猪七 知らず知らず、緊張がゆえに溜まっていた咥内の唾液をぐっと嚥下し、おそるおそる右足に力をこめる。十時十分の位置に、ビス止めでもされたかのように固着している両の手の向こうで、ほそい針がゆっくりと右上へ昇っていった。足にはほんとうにわずかな力しかこめていないのに、針が差す速度はすでに時速四十キロメートルを超えている。このおおきな鉄のかたまりが、こんな軽い操作ですぐにこれほどのスピードを出してしまうことに恐れ、おれの咥内にはふたたび緊張の唾液が溜まっていっていた。
シートにももたれずに背筋をぴんと伸ばし、一心不乱に前を睨みつけるおれはいま、相当に滑稽なすがたをしているのだろう。助手席の彼は窓枠に肘をついて拳に顎を乗せ、そんなおれをじっと見ていたが、不意にすこし吹き出すように笑いだした。
「そんなに固くならなくても。見とおしのいい一本道を四十キロで走ってるだけですよ」
「運転に慢心漫然はいけないって習いました!」
「はは、正論すぎてかえすことばがありませんね。わたしの負けです」
彼とことばを交わす際も、一瞬たりとも前方から視線はそらさない。肩をがちがちに怒らせているおれにかるく手をあげて降参のポーズをとってみせると、彼は窓をほそく開け、ダッシュボードに置かれていた煙草を手にした。一本抜いて咥え、ライターで火を灯し、窓の外へ向かって煙を吐きだす。その一連の動作が、どんなにがんばっても視界のほんとうにわずかな端っこでしか捉えられない。彼が煙草を喫うすがた、とりわけまっさらな一本を咥えて火をつける工程がだいすきなのに、満足に拝めないことにおれはくちびるを噛んだ。
いそがしい呪術師業務のかたわら、なんとか時間を捻出して教習所に通い、奇跡的にすべての課程を一発クリアで卒業できた。やるならいろいろな知識が頭からこぼれおちないうちにと、翌朝いちばんに免許センターに向かい、晴れておれは免許証というおとなのライセンスを獲得することに成功したのである。
ほんとうは十八になった瞬間すぐ取るつもりでいたのだが、学校に通って勉強と鍛錬を積みながら、きちんとお給料の発生する仕事もこなす高専生は、卒業したプロの呪術師までとはいかずとも存外にいそがしい。ましておれにはあこがれているひとがいたから、呪術界最強の人間に担任をしてもらえる年を無駄に過ごすわけにもいかず、在学中は自分の等級と実力を上げるために鍛錬に集中したのだ。
四年の終わりごろからやっと教習所に通いだすことができ、五年目のモラトリアム期間を利用してようやく取得に至ったわけである。この唯一のモラトリアム期間をきっちり休んでバカンスを謳歌する者もいるが、おれはなるたけはやく昇級したかったため、しっかり任務も入れてもらっていたから、スケジュール調整には苦心した。せっかくの休暇期間なんだからもっとゆっくりしたらいいのにと彼には言われたが、任務も免許も、はやく成長したいおれには不可欠な要素だから、むしろ自由に使える時間こそ前倒しでどんどん入れて、一秒でもはやく一歩でも先に進みたかったのだ。
だって、おれのすきなひとはすっごくおとなだから。おれより年上で、おれより背が高くて、おれより足が長くて、おれよりお金持ちで、おれより強くて、おれより等級が高くて、おれよりなんでもできる、いつになっても隣に並べないようなひとだから。
もう成人もして、これ以上背が伸びる可能性もほとんどない。短足なんかもっとどうしようもない。でもまだ努力できる余地はある。彼みたいなおとなにはなれずとも、自分に可能なかぎり限界まで努力して、わずかでも近づけるようにがんばることはできる。そのためにはひと時たりとも怠けているひまはないのだ。それぐらい、おれと彼のスペック差というのはとてつもないものなんだから。
十六で彼と出会って、轟く雷鳴のような衝撃的な恋に落ちて、猛烈なアピールにアピールをさんざ重ねて、三年生に進級するころようやく交際を承諾してもらえた。それからは今までどおり任務のサポートに加え、恋人としても彼とふたりで出かけるようになったのだが、いつもおれは彼の高級車の助手席、そして遅くなりすぎないうちにきちんと寮まで送り届けられる日々だった。
さらには、お酒がだいすきな彼なのに、おれが運転を代わってあげられないばかりに、外出先でどんなにおいしいレストランにめぐりあっても一滴も飲ませてあげられなかった。そして、気にしないで飲んでいいよと言えない自分。そもそも彼はおれに頑なにおごらせてくれなかったし。たとえ折半といえども無理やり財布はひらいたけれども。
