幼い頃から 琴葉は魔女になるための修行により、体が成長しなくなった。齢一桁の頃から、母親であり魔女である人物に魔法を教わり続け、あらかた習得していった時は14になったばかりの日だった。
母はすっかり失念していたようで、頭を抱えた。そして罪悪感から何度も謝った。これ以上成長するのは難しいと知らされて、少しだけガッカリした。けれど、魔女となることが決まっていた人生、特に問題はないだろうと楽観視している自分もいた。
話は変わり、独り立ちをして自分の工房をもった琴葉は必要な材料を確保する為に森の中へ入ってく。薬草は目利きが大事。一見雑草のようだが、実は大変貴重な薬草だったりする。まだその判断は遅いので、ゆっくりじっくり採取するために、朝早くから出かけた。だから動物たちもまだ起きていないだろう。そう思っていたのだが。
「助けて〜っ!」
可愛らしい声が、悲鳴を上げている。人の子がこんな朝から森に迷い込んだのだろうか。
不思議に思いながら、助けを乞う声を追う。この声で野生の動物が起きて子供を襲ったら大変だ。魔女とはいえ、薬学専門の琴葉は傷などに恐れてしまうほど精神は弱い。だから最悪の事態を想像して、顔色を悪くする。
「だれか、だれかぁ!」
「!」
声が近くなり、ここら一体に子供がいる。注意深く探すと、猟師が置いたであろう罠に捕まっている、白い小さな生き物がいた。魔女である琴葉は研究の一環で様々な生物に触れてきたが、これは初めてみる。
思わず呆然としてしまったが、琴葉を見つけた白い生き物は捕まった足をバタつかせ、小さな手をパタパタ振り上げた。
「おねえさん、たすけて、たすけてくださいっ」
「! 今助けるよ!」
悲痛な叫びに意識が戻る。薬草を入れる為の籠を捨てるように地面に落とし、駆け寄って足に絡んだ罠を外すよう努力する。金属で出来た鋏は、扱ったことも触ったこともなかった琴葉は、手から血が流れても気にせずに踏ん張った。そしてようやく、ガシャンと音を立てて開き、その隙に白い子の足を外した。
「良かった…外れてくれた」
赤くなり、ヒリヒリと痛む手を魔法で治す。直ぐに元通りになったのを、白い子が大きな目をパチクリ、瞬かせた。
「おねえさん、なおったの…?」
「あっ、ええと。うん、不思議な力があるからね」
思わず、意思疎通が出来る生物に見られてしまった。これが人の子だったら、魔女だと大騒ぎして、最悪魔女狩りの被害に合うかもしれない。しかし、傷ついた足を治すのは、結局魔法しかない。薬草はまだ採っていないから、余計に。
「痛かったでしょう。今治してあげるからね」
手のひらから淡い青色の光が浮かぶ。それを白い子の足に添えると、そこから光が傷口に移動してじゆわりと傷を塞いだ。
痛くなくなったのか、ひょこひょこ、足を捻ってみる。元通りの姿に、涙は乾いて白い子は笑った。
「すごい! いたくないよ!」
「そう、よかった…」
「ありがとう、おねえさん!」
「いいんだよ。君が無事でなにより」
純粋無垢な子供だ。妖精の部類、なのだろうか。妖精の話は母から聞いたことはあるが、琴葉は今まで見たことはなかった。もしもそうなら、とても幸運なことだ。
「君は、何処から来たの? おうちは?」
「んっとねー。キュピモンは、おいけにおちちゃったの」
「キュピモン?」
「おなまえ! キュピモンっていうの!」
聞いたことがない。思わず変な名前だと失礼なことを思ってしまう。
しかし、池に落ちてここに来た…ということは、恐らく別の世界からやってきたのだろう。異世界空間の話も母から習った。であれば、もう一度世界同士を結ぶ池へと向かえば戻れるだろう。
「その池は、コッチにもあったの?」
「あったよ。デジタルワールドだとおもって、たんけんしてたの。でも、へんなのがあってつかまっちゃった」
デジタルワールド。それが、この子がいた世界なのだろう。
池があるなら大変助かる。別の方法でこの子を返さねばならなかったからだ。別の方法というのが、これまた面倒な転送魔法で。それに元の世界へ返せる保証が低いのもある。安堵して、琴葉は立ち上がる。
「その池に案内してくれるかな? きっとそこからお家に帰れるよ」
「ほんとう?」
「私、そういうのに詳しいから」
魔女だと言うことをぼかして、案内を急かした。キュピモンは爪を差し、こっちだとテチテチ、小さな歩幅で歩く。それにゆっくりと着いて行く琴葉だが、ふとキュピモンが止まった。
「…どうしたの?」
「……だっこしてぇ」
「え?」
「だっこ、だっこしてよおっ」
急に寂しくなったのか、それとも帰れるという安心感からか。傍にいた琴葉に抱っこをせがむ。小さな体を背伸びして、両手を広げて泣きそうにするから、仕方なく抱えてあげた。
白くて、ふわふわしてて。丸くてモチモチ。なんて可愛らしい生き物なのだろう。抱っこをして良かった。
