時計の秒針だけがかすかに聞こえる。
「なあ」
俺は未来の俺の手を掴んだ。
ぴく、と未来の俺の体が揺れ、顔が俺の方を向いた。
その目は俺を見ているようで見ていない。
「……これからは俺がいるからな」
悲しいと思った。
急に怖くなったのだ。
こいつが、一人でずっと生きていくのだと思うと。
未来の俺を俺は胸に抱き寄せて、目を閉じた。
不死身の、愛しい自分。
もう、一人にしない。
僕がいつも通りチャイムを押すとドアが開き、もう一人の彼が顔をのぞかせる。
「遅いじゃねえか」
「すみません」
もう一人の彼が引っ込み、僕も玄関に入り、靴を脱ぐ。
僕は一応公安勤務だが、彼……サムライソードの世話係の一人でもある。
ゴミ出しや皿洗い、彼ともう一人の彼の定期的な所在確認のようなものが仕事だ。
「こんにちは、元気でしたか?」
彼は僕を一瞥し首を傾げると、また視線を宙に向けた。
もう一人の彼が現れる前も定期的に訪ねてはいたが、やはり隔週訪問だと部屋も生活も荒んでしまう。
もう一人の彼が現れてくれたのはある意味ラッキーだったかもしれない。
しかしその結果彼が僕から離れてしまったようで、僕は言いようのない不安を感じている。
それ程までに僕は彼に対して情を抱いてしまっているのが事実だ。
僕はおもむろに彼の手を取る。
男らしい大きな手は暖かい。
彼はしっかり生きているのだと実感する。
「少し手が荒れてますね……今度ハンドクリーム持ってきます」
「ほんと……そいつに優しいなお前……他の奴らとは大違いだ」
「そうですか……?」
もう一人の彼の鋭い視線が僕の背中に刺さる。
最近もう一人の彼の僕に対する態度がキツい気がする。
僕も正直、もう一人の彼が苦手だ。
彼と同一人物だということは理解しているのだが、どうしても僕の心はもう一人の彼を受けつけない。
尊大な態度と射るような視線、どれもこれも僕の体を硬直させる。
それに比べて彼は……たしかに何も言わないし、感情も顔に出さない。
でもそれが心地よいと僕は感じ始めていた。
……正直に言えば、僕は彼の隣に居たい。
しかし。
「いつまで手握ってんだ」
もう一人の彼によって阻まれている。
「……すいません」
彼の手を離し、僕はシンクで洗い物を始める。
もう一人の彼が、彼の肩を抱き何やら話しかけている。
その光景に胸がちくり、と痛んだ。
その痛みを誤魔化すように僕はスポンジを泡立たせグラスを擦る。
泡を流す水は手を冷やし、僕は彼の暖かな手をもう一度握りたくなった。