砂の城「なあ…ここじゃ近すぎんじゃねぇ?」
「やっぱり?オレもそう思うね」
目線は両手で砂を寄せて盛り上げる手元のままそう返事をすると、ノクトは向かい側にしゃがみ込んで来た。
別荘から歩いて行ける距離にあるこの浜辺は、裸足が心地いいだろうと思わせるきめの細かな白い砂と、時刻によって変わる海の色とのコントラストがとても絵になっていて、ここに来てから何枚もカメラに収めている。
ただし、ノクトの目的の磯釣りができる岩場がその少し向こうに行った所にあるために、何度も横を通るだけで、今日初めて砂浜に足を踏み入れることができたのだ。
◆
その日、いつも通りノクトより先に起きた俺は、天気予報サイトをチェックして、今日の午後からしばらくの間天気が崩れがちになるのを知った。
ノクトは、天気が悪いといつにも増してダラダラしたがる。今日も昼近くに起きてきて薄曇りの空を確認した途端、最近ハマっているゲームのスコア更新を本日の予定と決めたようで、スマホを片手にいつものようにクッション代わりに俺を抱え込んできた。いつだったかの夏に、マンションを訪ねて来たグラディオがそんな俺たちを見て「いくらエアコンが効いてるつっても見てるこっちが暑苦しいぜ」とか何とか言っていたのを思い出す。ノクトとの距離感がおかしいってのは俺だって分かってる。お互い、初めてできた『なんでもないただの友人』に夢中で、気がついた時にはすでにこんな感じだったけれど、ノクトも気にしてないみたいでぐいぐいくるからまぁいっかなって…。逆に今更距離を置くのもなんか変に意識してるみたいだし…と逡巡しながら、友人としては近すぎる距離のまま、とうとう成人を迎える年になってしまったのだ。
ただ…最近、特にこの別荘に訪れてからのノクトは少し様子が変で。距離感はいつも通りなものの、ふと気がつくとじっと俺の方を見ていたり、目が合うと何かを言いたげに口を開けてはそのまま何も言葉を発する事なく閉じたりすることが何度もあった。始めのうちは俺も「何?」と聞いたりもしていたけれど「何でもねぇ」とか「ぼーっとしてただけ」とかはぐらかされるので、そのうちに、こそばゆく思いながらその視線に気付かないふりをすることに一生懸命になっていた。
それはそれとして、いつもなら「重い」だの「暑い」だの、口先だけは抗議してもノクトの好きにさせていたと思う。しかし、今日の俺は、腰回りにゆるく巻きつけられたノクトの腕から少々強引に抜け出して、あの砂浜に行きたいと強請った。俺たちのモラトリアムな夏休みも残り少なくなっていて、今日を逃すとノクトと砂浜に行くチャンスがなくなってしまうと思ったのだ。
天気予報は当たっていたようで、普段ならば、泳いでいる魚が見えるほど透明度が高い海の水も、今日は荒い波に海底の砂が巻き上げられて濁って見える。雲の影が目まぐるしく流れて行く。
◆
「結構波が荒いな…ってお前、そんなとこにサンダル脱ぎっぱだと流されるぞ」
「だってここの砂めちゃくちゃきもちいいよ?ノクトも裸足になりなよ」
そう言って俺が足の指をグーパーするように動かすと、ノクトは左の口角を上げながらフッと鼻から息を抜いた。
「しっかし惜しいな…こんな天気の時しか釣れねぇような魚がいるかも…やっぱ竿置いてくんじゃなかったな…」
「あのねぇ!ノクトここに来てから海じゃ釣りしかしてないよね!せっかくこんなにキレイな砂浜があるのに?珍しい星の形した砂が混じってるってイグニスが教えてくれたっしょ!」
砂をひとつまみ指先に乗せて「ほらあった!」とノクトに見せた。
「へえ、マジで星の形してんのな…。イグニスが言ってたアレな…元はナントカって虫だって」
「…あー………言ってたね…虫だとか知りたくない情報だったよ…」と一気にテンションが下がった俺を見て「だな」とノクトは笑いながら俺の指から砂を払った。