キュピモンの道案内により、池はすんなりと見つかった。キュピモンは羽が生えているが、徒歩でここまで来たようだった。だから、琴葉からすればそう大した距離ではなかった。
「もう一度、ここに入れば帰れるよ」
「…おぼれないかなあ?」
「大丈夫。元の世界のことを思い浮かべて、ゆっくり入れば繋がるよ」
沈むまで、手を握ってあげると言えば、キュピモンは小さく頷いた。そして空の色を反射させた青色に足をつけ、徐々に体を潜らせる。そして手が離れそうになった時、キュピモンが「あ!」と声を上げた。きっと、元の世界が見えたのだろう。
琴葉はこれで大丈夫だろうと、手を離した。キュピモンは離れていった体温からこちらを振り向いたが、世界が違うのだ。帰らなければならない。
「今度は気をつけてね」
手を振って、キュピモンを見送る。少しだけ寂しそうな視線を感じたけれど、瞬きをした一瞬のうちに帰ってしまった。
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そんな出来事から何年経ったか。記憶から薄れてきた頃、何かの気配を外から感じた。
一瞬、鳥か何かが工房の近くに降り立ったのだと思った。バサリと、羽の羽ばたき音がしたから。
コンコン。木製の扉が叩かれる。気配は、人…もしくは魔法使いだろうか。魔法使いなら、知り合いの場合事前に手紙をくれる。人の場合、迷い込んだ人以外ならば荒いノックをしそうだ。だとしたら、迷い込んだ人の可能性が高い。
魔女らしい黒服を魔法で変えて、村娘のような地味目な服に着替える。
「はい、どなたですか」
村娘のように、年相応(ではないが)に振る舞う。扉を開けた先には太陽が差し込み、人の顔が影になってよく見えない誰かがいた。更に大きな肉体で琴葉の姿を覆い、影が濃くなる。
「あ、の…?」
何mあるのか。巨人のような大きさの、男。あまりの迫力に、言葉が出てこない。固まり、身動きが取れない。
「……嗚呼、失礼。これでは顔がよく見えないな」
成人男性の声。低めで、でもよく通る声。聞き覚えはない。
男が少しかがみ、琴葉と視線を合わせるように顔を寄せた。太陽の光によって金髪が輝き、左顔には稲妻のような刺青が入っている。頭や背中には二つの羽がついていた。白と黒、天使と悪魔を思わせるような羽が。
「ようやく、会えた…」
筋肉質な体。鍛え上げられた腕が上がり、大きな手が琴葉の頬に添えられた。そこでようやく、琴葉は体がビクリと、動いた。
「あな、たは…」
「流石にこの姿では分からんか。……あの時助けてくれただろう。キュピモン…といえば分かるか?」
はっと記憶の底に眠りかけていた存在が、浮上する。世界を跨いで迷い込み、罠によって怪我をしていた小さな白い生物。自らの名を、キュピモンと名乗っていた。
「キュピモン……なの?」
「今はルーチェモンという名だが。あの頃は、そうだな。キュピモンであった」
あまりの衝撃に、思考回路が停止する。世界が違うため、作りもまた違うことは理解している。それでもあんなマスコットのような白い子が、大人の男性に姿形が変わるなど誰が予想できようか。
再度固まる琴葉に、ルーチェモンは微笑む。
「世界を跨いで逢いに来た。ずっと恋焦がれていた……ようやく、逢えた。…我が妻よ」
ルーチェモンの手が、頬から唇へと伸びる。指先が下唇を撫で、愛おしそうな目で凝視する。
「この姿になるまで時間が掛かってしまった。しかしやっと、ここまで来た。…さあ、共にゆこう」
「な、にを」
「あの時から、お前が欲しかった。だから、魔女に相応しい姿になるまで留まっていたのだ」
魔女であることを、知っている。情報量の多さに、パンクしそうになる。
そんな琴葉をお構いなしに、ルーチェモンは空いた片手で魔法陣らしきものを形成させた。
「フフ。俺の世界にも魔法という概念はあってな。それで調べたのさ。お前の存在も、名も、これ以上成長しないことだって」
「!」
この世界では魔女の存在は狭く、認識は殆どされていない。故に琴葉の事情を知る者は限られている。なのに、何故。そこまで別世界では発展した魔法が存在するのか。一種の好奇心と、恐怖。知られていることに、体が小刻みに揺れた。恐らく、恐怖によって。
「琴葉。我が花嫁よ。俺が治める自国へと案内しよう。……そしてそこで、女王として俺の隣にいることを許す。さあ、来い」
嫌だと言葉が出る前に、ルーチェモンは琴葉の唇を奪った。驚いて目が見開いた時、陣が光を放ち二人を包んだ。
条件は何なのか。どうしてここまで執拗に迫るのか。転移魔法の仕組みは。何故自分を選んだのか。魔女としての疑問と、女としての疑問が交互に混ざり合う。しかし逃げる間もなく琴葉は世界を跨いでしまった。帰る方法は、まだ確立されていない。