彼とのデートはいつだって、ほんとうに朝から晩まで夢のような一日だったのに、その所感だけで終わらせるべきなのに、おれは不甲斐ない自分にそうやってしばしば暗いきもちになることがあった。そして、おれなんかのために貴重な時間を割いて会い、ともに過ごしてくれている多忙な彼を前にしているのに、大切なデートでわずかでも暗い感情を抱いてしまっている自分がほんとうに嫌になるばかりだったのだ。
免許程度さっさと取ってしまいたい。それさえあればこんな失礼なきもちになることもないのに。でも一級術師として日々活動しながらも絶えず鍛錬を積んでいる彼は、気を抜くとさらにさらに先へと行ってしまう。七海一級術師というのは、ひよっこ学生が本気で追いかけようと思ったら、一睡もしているひまはないほどの実力者なのである。あの最強の男がこころからの信頼を置いている人間のひとりなんだから、至極当然のことだった。
だから悩んだ末、おれは学生時代は本業の努力に専念することにしたのだ。幸か不幸か最強の担任は彼とも旧知の間柄であり、おれが片恋しているころからおもしろがりながら応援してくれていたので、すこしでも彼に近づきたいというおれの心境を察し、可能なかぎり時間をつくって自主練にも付き合ってくれた。それで具体的にいかほど実力が上がったかはスカウターもないのでよくわからないが、ひとまず二級に昇格することはできたので、おれの努力はひとつの実をむすんだといっても過言ではないだろう。
そして半月ほど前にもうひとつの実がむすばれたということである。あまりにもうれしくって、ブスな証明写真が鮮明に印刷された免許証を大事に抱え、おれは取得した日に彼に直接報告に行った。彼はおれの勢いにびっくりした顔をしたあと、ぴかぴかの免許証を手にしてまじまじと見つめると、満面の笑みを浮かべているおれにちゅっとキスを贈り、じゃあ、次の休みに練習しに行きましょうか、とほほえんだのだ。その後彼お手製のお祝いディナーをふるまってもらい、「がんばったごほうびになんでもすきなことしてあげる」と妖艶な笑みで彼がのしかかってきたのはまたべつの話である。
あの夜は七海さんが直々に運転練習付き合ってくれるなんて、と感動と彼への愛に打ち震えたものだが、今朝彼にやさしいキスで起こされ、うきうきと彼のマンションの駐車場へ向かったおれは、べつの意味で震えることになったのである。彼の車にはもうかぞえきれないほど乗せてもらったというのに、彼からのお誘いに舞いあがって失念していただなんて、おれはどこまで間抜けなんだろう。彼の自家用車は国産車ながら、日本人ならしらないひとはいない高級車、それも車体が長いセダンタイプで、つい半月前に免許を取ったばかりの若葉マークドライバーが都内を乗りまわすものでは決してなかったのだ。
慣れてないでしょうからひらけた道に出るまでわたしが運転しましょう、と彼はこともなげに宣い、緊張と恐怖にちぢこまっているおれを乗せて軽々と数十分運転すると、トイレ休憩がてらコンビニに寄り、ではどうぞ、とまたこともなげに宣って助手席に移ったのだった。
ではどうぞ、ではない。この車いったいいくらかかってるんだろう。車種的にも高級路線なのに加え、シートやシフトレバー周りの内装など、あきらかにかなりのオプションを積んでいる。彼は高給取りなのに金を持て余している節があり、食材や酒、スーツや腕時計、こうした車など、日常生活において金をかけられるところになるべく注ぎこんで消費しようとしているが(彼曰く経済がまわらなくなってしまうからとのこと)、それでも使いきれないぶんは時折慈善団体に寄付している。車なんて特に金をかけられるポイントなので、特段趣味というわけでもないのにものすごい仕上がりになっている。こんなのもはや走る札束だ。
おれみたいな初心者にこんな高い車運転させて怖くないんすか、とコンビニで震えながら運転席についたら、保険入ってますよ? と小首をかしげてかえされた。ちがうそうじゃない。さらにはがっちがちな手つきでいかにも教習所出たてです、と言わんばかりの超教科書手順で発進前のチェックをするおれにスマホを向け、かわいいなどと宣いながらにこにこと録画する始末である。ほんとうにやめていただきたい。
かくしておれのプライベート初乗車は多大なる恐怖とともに出発したわけだが、彼が選んでくれた郊外の道はたしかにとてもひらけた一本道で、交差点も多くない。この道を愚直にただまっすぐ走るだけであれば、初心者でも過度の心配はいらないだろう。ましておれはビビりちらかして、こんなまっすぐな道でも最大五十キロまでしか出せない。発進してしばらくは、彼もおれの手つきや車体の位置、ミラーなどをあちこち見ていたが、十分も走ればすっかりリラックスしてしまったようだ。車内には彼が愛飲する嗅ぎなれた煙草のかおりがひろがっていて、おれは高鳴る心臓を再度唾液を嚥下することで無理やり押さえこもうとした。
