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    No.5

    No.5(ふぁいぶ)と申します。
    腐向けの作品が多いです。お気を付けください……!

    twst:トレジェイ
    dkmn:宗雨

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    No.5

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    お見合いをすることになった雨竜。
    全く気乗りがしない雨竜であったが、そんな雨竜の気持ちとは裏腹にお見合いはどんどん進んでいき――……

    dkmnBL限定WEBオンリー「Kaleido Masquerade」で先行公開していました宗雨のおはなしです。
    ※ストーリー第2部までのネタバレがありますのでお気を付けください。
    ※モブ(女)がかなりでしゃばります。

    #dkmn腐
    #宗雨

    俺がしているのは、お前の好きな人の話だが。【宗雨】「マズい……」

     雨竜はそんなことを呟き歩みを速くするも、もう取り返しがつかないことは分かっていた。
     これは、僕自身が選択したことだ……
     でも冷静に判断したとは言い難い。その場の流れからの咄嗟の判断だった。

    「どうしよう……」

     後々のことを考えると、とめどなく冷や汗が流れてくる。しかし……今はひとまず現状の問題をどうにかしなければならなかった。
     雨竜が後ろを確認すると、自分を追いかけてきている派手な化粧をした和服の女性が視界に入る。

    「っ……うわっ!」

     突然進行方向に現れた影にぶつかってしまい、雨竜が「すみません!」と謝って顔を上げた。そこにいた知っている顔に、雨竜は青くなっていく。
     今考えると商業地区にいたのだから会っても不思議ではないと思うが、この時はとにかく焦っていて、頭が全然働いていなかったのだ。

    「そ、宗雲さん……!」

     いつものスーツで立っていた宗雲は一瞬驚いた表情を浮かべたが、焦る雨竜を見て問いかけた。

    「……何かあったのか?」
    「あ……、いや、そのっ……」

     自分の状況をどう説明すれば良いか分からず慌てる雨竜だったが、宗雲の視線が自分の服に伸びていることが分かり、ハッとする。
     あ、そうだ……!今、僕も和服を着ていて……さっきから目立っていたのはこれのせいか、と気が付く雨竜。
     って今はそんなこと考えてる場合じゃなくて!

    「その、僕が来たこと、言わないでください!」

     それだけ言うと、雨竜は宗雲の後ろにあった細い通路に入った……が、そこが行き止まりで愕然とする。
     ど……どうしよう!
     立ち止まるしかなくなった雨竜は、隠れながらもそっと路地から顔を出して宗雲の方を見る。そこには予想通り、自分を追いかけていた和服の女性がやってきていた。

    「あ、あの!」
    「……はい、どうされましたか?」
    「和服の男性が、ここに来ませんでしたか?」
    「……ええ、来ましたよ。」

     その答えに、雨竜の肩がビクッと揺れる。
     言わないでほしいことは伝わっているはず……だったが、別に約束したわけではない。何も聞かされていない宗雲がそう答えるのは、不自然なことではなかった。
     ……ここまで来たのに、捕まってしまう……
     雨竜は泣きそうになっていたが、聞こえてきた宗雲の言葉に、ほっと胸を撫で下ろすこととなった。

    「来ましたが、あちらへ走っていきました。」

     良かった……ちゃんとお礼をしないと……そう思い、雨竜が顔をひっこめる。
     女性のありがとうございます、という声が聞こえ……それで終わったかと思ったが、何故かまた宗雲の声が聞こえてきた。

    「あ……少しお待ちください。」
    「何でしょうか?」
    「今日はお2人でお出掛けですか?」

     え……?宗雲さんは、何を聞いているのだろう……?
     雨竜は安心した途端にまた不安に駆られ、そーっと顔を出して2人を見る。

     宗雲と話していた女性は、宗雲の笑顔に少し頬を赤らめているように見えたが、それを隠すようにすぐに顔を背けると「いえ、そうではなく……お見合い前の顔合わせみたいなものでして」と発した。それに宗雲が頷く。

    「ああ、それで……もしかして、男性が急に走り出した、とかじゃなかったですか?」
    「あ、えっと……」

     ギクリ、とした表情を浮かべた女性を見て、宗雲は言葉を続けた。

    「実は、あちらに走って行った先程の男性が家紋のバッジ?のようなものを探していらっしゃいまして……どこかで失くされたみたいでした。」
    「まあ、そうだったのですね。」

     ……家紋の……バッジ……
     胸元に付いているバッジを見て、これを見合いの時には必ず付けておくように言われていたことを思い出す雨竜。
     ……たしかに宗雲さんなら、このバッジの存在は知っていると思うけれど……でも今それを言う必要はないはずで……
     もしかして庇ってくれているのだろうか、という可能性が頭の中に浮かび上がってくる。

    「ええ。無いことに気が付いて慌てておられたようですので、また見つけたら連絡がいくと思いますよ。」
    「そう……ですね。」
    「一緒にいるお相手に何の断りもなく探しに行くのもどうかと思いますが……大分焦っていたのでしょう。彼からの連絡を待ってみてはいかがでしょうか?」

     宗雲がニッコリ笑ってそう言うと、女性はまた顔を赤らめて頷いた。

    「ええ……ありがとうございます。そうしてみます。」

     そう言うと、その女性は宗雲に向かってペコリと頭を下げて歩いて行く。そんな光景を見ていた雨竜だったが、ハッとして顔を引っ込めると完全に路地裏に姿を隠した。
     これは……確実に……庇ってくれた。
     何故そんなことをしてくれたのかは分からなかったが、明らかに自分の失態をフォローしてくれたことが分かり、雨竜がきゅっと着物の襟を掴む。

    「……」

     と、とりあえず……お礼を言わないとっ……それから……えっと、それから……
     雨竜が頭の中を整理していると、コツコツ、と靴の音が近付いてきた。
     そして、宗雲が顔を出す。

    「……そこは行き止まりだ。」
    「す、すみません……!ありがとうございますっ……」

     そ、そうだ!最初はここを使って逃げようとしていて……でも行けなくてっ……
     その事を思い出した雨竜は恥ずかしそうに顔を染めるが、「あの、その……お見合いのことも……ありがとう、ございました……」となんとか呟いた。
     それに宗雲は、ああ、と短く返事をすると、言葉を続ける。

    「家紋のバッジが見つからないから会うのはまた後日にしたい、と電話をかけておくと良い。」
    「はい……」

     ありがとうございます、と続けると、宗雲はまた「ああ」と一言だけ呟いて歩き出す。
     何故僕の状況が分かったのか、とか、何故助けてくれたのか、とか、聞きたいことはたくさんあった。でも……

    「……」

     何も聞かずに庇ってくれた、ということが嬉しくて、全て飛んでしまっていた。
     ……後から、聞いておけば良かった、と思うだろうな。
     別れてからそんなことが脳裏に過るが、歩いていく背中をそのために呼び止めることは出来ず……

    「……やっぱり。」

     僕、宗雲さんのこと、好き……なんだな……
     雨竜はそんなことを再確認しながら、スマホを取り出したのだった。





    ・・・・・





    「あー雨竜だ!」

     後ろから声をかけられて、雨竜は驚いて肩を揺らした。
     び、びっくりした……!商業地区で、こんな風に呼ばれるなんて珍しい気がする。誰だろう……?
     振り返れば、そこには満面の笑みで手を降っている颯がいた。

    「あ……颯さん……」
    「え、何々?今日何かあるのー?」

     雨竜の格好を見た颯が不思議そうに首を傾げる。たしかに、和服っていうだけでも結構浮いているのに、晴れ着に近い和服だから……
     そんなことを思いながら、雨竜が口を開いた。

    「あ、その、ちょっと……いろいろありまして……」
    「えー何、お見合いとか?」
    「っ!」

     まさかのピンポイントの正解に、反射的に体が揺れてしまう。
     颯はニィーッと笑うと、「え、え、もしかして、正解だった?!」と嬉しそうにしていた。

     ……今日は、お見合い……の一歩前というか、お見合いするための顔合わせという、よく分からない時間だった。
     お互いの家族のことや仕事のことを、少しでも把握して、上手くいきそうか確認しておきましょう、というのが名目らしい。
     ……これを全部言うのもバカらしいけれど、どうしようか……
     そんなことを考えていると、その無言を肯定だと判断したらしい颯がキラキラした目で問いかけた。

    「どんな子だったのー?可愛かった?美人だった?あ、清楚系?」
    「……えっと……」

     質問攻めの颯に、雨竜が苦笑いを漏らす。

    「……あれ、感想は何か無いの?」
    「感想……ですか?」

     相手の女性の顔の感想、ということだろうか?……そんなものは特に無い。だって僕にとっては、彼以外は全部同じだから……
     そんなことを思っていると、颯に覗き込まれた。

    「っ!」
    「……何か困ったこと、あった?」
    「え……?」
    「困ってますーって顔に書いてあるけど。」

     颯がそう言うと、雨竜の腕を掴んで歩き出した。
     べ、別に困っているわけじゃなくて、ちょっと考えていただけでっ……というか、困っていると言うなら、颯さんの質問攻めに困っているというのが正解な気が……!

    「え、ちょ、何っ……」
    「相談に乗るよー!」

     僕、暇だし、と付け足して、颯はどんどんと足を進める。
     雨竜は抵抗できないまま、颯に引きずられてカフェへ連れて行かれたのであった。





    ・・・・・





    「っていうか、やっぱり大きいお家は大変だねー?」

     そう言って颯がカフェラテを口に運ぶ。
     入ったカフェの中でも、和服の自分は少し浮いており……周りから何か言われているのが分かるが、特に颯は気にした様子もなく、カフェラテを飲んでいた。
     雨竜は、自分の前に置いてある抹茶ラテのコップを握って口を開く。

    「ええっと……でも今日は本格的なお見合いではなく、お見合い前の顔合わせみたいな感じだったのですが……」
    「ふぅん……でも、それにしては、顔が晴れないね。」

     その言葉に、雨竜は顔を背けた。
     この人、こんなに鋭かっただろうか……?
     もちろん、ウィズダムの一員としては把握していた。ただ、あの中では1番感覚で動きそうというか、勘で動きそうというか……
     雨竜がそんな失礼なことを考えていると、颯から心配そうに問いかけられた。

    「……あんまり楽しくなかった?無言がずっと続いてたとか?」

     颯はそう言い、楽しくないから帰りたいとは言えないもんねー、と続ける。
     あ、いや、ああいう場は、基本楽しい楽しくないの基準で考えるものでは無い気がするけれど……?今日は最後に2人で話をした時以外は両家とも両親がいたし……
     雨竜がそんなことを思い、苦笑しながら口を開いた。

    「いえ、お話はたくさんしてくださいましたよ。」
    「あ、そうなの?じゃあ、相手の顔が好みじゃなかった?」
    「え……?あ、いえ、僕は好み、とかそういうものは無くて……」
    「えー!何それ!そりゃ頑張ってる女の子はみんな可愛いかもしれないけどさー……」

     そこまで言った颯の言葉が急に止まった。
     ……どうしたんだろう?
     雨竜が首を傾げていると、颯がニコーっと笑って、思い付いた!という風に人差し指を立てる。

    「分かった!」
    「……え?」
    「好きな子、いるんでしょ~?」

     突発的に発されたそれは、中高生のノリのような軽い言葉だった。
     普段であれば「そんな訳無いじゃないですか」と返せるような雰囲気だったが、今日はいろいろなことがあり……露骨に固まってしまった。
     あっ……
     やってしまった、と思った時にはもう遅かった。雨竜の様子を見た颯が目を丸くする。

    「……え、そうなの?誰だれ?!どんな子~?」
    「え、いや……別に僕は、好きな人なんて……」
    「いるって顔に書いてるよ?」
    「う……」

     雨竜が視線を落とす。
     そりゃ、あんな反応したらバレるか……これは完全に自分のミスだ。
     そんなことを反省しながらも、雨竜は顔を上げられず……颯の質問に小さく答えていくことしか出来なかった。

    「付き合ってるの~?」
    「…………いえ。」
    「そうなんだ!告白、しないの?」
    「…………する予定は無いです。」

     雨竜がそう言うと、「えー!雨竜、良い男だからいけると思うけどな~」と颯がむくれる。
     ……告白なんて絶対にしない。したところで断られるのは分かっているし、今でもあまり話せないのに、気まずくなって今以上に話せなくなるのは絶対に避けたい。気を遣わせて迷惑をかけるのも嫌だ。それに……僕は同性で、その上、弟だ。気持ち悪いとか思われたら……
     マイナス思考ばかりが飛び交っているのは分かっていたが、こればかりはどう考えてもプラスに考えられるところは無かった。

    「え、っと……絶対に上手くいかないのは分かっていますし、迷惑をかけたくないので……」
    「何それ。そんなの分からないじゃん!それに、告白されて迷惑だと思う人なんていないよ!」

     そう言い、颯がむぅ、と唇を尖らす。
     ……そんなことはない。告白されること自体が迷惑だって思う場合もある。今回の場合がそれで……

    「……」
    「……大丈夫?」

     突然颯に顔を覗き込まれたことに、雨竜がガタッと椅子ごと後退した。
     び、びっくりした……!
     雨竜が慌てて口を開く。

    「す、すみません!大丈夫です!」
    「ねぇ、じゃあさ、僕協力するよ?」

     そう言い、颯がニコニコする。
     協力……?
     颯の言葉を頭の中で噛み砕くが、どう考えても自分には必要が無い、という結論に達する。

    「いえ、その……」

     断ろうとしてそこまで言ったところで、雨竜のスマホが震えた。ハッとして確認すると、『高塔戴天』と表示が出ている。

    「すみません、社長から連絡が……」
    「あ、そうなんだ!じゃあ協力してほしくなったら、いつでも言ってね~!」

     颯が手を降るのを見て、雨竜はスマホを耳に当てながらペコッと頭を下げると、歩き出したのだった。





    ・・・・・





     その日の夜――……
     雨竜は両親の部屋を出て、大きく息を吐き出していた。
     内容は今日の話と、次の日程決め。
     自分が相手と離れてしまったことについては、両親にも伝わっていたようだが、相手が全く気にしていなかったようで、何もお咎めは無かった。

    「……」

     それもこれも、全部宗雲さんのおかげ……
     そんなことを思いながら、周りに聞こえないようにまた息を吐き出す。

     両親は上機嫌だった。それは良かった。
     でも……次に会う予定がすぐに決まり……挙句の果てにはもう婚約やら結婚やらの話も出ていた。
     このまま、数年後には結婚……
     雨竜には、好きな人がいるという以外に、もう1つどうしても気になる問題があった。

    「……雨竜くん、大丈夫ですか?」
    「!」

     驚いて顔を上げると、そこにいたのは戴天だった。
     ぜ、全然気が付かなかった……!
     雨竜が慌てて「はい!」と返事をする。戴天は雨竜に向かって「今日はお疲れ様でした」と言ってニッコリ笑うと、言葉を続けた。

