獅子神の乳圧が消えた「獅子神の乳圧が……消えた?」
村雨礼二は愕然とした。
この世で最も気高く崇高で、愛おしく淫靡でありつつ、他を圧倒する包容力を秘めた豊満な大胸筋が、村雨が愛してやまない魅惑の乳が、雄っぱいが、突如その気配を消した。
消えた。消えてしまった。あの豊満な大胸筋の気配が消えた。
圧が消えた。乳の圧が消えた。乳圧消失。これは由々しき事態。
消失。しかし、消滅ではない。
獅子神の大胸筋への愛を偏執的なほど拗らせている村雨にとって、室内の空気の流れや、犬にしか感知できないほどの僅かな体臭の変化などにより、獅子神の大胸筋になんらかの異変が起きた事を察知するのは容易い。
そして、天堂もその全知全能ゆえに理解してしまった。
村雨が獅子神の乳への想いを拗らせすぎた故に、部屋の空気の僅かな変化だけで異変を感知するという気色悪い特技を得た事を。
「どうしよう……なんかキモい事になっちゃった」
村雨の突然の気色悪い発言と、それを見て嫌悪感を少しも隠そうとせず、露骨過ぎるほどドン引きした顔で村雨を見つつ、ススっと距離を取る天堂を目の当たりにした黎明は肩を竦めて怯えたような声を溢した。
「ねー晨君。敬一君に何をしたの?」
「ちょっと獅子神さんを借りるね」とあらかじめ用意してあったパーティションの裏へ獅子神を誘い、面白い事になりそうだからと獅子神の合意を無視しながら、強引にことを進めていた真経津は呑気な声で言葉を返す。
「面白い事だよ」
「面白い事とは何だ。私のチチガミ……いや、獅子神のシシに何をした!」
「礼二君また言い間違えてるよ……」
「オレのチチだよ!」
「いや、いずれは私のモノとなる乳だ」
「ならねーよ!」
「いいや。なる」
パーティション越しに村雨と獅子神が言い争っているのを横目に見つつ、黎明と天堂がパーティションの裏を覗いてみると、確かに獅子神の大胸筋が圧縮されている。
「コルセットか」
天堂がそう呟いたように、獅子神の豊満な大胸筋は固く編み上げらたコルセットにより、いかにも窮屈そうに締め上げられている。
「コレの何が面白いの?」
黎明が当然の疑問を口にすると、真経津は無邪気な笑顔で答えた。
「村雨さんてさ、獅子神さんの雄っぱいの変化に目敏いでしょ。だから、こうやってギチギチに締め上げてぺったんこにしたら、どんな反応するのかなって思ったんだけど……なんか、見せる前に気付いちゃってすごく怖い……」
「うん。今日の礼二君キモすぎて解釈違いだよ」
「何はともかく、あなたの乳が危機に瀕しているようだ」
「まだ見てねーのになんでわかるんだよ!」
実際、獅子神の豊満な大胸筋が圧縮されている様をその目で見たわけでもないのに、何故か村雨はその気配を肌で感じ取り、獅子神の大胸筋が窮屈な目に遭い、獅子神の大胸筋が悲鳴を上げ、村雨に助けを求めているという妄想に執われてしまっている。
村雨礼二29歳童貞。
インターネット老人会所属の黎明と天堂から「礼二君。このままだと来年は魔法使いになっちゃうよ」「ホグワーツから招待状か来るのも時間の問題だな」と揶揄される身ではあるが、あわよくばという下心は無い。
ただ純粋に、獅子神の豊満な大胸筋を愛し、たわわで健やかな成長を願っているだけ……とは断言出来ない。
いや、劣情を抱いていないと言えば嘘になる。
そもそも、乳圧が消えた。などと見てもいないのに気配だけでそれを察知したのは劣情ゆえのトンチキ超能力だ。
「今、助けるぞ獅子神」
「なあ、村雨。そのメスはなんだ?」
「これは、あなたの乳を解き放つための聖剣だ」
まるで不安の種に出てくる怪異のようだと見る者を震え上がらせる邪悪な笑みを浮かべながら、村雨は今一度しっかりと獅子神が置かれている状況を観察し始めた。
獅子神の上半身は黒い革製のコルセットで締め上げられている。
ホックで留めるタイプではなく、細い編み紐で丁寧に縛り上げていくタイプのコルセットなので、ホック式よりも着脱に時間が掛かるだろう。
獅子神の鍛え上げられ、よく引き締まった腰はコルセットの締め上げによって更に強調され、それはそれで村雨の劣情を煽り立てる。
しかしその一方、腰より少し上の、村雨にとって最も肝心な部分はそれとは違う。
あのムチッとした豊満な大胸筋はコルセットの中に無理矢理押し込まれ、ギチギチと音が聞こえそうなほど圧縮されている。
控えめに言って、ほぼぺったんこだ。
これは乳に対する冒涜だ。
獅子神の大胸筋よ、たわわであれ。大胸筋はデカけりゃデカいほど良い。村雨はそう切に願う。
「獅子神、今助けてやるぞ」
「いや、だからとりあえずそのメスはしまえって!」
コルセットの編み紐は背中側ではなく、身体の正面にある。
それはつまり、真経津が獅子神にコルセットを装着する際に、その眼前にたわわな大胸筋が晒け出されたという何とも憎たらしい事実が見えてくるが、今はそれは置いておくとしよう。
今は獅子神の乳を解き放つ事が最優先だ。
「真経津。獅子神が暴れないようにしっかり押さえていろ」
「あ、うん」
なんとなく村雨の恨みを買ってしまった事を察した真経津はしっかりと獅子神の肩を抑え、「いいよ」と目で合図を送る。
「よし。コルセットを外すぞ」
「いや、ちょっと待て、ハサミとか使えって!」
獅子神の言葉など聞く耳持たず、村雨はコルセットの編み紐をメスで一閃した。
その瞬間──
ボイン!
獅子神の乳が弾けた。
コルセットの圧力から一気に解放された大胸筋は、その豊満な質量を爆発させるかのように勢いよく村雨の眼前にその威容を見せつけた。
実際、それは爆発的に等しい威力だった。
鍛え上げられた大胸筋が限界まで圧縮され、それを一気に解き放った際に何故か衝撃波が発生した。
その衝撃波で村雨は声を上げる間もなく吹っ飛び、黎明のフードは脱げ、天堂の髪は爆風で靡いた。
「……真経津。オレの胸に何をした」
「……ボク知らない。コルセットで締めただけだし」
「だったらなんで衝撃波なんか出るんだよ!」
「良く鍛え上げられているからだろう」
天堂が真経津へ助け船を出すと、真経津と黎明は大袈裟に首を縦に振って同意を示した。
獅子神はそんな三人に呆れたような視線を向けた後、ひっくり返ったまま呆然としている村雨へ視線を移す。
「村雨。大丈夫か?」
獅子神は村雨の身体を抱き起こして膝に抱えてつつ、心配そうにその表情を伺う。
「ああ……あなたの乳は実に……素晴らしかった……」
村雨はそう言い残すと眠るようにゆっくりと目を閉じ、獅子神の大胸筋を目掛けガクリと頭を垂れた。
「天堂さん。なんだっけアレ。見たことがあるやつ」
「ピエタだ」
「面白れーから撮っとこ」
村雨は頬に大胸筋の心地よい弾力と獅子神の温もりを感じ、口元に薄らと穏やかな笑みを浮かべたまま、三時間ほどぐっすり眠りについた。