年月を追うごとに喫煙者に厳しい世の中になっていく昨今、屋外で煙草を喫おうと思ったら、喫煙可能な場所にたどりつくまでしばらく歩きまわらねばならないこともままある。彼は喫わなければいられない性質というわけではなく、酒やコーヒーとおなじで嗜好品として煙草をたのしんでいる。だから屋外でわざわざ喫える場所をさがしてうろうろすることはなく、基本的には家と、喫える場所をよくしっている高専でしか喫わない。そのなかでもリラックスしている自宅のほうが割合としては高いのだ。
つまりなにが言いたいかというと、おれが彼の煙草のにおいを嗅ぐのは彼の自宅にお邪魔しているときが多数であり、そして彼の自宅にお邪魔しているということは、おれたちの関係が恋人である以上そういうことをする目的が当然あるわけで、だからちょっとリンクしてしまっているところがあるのだ。彼の喫っている銘柄のにおいときもちいいことが。
これはおれが、いつまでも童貞気分が抜けきらない若造だからというのも原因としてあると思う。ほんのちょっとしたことにもすぐムラムラしてしまって、すぐ彼との夜を思いだしてしまって、情けないほど若くて青くてはずかしいったらない。だいたいいまは彼の命をこの両手にあずかっている身だ。そんなことを考えて気をそぞろにしている場合ではなく、おれは思考をそらすためにがんばって話題をさがした。
「やーでも、七海さん車持ってたの似合うっちゃ似合うんだけど意外でもあったっていうか、おれら基本的に補助監督さんに送迎してもらうじゃないすか。術師って繁忙期は十何連勤もザラとかクソな労働環境だし、プライベートで乗る機会あんまなくないすか」
「いえ、仕事で使ってるほうが多いですね。補助監督も人員に限りがありますし、術師全員の送迎はしてられません。むしろ我々より学生の任務に同行していたほうが安全面としていいですからね。それに行きはいいとしても帰りは血まみれ泥まみれなんてことよくあるじゃないですか。公共交通機関だとひと目につきますから、持っていると便利なんですよ」
「え、血まみれ泥まみれで乗ること前提にしてんのにこんな高い車にしたんですか」
「わたしの数すくない消費の手段というのはきみもしっていることだと思いますが、急いでいるときに道を開けてもらうためというのもあったりします。わたしみたいな風体の男が、サングラスでもかけてこんな車に乗っていれば、たいていの場合道を開けてくれますよ」
「ああー……なるほどぉ……」
だからこれ黒塗りなんすね、とか、ヤのつくひとみたいですもんね、とかいうことばはぐっと喉の奥に押しこんだ。紳士然とした佇まいでいながら、彼は意外と俗っぽいというか、他人がイメージしているより打算的に考えているというか、棚からぼたもちをよろこんで食すところがあるというか、なんと言うのがいちばんしっくりくるのかわからないが、そういうところがある。庶民ぽい、というのが最も簡潔かつ伝えたいイメージに近いだろうか? チョコバットの当たりが出るまで帰れまテンをひとりで開催して、当たりが出るまでに開封したものをすべてひとりで平らげるようなひとなのだ。それでやっと得た当たりをにこにこと駄菓子屋に持っていくような、そういうずるいギャップも持ちあわせている。
しかしそれはそれとして、たしかに彼のような風体の男がサングラスをかけてこんな車に乗り、さらには煙草なんて咥えて横道からウインカーを出して顔をのぞかせたら、おれなら遅刻しそうでも膀胱が破裂しそうでも即座に先をゆずってしまうだろう。そういう、自分の見られかたをちゃっかり利用してちゃっかり生きているところもまた魅惑的なギャップなのだ。もうおれは、彼であればなんにでもそうやってときめいて眩暈を起こしそうになってしまうにちがいない。付き合ってもう二年を超えたのに、おれの恋はいつまで経っても落ち着きを見せない。恋人の運転する車の助手席でゆったりと煙草をくゆらせられるような、彼みたいな余裕はいくつになれば生まれるのだろう。
「仕事上、急行せねばならないことも急な追加依頼もしばしばありますからね。便利だから乗ってるだけであって、本来であれば軽でいいんですよ。街中のどんな狭いパーキングにも余裕で停められますし。路地裏の一通も苦になりません」
「ええ? 七海さんが軽とか想像できないですよ。頭ぶつけるんじゃないですか」
「最近の軽は天井も高いし足元もゆったりしてるんですよ。荷物も意外と積めます」
「うーん、でもおれのなかの軽自動車似合わないランキング三位ですよ」
「二位は?」
「学長」
「一位は?」
「五条先生」
