「(間違えた)」
エグザべがそれに気付いたのは、手のひらにプッシュしたシャンプーを勢い良く自身の髪で泡立てた時だった。
この家には二種類のシャンプーがある。ひとつはエグザべのもので、ドラッグストアなどでリーズナブルに入手出来る製品。残るひとつは、共に暮らしているシャリアのもの。ウッディ系(コモリ少尉に教えてもらった)の匂いがふわりと香り、それでいて彼の身に纏う香水の邪魔にならない。まさに落ち着いた大人の男性、といった香りだ。
そのシャリアのシャンプーの匂いが浴室に広がっている。髪を泡立てたまま、エグザべは少しだけ思案した。
「(…今日明日は別行動の予定だからバレることはないだろう。それに、あの人のことだから、もし仮にバレたとしても怒ることはしないだろうし)」
うん、とひとり頷いて、もう一度丁寧に髪を洗う。どうせならとコンディショナーまで拝借し、入浴後、髪を乾かし終わる頃にはすっかり匂いにも慣れていた。
「あ、中佐!……あれ、エグザべ少尉でしたか」
「?はい」
「おかしいな。中佐がいた気がしたんですが…」
「今日明日は別行動なので、中佐にはコモリ少尉がついていますよ」
すみませんでした、と立ち去る相手を見送り、エグザべはひとり首を傾げた。今日はこのようなやり取りが多発しており、今ので実に四回目。偶然にしてもこれは多過ぎるのではないか。
「おーい、ヒゲマン!……あれ?ザベちじゃん」
エグザべの背後から現れたのはアマテとニャアンだった。これで五回目となるその問い掛けに、思わずエグザべの口から溜息がこぼれる。
「今日何度も言われてるよ、それ。何でだろうな」
「うーん…向こうから来た時、絶対ヒゲマンだ〜って思ったんだよね」
アマテも加わり、二人して頭を悩ませる。その時、それまで黙ってアマテの隣にいたニャアンが小さく手をあげた。
「あの、……匂い、じゃないですか?」
「匂い?」
「……あー、たしかにそうかも」
いまいちピンときていないエグザべを横目に、何かを理解したらしいアマテが手を叩く。
「どういうことだ?」
「なんかこう、いつものエグザべ少尉とは違う…ええと……高級っぽい?感じというか」
「うん、何かヒゲマンみたいな匂いするよ」
「ええ?」
より謎が深まった気がする。眉間にシワまで寄せ始めた頃、エグザべはようやくひとつの出来事を思い出した。
「……………………あ」
昨日の夜は間違えてシャリアのシャンプーを使用している。思い当たることといえばそれだけ。それに気付くと、恥ずかしさがじわじわと込み上げてくる。耳が熱い。
「お、心当たりがある顔してる」
「ね」
にまにまと顔を突き合わせて笑う少女たちにエグザべは何も言うことが出来ない。赤くなった顔を見せないようにすることで精一杯だ。どうやってこの場を収めようかと回らない頭で考え始めた時のことだった。
「楽しそうですね」
「もう、廊下で騒がないの」
所用を終えたらしいシャリアとコモリがいつの間にやら近くに来ていた。エグザべを揶揄っていた二人は「本物のヒゲマンだ〜。コモリンも久しぶり」「…こんにちは」とあっという間に意識をそちらに向ける。取り残されたのは、先程の余波で真っ赤になったままのエグザべだけだった。
「エグザべく…じゃなかった、少尉。どうしたの?熱でもある?」
「違うよ、コモリン。ザベちはさ、「あ〜ストップストップ!」……邪魔しないでよ〜。恥ずかしいのは分かるけどさ」
「恥ずかしい?」
「…今日のエグザべ少尉、あなたに何度も間違えられているらしくて」
「私に?」
ふむ、とシャリアがエグザべに近付く。
「エグザべ少尉、貴方…もしかして私のシャンプーを使いませんでしたか?」
「なっ、」
「おーさすがヒゲマン。一発でビンゴ」
「ちょっと失礼。――うん、髪も傷んでないですね。貴方の髪質にもちゃんと合っていたようで何よりです」
「それってどういう…」
「どうせならこれひとつだけにしませんか?そうすれば間違えることもなくなりますし」
次いで、エグザべの耳に口元を寄せたシャリアが小さな声で囁く。
「それにあなたも好きな香りでしょう、これ」
最後にシャリアはエグザべの襟足へと己の指先をゆるく絡め、それを解きながら距離を取った。
「〜〜〜ッ、知りません!」
「ヒゲマン、ザベちのこといじめるのやめてあげなよ」
「いじめる?まさか。大事な彼にそんなことするはずないでしょう」