二話 消えた落語家の謎「今日もお客さん来ませんねー」
今日もバイト代なしかなーなんて不満げにぼやくと少し離れたところで雨彦さんが苦笑する。
「焦ったところで依頼は来ないさ。こういうのは巡り合わせなんだ」
「それにしたってもっと営業活動とか必要な気はしますけどー……」
「外で呼び込みでもしてみるかい」
「そういうのじゃなくてー」
出涸らしのお茶を注ぎながら、雨彦さんが目を通している新聞に視線をやった。今日の一面ははかの有名な落語家の弟子がくるとかなんとか。まったくもって平和なものだ。
「……たとえば新聞に広告を出してみるとか」
「幾らかかると思ってるんだ」
「投資ですよー、投資」
自分の分のお茶を用意して対面に座ろうとした瞬間、玄関のベルが鳴った。
雨彦さんと視線を合わせ、ドアの方へと向かう。待ち侘びた依頼人さんだろうか、いいや、セールスの可能性も否めない。けれど。もしも依頼人さんだった時のために、にこにこと笑顔を作って扉を開けた。
「こんにちはー」
「おや、ここはアヤカシ探偵社で間違いないわよねえ?」
「……ええ、そうですよー?僕は助手をさせていただいてますー」
「へえ!おきつねちゃん助手なんか雇いはじめたのかい」
「おっ…」
おきつねちゃん?と思わず聞き返しそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。あまり思ったことをすぐ口に出すものじゃないと、この仕事を始めてから強く実感している。それにしたっておきつねちゃんって。もしかしなくても雨彦さんのことだろうが、そんなかわいらしい呼ばれ方をされているなんて知らなかった。
「華村サン。久しぶりだな」
さて依頼人かを確認しようかと口を開こうとしたところ、突然頭上から雨彦さんの声が降ってきて肩が震えた。目の前のお客さんが小さく吹き出すのを見てきっと頭上を睨みつけても、彼はどこ吹く風といった様子だ。
「ええ久しぶり。相変わらずそうだねえ」
「立ち話もなんだ。中にどうぞ」
「お茶を用意しましょうかー」
「ああ、お茶は持参してるから大丈夫。最近お気に入りの葉茶屋さんがあってねえ」
そう言って鞄から取り出した水筒には清澄の文字が彫られている。たしか九十九先生のお店の隣にあるお茶屋さんだ。
「華村サン、こいつは北村だ」
「あ、北村想楽ですー。ちょっと前からここのお手伝いをしてます」
「アタシは華村翔真。そこのお人には昔お世話になってね。あれはもう何年前だったか…」
「5年はゆうに超えてるだろうな。あれは確か上京したばかりの頃だ」
「ふふ、あんたは全然変わらないねえ。……いや、少しは変わったのかしら」
柔らかい目で見つめられて曖昧に微笑む。雨彦さんは少し冷めた出涸らしのお茶を啜った。
「それで、何か困りごとかい」
「ああそうだよ!聞いておくれ、ボウヤが居なくなっちまったんだ」
「ボウヤ?」
「驚いた、会わない間に子供ができたのかい」
「違う違う、あたしのお友達だよ。昨日こっちに来たんだが、今朝から姿が見えないってみんな大騒ぎさ」
「警察には言ってあるんですかー?」
「もちろん伝えたよ。ただ警察じゃあ見つけられないところまで行っちまった可能性もあるだろう?奔放な子だから心配で心配で…」
警察じゃあ見つけられないところ、と脳内で反芻する。それなら雨彦さんの得意分野ではあるだろうが、人探しは犬や猫を探すのとはわけが違うと以前言っていたような気がする。
けれどまあ。旧友の頼みとあらばこの人は二つ返事で受け入れるのだろうという予測も立っていた。ちらりと時計を見遣ると時刻はまだ10時半。夕方のバイトの前には片付くだろうから、一希先生への土産話にもなりそうだ。
「その子の写真はないのか?」
「アタシは持ってないけど……アンタが持ってるわよ」
「……どういうことですかー?」