そう言うと彼はめずらしくおおきめの声をあげて笑い、ドリンクホルダーに設置している灰皿に吸殻を押しつけ、ふたたび煙草の箱をとった。連続で二本喫うとは、結構な上機嫌らしい。おれ一応似合わないって言ったんだけど、彼は気分を害すどころかむしろたのしくなっているようだ。まあ、おれの元担任兼彼の先輩に関するネタで笑いを取りにいけば、高確率で彼のツボを突けるというのは、交際していく過程で知り得たひとつの知見でもあった。
似合わないかなあ、とやわらかく間延びした声が、まだ拭いきれない笑いのいろを帯びて車内に満ちる。歳上にも歳下にもきっちりとした敬語が染みついている彼は、翌日記憶をなくすレベルに泥酔しても滅多にことばを崩さない。それが、付き合って半年を越えたころから、おれの前でふとした瞬間にくだけた物言いを見せるようになった。もちろんちゃんと素面のときにである。
彼を旧くから知るひとたちにそれとなく訊いてみたりしたが、彼が同期以外に敬語を崩すところは基本的に見たことがないとのことだった。はじめて彼の、いわゆるタメ口を聞いたときはびっくりしてしまい、おれの聞きまちがいかも、親しくなったらそういうとこ見せるひとだったのかも、などといろいろ考えたのだが、情報収集の結果、それは紛うことなくおれに対してのみの専用イベントであるらしかった。
加えて、交際日数が増えていけばいくほど、その頻度は比例して増していった。人間って、だれかのことをここまで深くすきになれるものなんだ、と新鮮な気づきをもたらしてくれたひとにそんなことされて、おれはもうどうしたらいいんだ、と思った。いまだって思っている。いま現在まだ人間のかたちを保ってちゃんと生きていることをほめていただきたい。
おれはほんとうに彼のぜんぶがすきなのだ。彼を構成するすべての要素が、比喩でなく死んでしまいそうなほど狂おしく愛おしい。彼がおれのことなんてなにも意識せず、ただ息をして佇んでいるだけでそんな状態なのに、「おれだけ」なんて要素まで追加されたら、心臓も脳みそもオーバーヒートして狂ってしまう。実際にいまも心臓がくちから出そうなほど急激に跳ねて、運転に影響を出すまいと、おれは汗ばむ手でさらにがっちりとハンドルを握った。
力をこめすぎて白くなっている自分の両手をちら、と見て、なんだかほんとうに、おればっかりずっと緊張しっぱなしだな、と思った。彼がくだけた口調を見せてくれるようになったのは、きもちがほどけてきたことの証左だ。というかもう二年以上も付き合っているのだから、それぐらい気がほどけていなかったらむしろおかしいと思う。
そう、たぶんおれはおかしいのだ。いまでも彼の家にお邪魔すると肩が張ってしまうし、トイレや風呂をいちいち借りてもいいですかと伺ってしまう。合鍵までもらっているのに、これでは緊張を通り越して他人行儀だ。彼も、鍵を渡しているということはきみもすきにしていい家だということですよ、と言ってくれたのだが、使用できたことは一度もない。彼の所持品を借りるたびにお伺いを立ててしまうくらいなのに、家主のいないときに勝手に部屋に入るだなんてとてもできるわけがなかった。
たぶん、そうしたおれの言動や反応の根底にあるのは、あの七海さんがおれをすきになってくれるわけがない、という思考だ。一方的に想っているときならまだしも、ちゃんと相手からも想いを伝えられて交際しているのに、そんな思いを抱いているだなんて失礼きわまりない。
こんなきもちは一刻もはやく脱しなくちゃいけない。そのためには自分にもっと自信を持たなくてはならない。そんな考えから日々の鍛錬、免許の取得、果ては小物のチョイスやヘアセットなど些細なところまで、あれこれ苦心して彼に近づこうとがんばっているのだが、彼に恋して三年が経ってもこの現状である。
こんなにすきなのに、こんなにすきなひととお付き合いできているのに、どうしてたのしいとかうれしいきもちだけで過ごせないんだろう。七海さんはおれのものなんだからって、堂々と言えるぐらいになりたい。おれのこつこつとした努力は、ちいさいながらも着実に実をむすんでいっていると思うのに、以前よりもすこし自信が持てるようになった、という実感がいつまで経ってもかけらもない。
こんな高くておおきな車をすいすい乗りこなせるようになればすこし心持ちも変わるのかな、と思ったが、それができるようになったところできっと心情は変わらないだろう。さながら、こどもの目には高校生ぐらいがおとなに見えたけれど、実際になってみるとそんなことはなく、今度は高校生の目には大学生ぐらいがおとなに見えたけれど実際なってみると、今度は大学生の目から、ということの繰りかえしのようだ。おれはそうやって永遠に実感を持てないまま短い生をいつか終えるんだろうか。そんなのは絶対にいやだ。頼もしくなりましたねって、おとなになりましたねって、七海さんに思ってもらえる男にいつか、いやすぐにでもなりたいのに。
