夢か誠か。 ベルグモンはダスクモンが獣型に進化した姿である。十闘士のうち、闇の闘士であるハイブリット体。赤い骨格に包まれた巨鳥型デジモン。
しかし、ダスクモンは己の獣型の姿を好んではいない。それは醜悪で理性的ではないからだ。故に、余程のことがない限り、進化することはないと言う。
…ある人物の前、以外では。
ベルグモンには愛すべき人がいる。
小さな人の肉体は、ベルグモンにとって玩具のようなものでいとも容易く壊れてしまう。だからとっても、とっても大切に扱うのだ。
「今日は、ベルグモンの日?」
ぽろり、と零れる穏やかな音。まるで琴の弦が弾かれたような心地よい音に、思わず喉が鳴る。
ベルグモンの大切な人の子、琴葉は醜悪な巨鳥を前にしてもすっかり慣れた様子で大きな嘴を撫でていた。
撫でてくれるその小さく滑らかな手が大好きで、ベルグモンは傷つけないよう、そっと擦り寄る。
己であるダスクモンに取られてしまうから、と感情的にベルグモンは退化をしなかった。
理性的でないと言うことは、感情的である。故にダスクモンの思っていることを、ベルグモンは体で表現していた。彼女に愛されたい、愛したいという願望を常にさらけ出していた。偶に、食べてしまいたいと空腹が訴える時もあるが、それがいけないことであると理解している。
こうやって、撫でられているだけで満足なのだから。我慢出来る。
「くるる、」
彼女が望むように、可愛らしい声を鳴らしてやる。ダスクモンにとってこれほど辛いことはないだろうが、感情的なベルグモンにとっては愛されるためならこんなもの屁でもない。
「大好き…」
ほら。満面の笑みを浮かべて、嘴に抱きついてくれた。嗚呼、これが欲しかった。
もしも小さくなれたら、片時も離れず琴葉の傍に居れるのに。この巨体が憎いと思う日が来るとは思わなかった。もっと彼女と近づきたい。抱きしめてやりたい。キスをしてやりたい。なのに、この体ではそれすら出来ない。
何処かの魔女が気を利かせてくれないか、なんてベルグモンは少しだけ思った。
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夢を見ているのかと、思った。
目を見開いて、いつもの視界が映るはずだった。しかし、目の前には愛しい琴葉の眠る姿が、真ん前にある。少し動けば、触れてしまうほどに。
ここまで近づいたことはない。普段、何時でも戦闘態勢に入れるよう、仮眠することがあっても最低胡座をかいて立って眠る。それなのに、今の自分は彼女の部屋のベッドへ、寝転んでいた。
そこでふと、ダスクモンは己の体の異変に気づく。黒い鎧ではない、赤い翼。嗚呼、まさかこんなことが。
(体が……小さくなっている…?)
しかも、ベルグモンの姿で。
ダスクモンとしては焦燥で一杯だが、ベルグモンとしては歓喜で一杯だった。同じ目線に、琴葉がいる。好奇心のあまりに、長い嘴を、ツンと突いた。ふに、と彼女の唇に先が触れて、興奮のあまり唾液が口の中に広がった。
(駄目だ……食べては、いけない)
ごくん、と唾液を飲み込んだベルグモンはベッドの上に立ち、柔らかい琴葉の肌を堪能するために近寄った。首元に顎を置き、急所を守るように座り込む。とく、とく、静かな心音がベルグモンへと伝う。
(嗚呼……心地よい)
琴葉が生きるための音、全てがベルグモンが唯一安心出来るもの。彼女が生きている、笑っている、撫でている、泣いている。様々な動きに生じる音が好きだ。存在自体が好きなのだ。デジコアに刻まれた、闇の闘士にとっての光なのだ。
乱れた髪を少しだけ食む。夜空のような黒髪は闇を彷彿とさせて良い。すりすり、体臭を移すように頬を彼女の体に擦り付ける。どこもかしこも、柔らかい女の身体。彼女に抱かれてみたい、その希望が今なら叶いそうだ。
「ん…、」
もぞもぞと体を這う違和感に、琴葉は顔を顰めた。擽ったいのか、少しだけ笑っていたが。
(琴葉を起こしたくはない……だが、琴葉に抱きしめられたい…)
相反する本音に、ベルグモンは苦しむ。しかし感情に素直なベルグモンはずっと思っていた欲望が、縮んだ体によって爆発していた。
構うものかと、頭を彼女の胸元にぐりぐりねじ込む。微かな汗と共に香る、彼女の体臭。花のような香りがする。巨体なベルグモンには感じられなかった匂いだ。
「ん、んん…」
やがて違和感が現実だと理解した琴葉が、身を捩りずっと閉じられていた瞼をゆっくり開けた。
ほんのり朝日が射し込む薄暗い部屋の天井が映ると共に、ごそごそと何かが琴葉の上に動いているのが見えた。体にのしかかる僅かな重みに首を曲げ、自身の体を見た。
「……べるぐ、もん」
が小さい。
言葉を続けることが出来ないほど、唖然とした琴葉は半開きの目を大きく開いて飛び起きた。その際、琴葉の体を堪能していたベルグモンも転げ落ちた。
「あ! え、ベルグモンっ?!」
脳が起きた琴葉は、上に乗っていたベルグモンがベッドへと転げ落ちたのを慌てて拾い上げ、簡単に持ち上げた。それほど今のベルグモンが小さく、まるでぬいぐるみのように軽いのだと理解する。ダスクモンとしては不本意だが、ベルグモンは都合が良かった。
琴葉に抱えられた。柔らかい手が、触れられている。視線が同じ高さにある。それだけでベルグモンは幸せになった。まるで尻尾(正確には背尾だが)が犬のようにぶんぶん左右に振れるくらいには。
「なん、…本当に、ベルグモン…?」
「くるる、」
「うんん…??」
喋れない代わりに鳴いて応えると、琴葉は首を傾げ困惑な表情を現した。
「どう、して…」
不安に眉を下げた琴葉は、寂しさを紛らわすようにベルグモンを抱きしめた。彼女の懐にすっぽりと包まれたベルグモンは首筋に頭を乗せ、心地良さに三ツ目を閉じた。
愛しい人に包まれる喜びに興奮しているにも関わらず、温もりから眠気がベルグモンを襲う。なんて、罪な人だろうか。
「くる、」
「…ベルグモン?」
愛しい人の腕の中で眠れるなんて、これほど幸福なことはない。よれた寝間着に埋もれて、ベルグモンは次第に意識が落ちていった。
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ぱち、と本来の目を開く。汗で濡れた体が不快だった。
いつもの体勢で仮眠を取っていたダスクモンだが、深く眠ってしまったらしい。どこか嫌な夢を見たような気がした。
(…琴葉はまだ起きていない)
既に日が昇り休日の静かな朝を迎えていたが、琴葉は疲れているのかまだ眠っていた。
寝づらかったのか、掛け布団が捲れてベッドから少しだけ垂れ落ちていた。
(珍しい)
ダスクモンは風邪を引かぬよう、脆い人間である琴葉の身を案じて掛け布団を直してやろうとした、その時だった。
小さな羽が数本散らばっていたのを見た。人間界の鳥よりも少し大きなそれは、よく知る色合いをしていた。
「…夢、なはずだ」
ズキリと頭が痛んだ。
もしも、不快な夢が現実だとしたら…と考えて止めた。
「あの、魔女なんぞに少しでも期待した俺が、馬鹿だった…」
夢か現実か曖昧な事象を、関係のない赤い魔女に、ダスクモンは八つ当たりをした。
どうか、夢でありますように。