「ほら、その写真」
翔真さんが扇子で指した先は今日の新聞の一面。本日から巡回公演を開始する猫柳キリオの写真だった。
「ボウヤってこの人なんですかー!?」
「さすが、華村サンは顔が広いな」
一体何者なんだと顔をあげると残念ながらアタシはただの一般人だよ、と笑いながら扇子を開いて見せた。柳の描かれた扇子は右下に小さく猫のマークが入っている。
「とにかく、公演までには連れ戻さないとお客さんががっかりしちまうからね。まあすっぽかすような子じゃあないから余程のことがない限り帰ってくるとは思うんだけど……頼まれてくれるかい?」
「華村サンの頼みは断れねえな」
「そう言ってくれると思ったわ」
にっこりと笑ってこちらに視線を寄越す。
「報酬ははずむわよ〜」
「わー、ほんとですかー?」
「そらちゃんがアタシに着いてきたいって思っちゃうくらいあげちゃおうかしら」
「はは、そいつは困るな」
ひとつも困ってなさそうな態度だけどその言葉に少しだけ胸が騒ぐ。翔真さんは僕らを見てにっこりと笑い、ぱちんと扇子を閉じた。
「さあて。それじゃあアタシも散歩がてら捜索に行くとしましょう。ああそうだ、ふたりともお昼一緒に食べない?ここの下の喫茶店好きなのよね」
ここの下、というと幸広さんのお店だ。僕もアルバイトをしてまかないにご飯を食べさせてもらったことが何度かあるが、あそこの料理と洋菓子は絶品だ。行きたいなー、と隣の男に視線で訴える。
「北村のバイトは何時だったか」
「17時ですー」
「あら、ここ以外にも仕事してんのかい」
「稼ぎが少ないものでー」
「そりゃあ良くないねえ。可愛い子はしっかり捕まえておかないと目を話した隙に飛んで行っちまうよ」
「だってー、雨彦さん」
「分かった分かった。とりあえず12時に下の喫茶店で経過報告をしよう」
時間を取り決めて翔真さんと別れる。華のなくなったような少し寂しい空気のなか、雨彦さんがひとつ伸びをして口を開いた。
「さあて。とりあえず北村はこのあたりの店の様子を見てきてくれ」
「別行動ですかー?」
「そのほうが捜索範囲が広がるだろう」
何を今更、と眉を顰める。今までの飼い猫の捜索だとかは大抵一緒に行動してきたじゃないか。だからといって一緒にいたいなんて言い方も違うしと口をつぐむ。
「そう不満げな顔をなさるな」
「してませんけどー」
すれ違い様に頭を撫でて扉を開く。戸締まりは頼んだ、と言い残され、はーいと間伸びした返事を返した。撫でられた頭を抑えながら事務所の鍵を取りに行く間にからんと鈴の音がして、雨彦さんはどこかへ行ってしまった。
とりあえず顔馴染みの店に行こうかな。換気中だった窓を閉めた後、事務所の扉に外出中の張り紙をして鍵を閉めた。
ー古書店
「……というわけなんだけどー。この顔に見覚えはある?」
一希先生は新聞の写真を見て目を細める。古書店は相変わらず閑散としていて、一希先生は悪びれもせずカウンターに原稿用紙を広げていた。
「……ああ、この人はうちに来たな。たしか1時間ほど前に…小説を買ってた。どこかで見た顔だと思ってたが落語家の人だったのか」
「さすがの記憶力だねー。この人がこのあとどこかに行くって話は聞いた?」
「おれは聞いてないが…隣の店の茶葉を持っていたから、その店にも寄ったんだと思う。そちらの店主に話を聞いてみたらどうだ」
「ありがとうー。それじゃあまた夕方にね」
「ああ。また話を聞かせてくれ」
ー葉茶屋
「こんにちはー」
「いらっしゃいませ」
店主が顔をあげる。店内はお茶のいい香りがする
「ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけどー」
「……?はい、なんでしょう」
「この人に覚えはありませんか?」
「!あ、あの……この人が何かご迷惑をおかけしたのでしょうか」