不意に、やさしく名前を呼ばれながらそっと太ももに手を置かれ、本気で心臓がくちからまろび出たかと思った。こんなところで急にお誘いかと思い、どっ、と鼓動が跳ねあがる。しかし彼は至っておちついた声で前方を差し、渡るかもしれません、減速して、と言った。
その声に歩道を見ると、信号のない横断歩道の近くを、手押し車を押した老婆がゆっくりとした歩調で歩いている。おれはそれを視認して急激にはずかしくなってしまい、ちいさな声ではい、とかえしながらゆるやかにブレーキを踏んだ。
はずかしい。ほんとうにはずかしい。ふつうに不注意だし、彼に指摘されるし、なのにそれをあらぬ誘いだと思ってどきどきしてしまうなんて。わずかな時間に、おれという人間の不出来さが集約されたようだ。停止した車にかるく頭を下げ、ゆったりと前方を横切っていく老婆を眺めながら、彼に気づかれぬよう奥歯を噛みしめる。その甲斐あってというか、彼におれのぐちゃぐちゃとした心境は知られずに済んだようで、彼はなんでもない様子で先ほどの話のつづきをしはじめた。
「すきですけどね、軽。狭っ苦しい都会にこそ有用だと思いますが……ああ、でも前の会社の社有車の軽を運転したとき、上司にやたら笑われた記憶があります」
「わ、はは、それ見たかったっすね」
「まあ、軽はきみみたいなかわいいおとこのこのほうが似合いますよね」
彼はそう言うと、深く吸いこんだ煙を窓の外へうつくしく吐きだし、おれのほうへ向き直り、買ってあげましょうか、とささやいてほほえんだ。彼の車はさすがの広さなので、彼ほどの長い足でもゆったりと組むことができる。その姿勢と、一連の動作と、表情と、いまの彼を構成しているすべての要素があまりにも洗練されたおとなのうつくしさに満ち満ちていて、おれは一瞬呼吸をわすれ、時が止まったかのように惚けて彼に見入っていた。
自分の見られかたをじょうずに利用して生きることができる彼は、おれからの見られかたも計算ずくでおれに接しているのではなかろうか。恋人に対してまでそんな打算的なことをするひとではないと思うが、そんな思いも抱いてしまう。おれは彼をこの世でもっともうつくしいものだとこころから思っている。それは人間というカテゴリのみにとどまらず、物でも景色でも美術品でも、この世に存在する物体事象のすべてのなかで、美の圧倒的頂点に君臨していると本気で思っているのだ。
彼を見つめると、いつもうつくしさに眼球を焼かれるようなここちになる。おれの眼には、彼はあまりにもまぶしく映ってしょうがないのだ。おれがそんなふうに彼を見ていることを利用されているのでは、と思うくらいに、彼の所作は一挙手一投足のすべてがとかくうつくしすぎてたまらないのだ。
シフトレバーにぼんやりと置いていたおれの左手に、彼の右手がそっと重ねられる。先刻太ももに置かれた手は他意のないものだったが、今度は異なった。背伸びして買ったおれのジャケットの袖から長いゆびをすこし潜りこませ、出っ張った手首の骨をいやらしく撫でられる。猪野くん、と、わずかに低くなった声で心臓から腹の底へひびくように呼ばれ、彼がすこしこちらに身を乗りだした。そのままゆっくりと距離が詰められていき、だんだんとおたがいの顔が近づいていく。彼の右手も、まるでおれの左手がだいすきだとでも言うかのように、うっとりとゆびをからめてつながれた。
そんなことあるわけがないのに。魔法にかけられたかのような夢見心地の脳内をばっさりと断ち切るように、ふとそんなひとことが浮かんだ。それと同時に、冷水をあびせられたのようにすうっと頭が冷え、おれはパッと彼の手をふりほどいて前に向き直り、再度ハンドルをぎゅっと握った。
おれが彼に対して拒否の意を示したことはほとんどない。だから彼も一瞬なにをされたのか理解ができなかったような惚けた顔をして、自分とはちがう方向を向いてしまったおれの顔を数拍のあいだ見つめていた。しかしその奥、ガラス越しに横断歩道を完全に渡りきった老婆を見つけたようで、なにも言わずに自分も正面へ向き直る。でも再発進した車内で、彼はまだ半分ほど残っていた煙草を灰皿に押しつけ、箱にももう手はつけなかった。
いいです、自分の車くらい自分で買います、おれもう二級ですし、と、こたえた声は自分でも思っていたより無機質で、くちにしたそばからひどく後悔した。すでにもう最低レベルに最低だ。おれの何十倍も何百倍もいそがしい彼は基本的に連休なんてとれない。久方ぶりの単発の休みを、おれのためだけに費やしてくれているのだ。それも前日の夜から。そんな、感謝の念をいくら論っても足りないくらいの相手に対し、こんなつめたいことばを投げてしまうなんて最低の人間すぎる。それもさらにわるいのが、これから彼とことばを交わすごとに、そういったひどい振る舞いをどんどん重ねてしまう予感がしていることだった。