    「トラブルがあって大変だったそうですね。」
    「そ、そうなんです……」

     そう言い、僕の不注意で、と付け足す。そして、チラッと戴天を見て……なんとなく、目の前にいる戴天に、いつもと違う雰囲気を感じ、雨竜が首を傾げた。
     ……兄さん、なんかいつもと違う?どうしたんだろう……?
     そんなことを思っていると、聞かれるとは思いもしていなかったことを言われ、雨竜は目を丸くした。

    「お見合いの件、あまり気乗りしませんか?」
    「え?」

     ……何故、兄さんがそんなことを……?
     不自然に視線が揺れてしまい、雨竜が慌てて視線をそらす。
     ……気乗りなんてするわけがない。でも、そんなこと、絶対に言えなくて……
     そんなことありません、と言おうとするが、口が上手く動かずに「えっと……」と言ったっきりになってしまう。
     それをどう受け取ったのかは分からないが、戴天はゆっくりと口を開いた。

    「雨竜くんが納得していないのは分かっていました。しかし、止めることが出来ず……」

     そう言うと、すみません、と目を伏せた。
     正直、驚いた。まさか、兄さんがそんなことを考えてくれているなんて、思いもしなかった。高塔家のためには結婚した方が上手くいくことなんて、最初から分かり切っていることだ。結婚についてどう感じるかは、僕個人の気持ちであって……と、とにかく!兄さんが謝るようなことでは無い……!
     そう思いながらも、自分のことを見ていてくれたんだなということに、心がじんわりと温かくなってくる。

    「兄さんが悪いわけではありません!心配してくださり、ありがとうございます。それに、早い内から相手のことを知っておく方が、今後のことを考えると良いと思いますので……」
    「……ええ。たしかにそれはそうですね。少し時期としては早いですが、いずれやってくることではありますので……」

     戴天はそう言うと、「両家の両親も乗り気のようですので、このまま話が進みそうですし、定期的に会っておく方が良いかもしれませんね」と続ける。

    「……はい。」
    「何かあれば、いつでも相談してくださいね。」
    「……はい、ありがとうございます。」

     雨竜はそう言うと、自分の部屋へ向かった。戴天があんな風に考えてくれていたとは思いもせず……少し驚いたが、嬉しかった。
     そんなことを考えながら雨竜は自分の部屋に入って扉を閉めると、大きく息を吐き出した。

    「……」
     
     鞄を置いた音がやけに大きく聞こえ、その後にやってくる静寂を引き立てる。
     雨竜が目をつむったのと同時に、先程考えていたもう1つの気になる問題が頭の中に浮かび上がってきた。
     ……それは、相手のことだった。

     相手の印象は……正直悪かった。
     僕より少し年上で、たしか……19歳だったはず。それなのに、アルコールとタバコの匂いがした。
     このご時世、20歳未満でも飲み会があるため飲酒している大学生は多いと聞く。でも、こういう大切な日に匂いが残る程飲んでいるとなると、話は別だ。どう考えても誠実ではないだろう。
     それに……

    「……距離が……」

     距離が……近かった。
     初めて話すのに、あんなに距離を詰めてくることなんてあるのだろうか?擦り寄ってくる感じをすごく不快に思ってしまった。
     それで……気付けば外へ逃げてしまっていた。

    「……」

     あんな突発的な行動を取ったことは反省しなければならない。面と向かって嫌なことを言われたり、襲い掛かられたりしたわけでもないのに……気付けば走り出してしまっていた。
     宗雲さんの助けがなければ、怒られるどころの騒ぎじゃなかったかもしれないし、最悪は高塔家の名前に傷を付けて破談になっていたかもしれない。

    「結果的には……大丈夫だった、けれど……」

     もし……本能的に嫌だと思ってしまった、のだとしたら、結婚なんて絶対に考えられない……
     雨竜は椅子に腰かけて目を伏せた。
     具体的に何かされて嫌だったのであれば、それを言って拒否することは出来る。しかし、そうでなければ、ただ難癖をつけただけだと思われてしまう……そうなれば、高塔家の印象が……

    「……出来ない……」

     拒否するなんて、出来ない。
     ……何度も会っていれば慣れるだろうか?
     雨竜は、ゆっくりと視線を天井へと上げていく。見つめた先には暗くて深い闇があるような気がした。





    ・・・・・





     数日後――……

    「ねぇ、この前さ、雨竜に会ったんだよね~!」

     閉店後、テーブルを拭きながら突然そんなことを言い出した颯に、近くを通りがかった浄が「一緒に遊びに行ったのかい?」と問いかける。それに颯が首を振った。

    「ううん!なんかお見合い帰り?って言ってた!」

     その言葉に、少し離れたテーブルで書類を広げていた宗雲の肩が小さく揺れる。
     そんな宗雲を横目に見ながら、浄が口を開いた。

    「へぇ……高塔家は大変だねぇ。」
    「そうだよねー。なんとかしてあげられないかなー……」

     その言葉に対し、浄が首を傾げて「なんとか、とは?」と問いかける。
     颯が、よくぞ聞いてくれました、とでも言うようにテーブルに手を突いて体を乗り出した。それに浄が引きつった顔で一歩下がる。
     颯はそんな浄を知ってか知らずか、とびっきりの笑顔で言葉を発した。

    「お見合い、無しにしてあげたいなって!」
    「……嫌だって言っていたのかい?」
    「そうじゃないんだけどさぁ……なんか喋ってた感じちょっと嫌そうだったし、まだ10代なのに可哀想じゃん!」

     それに浄が笑うと、「それは颯の偏見かもしれないだろう。本人は納得しているかもしれないし嫌じゃないかもしれない」と言う。
     それに颯がむくれて反論した。

    「そんなことないもん!だって雨竜、好きな人いるんだよ?それなのに無理矢理お見合いとか絶対可哀想だって!」

     その言葉に、浄と宗雲の動きが止まった。
     浄が驚いた表情を浮かべて「……好きな人?」と問い返す。それに颯が、ウン、と頷いた。

    「なんか告白したら迷惑かけるからしない、とか言っててさぁ……絶対お見合いのせいじゃん!浄、なんとかしてあげてよー!」

     颯がそう言って、浄の両肩を掴んで揺らす。
     浄は揺らされながらも「俺よりも絶対適役がいるだろう……」と小さく呟いて宗雲の方を見るが、宗雲はそれを完全に無視して書類を揃えると、立ち上がって歩いていってしまった。

    「……おい、邪魔だ。」

     いつの間にか近くに来ていた皇紀に睨まれ、颯が手を離す。

    「あ、皇紀さんでも良いよ!」
    「……三枚おろしにされたい奴がいるのか?」
    「そ、それはダメ!」

     慌てて首を横に振る颯に向かって、「どけ」と言うと、皇紀が歩いていく。
     むーと膨れる颯を見て、浄が口を開いた。

    「……みんなそれぞれ事情があるんだよ。」
    「それは……分かるけどさぁ……」
    「だから、余計なことはしないようにね?」
    「はぁい……」

     颯がしぶしぶ、といった様子で頷く。
     宗雲はそんな颯を遠目に見ると、バックヤードへ入って行ったのだった。





    ・・・・・





    「……あ。」

     数日後、仕事で商業地区まで来ていた雨竜は、バッタリでくわした宗雲を見て行動を止めた。
     宗雲も足を止めると「……今日は仕事か」と言う。
     まさか……こんな直近で会えるとは思っていなかった……!
     雨竜はそんなことを思いながら、口を開く。

    「あ、はい、今日は仕事で……で、えっと!あのっ、この前のことですが……宗雲さんのおかげで特に何の問題も無く、お見合いが終わりました。本当にありがとうございました。」

     そう言い、頭を下げる雨竜。
     宗雲は「ああ、それは良かった」と発すると、ジーッと雨竜を見た。
     ……え?何?み、見られてる……?え、何で?!僕の顔に何か付いてる……とか……?!な、なんか、これだけ見られると、緊張する、んだけど……
     雨竜の視線が、徐々に落ちていく。

    「え、えっと……何で、しょうか……?」

     緊張しながらもそう問いかけると、少しして宗雲から言葉が返ってきた。

    「……1つ聞きたいのだが。」
    「あ、はい!」

     雨竜が勢いよく顔を上げる。

    「あの日、何故逃げてきた?」

     その言葉に、顔を上げたまま固まってしまった。
     ……お見合いから逃げてきた理由……を聞かれている。どうする?本当のことは言えない。となると、嘘……をつくのも、どうかと……思うし……何も答えないのも、変、だし……

    「あ……えっと……」
    「……お前は、いくら見合いが嫌であっても、その感情だけで全てを放り出して逃げるような人間では無かったと思うが。」

     雨竜の視線が宙を彷徨う。
     どう説明しよう……こんなこと、言われるとは思っていなかった。ただただ、お見合いが嫌で逃げてきたように見えているかなと思っていたけれど……
     雨竜は必死に頭を回転させるが、何も思い付かない上に、石像になったように口も動かない。
     しばらく俯いて硬直していると、宗雲から「言いたくなければ言わなくて良い」という言葉が返ってきた。

    「あ……え、と……」
    「今回の見合いは、お前の兄の紹介か?」
    「え?」

     また別の質問が降ってきて、雨竜が顔を上げると、バチッと宗雲と視線が合った。
     その瞳に何故か吸い込まれそうになり……ハッとして雨竜が口を開く。

    「あの!えっと……!兄さんは、関わっていないと思います!両親から直接話がきたので……」
    「……そうか。」

     宗雲はそう言い、手を口元に当てる。
     ……何か気になることでもあるのだろうか……?
     宗雲の考えていることが分からず、雨竜が「あの……何か……」と声をかけると、宗雲が口元から手を離し、雨竜の方を向いた。

    「……いや、何でもない。」

     そう言うと、「じゃあな」と言って歩いていく。

    「あ……はい!」

     雨竜はそう言い、宗雲の背中を見る。その背中は、すぐ近くの角を曲がっていった。

    『いくら見合いが嫌であっても、その感情だけで全てを放り出して逃げるような人間では無い』

     さっき言われた宗雲の言葉を、頭の中で繰り返す雨竜。
     先程はどう対応しようか右往左往していて、ちゃんと理解していなかったけれど……
     熱くなってくる頬を雨竜が両手で押さえた。

    「……もしかして……ちょっと、喜んで良い……ことを言われた……?」

     そう考えると、さらに顔が火照ってくる。
     雨竜は、吹いてきた北風がコートを揺らすまで、そのまま道の真ん中で突っ立っていることになるのだった。





    ・・・・・





     数日後――……

     雨竜はその日の最後の仕事を終えて、小さく息を吐き出した。
     仕事の書類をファイルに戻しながら時計を見ると、定時は過ぎていたが、いつもの帰宅時間と比べると早いと呼べる時間だった。

    「……よし。」

     今日は習い事に間に合いそうだ。今日予定していたのは……
     手帳を開いた雨竜の視線は、今日の予定ではなく、昨日の欄に書いてあった『お見合い11時』というのを捉えていた。

    「……」

     ……そうだ。昨日……
     雨竜がパタン、と手帳を閉じた。それに雨竜の髪が微かに揺れる。
     ……昨日の方が、1回目に会った時よりも2人で過ごす時間が長かった。同じように最初は両親を交えて会話をして、その後2人になったけれど……
     昨日は逃げるという事態には陥らなかった……というよりも、逃げずに我慢することが出来た、と言う方が正解だろう。
     2回目だし慣れることが出来るかな、と期待して行った……が、それは大間違いだった。

    「っ……」

     アルコールとタバコの匂いはこの前よりひどいし、顔を至近距離で覗き込んできたり、必要以上に寄ってきたりすることも多くて……
     雨竜の右手が、左腕を無造作に掴む。

    「……」

     何故、ああいうことを平然と出来るのだろうか……?僕にはその感覚が全く分からない。感覚が全く違うタイプの人と結婚して、上手くいくものなのだろうか……しかも、相手は僕が嫌悪感を抱くようなタイプで……
     雨竜がそっと目をつむる。

    「……」
    「そういえば雨竜くん。」
    「!」

     突然、奥のデスクにいた戴天に話しかけられ、雨竜の体が揺れた。慌てて戴天の方を振り返る。

    「な、何でしょうか!」
    「……すみません、驚かせてしまいましたか?」

     戴天は振り向いた雨竜を見てそう言うと、申し訳なさそうに「帰る支度をしていたので、業務が終わったのかと思いまして……」と続けた。
     それに、雨竜は何度も頷いた。

    「はい!もう後は片付けて帰るだけです!」
    「そうですか。」

     戴天はそう言うと、「昨日のお見合い、上手くいったそうですね」と続けた。
     ……ああ、たしかに、兄さんとその話はしていなかった。
     そんなことを思いながら雨竜は笑顔をつくると、「はい」と頷いた。そんな雨竜に向かって、戴天が口を開く。

    「お相手の方からの評価も非常に良かったらしく、両親ともに喜んでいましたよ。」
    「そうであれば良いのですが……」
    「今後会社の経営にも関わってきそうですので、その辺りも考えたいところですね。」

     そう言う戴天を見て雨竜は考える。
     ……兄さんは、この結婚についてどう考えているのだろう……?高塔家としては、どの方向から考えても早く進めたいところだと思うけれど……兄さんの個人的な見解等はあるのだろうか……?
     もし相談できそうなら、兄さんに相手の女性のことを相談するという手もあるかもしれない、とそんなことを思いながら、雨竜は口を開いた。 

    「……兄さんは、僕の結婚についてどう思いますか?」
    「それは……経営者としてですか?兄としてですか?」

     ……そういう返しがくるとは思わなかった。
     雨竜はそんなことを考えながら、「どちらの視点でも構いません」と発する。その言葉に少し考える素振りを見せた戴天だったが、にっこり笑って口を開いた。

    「今後、会社を大きくするためには、必ず繋がりを持つ必要が出てきます。それを考えると、非常に有り難いですね。向こうは1人娘さんですので、雨竜くんとの結婚が決まれば、独占的に提携するという形にも出来るかもしれません。」
    「そう、ですね。」

     戴天からは予想通りの答えが返ってきた。
     兄さんが言っていることは、その通りだと思う。というか、それ以上の答えなんて無いのに、どうして僕は兄さんにこんなことを聞いたのだろう……相談なんて出来るはずないじゃないか。
     自分で聞いておきながら何故か悲しくなってきて、雨竜は視線を落とす。そんな雨竜に向かって、戴天は「ですが」と発した。それに雨竜が顔を上げる。

    「……?」
    「ですが、兄としてはそうでもありません。」
    「え?」
    「雨竜くんの気持ちが大切になると思っています。」

     僕の……気持ち……
     雨竜の眉間に皺が寄っていく。
     兄さんにとっては、高塔が1番だ。もちろん兄として僕の気持ちがそれに沿うことがベストだとは思ってくれているようだけれど、僕の気持ちが沿わないとしても……
     雨竜はそこまで考え、「ありがとうございます」と呟いた。

