8月21日正午。いつものようにじめじめとした暑さだ。普段ならこの暑さに項垂れて上半身を起こすのにも面倒で、机に寝そべりながら講義を鬱陶しく聞いているんだろう。しかし今は違う。席に着いているであろう生徒は帰路についたり、仲の良い奴とそこら辺で遊びに行こうとしている。今日は終業式だった。明日から夏休みが始まる。この夏休みは積んでいたゲームや本を消費する時間に当てよう。そう思うと自然と体も軽かった。早速コンビニで菓子やらアイスを買って俺は足早で住んでいるアパートへ向かった。
俺の住んでいるアパートは正直に言ってそこら辺のアパートより古い。親からの仕送りもまともに受けていないが、内装に特にこだわりは無く、"学校から近い場所"という条件があれば何処でも良かった。お陰でちょっと節約すればそれなりに満足できる生活を送れている。
だけど、一つだけ嫌な点がある。
「お願いします…っ!1ヶ月後には…1ヶ月後には必ず返しますっ…ですから……」
またやっている。ここに引っ越してきた時に知ったが、一つ下の階に住んでいる家族は莫大な借金に追われているらしい。扉の前には取り立て屋らしき男が怒声を浴びせながら怖い顔して迫っている。早く自己破産でもなんでもすればいいのに、と他人事のように頭で考えていたが、そういう訳にもいかないんだろうか。
どちらにせよ、見ていい気になるモンじゃない。目線を階段に戻して逃げるように上った。
「…お前、こんなところでずっと待ってたのかよ。」
扉の前に体育座りで顔を突っ伏している痩せ細った少年に声をかける。俺の声を聞いたそいつは火照った頬を見せながら顔をバッと上げて口を開く
「…!うん、今日も僕はまだ帰っちゃいけないみたいだから。」
「まあ、あんな様子じゃ帰れるにも帰れねぇよな。てか顔赤いぞ。帰る時間も教えたんだから近くの図書館で待ってれば良かったのに。」
「だって、一人で知らないところに行くの、怖かったんだもん」
「…そうかよ。ほら、鍵開けたから早く入れ」
「はーい!」
こいつは下の階の借金家族に産まれた不幸な子供だ。名前は知らないから適当にシャタと呼んでいる。年は…恐らく中学生くらいだろうか。
こいつと初めて出会ったのは引っ越してきたばかりの去年の春。慣れない環境にメンタルが追い込まれ、深夜に近くの公園で性懲りもなく20歳未満のくせに自棄酒をしていた。いつの間にか酔っ払って寝ていた所を「お兄さん、風邪引くよ?」と声をかけたのがシャタだった。次に「家、あるの?」と言われた。今思えばこの質問にも、深夜に子供が一人で出歩いている事も違和感があったが、この時の俺はそんなのに気付かず回らない滑舌で馬鹿正直に「ある」と答えるだけだった。そう言うと「じゃあ家まで送るよ!」と言って俺に笑顔を向けた。覚束ない足取りで右、左、真っ直ぐと答える俺を手を引いて家まで送り終えると「も、もしかして、お兄さん、ここに住んでるの!?」と期待した顔をしてきたシャタに俺は「そうだけど」と素っ気なく答えた。それでもシャタは「実は僕もここに住んでいるんだ。えへへ…」と妙に嬉しそうにしていた。その時の俺は"物好きなガキ"という認識だけでそれ以外気にしなかった。それからというものトントン拍子で事は進んでいき、部屋がバレた俺はシャタに"帰れない時はお兄さんの部屋に行く"という事になった。もちろん、こいつの独断で。
今更追い返せなくなった俺はずるずるとシャタとの形容し難い関係が続いている。
思い返してみれば、もっとマシな出会い方をしたかったと思うが、シャタはきっと気にしていないだろうしこれ以上自分で掘り返さない事にする。
「ほい。アイス」
「やったー!ありがと、おにーさん!」
バニラ味の棒アイスを渡せばきらきらとした目で受け取る。不器用に袋を破ってアイスを囓れば、「…か、固い…」と情けない顔をしていた。
「っふは、そんな急いでもアイスは逃げねーよ。」
「そうは言ってもさぁ、ゆっくりしててもアイスは溶けちゃうじゃん。せっかくおにーさんが買ってくれたのに」
「囓らずとも舐めてれば食えるから安心しろ」
「あ、そっかぁ」
そう言って今度は歯型のついたアイスを舐め始める。俺もコンビニ袋からカップアイスを取り出して、幾らかは柔らかくなったアイスを食べ始めた。
「…ん?あっ!おにーさん!あたりって書いてある!」
「は、マジで?へぇーすげぇ…あたり棒なんて存在するんだな」
「でも、これを買ったのはおにーさんだから、ある意味おにーさんもあたりってことだね」
「今度、交換しに行こ!」と言うが、こういうの、実際に交換した人なんているんだろうか。手間はかかるだろうし、こんなのするんだったら普通に買ったほうがいいと俺は思ってしまう。
でも、シャタのその顔を見ていたら、珍しく気が変わった。
「…そうだな。」
すっかり溶けたカップアイスを流し込むように残りのアイスを食べてそのあたり棒を洗いに洗面台へ向かった。
「今更だけど、お前、歳は?」
「あれ、まだ何歳か言ってなかったっけ?僕、一応去年に中学校卒業してるよ!」
「………マジかぁ……中1だと思ってた。全然見えねぇ」
「えっと…おにーさんは何歳なの?」
「20」
「へぇ〜。大学に通ってるって知らなかったら、高校生だと思い込んでたよ。というか、それだったら去年は20歳じゃないのにお酒飲んでたんだね。買えたんだ。」
「深夜のコンビニはザルだから年確とかされないんでな。」
「う、うわぁ〜」