おれの横顔を見つめる彼の視線を感じる。彼はすこしのあいだ黙って、それからあまり変わらない声音で返答した。おれの様子を窺って探りを入れているのだろう。貴重な休みにいやな思いをさせてしまっている。おれなんかに気を遣う時間と労力を費やさせてしまっている。ほんとうにもう、死んでしまいたかった。
「そんなこと言わずに。頭金だけでも払ってあげますって」
「七海さんそんなこと言って絶対現金一括で持ってくるじゃん。経済まわすため? だかなんだかしらないけど、おれを利用しないでよ」
「……ごめんなさい、以前言ったことで気をわるくさせてしまいましたか? きみがかわいくてかわいくてたまらないから買ってあげたいんです。自分の消耗品とはちがいますよ」
「わ……かって、る、から……そういうんじゃ、ないよ……」
ド直球な彼のことばに、クサクサしていた自分のこころがひどく動揺する。愛をぶつけられたことで、こころの奥へ押しこんでいた謝意がやや表層へのぞいてきた。そういうんじゃないよ、とか細い声で付け足したのは、その謝意のわずかな表出だ。
おれ、大事にされてる。一方的にすきになったのはおれのほうなのに。さんざんアプローチしてしつこくくっついてまわって、おれは「七海さんがすき」という自分のわがままを彼に無理やり聞いていただいている立場だ。おれに根負けするかたちで交際を了承してくれた彼も、一緒に過ごすうちにおれに情が湧いてきてくれたようだが、彼にはおれをすきにならなくちゃいけないという義務はない。でもおれは、彼に無理を聞いてわがままに付き合ってもらっている手前、彼をだれより大事にしてしあわせなきもちにしなくちゃいけない責任があるのだ。
なのに、おれはいつまで経ってもひどいガキで、これっぽっちも彼のことを大事にできないばかりか、彼にあまやかされてばっかりだ。二級に上がったからなんなんだろう。免許がとれたからなんなんだろう。その程度で嬉々として彼に報告しに行くなんて厚顔無恥もいいところだ。報告しに行くということは、ほめてもらいたいという下心が少なからず存在する。厚かましい。自分より歳若くして自分とおなじ等級になり、さらには一般企業で戦いとは縁遠い仕事をしたうえでの復帰後にすぐ一級に昇格できたようなひとに、二十点満点の小テストで満点とれたよ、なんてレベルのことをにこにこと報告に行って。そもそもいきなり押しかけている時点でとんでもない迷惑なのに、いやな顔ひとつしない彼にディナーからベッドまで歓待してもらって、ほんとうにおれって。
あ、やばい、泣きそうだ。そう思って、おれは奥歯を先ほどよりずっときつく噛みしめた。情けないという以前に、視界が涙でにじむと安全運転に支障が出る。彼の車にわずかでも傷をつけたり、あまつさえ事故ったりして彼に怪我を負わせようものなら、おれはその瞬間首をくくるか海に身投げするだろう。
ツンと鼻の奥が痛むのを意識しないよう努めながら、必死にあごを上げて前を向きつづける。彼はおれのたどたどしい返答を聞いて以降、それ以上ことばを重ねることもせず、じっと前を向いて黙っていた。彼となら特段会話もなにもせず、ただソファでくっついているだけでもしあわせだし気まずさなど感じたことないのに、いまは無言になってしまった空気が肌に刺さってひどく痛い。彼との会話の仕方をわすれてしまったみたいだ。
おれ、いま、彼と過ごしてきた時間のなかではじめて、帰りたいって思ってる。ほんとうに、筆舌に尽くしがたい最低人間だ。外出に付き合っていただいてる身なのに帰りたいって。
やっぱりおれ、彼の恋人でいる資格ないんじゃなかろうか。おれがあまりにも公然に彼にくっついてまわっていたものだから、おれたちの関係はそこそこ周囲に知られている。たまに耳に入ってくる感想のほとんどは、要約すると「かわいそうに七海さん」だ。
彼がとてもやさしい人間であることは、術師も補助監督も窓も、おなじ界隈で働く人間で、彼に接したことのあるひとならだれでも知っている。強くてやさしくて紳士的で、おまけに顔もスタイルも声もいい。男女問わず、色恋の有無に関わらず、彼にあこがれている人間は多い。おれだけが特別そうだったわけじゃないのだ。彼と一緒に任務にあたれば、だれだっておれみたいな状態になる。七海建人とはそういう魅力を持つひとなのだ。
ただおれはほんとうにしつこかったから。おれみたいなきもちを抱いた人間は特別な存在じゃなかったとしても、おれのしつこさは特別といっても差し支えないものだったから、やさしい彼がおれを無碍にできなくて渋々付き合ってあげてると周囲は思っている。その感想はまったくもって正しい。だって彼は恋人関係をむすんだという事実だけでも特赦なのに、こんなおれにいつも手料理をふるまってくれたり合鍵をくれたり高級な自分の車を運転させてくれたり、さらには床で受け手になることも快諾してくれたのだから。