    「……他に聞きたいことはありますか?」
    「いえ……お時間をとらせてしまい、申し訳ありませんでした。」

     そう言い、雨竜は頭を下げて部屋を出た。そして、ゆっくりと廊下を歩いていく。
     ……2回会ったが、やはり印象は変わっていないし、むしろ悪くなっている。もし高塔家が絡んでいなかったら、と考えると……

    「……絶対に嫌だ。」

     友人になるのですら戸惑うレベルなのに、結婚なんてもってのほかだ。
     ……高塔家のためにどこまで自分を犠牲にするのか……
     相手の女性には申し訳ないが、雨竜の頭の中にはそんなことが浮かんできていた。

    「……」

     もちろん、結婚にはいろいろな形があると思う。お互い好きなだけじゃやっていけないこともあるだろうし、むしろ好きという感情が無くても上手くやっていける場合もあると思う。
     ……僕が一緒にいたいのは……
     すぐに宗雲の顔が浮かんできて、雨竜がブンブン、と頭を振る。

    「……ダメだっ……」

     今は、いろいろマイナスにしか考えられなくなっている。ちょっと休憩して、そして、もう1度落ち着いてよく考えよう。
     雨竜は鞄の持ち手をぎゅっと握ったのだった。





    ・・・・・





    「ありゃ、よく会うねー!」
    「!」

     数日後、小雨の買い物をして店を出ると、そこには颯がいた。
     マズい、と思って持っている荷物を隠そうとするが、雨竜が買った物や出てきた店に関して颯は全く興味が無いらしく、何も聞かれなかった。それよりも、ウキウキとした顔でこちらを見て「丁度雨竜のこと考えてたんだよねー」と言って腕を掴まれる。

    「え……?」
    「この前の話さーもっと詳しく聞きたくて!」

     颯はそう言い、ニコッと笑った。





    ・・・・・





    「僕のオススメはね、やっぱりカフェラテかな!」
    「……では、僕もそれで……」

     シックな洋館のような内装をしたカフェに連れてこられた雨竜は、その珍しい内装にキョロキョロと辺りを見回しながら座っていた。
     昔の装飾を真似ているのだろうか……?それに、流れているのは綺麗な音楽……これはジャズ?もしかして、レコードを鳴らしている……?
     質の良い音に雨竜の気持ちが少しずつ和んでいく。

     颯のオススメの店ということでやってきたのだが、マスターと仲良く話しているところを見ると、颯が常連であることが分かった。
     颯は「あ、カフェラテ2つね~」と注文すると、雨竜に向き直る。

    「今日はお仕事お休み?」
    「あ……はい。」

     雨竜が小さく頷く。それに颯がニコッと笑い、口を開いた。

    「そっかぁ!でも、いつもお仕事大変だね?」
    「いや……颯さんの方が……」
    「僕はみんなと喋れて楽しいから、全然大変じゃないよ~?」

     颯はそう言い、「あ、そうそう!聞きたかったことなんだけど」と言うと、言葉を続ける。

    「この前言ってた、お見合いってどうなったの?」
    「あ……えっと……」

     聞きたいことはそれだろうな、と思っていた。
     この前もあれだけ気にかけてくれていたのだから、きちんと報告した方が良いだろう。
     雨竜はそんなことを考えながら口を開く。

    「先日また会ってきました。この前よりもたくさんお話しすることが出来ました。」
    「そうなんだ!」

     「じゃあ、好きな人の方は?」と続ける颯の言葉に、雨竜の肩が反射的に揺れた。
     まさか、こんな矢継ぎ早に聞かれるとは思っていなかったというか……好きな人の方は、って何を聞きたいんだろう?会ったかどうか、ということだろうか……?
     どう答えればよいか分からず、雨竜は首を傾げながら「えっと……?」と曖昧に問いかけた。

    「何か進展はあったの?」
    「え……、いや、全く……」
    「会ってる?」
    「えっと……」

     待ち合わせして会った、とかじゃないけど……
     そう思いながら、雨竜が口を開いた。

    「先日少し会いました。」
    「あ、そうなんだ!」
    「でも偶然会っただけですが……」

     その言葉に颯が雨竜をジーッと見る。その視線に妙に居心地が悪くなり、雨竜は目をそらした。
     ……こういう無言の時間、どうしたら良いか分からない……特に颯さんと話していて、こういう時間があることなんてほとんど無いし……
     雨竜がそんなことを思っていると、颯からボソボソと呟くような声が聞こえてきた。
     
    「雨竜が告白しないのってさぁ、お見合いが原因なの?」
    「……それも理由の1つですが、それだけではないですよ。」

     そう言い、「心配してくださり、ありがとうございます」と続けた。
     ……颯さんは、この前から僕の好きな人の話とか、告白の話とかしてくるけど……結局何がしたいんだろう?
     告白させたい、のだろうか?としたら、その理由は……?
     雨竜は颯のやっていることがよく分からず、心の中で首を傾げながら話を続ける。

    「心配してくださるのは嬉しいのですが……僕は想いを伝える気は無いんです。」
    「……何で?」
    「迷惑をかけるのが分かっていますので。」
    「告白されたことが迷惑だって思うってこと?」

     颯がそう言い、よく分かんない、と膨れる。

    「……」
    「その好きな人ってさぁ、雨竜がそういう家にいるって知ってるの?」
    「あ……はい。昔からの知り合いですので、僕の事情についてはよく知っています。」
    「……昔から好きなんだ?」

     これは……失言だったかもしれない。
     雨竜は、誤魔化すように笑う。そんな雨竜を、颯がまたジーッと見て口を開いた。

    「……お見合い、上手くいってるんでしょ?」
    「はい。一応……」
    「このまま結婚する前に、想いを伝えておいた方が良いんじゃないの?」

     その言葉に、雨竜が俯く。
     ……やっぱり……告白させたい、ということなんだろう。でも、僕は絶対に告白なんてしない。いくら颯さんに言われても、それは変わらないし……
     そもそも何でそんなに僕に告白させたいんだ、フラれるのを見たいのだろうか、と正解かどうかも分からないのに、ふつふつと怒りが湧いてくる。

    「いえ……この前も言いましたが、迷惑をかけますし……嫌われたくないので。」
    「うーんそれ、この前も思ったんだけどさぁ……告白されても迷惑なんかじゃないと思うんだけどなー……今後のことを考えるなら、返事はいらないからっていう体でいくのはダメなの?」

     ……この人は、ここまでして僕に告白をしてほしいのか……?どうするかは僕が決めるし、口出しされる覚えはない。
     湧き出した怒りは徐々に大きくなっていく。

    「……このままで良いんです。」
    「……」
    「というか……これは、僕が決めることです。他人に指図される覚えはありません。」

     怒りに任せて、口を動かしてしまった。
     雨竜はハッとして両手で口を覆う。
     ……颯さんの顔が見られない……僕のことを心配して言ってくれているのは分かっていたのに、ひどいことを言ってしまった……
     どうフォローしようかと雨竜が口を開きかけた時、颯の口から先程よりも少し強い口調の言葉が聞こえてきた。

    「そんなこと分かってるよ。自分でも、迷惑なことしてるって自覚してる。」
    「……え?」
    「でも……ほっとけないんだもん!だって雨竜、全部諦めたみたいな顔してるから!」
    「っ!」

     颯の声が大きくなり、客の注目を集めてしまう。颯がハッとして周りを見回すと、小さな声で「ごめん」と呟いた。

    「い、いえ……」

     全部……諦めた……?
     颯の言葉が頭の中をグルグル回る。
     全部諦めた、みたいな、顔……
     それが今の自分にピッタリの言葉だと自分でも納得が出来た。そうだ、僕はいろいろ考えているフリをしながら、実際はどうにも出来ないと諦めていて……

    「……ごめんね。みんな事情があるのは分かってるんだけど……どうしても、雨竜の辛そうな顔が忘れられなくて……」
    「あ……その……」

     雨竜が「僕の方こそ、失礼なことを言ってしまってすみません」と呟く。それに、颯が首を横に振った。

    「ううん!もうこのことについては言わないから!だから、また一緒に楽しくお喋りしたいな!」
    「あ……えっと……」
    「ここの会計はしておくから、ゆっくりカフェラテ飲んで帰ってね?」
    「ちょっと待ってください!」

     反射的に立ち上がった颯の手を掴んでいた。颯が目を丸くして雨竜を見る。

    「……?」
    「す、すみません!その……」

     雨竜が俯いて……その先の言葉が出てこず、視線を落とす。
     このままじゃ絶対にダメだ!颯さんが悪者になってしまうっ……颯さんは僕のことを考えてくれていただけなのに……でも、でも何て言えば……

    「……んー、じゃあ一旦出よっか?」

     いつもの調子に戻った颯は「マスターごめーん!急用が出来たからお金だけ置いとくね~」と言ってお金を置くと、雨竜の腕を引っ張って店を出た。






    ・・・・・





     外に出ると、冷たい風がジャケットを揺らし、颯が「うわ~寒い~!」とジャケットを押さえた。
     しかし、雨竜はそれどころではなく……
     俯いて歩きながら、ボソボソと声を絞り出す。

    「……あの、すみません……」
    「え?……あ!全然!カフェラテはまた今度飲もうね?」

     雨竜と並んで歩く颯はそう言ってニッコリ笑った。
     ……あんなことを言ってもこうやって気にかけてくれるなんて……
     颯さんになら、好きな人のことをもう少し詳しく話しても良いかもしれない。
     そんな結論に至った雨竜は、ゆっくりと口を開いた。

    「……男の人なんです。」
    「?何が?」

     颯が首を傾げる。そんな颯に向かって、雨竜はハッキリと告げた。

    「……僕の好きな人です。」

     それに、また颯が目を丸くした。

    「え?そうなの?」
    「……はい。同性に告白されるなんて、嫌じゃないですか?気持ち悪いって思われたら……」
    「え、そんなこと思う?!僕は別に全然嬉しいけど?」

     颯のあっけらかんとした回答に雨竜は呆気に取られた表情を浮かべた。
     ……あれ、なんか思っていた反応と違う……気が……
     雨竜は「え……?」と言い、どう続けようか考えていると、颯が口を開いた。

    「あーまあ、もしかしたら浄みたいなタイプは嫌だと思うかも……?んー……でも、僕はみんなに好かれる方が嬉しいかな~!」

     そう言い、でもそんなこと僕に言って良かったの?と続ける。
     颯らしい答えに、自然と笑みがこぼれてくる雨竜。そして颯からの質問に、小さく頷いた。

    「……はい。ちゃんと僕のことを見てくれて、心配してくださっていたことが嬉しくて……」

     雨竜はそう言って、「ありがとうございます」と頭を下げた。それに颯は驚いた表情を浮かべると、慌てた様子で言葉を発する。

    「え、何々?!そんな改まって言わなくても良いんだけど!っていうか、雨竜を心配する人なんてたくさんいるじゃん!」
    「……そう、でしょうか……」

     雨竜がそう言うと、「いや、もうちょっと自信持ちなよ~!」と颯が雨竜を小突く。そんな軽いやり取りに、なんとなく心が救われた気持ちになり、雨竜は小さく頷いた。

    「……はい。ありがとうございます。」
    「えっと……それでさ、雨竜はその人が男の人だから告白したくないの?」
    「……それだけではないんですけど……」
    「お見合いが無くなったら告白する?」
    「え?」

     突然出てきたその単語に、雨竜がそんな声を漏らして颯を見る。
     そこにいた颯が思ったよりも真剣な顔をしており……その雰囲気に飲まれ、何か言おうと思うが、なかなか言葉が出てこなかった。

    「……」
    「……なーんて。僕が雨竜のお見合いをどうにかすることなんて無理なんだけどさ~……」

     颯はそう言い、はぁ、と露骨にため息をつく。
     ……びっくりした……今、息が止まったみたいに話せなかった……
     そんなことを思っていると、「もう結婚まで進みそうなんでしょ?」と颯に問いかけられ、慌てて口を開く。

    「は、はい!おそらく……」
    「それならさ、それまでに、したいことを全部したら良いんじゃない?告白する気が無いなら、友達として一緒にいる時間を増やすとかさ、家庭を持つと出来ないことっていっぱいありそうだし……」

     颯はそう言い、僕はちょっとよく分からないけど~、と続ける。

    「……はい。ありがとうございます。」

     頷いて笑う雨竜と颯の間を北風が吹き抜ける。

    「さむっ……」
    「だから寒いって〜!」

     今度は2人揃ってジャケットを押さえたのだった。





    ・・・・・





    「……浄。」
    「か、顔が怖いよ颯、どうしたんだい……?」

     閉店後、颯にガシッと肩を掴まれた浄がひきつった顔でそんなことを呟く。

    「……やっぱり無しにしてあげたい……」
    「な、何の話だい……?」
    「雨竜のお見合い~!」

     そう言い、颯が今度は浄の腕を掴んで左右に揺すった。いつもの倍以上の力で揺さぶられ、浄が目を剥く。

    「ちょ、ちょっと……!何かあったのかい?」
    「どんどん雨竜の顔色が悪くなってるの、もうやだよー!」

     そう言って颯が浄を離すと、ソファーに座ってむすっとする。浄はさっきまで掴まれていた服の皺を伸ばすように触りながら、口を開いた。

    「……顔色、ねぇ。仕事が忙しいとか?」
    「それもあるかもしれないけどさぁ……」
    「……」
    「……昔から好きなのに、想いを伝えられないのって可哀想すぎるよう……」

     颯が呟いた言葉に、浄が少し驚いた表情を浮かべた。

    「……昔から?」
    「多分ね。」
    「……記憶があるということかい?」
    「そこはそうなんじゃない?詳しくは知らないけど。」

     颯はそう言うと、「大事なのはそこじゃないでしょ!」と続ける。

    「……まあ、そうかもしれないけれど。」
    「別にさ、告白してほしいわけじゃないんだけど……何か普段と違うことがあれば雨竜の中の何かが変わりそうで、良い方向にいくかもしれないし……今の雨竜、見ていられないし……」

     そう言い、颯が目を伏せた。

    「……でも、俺たちにはどうすることも出来ないだろう。」
    「それは分かってるけどさぁ……」

     そう言う颯を見てから、浄が少しボリュームを上げて片付けをしている後ろ姿を呼んだ。

    「宗雲。」
    「……何だ?」
    「聞こえていただろう。」

     宗雲はゆっくりと歩いてくると、「……颯は一体何がしたいんだ」と一言呟いた。

    「だから!雨竜に自由に恋愛させてあげたいの!でも、僕にそんな権限ないの分かってるから、こうやって相談してるんだよ!」
    「……」
    「お節介かもしれないけどさぁ……好きな人がいるのに、想いも伝えられないまま別の人と結婚して……それで、今の暗い雨竜のまま人生が終わりそうで……」

