そのパイは食べられない 村雨は夜勤明けだった。
故に、受けてしまった。烏銀行名物トンチキペナルティを。
「パイはパイでも、食べられないパイはパ〜イパイ?」
「どうしよう……礼二君が壊れちゃった」
黎明は友人が愉快な事態に陥っている様に嬉々としてスマホを向けるかと思いきや、肩をすくめつつ背中を丸め、怯えたように距離を取った。
「ねえ、天堂さん。アレ治せる? 神様の奇跡見せてよ」
「えっ、無理」
「うわっ、ユミピコが素面になっちゃった」
村雨はフレーメン反応の猫のような表情のまま、顔の真横に掲げた両手で何かを揉むような仕草のまま「パイ……パイ……」と呟き続けている。そんな友人を目にした天堂は、ついうっかり神から人へ戻ってしまった。
「クソっ! 御都合グループめ!」
よくも村雨をこんな目に。と歯を食いしばるものの、その実、獅子神は御都合グループの株を多く所有している。
御都合グループとは、創始者である模部大路竿蔵(もぶおおじさおぞう)が始めたとある事業で財を成し、昨今では日本社会の表や裏で密かに大注目されている企業グループである。
ある日、創始者である竿蔵はとある御令嬢に依頼された。「ねえ、竿蔵さん。私の弟をちょっと凌辱してくれないかしら? 出来れば複数で」
御令嬢の突拍子もない発言に竿蔵は思わず耳を疑ったが、御令嬢は落ち着いて最後まで聞きなさいと竿蔵を嗜め言葉を続ける。
「ああ、でも、凌辱と言っても未遂じゃないと駄目よ。あわや! と言ったところで私のお兄様が助けに入ればね……いくらなんでも上手く行くでしょう? お兄様と弟がお互いどんな思いを秘めて、悩んでいるか私には解るわ。兄弟だから、男同士だからってウジウジしちゃっててもう! 焦ったいのよ! ちょっといやらしい雰囲気にしてちょうだい!」
要するに、貞操の危機に瀕した対象を救わせる事で仲を取り繕うという作戦である。
そして、結論から言うと御令嬢の作戦は大成功し、竿蔵は多額の報酬を受け取った。そして、これが天職だと確信した竿蔵は都合の良い竿役を育成し、必要に応じて派遣する会社を設立した。
事業内容は有り体に言うと、当て馬、竿役、モブレ要員の育成と派遣及び、対象らの安全確保である。そういった需要は古来より存在していたが、それを組織的に行うのは容易ではない。しかし、竿蔵は苦難を乗り越え、そのノウハウを確立し、顧客の要望に対し期待以上の成果をだせるようになった。
そして本来、竿蔵の生家である模部大路家は薬師の家系だった。竿蔵の代ではすっかり没落してしまったが、模部大路家には、何処そこの大名を大いに悦ばせたという言い伝えのある秘薬に関する文献は大切に受け継がれていた。
勤勉な竿蔵は文献を紐解き、数々の秘薬を再現し改良を加え、感度三千倍になる薬や猫耳や尻尾が生える薬、衣服だけを溶かす薬など実に都合が良すぎる薬を数多く作り出した。
そのような、あまりにも色事に都合の良すぎる事柄を担う竿蔵は、件の御令嬢らの後押しにより起業する運びとなり、社名を『御都合産業』と命名し今に至る。
時代が平成になるとさらに需要は激増し、事業内容も当て馬竿役派遣と媚薬等の製造だけではなく建築の分野にも手を広げ、竿蔵の孫である当代が考案した『セックスしないと出られない部屋』は空前の大ブームになり、各々の需要に合致した類似の部屋も数多く展開され、御都合産業の経営は盤石となった。
御都合産業は事業内容を御都合薬品や御都合建築などに細分化し、派遣業はモブおじ産業と名を改めた。
余談だが、模部大路竿蔵の孫に当たる当代の模部大路竿矢(もぶおおじさおや)はモブおじさんや竿役おじさんという愛称で親しまれている。
だいぶ話は逸れてしまったが、烏銀行は御都合グループと懇意にしており、所謂トンチキペナルティのほとんどが御都合グループの、特に御都合製薬の製品に由来するものが多い。
当然、今回の村雨の症状は御都合製薬製のトンチキ薬品が原因で、知能が極端に下がる薬を投与されたと思われる。
「なんかさ、変なペナルティ受けてくるのって大体が村雨さんか獅子神さんだよね」
「ぐ、偶然だろ」
そう言ってしらを切る獅子神だが、御都合グループは投資家にとって無視出来ない優良企業である故に、獅子神はグループの株を数多く保有している。
なので、株主総会に顔を出す事も、優待券や試供品が贈られてくる事もある。さらには、間接的に銀行のペナルティに対しほんの僅かだけ影響を与える権限もある。
権限と言っても、あらかじめ解毒剤を用意させたり、ギミックが自分にだけ効かないように配慮して貰うのは不可能だ。せいぜい、ペナルティは発情作用のある薬を使用すべきだとか、強制絶頂装置の採用を希望するなどとを意見を出せる程度であり、言うまでもなく採用される保証はない。
「敬一君。この前、乳首が虹色に光ったよね」
「それは忘れろ!」
「大胸筋から衝撃波が出たのも記憶に新しいな」
「ああ、アレか。まさか、数日前に受けたペナルティの後遺症だったとはな……」
「アレはもっパイ食らいたい物だ……ククク……」
「村雨さん。イメージ壊れるから喋らないでくれる?」