彼はもともとひとりあそびがじょうずなひとだった。おしゃれなカフェにひとりで悠々と入ってお茶したり、なるべくはやく帰宅して料理とお酒をたのしんだり、たまの休日はパン屋めぐりをして自宅でゆっくり読書をしたり。休日が少ないからこそそういうひとりの余暇を大事に過ごしていたひとだったのに、付き合う以前、おれが付き纏いだしたころからおれにあわせることに時間を割くようになってしまった。そんな状況を「かわいそう」以外になんと評せばいいのだろう。
そう、おれは、彼を大事にしているどころかかわいそうな状態にさせてしまっているのだ。彼はやさしいひとだからおれの前でいやな顔なんてしない。でも彼の人生において、おれという存在が不利益であることは事実に相違なかった。
別れたほうが、いいんだろうか。そりゃそうに決まっている。周りだってはやく別れろって頻りに言う。こんなに長いあいだ交際がもっているのはひとえに七海さんのやさしさのおかげだって言う。
最強の元担任は、「七海は超モテるからねえ、特に後輩に。みんな僻んでんだよ、たったひとつの恋人って座をゲットした琢真のこと。でもそれって琢真の努力の結果じゃん? あの倫理観のかたまりみたいな堅物が男子高校生と付き合うなんて相当なことだよ。それぐらいあいつのこころを動かしたってことで、琢真はそれだけの努力をしたってことじゃん。遠くから眺めてるだけなのにくちだけは達者な陰キャの言うことなんか気にすんな」て言ってくれたけど、もちろんそのことばに勇気づけられたしすごく感謝もしたけど、でもおれが付き合っていただいてる身なのはゆるがない事実なんだよ、先生。恋人だからって胸張れる身分じゃないんだ。胸張りたいけど、やっちゃいけない立場なんだよ。
でも、おれほんとうに彼がすきだから。ほんとのほんとに死んじゃいそうなくらいすきだから、「別れて」ってたぶん言えない。たぶんべちゃべちゃに泣いちゃってまともなことばにならない。それにおれと別れたあと、彼がべつのだれかのものになるすがたを想像するだけで発狂してしまいそうになる。彼みたいなすてきすぎるひとを繋ぎとめておくスペックも持ちあわせてないくせに、独占欲ばっかりあって、おれはなんて醜い男なんだろう。
こんな負の思考をつづけていると、こらえきれない涙がいつかあふれてきてしまう。考えないようにしなくちゃ。でも一度思考のループにはまるとなかなか抜け出せない。いつものひとりの部屋なら無理やり酒をあびて寝ているところだが、いまはそうもいかなかった。
すると、不意に彼の腕がすっと伸び、前方を指した。そのすがたを視界の端でとらえ、ちら、とだけ視線を向ける。彼は至って普段どおりの様子で、普段どおりの声で淡々とつぶやいた。
「直線の運転ばかりしていても実にならないでしょう。次の次の信号を左折してください。駐車場がかなり広い公園があるので、そこでバックと駐車の練習をしましょう」
「え……あ、うん、じゃなくて、はい」
さっきまでの会話の余韻があまりにもないことばを発するから、面食らってあわや前方不注意になるところだった。彼は無表情だったが、かといって怒っている様子も機嫌を損ねた様子もなく、ほんとうにふつうにしている。次の信号は青だったので進み、目的の信号は赤だったので、カックンブレーキにならないよう慎重にブレーキを踏み、ウインカーを出した。
おれがごちゃごちゃとめんどくさいことを言うから、あきれてしまったのだろうか。でもそんなふうにも見受けられない。おれの最後のことばが歯切れのわるい様子だったから、しばらくおれのなかできもちの整理がつくまで触れないことにしたのだろうか。
おれが勝手に落ちこんで勝手に彼にあたってしまっただけなのに、なんだか置いてきぼりにされたようなさみしいきもちになる。どこまでも自分勝手きわまりない。彼が本来の目的どおり振る舞ってくれているだけ御の字というものだろう。だいたい、いやな思考から抜け出すきっかけがほしかったから、意識を集中させる新たなタスクを与えられるのは助け舟でもある。
信号はまもなく変わり、左へハンドルを切ると、すぐに公園の名がきざまれたおおきな石が目に入った。おれはこのあたりをあるいたことがなかったのでしらなかったが、市立の運動公園らしい。駐車場への入り口はいくつかあったが、彼に指示されたところから車を入れる。道の左右にひろがっている駐車場は彼の言うとおりとてもひろかったが、彼が案内したところはそのなかでも一段奥まったところで、大型トラック用の駐車スペースもあった。
「普通車用のいちばん奥がいいでしょう。バックモニターもついていますから、奥行きはそれで確認して停めてみてください」