     その言葉に宗雲が腕を組んだ。

    「……」
    「やっぱり無理なのかなぁ……」

     颯がしゅん、として言う。
     そんな颯を見ると、浄がんー、と声を漏らして考えてから口を開いた。

    「颯は、今の見合いを止めて、彼に好きな人と結婚してほしいと思っているのかい?」
    「あ、それは無理だと思うよ。だって男……」

     そこまで言ったところで、颯がハッと口を塞いだ。

    「……男?」

     宗雲が颯の言葉を繰り返す。
     それに、颯がサーッと青ざめていき、首をブンブンと横に振った。

    「ち、違う!僕はそんなこと言ってない!」
    「……?」

     浄は眉をひそめながら「昔からずっと好き……?男……?え、今の彼の状況からすると、そんな相手、1人しかいないんじゃ……?」とブツブツ呟いて、宗雲をチラッと見る。

    「……いや、でも本人全く気付いてなさそうだな……」
    「浄、何か言ったか?」
    「あ、いやいや!何も言ってないよ!」

     浄は宗雲にそう言ってアハハ、と笑うと、しらっと目をそらした。
     宗雲はそんな浄から颯に視線を移し、口を開く。

    「……状況は分かっている。俺も先日会った時に、颯と同じような印象を持った。」
    「え、宗雲も雨竜に会ったの?!」

     颯の顔がパァッと輝く。

    「……ああ。偶然だったが。」
    「やっぱり暗かったよね?」
    「分かってはいるが……どうにも出来ないのは俺も同じだ。」

     そう言い、「それを言うなら、颯の方が出来ることがあるだろう」と続ける。

    「……え?」
    「話が出来る相手がいるというのは、大切なことだ。」
    「!」
    「お前はお前らしくフォローしてやれば良いだろう。」

     宗雲の言葉に颯はガタッと立ち上がると、目を輝かせて「そうする!」と発した。
     その瞬間、颯の後ろにヌッと現れた人影に宗雲と浄が視線を移す。颯は、そんな2人に気が付いて振り向き……真後ろにいた皇紀を見て肩を揺らした。

    「うわ!皇紀さん?!びっくりした……」

     皇紀は、そんな颯のことには特に触れず、宗雲に視線を向けて口を開いた。

    「……いくつか分かったことがある。」
    「ああ、待て。報告なら向こうで聞こう。」

     そう言うと、宗雲が皇紀と歩いていく。それに颯が、不思議そうに首を傾げた。

    「……報告?何か調査でもしてるの?」
    「さあ……?」

     フフッと笑いながら、浄も首を傾げたのだった。





    ・・・・・





     雨竜は、両親の部屋から自分の部屋に帰ってきて扉を閉め……盛大なため息をついた。
     両親の部屋で聞いたことは、前回のお見合いで双方の印象が良かったとのことで、もう結婚までの大まかな予定が既に決まった、とのことだった。
     知らない間に、あの女性は既に『お見合い相手』ではなく、自分の『婚約者』になってしまっていた。

    「……婚約者……」

     呼び方が変わっただけだが、今までよりも何百倍も重いものを背負った気がする。
     雨竜はそんなことを思い、視線を落とした。
     ……高塔家として早く繋がりをつくりたいのは分かるし、予定さえ正式に決まってしまえば、そうそう変えることも出来ないだろうから、結婚後とある程度同じような関係を作ることが出来るのだろう。

    「……考えていても仕方が無い、か。」

     そう呟き、ベッドに突っ伏した。
     小雨が回し車を回す音が耳を掠め、少し気分がほぐれていく……が、頭の中の悩み事は膨れ上がるばかり。
     ……ここまで来ると断ることがさらに難しくなってきてしまった。結婚までには、あと3年程度の余裕がある。でも、この3年も月に1回は定期的に会うように決められてしまい……

    「……はぁ。」

     先のことを考えると、また重いため息が零れてくる。
     颯の言っていた『全部諦めたみたいな顔』というのが、本当に自分を表す言葉として最適だなと改めて思う。

    「僕は……」

     僕はどうしたい?……たしかに高塔のために生きたいと思っている。ただ……周りの言いなりになるのは嫌だ。何が高塔のためになるのか、僕自身で考えて、進んでいきたい……
     そう思うが、今の自分にそんな力も地位も無いのは分かっている。

    「……」

     このまま進むしかないというのは分かっているが、どうにも受け入れられず、枕に顔を押し付ける。
     ……兄さんに相談する?いや、でも……そんなことを言われても困るだろうし、万が一両親に伝わってしまったら、どう思われるか……それなら1人で考えた方が良い結果になりそうだ。
     そう思い、雨竜がゆっくりと顔を上げる。

     それであれば高塔家以外の人……例えば、颯さんに相談……とか?
     ただ、颯さんに相談したところで、高塔家のことを全部話すことは出来ないし、お見合いをどうこうしてもらうことは難しいだろう。
     そんな中、頭に浮かんでくる1人の顔。

    「……宗雲さん……」

     宗雲さんなら、中のことは分かっているはずだし、アドバイスぐらいはくれるかもしれない。兄さんに告げ口するような人では無いし……でも……

    「巻き込むわけにはいかない……」

     自分のエゴだけでそんなことをすることはできない。
     颯さんが言うように、結婚するまでの間に何をしたいか考えて行動することがベストかな、と雨竜は目を閉じたのだった。





    ・・・・・





     数日後――……

    「……雨竜くん、どうしたの?」
    「え?」
    「なんか元気無いけど。」

     戴天に頼まれて仮面カフェに立ち寄った時に、エージェントにそんなことを言われ、雨竜が「そうでしょうか?」と返す。
     ……エージェントさんから見ても、僕は元気が無いように見えるのか……態度に出しているつもりは無いのに、無意識のうちに出ているんだろうな……
     そんなことを思って苦笑していると、エージェントの心配そうな声が返ってきた。

    「仕事大変?ちゃんと寝てる?」

     そう言って雨竜を見るエージェントに、雨竜が「ご心配をおかけしてしまい、すみません」と言い、言葉を続ける。

    「少し悩み事があって睡眠時間が少なくなってしまっていまして。」
    「え……そうなの?」
    「ええ。でも、大丈夫です。」

     そう言い、雨竜がにっこり笑う。
     本当に大丈夫かどうかは分からないが……、大丈夫にしなければならない。

    「……本当?」
    「ええ。」
    「……それなら良いんだけど……」

     もう聞いても何も出ないと思ったのか、エージェントが素直に引いてくれたことに感謝をしながら、雨竜は残りの仕事をすませる。
     今後の気になることが重なり全く集中出来ていなかったが、なんとか乗り切ってカフェを出た。

    「……」

     ミスをしなかったのは奇跡かもしれない。
     そんなことを思いながら、雨竜は乾いた笑いを漏らした。
     みんなに心配されて、暗いまま生きていくなんて嫌だ……そんなことを思う雨竜は、はたと別の考えに行き着いて行動を止めた。

    「……決めつけすぎるのも良くない……か。」

     あまり嫌だと思いすぎるのも良くないかもしれない、と思う雨竜。
     ……婚約者とは2回会っても印象は悪いままだけれど、もしかすると、印象が悪いだけで、本当は良い人なのかもしれないし……結婚すれば楽しい人生が送れるかもしれない。今ダメだと決めつけるのは良くないだろう。
     そう思い、雨竜が歩き始める。
     そんな雨竜のスマホが震え、雨竜は通知を見た。

    「……颯さん?」

     颯からメッセージがきており、それを開く。そこには、果物が美味しいカフェがオープンしたから一緒に行きたい、という内容が書いてあった。それに、雨竜の顔から笑みが零れる。

    「……よし。」

     行きたいことと、日程をあわせる旨を返信し、雨竜がスマホの画面を消したのだった。





    ・・・・・





    「それでさぁ~宗雲ったらひどいんだよー!浄も宗雲と同じようなこと言ってさぁ……皇紀さんはどうしてるのかなって思ったら、無視だよ、無視!」

     約束の日は1週間後になり……
     2人は行列の中に並んで、席についていた。女性客ばかりの中、長身の颯は普通に考えて目立つはずだが、雰囲気のせいか顔のせいか、何故か良い感じに溶け込んでいる。
     颯の話を聞き、雨竜はふふっと笑って口を開いた。

    「ウィズダムのみなさんは、仲が良いですね。」
    「えーそうかなー……」

     颯は納得がいかない、という表情を浮かべて先程運ばれて来たケーキを食べる。
     その瞬間、「美味しい!」と顔を綻ばせた。雨竜も颯に続いてケーキを口に運ぶとゆっくりと咀嚼する。

    「……あ、本当ですね。果物の酸味とケーキのクリームがよくあっています。」
    「ね、雨竜の一口ちょーだい?」

     そんな颯の言葉に、良いですよ、と言うと、颯が雨竜のケーキにフォークを刺した。そして自分の口へ運ぶと「ほんとだー!美味しい!」と言う。
     そして、「僕のもどーぞ?」と言って、自分のケーキを雨竜の方へ差し出した。

    「あ……ありがとう、ございます……」
    「僕のも美味しいでしょ?」
    「……はい!いちごも良いですね!」

     一口もらった颯のケーキは、自分のみかんのケーキと違い、少し甘味が強いが、舌触りが良く、食べやすかった。

    「雨竜の頼んだのは、結構さっぱりしてるね?」
    「そうですね。果物の味を活かしている感じですね。」
    「もしかして、果物によって、クリームも変えたりしてるのかなー?」

     そう言いながら、颯が自分のケーキを食べ進める。そんな颯を見て、雨竜は考えていた。
     ……今日はお見合いのこととか、好きな人のこととか聞かれていないけれど……聞こうと思っていないのかな……
     そう思っていると、颯が「どうしたのー?あ、もしかしてクリーム付いてるとか?!」と言い、自分の頬を触った。

    「あ、いえいえ!大丈夫ですよ!その……今日はお見合いのこと、聞かないのかなと思いまして。」

     そう言うと、颯は拍子抜けしたような表情を浮かべ、コテン、と首を傾げた。

    「え?聞いてほしい?」

     そう言い、「なら聞くけど」と付け加える。

    「……あ、いえ……そういうわけじゃ……」
    「たしかにお見合いのこととか、好きな人のこととかも気になるけど……雨竜と会うのはそれ目的じゃないから!」

     そう言うと、「話してると楽しいから会うだけ~」と続けた。
     本当にそう思っているのかは分からないし、もしかすると正反対のことを言っているだけかもしれない。でも、こういうことを言ってくれる颯の優しさに、雨竜は胸元の服をぎゅっと握った。
     そして、「そう、ですか……」と答える。

    「だから、話したくなったら雨竜から話してね?」
    「……はい。」

     話したいというわけではないけれど……でも、話すつもりで来たから、なんか変な感じがする……
     そんなことを思いながら、雨竜がケーキを口に運ぶ。

    「……颯さんは好きな人とかいないんですか?」
    「え?みんな好きだよー?雨竜のことも好きだしー!ちょっと口うるさいけど宗雲も、浄も皇紀さんもーお客さんもみんな好きだよ?」

     そう言って笑う颯を見て、雨竜はつられたように笑った。

    「それは……良いですね。」
    「でしょ?雨竜はそんなことないの?」
    「僕も、みんなのことが好きですよ。」
    「ねぇねぇ、それって僕も含まれるよね?」

     眉間に皺を寄せて問いかける颯に向かって、「当たり前じゃないですか」と雨竜が言う。颯の顔がパァッと輝いた。

    「やった!」
    「颯さんにはすごく感謝しています。」
    「えへへー!別に僕、何もしてないけど!」

     そんなことを言いながらも、嬉しそうにしている颯を見て、婚約者のことを颯さんに聞いてみても良いかもしれない、と思う。
     今の状況を整理すると、第一印象が悪く、仲良くするのは難しそうに思えてしまっている、というような状態だけど……その印象だけでその人のことを決めてしまうのは良くないのではないか、という思考になってきているところだ。
     今回のような場合でも、仲良くなろうと思うと仲良くなれることはあるのだろうか……
     そんなことを考えながら、雨竜が口を開いた。

    「あの……話は変わるんですけど、颯さんって、第一印象を大事にしますか?」
    「え?どういうこと?」
    「えっと、その……」

     モゴモゴと口を動かしながら、「第一印象がすごく悪かった人と仲良くなれること、あるかなって思って」と発する。
     それに颯は少し考える様子を見せて、口を開いた。

    「まあゼロではないけどー……どちらかと言うと僕の場合、作り笑顔ってバレちゃって、向こうから離れていくことが多いかも。」
    「そう、なんですか……」
    「……もしかして、今回のお相手のこと?」

     そう聞かれ、答えに迷う……が、ここで嘘を付いても仕方が無いと口を開いた。

    「ええ。あまり印象が良くなくて。」
    「……そうなんだ。まあ雨竜の反応からそうなのかなって思ってたけど。」

     バレていたのか、と思いながら、雨竜は曖昧に笑う。
     1回目のお見合いの後に会った時にも少し思っていたけれど……颯さんもやはりウィズダムの一員だなと感じることが多くあった。
     やっぱり……外見だけで判断するのはダメだな……
     そんなことを思っている雨竜に向かって、颯が口を開いた。

    「僕の個人的な考えなんだけど……やっぱり、第一印象ってその人の総まとめ~みたいな感じなんだと思うんだよね。」
    「……はい。」
    「でも、その人をよく知っていく内に、第一印象と全然違った、とか第一印象に騙された、とかそういったことってよくあるよね?そんな感じで、最初に見た印象と違うっていうのはよくあって……でも、それは格好だったり背丈だったりファッションだったり……そういう着飾れる物との違いっていうか……」
    「ええ、分かります。」

     颯の言葉に、雨竜が頷く。
     ……それでいくと、ファッションは和装でほぼ決まっているし、メイクが濃いめだった気がするけれど、それ以外は特に思うところは無かったな……
     雨竜が、自分の場合に置き換えて分析しながら考える。

    「だからさ、僕は第一印象だけでは判断しないようにはしていて、苦手そうな人であっても飛び込んでいくようにしてるんだよねー!」
    「颯さんらしくて良いですね。」

     そう言うと、「ほんと~?」と照れたように頭を掻いている。

    「そ、そ、でもね、僕は第一印象で感じたことの中でも、1つだけ絶対に忘れないようにしてることがあって!」
    「忘れないようにしてること……って何ですか?」
    「危険かどうか。」
    「!」

     颯の声のトーンが一瞬落ちたように感じ、雨竜の体が強張った。
     今、なんか一瞬闇が見えた、ような……
     雨竜は、動けず固まっていたが、颯は何事も無かったかのように話し続ける。