「で、砂遊び?なあ…ここじゃ近すぎんじゃねぇ?」
「やっぱり?オレもそう思うね」
目線は両手で砂を寄せて盛り上げる手元のままそう返事をすると、ノクトは向かい側にしゃがみ込んで来た。
「思ってこんな波打ち際で作ってんのかよ…で、何作ってんの」
「んー?見て分かんない?」
「分かったら聞いてねぇし」
「お!し!ろ!ここ!ここ見て!上んとこふたつにわかれてるっしょ!王都城に決まってんじゃん!」
ペチペチと砂の城の上に作ったふたつのコブを手のひらで叩きながら俺は主張する。
「ハァ?城っつーか…山にしか見えねーし…」
「ノクトひっど!もう!山でいいですー!トンネル掘っちゃうもんね!」
そう言って砂山に手を突っ込んだ俺に続いて「工事手伝ってやるよ」なんて笑いながらノクトも反対側から掘り始めた。
「なぁ、人のいない砂浜で二十歳を目前にした男2人が黙々と砂遊びとかってはたから見たらヤバくね?」
「確かにちょっとヤベーね!」
くふくふ笑って俺も掘り進める。
「グラディオに見られたら絶対なんか言われそ〜。でもオレ、海でこういうのあんました事ないから結構楽しいかも!」
「そういや俺もねぇな…そっか…そりゃよかった」
「ノクトのマンションでクーラーガンガンにかけてゲーム三昧もいいけど、こうやって自然の中で過ごすのも意外と楽しいね。何だかんだイグニスは世話焼きにくるし、グラディオもノクトの訓練にかこつけて押し掛けてくるしで思ってたより全然賑やかだしさ。庭にテント張り出したのにはビックリしたけど!」
「んな来なくていいっつってんのにアイツら…邪魔だっつの…」
ノクトは砂を掻き出す手は休めないまま、ぶつぶつ文句を言う。
「でも2人が来てくれないとノクト釣りばっかしてんじゃん!」
「……………そう…でもないだろ……」
図星を突かれたのか、もごもごと口ごもりながら「いや…」とか「わかってねぇな…」とか口を尖らせて呟いている様は高校時代のまんまだなぁとか、ノクトの昔より伸びた前髪を眺めながら思う。
「あー……でも、もうすぐノクト誕生日かぁ…成人するとやっぱ公務も増えるよね」
「めんどくせぇ…けどまあしょうがねえよな…」
「夏休みにこんなのんびりノクトと過ごせるのも今年が最後かなぁ…」
「ハァ?お前に会う時間くらいいくらでも都合つけるし!」
思いがけず強い口調での即答に、急に砂に埋まっている爪先がムズムズする気がした。
「あ」
「⁈」
ノクトが小さく声を上げた瞬間、砂とは違う暖かな感触を指先に感じた。
「おっほ〜!トンネル開通〜!」
もう少し穴を広げようとやっきになって指をめちゃくちゃに動かす。広がった穴にノクトの指がすべり込んできたと思ったら指先を絡め取られた。思わず驚いて顔を上げると、真剣に俺を見つめるノクトと目が合う。
「…プロンプト…」
途端、大きな波が来てあっという間に砂の城をさらっていく。
「あっ!ヤバっ!オレのサンダル!」
「言わんこっちゃねぇ!これ持ってろ!」
放り出していたサンダルをさらわれて慌てふためく俺を尻目に、ノクトは勢いよく脱いだTシャツを俺に投げつけると荒れた海に躊躇うことなく飛び込んで行った。
「えッ⁈うそ…ノクトっ!」
ノクトは小さくなっていく俺のサンダルを追って沖に向かってどんどん泳いで行く。ノクトのTシャツを握りしめながら呆然と眺めている俺の足に波に揉まれた砂がまるで俺まで海に引きずり込むように絡みつくて感触にぞわりと総毛立つ。いつの間にか豆粒のようになったノクトの姿がひときわ高い波に飲み込まれるのを見てひゅっと息が詰まる。不意に、星砂が有孔虫の屍骸だというイグニスの言葉が脳裏をよぎった。
「っ…ノクト」
思わず大声を上げたと同時に、波間から顔を出したノクトがサンダルを高々と掲げてこちらに向かって大きく振った。