「う、わ、わかりました」
おなじ駐車場でも道路に近いほうにはいくつか車が停まっていたが、最も奥に来るとほかの車はまったくない。反対車線側にもおおきくひろがっているので、車が分散されているのだろう。今日が平日の真っ昼間ということも影響していそうだった。ここで駐車練習させることまでふくめて練習コースを考えていてくれたんだろうか。そうだとしたらほんとうに頭があがらないことだった。
一応すべての課程を一発ではクリアしたが、バックと駐車は非常に苦手で、卒検でも合格レベルにできたかひやひやしたくらいだった。というか、免許とりたてでバックがうまい人間は絶対に存在しないと思う。きっと世の人間たちも、はじめはこうやって適当な駐車場で練習したのだ。彼ははじめからめちゃくちゃに運転がうまかっただろうと思うけれども。
障害物がなにもないといっても、バックしなくちゃ、と思うだけで緊張する。ただまっすぐ下がっても練習にならないでしょうと、自分が停めたい最奥以外は満車だと想定してやってと彼に言われたから、おれはイマジナリーカーたちにぶつけないよう最新の注意を払い、とてつもなくゆっくりとななめに前進し、それからバックをはじめた。
男性のかっこいい仕草のひとつとして、むかしからバックするすがたがあげられるが、ほんとうに運転がうまい人間はあんなふうに身を乗りだすほど思いっきり振りかえったりしない。むしろ自分のからだは定位置のまま、左右のミラーだけで一発で入れるのがほんとうにかっこいい男のすがただ。つまり彼のことなんだけれども。
おれもそんなふうになりたいと思いつつ、プライベート初乗車の若造にいきなりできるわけもなく、おれは忙しなくあちこち見ながらかたつむりのような速度ですこしずつ車を下げていった。傍からみれば、自分以外に車のないだだっぴろい駐車場でなにやってるんだろうあの車は、と思われる様相だろう。まして日本を代表するような高級車がである。ガチでひとりも周りにいなかったからよかったが、わずかでも目撃される可能性があれば、彼の車で恥をかかせてしまったとさらに後悔の念に沈むことはまちがいなかった。
おれの目にはイマジナリーカーがひしめくように停まっているので、前方後方および隣の車にぶつけないよう、慎重にブレーキを踏んだり放したりする。彼も目立ってきょろきょろすることはなかったが、肘をついたこぶしにあごを乗せたまま、助手席側のラインをわずかにのぞくようにしていた。
前進で突っこんでしまえば一瞬で終わる駐車に、一分以上もたっぷりかけ、おれはようやくシフトをパーキングに入れた。ぐっと思いきりシフトレバーをあげながら、ハンドルにもたれかかるようにからだをかがめ、はあ、と息をつく。それと同時に彼がシートベルトをはずし、かけていた丸眼鏡もとって、たたんでダッシュボードの奥のほうに置いた。
「じょうずですね。ラインに対して車体もちょうどまんなかですし、ななめになったりもしていません」
「いや、こんなだれもいない駐車場で、こんなに時間かけてやっとこ停めてる人間がじょうずなわけないすよ……」
「わたしが満車を想定しろと言ったんですから時間がかかるのは当然でしょう。こんな縦に長い車できれいに停められたんですから、だいたいの車はだいじょうぶですよ。それこそ軽とか」
「もう、またその話……」
べつに運動をしたわけではないのに、なんだか妙に息があがっている。それだけ緊張していたということなのだが、ほかでもない彼の指示とはいえ、架空の車相手によくもここまで慎重になれたものである。おれって想像力豊かだったんだなあ、とぼんやり思った。
しかし不意に、先ほどの会話を想起させるようなことを言われ、また胸にうちにあの暗い感覚がよみがえる。車を買われること自体にそこまで意固地になっているわけではないのだが、もともと持ちあわせていたおれのコンプレックスをじょうずに刺激されてしまうので、もうその話はやめてほしかった。
もちろん言われていたとおり駐車練習に来たわけなのだが、そもそもが公園なのだから、外の空気を吸いがてら、すこしからだを動かしてもいいだろう。たぶん彼も外に出ようと思ってシートベルトをはずしたんだろうし。そう思い、ハンドルに突っ伏していた顔を彼へ向けて持ちあげた。それと同時に、おれの視界いっぱいに彼の宝石のような瞳が映り、それにおどろく間もなく、おれのくちびるにはやわらかなものが押し当てられたのだった。
「ん……ん、んっ!? んう、な、んむ」
キスされた、と認識するころには、すでにいろいろな角度からさんざくちびるを食まれたあとだった。そして「なに!?」と言おうとしたころには、彼の熱い舌がするりと咥内にもぐりこんできていて、おれは腰からぞくぞくと這いあがる快感に目をきゅっとほそめた。