再会と予感「うーん、あと1ピース…足りないな。」
とある日の執務室。
書類仕事もほどほどに、ドクターは次の作戦について1人唸り声をあげながら悩んでいた。
向かうオフィスデスクの上には、龍門の高層ビルのように高く積まれた書類の山や資料。
調べものの途中で放置されたブラウザやメール、オペレーターの情報等々が展開しているパソコンのモニター。
あとは飲みかけのコーヒーがはいったカップと、携帯食の空箱と、差し入れの菓子がはいっていた包装と、理性剤のストック…などが散らばっていた。
そんな散らかったデスクでも、タブレットを置くスペースさえあれば、次の作戦の構想を立てるくらいはお手の物であった。
そして今の悩みといえば、次の作戦へ出撃させる理想の前衛オペレーターがひとり足りないということだった。
もちろん、先鋒や他の役職にも候補はいる。
しかし、他の任務や訓練の都合により動かすことが難しいのが現状である。
さてどうしたものか、とぱらぱらと人事のファイルをめくる。
理想に合致するオペレーターがいなければ作戦で補うしかないが、できれば作戦を変更したくはなかった。
変更すれば、資材やシフトなどを始めから組み直しすることになるからだ。
そんなリスクがあるものは初めから選択肢にいれなければ良いのだが、これだ、という作戦が閃いてしまったものは仕方がないのだ。
数ページめくって、諦めたほうが早いか?という考えが浮かび始めた頃。
あるページで、吸い寄せられるようにドクターの瞳が止まった。
彼が入所したのはドクターが目覚めて間もない頃。
レユニオンとの決戦で精一杯だったからか、目は通していたが、詳しく閲覧することができなかったそのページ。
今回の作戦における戦闘コスト、攻撃力、役割、どれも問題ない。
人となりの評価は…何点か懸念事項がありそうだが、確認もそこそこに、早速彼に会うことにした。
執務室で再会した彼は、やや不機嫌そうな顔をしていた。
そう、再会なのだ。
彼がここに来るまでの間、彼と医療部近くの廊下で初めてすれ違った事を急に思い出していた。
あの時は他のことに思考がいっぱいですぐに彼の横を通り過ぎてしまったが、今思えばドクターという立場上、少し雑な扱いだったかもしれない。
「ようやく戦場に出ることができるのか。」
吐き出すように彼…エンカクはつぶやいた。
そこで、なんとなくだが彼の不機嫌の理由を理解した。
プロファイルからすると彼は主に傭兵を生業としていて、どちらかといえば好戦的なほうだ。
可能性の1つでしかないが、入所してからずっと待機状態であったことがつまらなかったのかもしれない。
「ああ、戦場で目いっぱい働いてもらうことになるよ。早速なんだけど、作戦の共有を…っ、なんだ?」
その男は表情を変えぬまま静かに近づき、フェイスガード越しではあるが、ドクターの顔を覗き込むように顔をよせてきた。
190cmもある鍛えられた身体、整った美しい顔であるものの不機嫌そうなしかめ面。ついでに長く伸びたサルカズの角。
そんな彼がこんなに間近にいるのだ。
彼が害する理由はないとはいえ(そうでなければロドスに入所できないからだ)、うっすらと冷や汗が背中を流れていくのをドクターは感じた。
彼はお行儀の良い人間でも、人懐っこい人間でもない。
どちらかといえば、要取扱注意人物だろう。
とはいえ、動揺を相手には悟らせないよう、表情は変えない。
それは目覚めてからの出来事で、身についたことの1つだった。
そして、じぃ…と、業火のような鋭い眼光に見つめられること、数秒。
内心、どう対応すべきかと焦りながらいくつかのパターンを想定しつつ、エンカクの瞳を見つめ返していた。
が、フッと不敵な笑みを浮かべて、エンカクは後ろへ少し離れた。
そして目踏みをするようにドクターのつま先から頭の天辺までを眺める。
「どうやらあの時の殺気や威勢はほとんど感じられないようだが…まぁお手並み拝見といこうか。」
なるほど、彼はドクターのことを指揮官として評価している真っ最中のようだ。
普段からミスは許されない戦場だが、今回はより丁寧に作戦を遂行していく必要がありそうだ。
データを見る限り、彼は今後の作戦にも参加させたい人物。
信頼は早めにとっておくにこしたことはない。
「お前の事情なら聞いている。襲ったりはしないから安心しろ。俺のことは武器として遠慮なく使うといいさ。…なぁ、「ドクター」?」
不穏な言葉に不穏な表情に不穏な声色。
それに乗せられて届くのは、何かを楽しみにしているような感情。
…昔の私は、彼に何をもたらしたのだろうか。
慌てて脳内をかき回したところで、大して蓄積されていない記憶の中に答えは見つからなかった。
作戦当日。
まるで全ての運命が決定付けられているかのように、順調に作戦は遂行されていく。
何度もシミュレーションをおこない、オペレーター達にも情報を共有し、様々な下準備をおこなってきたのはもちろんだが。
彼の存在が予想以上に今回の作戦と相性がよかった。
派手に暴れ、炎を巻き上げ、敵の注目をあび、囮になる。
しかし敵をなぎはらう動きには一切無駄がない。
勇猛果敢。一刀両断。
とても鮮やかで、雄々しい一撃を放つエンカク。
おそらくは多くの過酷な戦場を生き抜き、死線を越えてきたに違いない。
人を殺めてきた技であることは確かだが、しかし気高く美しく見えてしまうのは何故なのだろうか。
炎と刀を司る神がいるとするならば、彼のような存在なのかもしれない。
…残念ながら、神など一度もお目にかかった記憶はないが。
できることなら永遠に彼の炎舞を眺めていたかった。
が、他のオペレーターへの指示がまだ残っている。
ドクターは強制的に思考を切り替え、待機しているオペレーターへ出撃命令をだした。
戦闘は何のアクシデントもなく、想定の中でも最も被害の少ない状況で完了した。
先に帰還したオペレーターに軽くねぎらいの言葉をかけつつ、エンカクがやってくるのを待つ。
水を得た魚のように生き生きと戦場を駆けていた彼は、一体どんな顔を見せるのか。
多少なりとも機嫌よく帰ってくるのかと予想していたのだが、案外落ち着きを取り戻しており、まるで戦場にでていなかったかのような様子でドクターの前に現れた。
「エンカク。」
「…お前か。」
何か用か、とその顔には書かれていた。
特に疲労もなく、戦闘後の高揚もなく、ひどく落ち着いた表情だ。
「君にとって久々の戦場だったかと思うが、どうだった?」
多少なりとも彼の心境に興味はあった。
あんな美しい炎舞をみせられた後だったからだろうか?