    「その人の危険度は、第一印象で1番よく分かると思うんだよね!仲良くなっていったら、それが普通になるから分からなくなるっていうか……」
    「……」
    「だからさ、ちょっと印象が悪い、ぐらいだったら、全然後から変わってくるかもしれないけど……危険だって思うんなら……ちょっと、微妙かも……?」

     颯がそう言って、まあ僕ならそうやって判断するってだけだけど~と笑う。

    「……危険……」

     危険、という感覚が、はっきりしない。僕が彼女に感じているものは、危険に分類されるものなのだろうか?……分からない……
     悩んでいると、颯に覗き込まれた。

    「……大丈夫?」
    「あ……」
    「ごめんね!そんな悩ませるつもりじゃなくて……」

     颯がしゅん、として雨竜を見る。雨竜はゆっくりと首を横に振って笑った。

    「ありがとうございます。すごくためになりました。いろいろ考えてみます。」





    ・・・・・





    「……颯?」
    「何ー?」
    「最近、上の空だね。」

     何かあったのかい、と浄に聞かれ、颯が首を横に振った。

    「特に何も無いよ?」
    「……本当かい?」
    「えー疑ってるの?こんなに元気なのに!」

     そう言って、颯がピョンピョンと飛び跳ねる。それを見て、浄が苦笑した。

    「体力はあるみたいだね。」
    「うん、超元気!」
    「でも、お客さんからは最近颯くんの様子がおかしいって聞いてるけど?」

     、と声を漏らして颯が動きを止めた。それに浄がクスッと笑って言葉を発する。

    「……相談にならのるけど?」
    「う、ううん!その……ちょっと気になることはあるんだけど、大丈夫!」
    「……高塔雨竜のことかい?」
    「っ!」

     反射的に肩が跳ねてしまい、颯が俯いた。

    「……」
    「……何で、そう思うの?」
    「最近、颯が彼のことをよく気にしているからね。」

     そう言った瞬間、奥から颯を呼ぶ声が聞こえてきた。

    「……宗雲?」
    「颯、少し話がある。いいか?」
    「え……う、うん……いいけど……」

     宗雲の様子がなんとなくいつもと違い、怒られるのは嫌だな、と思いながら、颯は席を立ったのだった。





    ・・・・・





     雨竜は自分の部屋の中で、回し車の中を走り続ける小雨を見ながら考えていた。

    「……」

     颯と会ってから2週間程が過ぎた。
     ……あれから、いろいろと考えてみたが、『危険』がどういうものかが、ハッキリしなかった。たしかに、今自分の覚えている感覚はそうとも言える気がする。でも、その自分の感じ取っているものが、颯の感じ取っている危険と同じものかと言われると、そうだとも言い難い。

    「……あれ。」

     そういえば、颯さんとしばらく連絡を取っていない気がする……
     そう思い、雨竜はスマホを手に取った。
     前までは、何でもない日常のこととかでも結構頻繁に連絡が入っていた気がするけれど……最近は音沙汰無い気が……?
     僕も仕事が忙しくて、こちらからもあまり連絡出来ていなかったけど、と雨竜がメッセージ一覧を見る。

    「……やっぱり、1週間以上もやりとりしていない……」

     颯さんも仕事が忙しいのかな、と思いながら、スマホの画面を切った。
     そして、連絡をとっていないと言えば……と雨竜の頭の中には、別のことが過っていた。

     ……次に会う日を決めていなかった……
     婚約者と会う日。
     自分達で連絡を取って決めなければならなかったことを思い出し、雨竜がため息をついた。
     次からは2人で会うことになる……
     世間一般に言われるデートというものだと思うが、雨竜にとっては、そんな嬉しいものではなかった。

    「……連絡……」

     取らないといけない、と思うが、取りたくない気持ちの方が大きく……
     そのまま動けずにいると、手の中のスマホが震えた。

    「っ!」

     驚いてスマホを落としてしまい、慌てて拾い上げる。

    「……あ……」

     タイムリーな連絡は婚約者からだった。

    『雨竜さん、お疲れ様です。明日はお仕事がお休みとおっしゃっていましたよね?18時待ち合わせで18時半頃からディナーでもいかがでしょうか?』

     ……そうか、僕の予定は伝えていた気がする……
     相手は大学生ということもあり、雨竜の予定で会う日を決めるということになっていた、と前回の記憶を手繰り寄せながら、返信をする。

    『ご連絡ありがとうございます。了解です。場所はどうしましょうか?ご希望があればこちらで予約をしますし、無ければどこか良さそうなところを探して予約しておきます。』

     そう連絡すると、すぐに返信が届いた。

    『雨竜さんがどこでもよろしければ、こちらで予約をお取りしても大丈夫でしょうか?行きたいお店がございまして……』
    『私はどこでも大丈夫です。では、お手数をおかけしますが、よろしくお願い致します。』

     メッセージのやり取りを終え、雨竜はスマホの画面を消した。

    「……明日、か。」

     1日デート、とかじゃなくて良かった。ディナーだけであれば、今まで会った時よりも時間も短いはず……
     そう思い、こんなことを思っている間はダメだな、と苦笑したのだった。





    ・・・・・





     翌日――……

    「……ええ、そうですね。」

     雨竜は隣の女性の言葉に答えながら、頷いた。
     会うのは、これで3回目……
     今までと違うのは服装ぐらい。雨竜は胸元に刺繍の入ったダークグリーンのスーツを着ており、相手はマリンブルーのワンピースにグレーのジャケットを着ていた。
     チラリと隣の女性に視線を向けると、ニコニコした笑顔で自分を見ている。
     ……やっぱり慣れない……しかも、今日はさらにアルコールとタバコの匂いが強い気がする……

    「……」
    「……えっと……?」

     笑顔でひたすらじーっと見られており、雨竜は顔を引きつらせながら一歩後退した。それに気付いたのか、女性は「あら、ごめんなさい」と言ってから、また笑う。

    「雨竜さんのスーツ、おしゃれで似合っているなと思いまして。」
    「え……、あ、ありがとうございます。」
    「ここの刺繍とか良いですよね。」

     そう言うと、胸元にある刺繍を女性が撫でる。それに反射的に体が動いてしまった。
     無意識のうちに、手を振り払ったりしなくて本当に良かった、と拳を握る。

    「っ……」
    「……雨竜さん?」

     近くで顔を覗き込まれ、雨竜が視線を背けた。それを分かっているのかいないのか……さらに顔を近付けられたことにより、雨竜は後退する。
     きょ、今日はいつにも増して近いっ……というか、これはちょっと常識を疑うレベルの近さな、気が……

    「……」
    「……大丈夫ですか?」
    「ッ!」

     女性の指が雨竜の頬に触れる。それに体が強張った。
     な、何っ……何でこんなことっ……今まで直接触られることなんて無かったのにっ……
     突然の急接近に、雨竜は固まって動けなくなる。

    「っ……」
    「雨竜さん?」

     そのまま立ちすくんでいると、突然クスッと笑う声が聞こえてきた。
     それに、一気に鳥肌が立つ。

    「……今日のディナー、楽しみですね?良いお店を予約しているんですよ?」
    「っ!」

     その女性の声に、颯から聞いた『危険』という文字が浮かび上がってくる。
     これは……付いていってはいけない、やつ……?
     そんなことを考え、どう回避しようか頭をフル回転させて考える。しかし、逃げる、以外に何も思い付かない。
     で、でも今更理由をつけて帰るのも不自然だし……

     目の前の女性に、行きましょうか、と声をかけられて腕を掴まれた瞬間、後ろから第三者の声が聞こえてきた。

    「おや、こんなところで出会うとは運命かな。それにしても、レディは何を着ても似合うね。」
    「っ!」

     聞いたことのある声に振り返ると、そこには笑顔の浄が立っていた。
     な、何で……浄さん、が……?
     目を見開いたまま、驚きすぎて声が出せずに突っ立っていると、浄は雨竜の隣を通り過ぎて、女性の下へと歩いていった。

    「レディ、年下の純粋な男の子をいじめてはいけないよ。」
    「あら……盗み見しているなんて……浄さんも悪い人ですね。」
    「偶然、通りがかったらレディが見えただけだよ。」

     そう言う浄はチラッと雨竜を見ると、女性にバレないように人差し指を唇の前に当てて「しー」と言う。
     ……もしかして、知り合いということを言うなということだろうか……
     今まで緊張で固まっていた体が、徐々に動き始める。

    「レディ、彼には何もしないままの方が、名声を保つことが出来るんじゃないかって言っただろう。」
    「そうだけど……どうせ無しになるなら、いいかなって思って。」

     それに浄がハハ、と苦笑すると女性の肩に手を置き、「レディが後々困らないようにアドバイスしたつもりだったんだけどね」と発した。

    「あら、ありがとう。」
    「ほら、もう彼にもバレているんじゃないかい?もうここでネタばらしをして、父上に話に行った方が良いと思うよ。」

     その言葉に、女性が雨竜の方を向いた。

    「雨竜さん……すみません。」
    「えっ、と……」
    「今回の婚約、お断りさせていただきます。」
    「……」

     まあ2人の会話からそうであろうことは分かっていた。ただ……
     雨竜がチラリと浄を見ると、浄がふいっと目をそらす。それを見た女性が慌てて口を開いた。

    「あ!今回の件は私自身で決めたことですので、この方は関係無いんです。」
    「……そうですか。」
    「ええ。ですので……申し訳ありません。こちらからそのような連絡がいくと思いますので、事前にお伝えしておきます。」
    「分かりました。」

     女性は浄の方を向いて、「浄さん、また今度」と言うと、雨竜に頭を下げて歩いて行った。すぐに立ち去ろうとした浄に向かって、慌てて雨竜が呼び止める。

    「ちょっと!」
    「……」
    「ちょっと待ってください!」

     そう言っても浄はなかなか歩みを止めない。
     こ、この人はっ……何も言わずに立ち去る気かっ……
     雨竜が浄の服の裾を引っ張ると、浄はようやく足を止めた。そして振り返るとにっこり笑う。

    「……何かな?」
    「何かな、じゃなくて!何でっ……」
    「俺は関係無いってレディも言っていただろう?偶然知り合いがいたから声をかけただけだよ。まさか君がいるとは思いもしなかったよ。」

     そう言ってやれやれ、という風に白々しく両手を上げる浄に雨竜がムッとして言い返す。

    「でも、僕のことを相談していたみたいだったし、この時間にこんな場所にいるなんておかしいじゃないですか!」

     今はどう考えても、仕事中のはずだ。
     それなのに、近場でもないこんな場所にいるはずがない。

    「……今日は仕事でここに用事があってね。」
    「……」
    「……」

     しばらく無言の時間が続き、浄はハハッと笑いをこぼした。

    「誰かさんに怒られている時と同じような感じがするよ。」
    「……?」
    「まあ……たしかに、協力するという形にはなったけれど、俺は俺の意思で君を助けた。」
    「……え?」
    「それだけだよ。」

     そう言うと、「さあ、早く仕事に戻らないと。レディ達が待っているからもう行くよ」と言って歩き出す。
     僕を……助けた、と言っただろうか、今……え、意味が分からない!説明をしてほしい!
     雨竜が慌てて問いかけた。

    「ちょ、ちょっと……!どういう意味ですかっ……」
    「詳しい話なら宗雲に聞いてくれないかな。」
    「……は?」
    「俺は自分がやりたいようにやっただけだからね。」

     そう言うと、立ち止まって「ああ」と思い出したように発した。

    「それから、宗雲に会うなら伝えておいてほしいんだけど。」
    「……?」
    「もう今後しばらくは、高塔雨竜に見合い話は来ないと思う、と言っておいてくれないかな。」
    「はあ?」

     意味が分からず、雨竜が眉根を寄せる。
     見合い話が来ない?どういう、ことだろう……?
     全く意味の分からない話題が飛び出してきて、もう雨竜は目が回りそうだった。
     ダメだ、ダメだ、1回落ち着いて……って落ち着いてなんていられない……!
     そんなことを思う雨竜に向かって、浄が話を続ける。

    「話の進みようによっては、ものすごく怒られるから、ちょっとでもそれを回避したくてね。」

     そう言うと、フフッと笑い、「君にとっては嬉しいことだと思うけど?婚約者がいない方が彼をずっと見ていられるだろう?」と小さく付け足されたことに、雨竜の顔がカァッと熱くなった。
     ……え?何で?この言い方……もしかして、好きな人のことがバレてる……?しかも、誰か、まで知っている……?
     浄と目が合い、ニコッとわざとらしく微笑まれる。
     ……何で……何で、知っているんだ……?
     雨竜の視線が揺れる。

    「とにかく、よろしく頼んだよ。」
    「……」

     浄が歩き出して……、しばらく歩いてからチラリと後ろを振り返ると、もう雨竜は付いてきていなかった。
     浄は視線をそのまま夜空へと向ける。

    「……”俺を手放したことを後で後悔しても知りませんよ。”」

     聞き取れない程の小さな声でそう呟くと、浄が含み笑いをする。「後悔、たくさんしてくださいね」と続けた満足そうな声は、闇に溶けていった。





    ・・・・・





     雨竜は両親の部屋を出ると、自分の部屋へと駆け戻る。そして、扉を開けて荷物を手に取った。
     そして時計を見上げたが、もうラウンジの営業終了時間になっていることに気が付き、急いで玄関へと向かう。

    「っ……」

     営業が終わっても、片付けとか、明日の準備とか、そういうことをしているなら、まだお店にいるだろう、と雨竜が自分を安心させるように考えながら足を進めた。
     玄関までの間に使用人にすれ違って、何か声をかけられて何か返事をした気はするが、これっぽっちも頭の中には残っていなかった。

    「早く……」

     早く行かないと、その一心で家を飛び出る。

     両親から呼ばれたのは、もちろん夕方に会った彼女との話だった。
     彼女側から断りの電話が入ったこと。
     彼女に対して何かしたかと聞かれたが、特に何もしていないと答えた。
     彼女に何かされたかと聞かれたが、特に何も言わなかった。個人的には不快に思ったが、それは僕個人の感覚であり取り立てて言うようなことでも無いと思ったし……

     それに、それを話していると詳しく事情を聞かれることは目に見えていたし、宗雲さんに会うのが遅くなってしまう。
     ただでさえ早く行きたいのに、こんなところで時間を無駄になんてしていられない。

    「何で……」

     分からない。
     宗雲さんに聞いてと言われたけれど、何に宗雲さんが関わっているのか……僕を助けた、と言っていたのはどういう意味なのか……
     考えれば考えるほど分からなくなっていく。
     ……僕はあの人とは結婚したくなかったし、一緒にディナーも行きたくなかった。だから、僕からしてみれば、浄さんは立派な救世主だ。
     ただ、僕は浄さんにはもちろん、浄さんが名前を挙げていた宗雲さんにも、そんなこと一言も言っていない。

    「……もしかして。」

     颯の顔が脳裏に過った。
     今回の件を考えると、助けた、という言葉は、僕が今回の婚約を嫌だと思っていたのを知っている場合にしか使えない。
     僕は基本的にそういう感情は外へ出さないようにしていた。ただ……颯さんには僕からそれに近いことは言っていたし、そもそも僕が言う前から気付かれていた。

    「……」

     そこから漏れた、ということだろうか?それとも、そもそも颯さんは、僕から情報を得るために近付いてきていた……?
     そう考えるが、颯が宗雲へ情報を回すためだけに自分へ近付いてきていたともあまり考えられず、雨竜は眉間に皺を寄せた。

    「……ああ、それは、僕が騙されていただけか……」

     すごい手腕だと脱帽しながらも、自分に優しくしてくれていたのは演技だったのか、とか、騙して僕から情報を得るために何度も連絡してきていたのか、とか、そんなマイナスな感情ばかりが膨れ上がっていく。

    「っ……今は考えない!」

     颯との会話を楽しんでいたのは自分だけだったんだと思うと、悲しくなる気持ちが大きくなってくるし、単純に騙されたことへの怒りの感情も湧き上がるが、それらがこれ以上出ないように無理矢理抑え込むと、雨竜が大きく息を吐いた。

    「……でも……」

     でも、そうやって情報を引き出していた理由は何なのか?それも宗雲さんに言われたから?ということは、宗雲さんが今回の婚約を無くそうとしていたということ……?
     僕たちが結婚すると、何かあちら側に不利益があったということだろうか?だから、早く手を打って破談させようとしたということ……?