「……礼二君が分裂しちゃって天使になった時は本気で自分の目と頭を疑ったよ」
「アレって絶対天堂さんのせいだと思った」
媚薬で性欲が抑えられなくなった村雨に襲われたい。うさぎのように年中発情状態になった村雨と四六時中犯されたい。などという願望を胸に秘めた獅子神は株主総会で度々意見を出していた。ついこの前も、擬似的オメガバース薬の開発を急ぐべきだ。と意見を述べたばかり。
だが、そのような都合の良い薬の開発はいくら御都合製薬とはいえ容易ではなく、効果の実証には多くの被検体が必要であり、その被検体としてうってつけな存在が烏銀行が所有するギャンブラー達である。御都合製薬側にとってギャンブラー達は効果が不確かな薬の効果を気兼ねなく使用できるモルモットであり、銀行側としても何が起きるかわからない薬というエンタメ性の高い怪しいモノは大歓迎だ。故に、銀行と御都合グループは実に親密な関係性を築いている。
「パイはパイでも、食べられないパイはパ〜イパイ?」
「礼二君。頼むから喋らないで」
村雨礼二に対する激しい解釈違いに泣きそうになりながら、黎明は藁にも縋る気持ちで獅子神と天堂に詰め寄る。
「礼二君を正常に戻せるのはユミピコか敬一君だけだよ!」
「えっ、僕は?」
「晨君とオレはなんか絶対ダメって気がしない?」
「だよね〜! というワケだから、天堂さん。村雨さんをなんとかしてよ」
「そこまで言うなら仕方ない。見せてやろう神の奇跡を」
「やった! ユミピコが光った!」
「これで村雨さんも正常に戻るね」
いつも以上に眩い後光を放つ天堂を見て、勝ち確だと言わんばかりに事の成り行きを見守る真経津達とは裏腹に、獅子神だけは一抹の不安を覚えていた。
「パイはパイでも、食べられないパイはパ〜イパイ?」
村雨の口から三度目の謎かけが発せられると、天堂は得意げな顔で答えた。
「簡単な答えだ。正解は『失敗』だ」
失敗。そう。まさに失敗だった。
獅子神が密かに目論んでいたトンチキペナルティでエッチな薬が使用され、その結果、普段とは違うハードなプレイに発展するという計画も、株主総会で意見を出し、開発を急がせた擬似的オメガバース薬の試作品もこのザマだ。
だが、株主としての獅子神の希望は僅かだが、賭場に影響を与えていた。
故に、積極的に使用されていたのだ。擬似的オメガバースの試薬品が。
当然、その効果不明の試薬品を積極的に使用されたのは獅子神と村雨が賭場に出る場面であり、試薬品故の不確かな効果により、乳首が虹色に光などの予想外のおかしな効果を発揮するだけの結果となり、銀行や観客側としては実に愉快な効果をもたらす結果となっていた。
「……不正パイだ」
「なっ……!」
謎かけに正解したところで村雨が正常に戻る保証はないのだが、それは獅子神も予想はしていた。
「村雨さん。答えは麻雀牌でしょ?」
「不正パイだ」
「じゃあ、ヘッジホッグパイとか?」
「なんだソレ?」
「ゲームのモンスターだよ」
「不正パイだ」
獅子神は頭を掻きながら思考を巡らせる。これはおそらく、何か物理的な衝撃を与えれば治せるだろう。そして、元はと言えば、性的な効果を発揮する為に開発された薬品なので、性的な衝撃を与えるのが効果的だろう。
「よし。わかった」
末尾にパイが付く単語をあれこれと上げる三人を制し、獅子神は一歩前に出る。
「パイはパイでも食べられないパイ……その答えは」
獅子神は村雨の後頭部に手を回すと、勢いよく自らの胸に村雨の顔を叩きつけた。
「雄っパイだ!」
ボイン! と心地よい弾力のある音を立て、村雨の顔が豊かな大胸筋に沈む。
それを見た真経津達は感嘆の声を上げて拍手をするものの、その表情は獅子神がこの答えに辿り着くのを待っていたように見えるがそれは些細な事だ。
何はともかく、これで村雨は正常に戻るだろう。そう誰もが思った瞬間──
「残念ながら不正解だ」
「はぁ!? なっ……村雨、オメーまだ正常に……クソっどうすれば治るんだ!」
「いや、大丈夫だよ獅子神さん。村雨さんは不正解だって言ったでしょ。正常に戻ってなかったら不正パイだって言うよね」
「言われてみれば確かにそうだな」
村雨は獅子神の大胸筋に顔を埋めつつ、両手で大胸筋を揉みしだいている。
「あなたのパイは食用だ。なので、食べられないパイには該当しない」
獅子神は「オレの胸は食いもんじゃねーよ!」と言いたい気持ちを堪え、村雨にされるがままの状態で言葉を待つ。
「パイはパイでも食べられないパイ。その答えは」
獅子神の胸板に顔を埋めたまま、村雨は静かな声で答えた。
「それは、天堂が焼いたパイだ」
「はぁ!?」
「……まあ、確かに天堂さんが焼いたパイはね……」
「礼二君さ、なぞなぞってそういう感じじゃないんだけど……」
天堂以外の誰もが「それはそうだ」という顔をするものの、今ひとつ釈然としない。
だが、それに構っている猶予は彼らには残されていない。
「……神を愚弄するつもりか」
わなわなと怒りに震える天堂を極力刺激しないよう獅子神が声をかける。
「なぁ、天堂。アンガーマネジメントって知っているか?」
「神は全能だ。当然、堪える事も……」
出来るはずもなく、六秒後、村雨達に神罰が下された。