もちろん、オペレーターの状況を知るという仕事柄の都合もあったが。
「どうもなにも、大したものではなかったな。かろうじて準備運動といったところか。」
ふん、とやや不満げな表情をうかべる。
どうやら彼にとってはぬるい戦場だったらしい。
ここは頼もしいと思うべきか、窘めるべきか。
「…そうか。ならば更に過酷な戦況がある場合は、君の力を積極的に借りるとしよう。今日はお疲れ様。」
もう少し話をしてみたかったが、いつまでも彼を引き止めておくわけにはいかない。
彼の都合もだが、自分には山ほどたまった書類の片付けが執務室で待っているのだ。
あまりだらだらと話しているわけにはいかなかった。
執務室へ向かおうと踵を返すと、すぐさま、「待て」と頭上から低い声が降りてくる。
ほぼ反射的に振り向くと、すぐそばにエンカクの顔があった。
つい先日、彼を呼び出した時くらいの顔の近さだ。
戦闘から帰ってきたばかりで身体が温まっているのか、その吐く息も熱いものだった。
「過酷な任務とやらだが、どうせならお前が指揮する戦場にしろ。その方が少しは面白みのある戦になるだろうからな。」
愉しそうに。
まるで目の前に極上の食事があるかのように、いや、極上の獲物があるかのように彼は悪い笑みを浮かべる。
その美しくも妖しい表情にドクターの背筋にゾッとした感覚が走った。
それは単なる恐れやおぞましさではない。
何かに感動するような…いや、これは歓びのようなものだろうか?
なんとも形容しがたい、心地良いような何かを感じた。
これはなんだ?と戸惑っている間に、エンカクはドクターを通り過ぎ、自室へ戻っていった。
彼の背中を見送ったあと、そこで初めて、自分の心臓が通常より速く脈を打っていることに気づく。
よくわからないが、興奮状態にあるようだ。
まだ仕事が残っている、と額にうっすらと浮かんだ汗をぬぐって、何度か深呼吸をする。
ようやく落ち着いたところで、やっとドクターも帰路へふみだす。
はっきりと言い切れないが、この先何かがかわっていくような予感を感じていた。
それほどまでにエンカクは、ドクターにとって大きな分岐点となりえる存在だった。
とあるサルカズから、とある人物についての情報を得たときは、なんとも形容し難い感情が全身を掛け巡ったのをよく覚えている。
それは興奮か恐怖か感動か。
あの時までは真っ暗闇で何にも面白みのない人生だったというのに、かつて目にすることもなかった戦術を見せつけられたおかげで、目の前が光で一瞬で蒸発したかのような気分を味わった。
味あわせた奴が、まさか新しい雇用主になるとは、生きている限り人生は何が起こるかわからないものだと、改めて思ったものだった。
「あなたは?」
再会はあっけなく、そして素っ気なく終わってしまった。
しかし、その人物が目の前で活動している様を確認できただけでも、十分な収穫といえる。
ああ、あの戦場を、いやそれ以上の戦場と興奮を味わうことができるのかと思うと血が滾る感覚がした。
ロドスに入所してから約2ヶ月。
レユニオンとの抗争も小競り合いも、それに伴う事後処理にも、様々な作戦に参加したが、ドクターの指揮には巡り合えなかった。
大元の作戦にはドクターが関わっているのは明白だが、直接の指揮でないというだけで随分戦場の様子が変わる。
退屈しのぎには良かったが、正直物足りないものばかりだった。
その時が来るまで刀を研いでおくしかないものかと、不満を積もらせ始めたころに、お呼びがかかった。
「戦場で目いっぱい働いてもらうことになるよ。」
そう発言した目の前の瘦せっぽちの男の目は、以前と違い輝いているように見える。
他のオペレーター達の話によれば、あの頃は「目覚めた」ばかりで頭が鈍っていたのだろうということだった。
しばらく生活しているうちに、人形のような生気のない顔からよくもまぁここまで変わるものだと、間近に顔を寄せ、観察する。
ドクターは少し緊張した様子を見せるが、動揺を表に出さないところから流石といったところだろうか。
――面白い。
自然と己の口角があがったことを理解する。
人間も植物も、しぶとく時に儚くその姿を変化させていく様が良いものだ。
もちろん、散りざまも。
こいつが最高にお膳立てした戦場で、全力を持って力を解き放ち、最後を迎えることができれば面白いのだろうと、来るかわからない未来に思いをはせながら、期待を込めてそいつを眺める。
「俺のことは武器として遠慮なく使うといいさ。…なぁ、「ドクター」?」
初めて浴びたドクターの指揮は、控えめであったものの、お預けを我慢していたものに見合ったものであった。
これからどうやって奴の戦場に立てるようにするか、上手な「おねだり」を考えるとしよう。