    「……」

     誰か、関係者が……?
     そう考えるが、彼女の家系をたどってみても、あまり接点が見当たらない。
     僕が知らないだけかもしれないけれど……

    「分からないけれど……」

     どういう理由であれ、僕個人にとって良い方向に進んだのは確かだ。それについてはお礼を述べるべきだと思うし、会いに行っても変じゃない、はず……
     そこまで考えて、はたと足を止める。

    「……」

     変ではないけれど……こんな非常識な時間に、何の手土産も持たずに、お礼を言いに行くなんて、おかしいにも程がある……!
     ……よし!帰ろう!
     舞い上がって来てしまったけれど、今日は帰った方が良い気がする!

    「ぶはっ!」

     踵を返した瞬間、人にぶつかってしまい……予想外の衝撃に尻もちをついてしまった。

    「す、すみませっ……」
    「……」

     自分を見下ろす、赤い目と視線が合う。

    「こ、皇紀さっ……」
    「あ……?あー……」

     見上げた先には、皇紀がいた。
     皇紀の頭の中で、知っている人物と照合されたのだろう。小さく納得したような声をあげた。

    「お……お疲れ様です……」
    「……」
    「えっと……」

     雨竜の視線が皇紀の抱えている袋に向く。
     ……今、その袋の話をするのは違う気がする。いや、でも……どうしても気になってしまう……!
     雨竜が恐る恐る口を開いた。

    「そ、それ……動いてません……?」
    「……コイツは食べる直前にさばくのが美味い。」

     何を獲ったのか、とは怖くて聞けなかった。
     これが、聞かせない怖さか、とか何故か頭の片隅で変に納得しながらも何も話せないでいると、皇紀はスタスタと歩いていってしまう。

    「あ……」

     見上げれば、そこはラウンジのビルだった。
     あれ……いつの間に辿り着いていたんだろう……ぐるぐる考えていて……
     そんなことを思っていると、何故かラウンジの扉に向かっていた皇紀がピタ、と足を止めた……かと思うと、チッと舌打ちをしたのが聞こえた。

    「……え?」
    「……」

     え、なになになに?何でこっちに戻ってきているんだ?!しかも僕の方に一直線に来てる気がするんだけど……!
     ずんずんと迫ってくる皇紀にどう対応すれば良いか分からず立ち上がれずにいると、ひょいと米俵のように抱え上げられた。

    「うわあ!」
    「……」
    「え、な、何っ……何ですか!」
    「……放置しておいて、後から文句を言われるのは面倒だ。」

     嫌そうにそう言って再度舌打ちをする皇紀。
     そんな皇紀の右手には自分が、左手には謎の生き物X(生け捕り)が、両方米俵のように抱えられていた。
     皇紀はそのままラウンジの方へと進んでいく。

     え、いやいや!意味が分からない……!僕は今日はもう帰ろうと思っていて!だから店の中に入るつもりはなくてっ……というか今は、横の袋の中にいる動いているナニカが滅茶苦茶怖い!!
     両手が塞がっている皇紀が、足で扉を開ける。
     そのせいか、扉の開いた音が店に響き渡り、店の中で何かの相談をしていた3人が一斉に振り返った。

    「ちょっと、皇紀さん!すっごい遅刻……」

     そこまで言った颯の言葉が止まる。

    「……おや、今回はどちらも生け捕りだったんだね。」
    「……」

     浄の言葉を完全に無視して雨竜だけその場に落とすと、もう1匹の生け捕りが入った袋を抱えて厨房に入っていった。
     いったあ……思いっきり腰打った……
     雨竜が顔をしかめながら腰をさすっていると、青い顔をした颯が立ち上がった。

    「っ……僕今日は帰る!」

     颯が鞄を掴んで走って出て行ってしまう。
     ……颯さん……?
     颯が出て行った扉を見ていると、浄が面白そうに笑い、「今日はもうミーティングどころじゃないね。俺も帰ろうかな」と言って立ち上がった。

    「……」
    「宗雲、それでいいかな?」

     浄の言葉に、ソファーに座っていた宗雲は、はあ、と露骨にため息をつくと「ああ」と呟く。
     浄は厨房の方へと歩いていくと、「皇紀、今日のミーティングは無しだって」と声をかけてから、雨竜を見て「じゃ、頑張って」と言って出て行った。

    「……」
    「……」

     皇紀に落とされた場所から動くことが出来ず、座り込んでいた雨竜だったが、宗雲と視線が合った瞬間、ハッとして立ち上がった。
     ぼ、僕は何をしているんだ!ボーッと成り行きを見てしまっていたけれど……!
     少し離れた場所から、皇紀がガタガタと何かを組み立てているような、そういった類いの金属音が聞こえてくる。

    「あ、その……」
    「……」
    「お、お忙しい時に、すみませんっ……ミーティング……」
    「別に急ぐことでもないから大丈夫だ。それに今日は店も休みだから忙しくもない。」

     それを聞き、浄が言っていた言葉を思い出して苦笑する。
     あれは早く僕から離れたかったのか、普通にデートの約束だったのか……

    「そ、そうですか……」
    「……俺に話があるんだろう。好きなところへ座ってくれ。」
    「あ……はい。」

     好きなところと言われましても……こういう時に座るのはどこが正解だ……?宗雲さんの前……?で合っている……?!
     頭が沸騰しそうなぐらい熱くなっており、なかなか正常な判断が出来ない。
     とりあえずどこかに座らないと、と宗雲が座っている前の椅子に座ったところで、厨房の方から音がした。そこから出てきた皇紀はチラッと2人を見たが、何も言わずに店を出ていく。

    「……で、何だ?」
    「あ、えっと……この前、お見合いの日に助けてもらってから、順調に婚約まで進んでいたんですけれど……」
    「……」
    「その……今日、婚約破棄になりまして。」
    「そうか。」

     それだけ呟くと、宗雲は手元の書類に視線を落とした。

    「……何故、婚約破棄になるように事を進めてくれたのですか?」
    「……」

     宗雲からは何の言葉も返ってこず……時計の秒針の音だけがやけに大きく聞こえてくる。
     ……答える気は無い、ということだろうか。
     雨竜はそう思い、また口を開いた。

    「何か……宗雲さんの仕事と関係がありますか?」

     その質問に、宗雲が顔を上げた。

    「仕事とは関係ない。俺の意思だ。」
    「じゃあ、何で……」
    「先に1つだけ言っておきたいことがある。」

     雨竜の言葉を遮ってそう言うと、颯のことだ、と宗雲が続けた。

    「……颯さんのこと?」
    「ああ。颯が、お前と会った時に見合いのことを聞いたり、相手のことを聞いたりしていただろう?あれは、俺が依頼したわけじゃない。全て颯自身がお前を心配して聞いていた。」
    「え……」
    「颯からは、俺が無理矢理聞き出した。颯には、お前が話してくれたことをここで言うのは絶対に嫌だと散々渋られた挙句、話してくれたと思った次の日から暗い顔しか見せなくなって……最終的には作戦が上手くいかなかったらライダーを辞めるとまで言い出した。」

     そう言い、宗雲は大きなため息をつく。
     ……その話が本当だとすると、颯さんが僕を裏切ったわけではない、ということだろうけれど……

    「そう、なんですか……?」

     颯さん、いくらなんでも自分を追い詰めすぎなのでは……?
     嬉しい気持ちよりも驚きが勝り、雨竜はどう反応すれば良いか分からず、苦笑いが漏れる。

    「颯にとって、お前と過ごした時間や話は、それぐらい大切だったんだろう。颯があんなに他人に興味を持つのは珍しい。」

     悪いことをしたとは思ったが颯の持っている情報は今回の作戦を行う上で無くてはならなかった、と宗雲が申し訳無さそうに続けた。

    「それは……すごく嬉しいですが……」

     ああ、だから最近メッセージが来なくなったのか、と納得していると、宗雲のよく分からない言葉が聞こえてきた。

    「だから、お前の気持ちはそのままで大丈夫だ。颯は裏切ってなどいないからな。」
    「……?僕の気持ち、ですか?」

     裏切っていない、というところは分かったが、自分の気持ち、というところが上手く理解出来ず、雨竜が小首を傾げる。
     ……何の話だろう?颯さんにはいろいろ相談しやすい、とかだろうか?たしかに、宗雲さんの話だと、颯さんは僕のことをすごく考えてくれていたみたいだし、依頼されたから仲良くなったわけじゃないって分かっただけで、嬉しいけれど……
     でも、そのままで大丈夫ってどういうことだ、と雨竜の頭の上にハテナマークが飛ぶ。
     しかし、そんな雨竜を余所に、宗雲の話は淡々と続いていく。

    「ああ。俺が言うべきことでもないだろう。」
    「えっと……あの、颯さんが純粋に僕と仲良くなりたいって思ってくれたり心配してくれたりしていたのは、すごく嬉しいですが……僕の気持ちというのは……嬉しい、ということですか?」

     そういうことで、合っているだろうか……?
     話が噛み合わない時、流す方が良いことの方が多いと思う。でも、今回は流してはいけないような気がする……
     そんな勘が働き、聞いてみた雨竜だったが、それは正解だったようだ。
     宗雲が訝し気な表情を浮かべる。

    「お前は一体、何の話をしている?」
    「え……宗雲さんこそ、何の話をされていますか……?」
    「いや……だから……」

     宗雲がそう言って言葉を切ると、視線をそらして言葉を続けた。

    「俺がしているのは、お前の好きな人の話だが。」
    「……へ?」

     間の抜けた声が飛び出してしまう。
     ……んん?どういう、ことだろう……?僕が颯さんを……?え、何で?!
     固まっている雨竜を見て、宗雲も何か変だと気付いたのだろう、「一応確認をするが……」と言うと、言葉を続けた。

    「颯が好きなんだろう?」
    「ええ……?!ち、違いますけど……?え、そんなことも颯さんが言っていたんですか?」
    「いや、言ってはいなかったが……話の流れからそうなのかな、と……」

     違うのか?と聞く宗雲の眉間の皺が深くなっていく。
     え、いや、宗雲さんの中でどうしてそうなったんだろう?!話の流れって言っていたけど……僕が颯さんとよく会っていたから?でも、それは全くの誤解で……!

    「違いますよ!だって、僕が好きなのは宗雲さんでっ……」

     ……やってしまった。
     そう思った時にはもう既に遅かった。完全に名前まで言ってしまったし、この距離であればそれが聞こえていることも明白だった。
     背中に大量の冷や汗が流れ始める。

    「……」

     目の前では宗雲が無言でこちらを見ているのが分かるが、怖くて顔が上げられない。

    「あ……そ、のっ……」
    「……」
    「し、失礼します!」

     居ても立ってもいられなくなり、雨竜が席を立つと駆け出そうとする。
     しかし、その行動は宗雲に妨げられた。

    「……待て。」

     腕を掴まれ、それ以上進めなくなる。

    「は、離してください……!」
    「待てと言っているだろう。」

     宗雲さんの力が強くて振りほどけないっ……
     どうすることもできず……雨竜は徐々に腕の力を抜いていった。
     ……もう、謝って近付かないようにするしか、ない……
     考えていた最悪の事態になってしまったことに、雨竜は絶望しながら目を伏せた。

    「……ごめんなさい……」
    「……何故、謝る?」
    「だって……その……気持ち悪いですよね……」
    「……誰もそんなこと言っていないだろう。」
    「気を遣っていただかなくても大丈夫です。どう思われるかぐらい分かっていますので……」

     雨竜はそう言って俯く。
     ……そう、分かっている。でも、それを本人から直接言葉で聞くのは怖かった。どういう言葉であっても、立ち直るのにはかなり時間がかかることは予想できたし、何よりこれから今までのように接してもらえないかもしれない、と思うと……

    「……雨竜。」

     ボソッと呟かれた自分の名前がやけに優しく聞こえてしまい、雨竜の涙腺が緩んでいく。
     っ……ダメだ。このままじゃ、告白してダメだったから泣く、とかいう最悪のパターンになってしまうっ……
     そう思ったのと宗雲の手の力が弱まったタイミングが重なった。
     雨竜がその隙に、腕を振りほどくと走り出す。

    「っ……」

     後ろで宗雲が何か言っているのが分かったが、もちろん止まる気など一切無かった。
     店を出て、しばらく走り……息が切れてきてそれ以上走れなくなり、雨竜は角を曲がったところにしゃがみこんだ。
     はぁ、はぁ、と酸素を求めて短い呼吸を繰り返す。

    「……何で、僕はっ……」

     あんなことを言ってしまったのだろう。宗雲さんはどう思っただろう。それに……結局、今回のこともちゃんと聞けなかった。
     1つだけ良かったのは……颯さんのこと。
     颯さんが僕に近付いたのは、依頼されたからではなかったというのだけが救い……だった……
     雨竜は、大きく息を吐き出した。

    「颯さんと……」

     颯さんとちゃんと話そう。今日の感じだと僕を避けているみたいだったし……
     そう思って雨竜がスマホを取り出す。
     あと、告白してしまったことも話して……もし出来るのであれば、相手のことも話して相談に乗ってもらうのも有りかもしれない……
     雨竜はそう思い、息を整えながらも指を動かしたのだった。





    ・・・・・





    「……」
    「急に呼び出してしまってすみません。来てくださり、ありがとうございます。」

     翌朝、颯と雨竜は、前回飲めなかったカフェラテを飲む……という名目で、颯おすすめのカフェのモーニングに来ていた。
     ……というか、この前飲めなかったカフェラテのリベンジがしたい、と雨竜が颯に向かって猛アピールをし、やっと既読がつき、今に至る。