ノクトは髪から滴り落ちる水滴を動物のようにブルブルと頭を振って振り払うと「目にしみるわ…」と呟いて、前髪をかき上げながら陸に上がって来た。
「何やってんだよ!サンダルくらい流れてったっていいのに!」
「え?でもお前、帰り困んだろうが」
「それくらい何とでもなるじゃん!あんな波の高い中!」
「ヘーキだって。オレ、一応泳ぎの訓練もしてっから…」
「そういう事じゃなくって!もしノクトに何かあったら!オレなんかのことで…っ!」
詰め寄る俺の予想外の剣幕に目を丸くしたノクトは、俺の震える拳に気がつくと、強張った手からそっとTシャツを引き抜いた。
「悪ぃ…そんな心配すると思わなかった」
そう言って回収したサンダルを俺の足元に丁寧に揃えて置いた。
「…そんな顔をさせたいわけじゃなかったんだ…プロンプト…泣くなよ…」
ああそうか…ノクトの困った顔がぼやけて見えるのは俺が泣いてるからなんだ。息を荒くしながら下を向いてスンと鼻をすする俺に、ノクトはひとつ大きく息を吸って話し始めた。
「前にも言ったと思うけどさ…王家の魔法は使う者の命を代償としてる…って。訓練した後めちゃくちゃ眠くなんのも半分くらいはそのせい。」
話の脈を見失ってそっと顔を上げると、真っ直ぐ俺を見つめるノクトの真剣な瞳があった。
「普段は考えねぇようにしてるけど、親父の命もオレの命も、ただこの国のために消費されてしかるべき物だと、そういうものだと自分に言い聞かせて生きてきた…あ…っと…捨てばちになってたとかそういうんじゃねぇんだけど…」
ポツリポツリとノクトの口からまろび出る言葉は大きくなる波と風の音をかき分けて、俺の耳に静かに届いた。
「でも、お前に会って…大事な物を守れるんだったら…お前を守れるんだったら命削んのも悪くねぇなって…ちょっとだけ前向きつーか…そう思えるようになったっていうか…」
「……だから…多分…オレは…お前のこと好きなんだな…って……」
そう言ってノクトは、ふわりと、今までにオレの見たことのないとても綺麗な笑みを浮かべた。
ノクトから視線を外すことが出来ずに、入道雲のようにムクムクと膨らみ続けていたノクトへの気持ちが鼻の奥をツンと刺激するのを、それでもなお、唾を飲み込むことで何とか堪えようとする。俺は、自分のこの過ぎた気持ちを認めるのがずっと怖かった。
「大切なんだお前のこと…自分のことよりもいっとう…だから自分のことを卑下すんのはやめろ…」
友達になれただけでよかったんだ、本当に。でもノクトはもっと欲張ってもいいと言ってくれる。
言葉が出ないまま突っ立っている弱虫な俺に「変なこと言っちまった忘れろ」と困ったように笑った彼は、潮風でごわつく俺の髪をくしゃりとひと撫でしてくるりと背を向けた。
「さみぃし。帰ろうぜ。」
そう言ってTシャツをに袖を通しながら別荘へ向かって歩き始めたノクトをぼんやりと目で追っていた俺は、右手首に痛みを感じてハッと我に帰る。無意識に握りしめていたようだ。
「…ノ…クト…ッ!」
その背中に向かってようよう絞り出した声は変に裏返っていて。砂に足を取られて思うように距離が縮まらないのをもどかしく思いながらようやっと追いつくと、ノクトの手を掬い取ってギュッと強く握った。ビクリ!とこちらが驚くほどに一瞬身体を強張らせた後、ノクトはゆっくりと振り返った。
え?何で?何で目を潤ませて鼻の頭あかくしてんの?ありえねぇし!さっきまであんなにかっこいい顔で余裕ある風に笑ってたのに?ヤバいじゃん…!
その気持ちをオレに伝えるために彼がいったいどれだけの勇気を振りしぼったのか、それくらい簡単に想像つくくらいにはオレたちは『親友』で…でも、気持ちはとうの昔に『友達』の枠を超えてしまっていたのに…。
あれだけうるさかった蝉の声が聞こえない。
「ノクト!オレっ…!」
頭上に広がりはじめた鈍色の雲は、空の高みで輝いている魔法から未分化な俺たちを隠してくれるだろうか。