     颯は今までに見たことのないぐらい暗い顔で雨竜の前に座っていた。
     何を送っても既読にならなかった時はどうしようかと思ったけれど……連絡がついて良かった。
     そんなことを思いながら、雨竜は口を開いた。

    「あの……今回の件、ありがとうございました。」
    「な……何がありがとうなの?!僕は、雨竜が話してくれたことを、勝手に他人に話して……裏切るようなことをしたのにっ……」
    「違います!宗雲さんに、颯さんがどう思ってくれていたか、ちゃんと聞きました!僕は、情報入手のために仲良くしてたんじゃなかったって聞いて、すごく嬉しかったんです。それに……颯さんのおかげで結婚の話もなくなりました。」
    「それは、たしかに……そう聞いた、けど……でも……本当にごめんなさい……」

     そう言って颯が俯く。

    「謝らないでください!僕は嬉しかったんです。だから、颯さんのこと、恨んでなんていませんし、感謝しています!」
    「……ほんと?」
    「はい!そうじゃないと、こんな風に呼び出したりしません。」

     その言葉を聞き、颯は少し安心したような表情になった。
     雨竜はそんな颯を見ながら、「今日は颯さんに言いたいことがあって」と続けた。

    「言いたいこと?」
    「はい。……告白、しました。」
    「ええ!そうなの?!」

     颯が、目を見開いて雨竜を見る。
     たしかに、そういう反応にもなるだろう……と思いながら、雨竜は口を開いた。

    「本当は……告白しようって思っていなかったんです。でも、つい話の流れで言ってしまって……」
    「そっかあ。でも伝えられて良かったね!」

     ニコニコしながら嬉しそうにそう言う颯を見て、一瞬でも騙されたと思った自分を殴りたいな、と思いながら雨竜が言葉を続けた。

    「ええ……でも、良かったのかどうか……」
    「あれ、良くなかったの?え、もしかして心配してた感じになっちゃった?気持ち悪いって言われた?」

     颯はそう問いかけると、「っていうかそんな失礼な奴もう関わらなくて良いよ!」とムッとした口調で続けた。
     それに雨竜が慌てて首を横に振る。

    「あ、違うんです!面と向かっては言われていないのですが……その……そう思われているだろうなーという間があったので。」
    「え……間だけじゃ分からなくない?」

     そう言って眉をひそめる颯に、雨竜が、たしかに、と笑いながら口を開いた。

    「それはたしかに勘ですけど。」
    「……告白の返事はもらってないの?」

     返事……か。返事をもらう以前の問題だったと言うか……
     颯の問いかけに雨竜は曖昧に頷いた。

    「ええ……でも、断られることは分かっているので、もういいんです。」
    「だから、何でそんな風に考えるのー?そんなの分かんないじゃん!」
    「だって、僕が颯さんのことを好きだって勘違いして、応援しようとしていたんですよ?自分が好きな相手にそんなことする訳ないじゃないですか。」
    「え……、僕?」

     颯が目をパチクリさせて雨竜を見る。
     そして、何かを考えるように、うーん、と唸ると、また口を開いた。

    「……もしかして雨竜の好きな人って、僕が知ってる人?」
    「……はい。」

     昨日も考えていたけれど……颯さんになら言っても良いかな……そう思い、雨竜は答える。
     颯はまた少し考える様子を見せていたが、何も言わずにスマホの画面をつけた。

    「……?」
    「雨竜から聞いたことを言っちゃったのは、僕の意思じゃなかったけど……これは、僕の意思だから。」

     そう言うと、颯がスマホを操作して耳に当てた。

    「……あ、もしもし?宗雲?」
    「!」
    「今、雨竜と一緒にいるよ!いつものカフェにいるから迎えに来てねー?」

     それだけ言って、颯がスマホの画面を消した。
     え……今、何が起こった……?
     目の前で起こったことを上手く理解することが出来ず……雨竜は固まって颯を見ることしか出来なかった。

    「え……?な、何……何、で……」
    「宗雲、昨日あれからずっと雨竜のこと探してたんだよ?ちゃんと話が出来てない状態で飛び出して行っちゃったから、もし見つけたら教えてくれって連絡がきた。」
    「え……?」
    「……ねぇ、嫌いな人にそんなことすると思う?好きじゃない人を助けようとすると思う?」
    「……」

     颯の言葉に、雨竜が目を伏せる。
     それは、そうなんだけど……宗雲さんとの関係を考えると、その好きの種類が違う、というか……僕がそういう意味で好きだって分かったら嫌がられるというか……

    「……」
    「僕は過去に何があったかとか、詳しくは知らないけどさぁ……とにかく、ちゃんと話は聞いた方が良いんじゃない?」

     颯はそう言うと、「あ、でも、何かひどいこと言われたら相談して!僕がぶっ飛ばすから!」と続けた。
     そして、「宗雲が来る前に退散しよーっと」と言って、財布を取り出す。それを見て、慌てて雨竜が口を開いた。

    「あ、待ってください!今日は僕が払いますのでっ……」
    「俺が払おう。」
    「!」

     後ろから聞こえた声に、反射的に肩が跳ねてしまった。

    「あれ、宗雲もう来たのー?早くない?」
    「丁度近くにいたからな。助かった。」
    「ううんー!じゃあね〜!」

     そう言うと颯が店を出て行く。その瞬間、宗雲に腕を掴まれた。
     ううう……昨日よりも力が強い気が……宗雲さん、やっぱり怒ってる……?
     宗雲の手の力の強さに、雨竜が顔をしかめる。宗雲は雨竜の腕を掴んでいない方の手で万札を1枚テーブルの上に置くと、無言で雨竜を引っ張って店を出た。





    ・・・・・





    「……」
    「……で、逃げた理由は?」
    「こ、怖かったから、です……」
    「何が?」
    「えっと、その……宗雲さんにどう思われているのかを聞くのも……今までみたいに接してもらえなくなるのも……」

     そう発した言葉は耳を掠めるぐらいの声になってしまった。隣で車を運転している宗雲の耳にはギリギリ聞こえているだろうな、という程度の音量。
     雨竜に一瞬視線を向けた宗雲は、呆れたような口調で言葉を発した。

    「……逃げても仕方がないだろう。」
    「それはそうなんですけど!でも、あの時はいっぱいいっぱいでっ……」
    「……今ので、お前が真剣だということだけはすごく伝わった。」
    「うう……」

     雨竜が恥ずかしさのあまり、両手で顔をおさえる。
     しばらくそのまま無言の時間が流れ……車の走る音と街の喧騒だけが聞こえてくる。
     はぁ……自分が惨めすぎる……
     そんなことを思っていると、「では先に言っておくが」という声が聞こえてきた。

    「……はい。」
    「俺もお前のことが好きだ。」
    「は?」
    「それで昨日の話の続きだが、颯と和解出来たんだな?それなら良かっ……」
    「ちょっ……ちょっと待ってください!」

     なんか今、かなり重要なことを言われた気がするんだけど……何で何も問題が無かったかのように話が進んでいるんだ……?!
     雨竜がそんなことを思って宗雲を見ると、宗雲に訝しげな視線を送られた。

    「……何だ?」
    「ええ?何だ、じゃなくて……!」
    「……」

     ちょっと待ってほしい……え、何かおかしくないだろうか?僕、何か聞き間違えた……?宗雲さんは何を考えているんだろう……?!
     雨竜は頭をフル回転させて考えるが、何の回答も得られない。

     いつの間にか駐車場に来ていたようで、車がゆっくりと止まった。
     しかし、そこは普通の家や店舗の駐車場とは違う、(おそらく廃)ビルに囲まれた暗い広場と表現するのが正しそうな場所
    で――……それに雨竜が顔を引きつらせた。

    「あ、あの……ここ、どこですか?」
    「……よく使う駐車場だ。」

     聞かれたくない話をする時に使いやすい、と小さく付け加えられる。
     ……仕事で使う、ということだろうか。
     宗雲さんの仕事を考えるとこういう場所が1つや2つあってもおかしくないな、とすんなり納得してしまう。

    「……それで、話を進めても良いか?」
    「は、はい……」

     宗雲の雰囲気に圧倒され……
     聞きたいことは腐る程あったが、雨竜はそう返事をするしかなかった。

    「今回の一件は俺たちの仕事とは一切関係が無い。もちろん上とも関係がない。それを分かった上で聞いてほしい。」
    「……はい。」
    「まず、今回の件について考え始めたきっかけだが……見合いの後、お前に会っただろう?あの時のお前は怯えたような表情をしていて……あんな顔を見たのは初めてで、何かあったということは明白だった。」
    「……」

     あの時、僕はそんなひどい顔をしていたのか……
     そう思うが、今考えると納得がいき、雨竜は小さく頷いた。

    「そんな時、全く別でお前に話を聞いていた颯から、お前の見合いをどうにか出来ないか、と相談された。好きな人がいるらしいから、自由に恋愛させてあげたいと言っていた。」
    「そう……なんですか……」

     颯さん、たしかに全部諦めた顔してるって心配してくれていた……
     まさかウィズダムで話しているとは思いもしなかったけど、と雨竜が思う。

    「俺は、お前の怯えの原因が見合い相手にあるのではないかと思って、それを調べていた。そうしたら、出てくる出てくる山のような悪事。」
    「え……」
    「調査してくれたのは皇紀だったが。」

     そう言うと、「あの皇紀ですら呆れ返っていた」と付け加えて苦笑した。

    「そう……だったんですか……」
    「お前がどこまで知っているのかは分からなかったが、次はこの縁談を早く破談にしなければならない。おそらくこの時点でもう既に婚約まで話が進んでいた。」
    「……」

     たしかに、婚約が決まるのはすごく早かった……
     そんなことを思い返しながら、雨竜が頷く。

    「それからするべきことは2つだった。1つはお前の気持ちを確認すること。あの様子だと結婚する気にはなっていないとは思っていたが、気持ちがどう変わるかは分からない。この時、初めて颯を呼び出してこの計画を話し、お前が言っていたことを教えてもらおうと思った。」

     正直ここが1番大変だった、と宗雲がため息をついた。
     そんな宗雲の様子に、宗雲には悪いが少し嬉しくなる雨竜。

    「……颯さん……」
    「2つ目は、相手の女性から縁談を断ってもらうように仕向けるということだった。これは適役の浄が、内容は全部浄に任せるという条件ですんなりと引き受けてくれた。お前も会っただろう?」

     その言葉に、雨竜が頷く。
     ああ、そういえば、宗雲さんに伝えてほしいと言われていたことがあった。あれは、任せる、の範囲を超えてしまったということだろうな……
     浄の言葉を思い出した雨竜が納得していると、宗雲がまた口を開いた。

    「ただ……ここで問題が起こった。」
    「問題、ですか?」
    「ああ。浄は女性と話をして、お前には何もせずに婚約破棄までもっていくように仕向けていた。しかし、どうせ断るならお前をいじめてからにしよう、と悪知恵が働いたらしく、『どこに行くかは秘密なんだけど、今から会ってくるから報告を楽しみにしておいて』との連絡が浄のスマホに入ったことだった。」
    「あ……」

     そうだ……昨日が1番不快だった。距離も近くて接触も多くて……
     しかも、昨日は全て相手が店の予約をすると言っていたので任せていた。
     ……浄さんが来てくれていなかったらどこへ連れて行かれていたのだろう、と鳥肌がたってくる。

    「浄が駆け付けて、大ごとにならずにはすんだと報告を受けているから良かったが……」
    「……それなんですが。」

     雨竜が宗雲の言葉を遮った。
     昨日考えていたのだが……どうしてもここの疑問だけは拭えないでいた。

    「何故、あの場所が分かったのですか?」
    「……」
    「あの日のことは、僕たち同士で前日に決めたことで……僕は家族と身近な使用人にしか言っていませんでした。」

     その言葉に、宗雲が口をつぐんだ。

    「……もしかして、どこかから……情報が漏れている……?」

     相手が原因かと思ったが、浄にも言っていないのに、他の人に言うとは思えない。
     雨竜が眉根を寄せる。
     もしかして、家の会話が盗聴されている、とか……?宗雲さんがそんなことをしたのだろうか?もしくは、今回の件と関係なく、宗雲さんの仕事の事情で漏れている……とか?それであれば、うちにいる使用人か誰かがその関係者、とか……
     そんなことを考える雨竜の耳に、聞こえるはずの無い名前が飛び込んできた。

    「……高塔戴天に聞いた。」

     雨竜が目を見開いた。
     ……兄さんに?聞いた、だって……?兄さんが宗雲さんに、高塔家の内密となる情報を話した、ということ、なのか?一体、何故……
     分からないことが多すぎて、固まっていると宗雲の声が聞こえてきた。

    「……相手の女性が弟に対して悪事を働こうとしていて対処しに行きたいと言えば、すぐに場所を教えてくれた。この計画には無関係だ。」
    「……」
    「おそらく、彼女の中身を知っていたのだろう。今回、彼の協力が無ければお前を助けられなかった。その点については感謝している。」

     宗雲はそう言うと、まあ彼にも兄として思うところはいろいろあったのだろう、と続ける。
     情報が多すぎて、上手く処理が出来ず……フリーズした頭を動かすのには、大分時間がかかってしまっていた。

    「……」
    「……大丈夫か?」
    「あ……はい……」

     ただ、そんな状態でも、これだけは分かった。

     ……みんなが僕を助けるために動いてくれていた……

     心の中から温かいものが溢れ出し……それは、俯く雨竜の目から、ポタリ、と手の甲へ落ちた。

    「……」
    「す、すみませんっ……」

     滲んで周りがよく見えない。
     ずっと1人で頑張っている気がしていた。でも……僕の周りには、こんなにも助けてくれる人たちがいて……
     頭の上に感じる大きな掌の感触に、雨竜の涙腺がさらに緩みそうになる。

    「……とにかく、そういう経緯で今に至る。」
    「……ありがとう、ございます……」

     涙声になりながらもそう言うと、頭の上に乗っていた掌は、ポンポン、と優しく頭を叩いて離れていった。
     ……みんなへ何か返せるだろうか。

    「……まあ、基本的には俺の意思で勝手にやったことだから、気にするな。」

     宗雲はそう言うと、「落ち着いたら出発するぞ」と続けた。
     雨竜は手の甲で涙を拭い、大きく息を吐き出す。
     宗雲さんはやっぱりすごいな……そうやって人を集めて、やると決めたことはちゃんとやり遂げて……
     今回も、僕が助けてもらえたのは、宗雲さんだったから……
     そんなことを考えながら、雨竜が口を開いた。

    「……1つだけ聞いても良いですか?」
    「何だ?」
    「宗雲さんは……何で僕を助けたんですか……?」
    「好きだから、だが?」

     分かりきったことを何で聞いているんだ、というように普通に返される。
     ……やっぱり、最初に聞いた告白は嘘では無かった……
     あまりにも触れられないため、幻聴だったのではないかとすら思い始めていた。

    「……ほ、本当ですか?」
    「では逆に聞くが……嘘を付いて何になる?」

     それに雨竜が口を閉ざす。
     たしかにそう言われればそうなのだけれど、思い当たる理由なら、もう1つあって……

    「ぼ、僕が……その、血の繋がった弟だから……助けてくれているのかな、って、思っていて……」
    「俺に家族はいない。」
    「……」
    「ただ……仮に弟がいたとしても、お前ぐらいの年齢ならある程度は自分で物事を判断出来るはずだ。本人から助けを求められない限り、動くことは無いだろう。」
    「あ……」

     雨竜が目を伏せた。

    「……分かったか。」
    「……はい。」
    「今回も、お前が納得していて、ちゃんとした相手であれば受け入れるつもりだった。ただ、どうしてもそれが出来なかった。」
    「あ、の……その!僕、納得出来る相手なんていません!宗雲さん以外は、みんな同じでっ……だからっ……」

     そこまで話したところで、宗雲からは予想外の一言が返ってきた。

    「そういう相手と出会えるかもしれないだろう。良い出会いはいつあるか分からないからな。」
    「……え?」
    「今回の相手が駄目であっても、お前はこれから結婚が決まるまで見合いをするだろう。良いと思う人に出会えたら結婚するべきだ。それがお前らの言う、高塔のために、ということになる。」

     高塔のため……たしかに、それはそうだ。ちゃんとした跡取りを残すことが高塔のためになる……むしろ、そこが僕に期待されている次の大きな出来事になるのは分かっている。
     雨竜の視線が落ちていく。
     そして……そこまで考えて、最初に宗雲が「好きだ」と言った後も淡々としていた理由が分かり、腑に落ちた。

    「……」

     宗雲さんは、僕のことを想ってくれてはいるが、特別な関係になるつもりはない。
     だから、自分の気持ちを言ったところで、今までと何も変わらない……ということか……

    「……僕にしばらく縁談はこないそうですよ。」

     その言葉に、宗雲は小さく反応した。

    「……どういうことだ?」
    「知りません。浄さんに聞いてください。」
    「……浄に?」
    「はい。宗雲さんに伝えておいてほしいと言われました。」

     頼まれただけなので、もちろん理由は分からない。でも……その言葉が、今ではすごく心地が良い。
     宗雲は眉根を寄せて考えていたが、ゆっくりと雨竜に問いかけた。

    「……婚約破棄になったと報告を受けた時、他に何か言われたか?」
    「……何か……ですか?ええっと……僕から相手に何かしたか、とか相手から何かされたか、とかは聞かれましたけど、他は何も……」

     それに宗雲は、はああと大きく息を吐き出した。

    「浄……余計なことを……」
    「……?」
    「……おそらく、お前が相手の女性に何かしたという風に、相手の女性が自分の親に伝えているのだろう。」
    「え。」

     全くもって逆、のような気が……?まあ逆と言っても、僕は何かされた、とは親には言っていないけれど……
     雨竜はそんなことを思いながら、首を捻る。

    「相手がどう伝えているかにもよるが……そういう噂は回るのが早い。しかも今回のような大きな家の言うことは、影響力が極めて大きい。お前の評価……と言うよりも、高塔家のそういった類いの評価はすぐに落ちていくだろう。」
    「……となると……」
    「縁談を申し込む家も減る上、高塔家から縁談を持ちかけたところで断られるようになることは目に見えている。」

     浄のことだ、中途半端にはしていないだろうから、徹底的に潰しにいったんだろう、と宗雲が呆れたようにボソボソと呟いた。

    「……」

     こんなことを思うのは良くないことだって、分かっている。でも……
     宗雲が雨竜に視線を向けた。

    「……何故、そんなに嬉しそうなんだ……」
    「す、すみませんっ……」

     慌てて顔を隠す。
     だって……素直に嬉しい。縁談がこないということは、僕はその間正当な理由で自由に過ごせて……宗雲さんと会える時間も増えて……
     そんなことを考える雨竜に向かって、宗雲が眉をひそめて口を開いた。

    「……結婚出来ないかもしれないんだぞ。」
    「最初からしたいなんて思っていません。」
    「……」
    「高塔家のためなら仕方が無いと思っていました。でも、僕だって本当はちゃんと自分の好きな人と一緒にいたいです。」

     縁談が来ないのであれば、誰と一緒に過ごすかは自分で選んで良いですもんね、と続けると、雨竜が宗雲の服の袖を掴んだ。
     それに宗雲の体が小さく揺れる。

    「っ……」
    「両想いだって分かっているのに、何も無かったことにするなんて嫌です……」
    「……」

     宗雲が無言で顔を背ける。
     僕は……このまま、前と同じに戻るなんて絶対に嫌だ。宗雲さんは、そうしようと思っていたのだろうけれど……でも、それは、本心なのだろうか?
     雨竜は宗雲を見ながら、口を開いた。

    「宗雲さんは……良いんですか?」
    「……」
    「……万が一縁談がきたら、僕は知らない女性と結婚して、子どもをつくって……」
    「嫌に決まっているだろう!」

     突然の鋭い声に驚いて雨竜が動きを止める。
     宗雲は、しまった、という表情をして、口元を手で押さえて俯いた。
     少し驚いたが、嫌だと思ってくれていたことに、嬉しい気持ちが溢れていく。

    「……」
    「……そんなこと、嫌に決まっているだろう。でも、それがお前の幸せになるなら……」
    「だからっ……僕は、宗雲さんとじゃないと幸せになれないんです!」

     服を掴む手にぎゅっと力を入れる。
     宗雲が、そんな雨竜の手に視線を向けると、苦しそうな表情を浮かべ……そして、ゆっくりと口を開いた。

    「……雨竜。よく聞いてくれ。」
    「……はい。」
    「……一度手に入れてしまったら、一生離してやれなくなりそうなんだ。もし今後、お前に良い縁談がきても、好きな人が出来ても……おそらく俺はお前を手放すことが出来ない。」
    「……」
    「それでも、俺と一緒にいたいと思うか?」
    「はい。」

     雨竜は間髪入れずに頷くと「宗雲さんが離れようとしたところで、僕に離れる気はありません」と続ける。

    「……」
    「……」

     しばらく無言が続き、宗雲の服を掴んでいた雨竜の手に宗雲の手が重なった。
     ……温かい……
     雨竜が自分の手を包んでいる、宗雲の大きな手をボーっと見つめていると、宗雲が小さく動いたのが分かった。
     隣の席でシューっと何かが擦れる音がする。
     それがシートベルトを外した音だと分かったのと、もう片方の手首を掴まれたのは同時だった。

    「っ!」

     宗雲は掴んだ手を助手席の背に押し付けると、体を乗り出し、顔を近付ける。
     一気に近くなった距離に驚き、雨竜は硬直した。

    「宗雲さっ……」

     その言葉は、全て発される前に飲み込まれてしまった。
     車の中の音が消えて無くなる。
     ……キス、されてる……?
     一瞬の出来事だったが、理解するのにはそれの何倍もの時間がかかってしまった。頭の中で整理が出来てくると、次第に体から力が抜けていく。

    「……」

     何秒そのままでいただろうか……唇はゆっくり離れていった。
     至近距離で2人の視線が交わる。
     宗雲は、真っ直ぐこちらを見ていた。宗雲の瞳の中に自分の顔が映っているのが見える。
     ……僕、あんな顔して……?
     ぽやぽやとした今まであまり見たことのない自分の顔に恥ずかしくなり、一気に顔が紅潮してくる。

    「っ……」

     赤くなった顔を隠そうと俯いた雨竜だったが、宗雲に名前を呼ばれて顔を上げた。
     その瞬間、また唇が重なる。
     今度は唇をこじ開けて舌が入ってきたことに肩が跳ねた。

    「んんっ……」

     宗雲の舌は雨竜の上顎をなぞり、そのまま歯列をなぞって、奥まっていた舌を絡めとる。背中を駆け抜けるゾワゾワした感覚に、雨竜の思考は溶かされていった。
     ……僕も……もっと……
     今までされるがままだったが、自分からも少し舌を動かしてみる。先程よりも舌が絡んでキスが深くなっていった。

    「ッ……んん……んぅっ……」

     手を動かそうと力を入れると、雨竜の手を押さえていた宗雲の力が緩む。雨竜は自由になった手を動かし、ゆっくりと宗雲の背中に回した。
     男2人分の体重がかかった助手席の背がギシッと音をたてる。

    「ッ……ん……」

     キスの角度が変わる度に、体温が上がっていく。
     塞がれた隙間から漏れる息遣いが甘いものに変わってきていることが分かり、それがさらに雨竜の熱を増幅していった。

    「ん、ぅっ……ふ……」

     熱に浮かされた頭では上手く思考が出来ず、宗雲の背中の服を掴む力が増していく。
     しばらくすると唇が離れていき、ツーッと銀色の糸が引いた。

    「あ……」
    「……家じゃなくて良かった。」

     ボソリと呟いた宗雲は、大きく息を吐き出すと、運転席に座り直した。

    「……あの。」
    「何だ?」

     宗雲がこちらに一瞬だけ視線を向ける。
     ……もっと触れていたい。
     雨竜はそう思うが、そんなことを口に出すことは出来ず……

    「……手、繋いでも良いですか?」

     すごく幼稚な提案になってしまった、と思うが、窓の外を見ている宗雲から、ああ、と短いYESの返事がきたことに顔を輝かせた。
     雨竜が右手を宗雲の左手に伸ばして、手を繋ぐ。向こうから指を絡めてくれたことが嬉しく、にやけた顔を見られないように俯いた。

    「……行こうか。」
    「……はい。」
    「家の近くまで送ろう。」
    「え。」

     雨竜がそう言って顔を上げると、宗雲が怪訝そうな表情を浮かべて雨竜を見た。

    「どうかしたか?」
    「……宗雲さんの家に行くんじゃないんですか?」

     その言葉に、宗雲がグッと詰まる。
     そして、さっき家じゃなくて良かったって言ったところだろう、とブツブツ呟きながらも、言葉を発した。

    「家は…………あと、まあ3年ぐらいしたらな。」
    「ええ!どれだけ先なんですか!」
    「……」
    「宗雲さん……?ちょっと!聞いていますか!」
    「……」

     完全に顔を背けている宗雲を無理矢理覗き込むと、真っ赤な顔をした宗雲と目が合った。
     珍しい、と思いつつも、雨竜は拗ねた口調で言ってみる。

    「宗雲さん……、ダメですか?」
    「……お願いだから、あまり煽らないでくれ……」

     宗雲は額を押さえながらため息を吐くと、エンジンをかけたのだった。
    End.
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    No.5

    DONEユニーク魔法により、24時間ジェイドのことを弟だと思うようになってしまったトレイ。
    今まで関わり合いがそれほど多くなかった2人だったが、超ブラコンなトレイと過ごす中でジェイドの気持ちに少しずつ変化が現れ――……

    ※トレイが黒いので、地雷の方はお気を付けください。ストーリーの開始時点では、ジェイドはトレイのことを好きではありません。(メリバ寄りのハッピーエンドです。)
    僕はお兄ちゃん大好きドジっ子キャラに設定されたそうです【トレジェイ】 今日は何か面白いことが起こる気がする。
     朝、隣に並んで歩くフロイドとアズールを見て、ジェイドの頭の中にはふとそんなことがよぎった。特に理由は無かったが、野生の勘というものだ。
     フロイドの勘はかなり当たるけれど、僕の勘もそこそこ当たる……
     そんなことを考えていた矢先、それを現実に変えるかのような、焦った声が聞こえてきた。

    「ジェイド!ちょっと良いかい!」

     その呼びかけに振り向くと、そこには声と同じく表情も焦っているリドルがいた。ぜぇぜぇ、と息を切らせながら立っている。
     笑ってはいけない場面だと分かりつつも、普段あまり見ないリドルの姿にクスッと短い笑いが漏れてしまう。そして、それを隠すように、「おや、リドルさんがそんなに慌てているとは珍しいですね」と発した。
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    No.5

    DONE好きな相手のことを1日だけ忘れてしまうという魔法が発動し、トレイが自分を好いていることを知ったジェイド。その後、1日たっても思い出せないと相談され――……

    ※トレイが黒いので、地雷の方はお気を付けください。ストーリーの開始時点では、ジェイドはトレイのことを好きではありません。(メリバ寄りのハピエンです。)
    「ジェイドのことを知りたければ何でも聞いてくださいね。」【トレジェイ】 3年生の全体授業で大変なことがあったらしいという噂はすぐに学園中を回った。

    「……こんな馬鹿らしいことで、会議に呼ばれるとは……」

     隣を歩くアズールがそう言い、ため息をついた。
     そう、この噂……否、噂ではない。アズールに憂鬱な顔をさせている一件で、寮長と副寮長が集められて会議が開かれるという事態が起こっていた。

    「でも、全員がかかったのであれば、たしかに大変なことかと……」
    「好きな相手のことが分からなくなる、ということがですか?」

     アズールは、呆れたようにそう言うと、額を押さえる。
     今回の一件は、3年生のあるクラスの授業でやっていた珍しい詠唱魔法の成功が、偶然別のクラスが作っていた魔法薬の完成と重なってしまい、変な融合をしてしまったことで発生したらしい。しかも、その融合した魔法の威力が大きかったようで、3年生だけではなくこの学園全体にかかってしまったと聞いている。
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    No.5

    DONEお見合いをすることになった雨竜。
    全く気乗りがしない雨竜であったが、そんな雨竜の気持ちとは裏腹にお見合いはどんどん進んでいき――……

    dkmnBL限定WEBオンリー「Kaleido Masquerade」で先行公開していました宗雨のおはなしです。
    ※ストーリー第2部までのネタバレがありますのでお気を付けください。
    ※モブ(女)がかなりでしゃばります。
    俺がしているのは、お前の好きな人の話だが。【宗雨】「マズい……」

     雨竜はそんなことを呟き歩みを速くするも、もう取り返しがつかないことは分かっていた。
     これは、僕自身が選択したことだ……
     でも冷静に判断したとは言い難い。その場の流れからの咄嗟の判断だった。

    「どうしよう……」

     後々のことを考えると、とめどなく冷や汗が流れてくる。しかし……今はひとまず現状の問題をどうにかしなければならなかった。
     雨竜が後ろを確認すると、自分を追いかけてきている派手な化粧をした和服の女性が視界に入る。

    「っ……うわっ!」

     突然進行方向に現れた影にぶつかってしまい、雨竜が「すみません!」と謝って顔を上げた。そこにいた知っている顔に、雨竜は青くなっていく。
     今考えると商業地区にいたのだから会っても不思議ではないと思うが、この時はとにかく焦っていて、頭が全然働いていなかったのだ。
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