「ご迷惑というかー…捜索願いが出てるんですー」
「また誰にも言わずに出かけたんですね!?本当あの人は、数年前から何も変わっちゃいない…」
「……お知り合いなんですかー?」
「知り合い……そうですね、友人、でしょうか…」
「へえー」
それじゃあ有益な情報が得られるかもしれない、メモ帳を開いてペンのキャップを外す。
「ああ、すみません、お客さまにお茶も出さずに…」
「あ、いいえ、おかまいなくー。この後もいろいろと行く場所がありますしー」
「でしたらこの茶筒をお持ちください、返却はいつでも大丈夫ですので」
そういえばこれと同じものを翔真さんが持っていたな、と気づいたが特に必要のないことなので言わずにおいた。
「この後の予定とか聞きましたー?」
「ええと、隣の本屋さんに行って…探偵社?に遊びに行くとか…」
「探偵社?」
「ええ。ご存知かと思いますが、そこの茶店の二階にある事務所です」
「……僕、そこから来たんですけどー…」
「そ、うなんですか…?入れ違いになるような距離ではないですよね」
「うーん。お留守番を置いとくべきだったかなー」
「猫柳さんのことですから、どこかに寄り道をしているんだとは思いますが…」
「ふうん……じゃあやっぱり事件性は低いとみていいのかなー」
「事件…?」
考えてもなかったというように顔を青くする。また余計なことを言ってしまったかも、と思った時には遅かった。
「わ、私も探します!」
「えっ、でもお店は…」
「兄に頼みます、今日は休みのはずでしたので」
そう言い残すと奥の方へと引っ込んでいく。メモをまとめながら名前を聞いてなかったことに気づいた。戻ってきたらまず自己紹介だ。
ーカフェの前
「あら、九郎ちゃん」
「華村さん!戻ってらしたんですか」
「ボウヤの公演を観に来たんだけどね。挨拶しに行ったら居なくて」
「なるほど……その、猫柳さんは」
「見つからなかったよ。その様子だと九郎ちゃんたちも?」
「残念ながらー。でもキリオ先生がうちに来る予定だったって話を聞いたので一度戻ってきたんですー。僕は事務所を覗いてくるので、お二人はお先にカフェで休んでてくださいー」
2人と別れ、1人階段を登る。扉の貼り紙が剥がされてるのを見て首を傾げた。雨彦さんも事務所に帰ってきたのだろうか。扉を開けようとして、そのノブが回されたのを見て後ずさった。間一髪ぶつからずに済んだ扉の向こうには、今朝見た写真のその人がいた。
「あ………」
「にゃにゃ!これは失敬、お怪我はなかったでにゃんすか?」
「えっ、ああ、はいー」
独特な語り口調に面食らう。僕が次の言葉を見つける前に彼はつらつらと言葉をつなげていった。相槌を挟む隙間を探しながら視線を彷徨わせると彼の後ろに立つ雨彦さんと目が合う。
「北村、悪いが猫柳を連れて先に向かってくれ。俺はちょっと掃除を済ませてから向かう」
「事務所の掃除なら僕も手伝いますよー。キリオ先生もまさかここからカフェまでの距離で迷子にはなりませんよねー?」
「カフェでにゃんすか?」
「ここの一階のカフェで翔真先生と九郎先生がお待ちしてますー。2人とも心配してたよー」
「うむむ、くろ〜クンのカミナリの気配を察知…」
「1人で行けますかー?」
「心配無用ぞなもし!お二人に会うのが楽しみでにゃんす〜」
楽しげにパタパタと階段を降りて行く、その背中を見届けた後僕は事務所の中へと入った。
「キリオ先生はどこにいたんですかー?」
「倉庫だ」
「倉庫?鍵はかけてたと思うんですけどー」
雨彦さんの後ろをついて倉庫へと続く廊下を歩く。倉庫の中はところどころ物が倒れて散らかっていた。
「ほんとだ、散らかってるー」
道を作るように物が移動させられている。被害状況を見るために奥の方へと進んでいった。
「北村、あんまり近付くな」
何に?と聞こうとして振り向いた瞬間、後ろから強い力で引っ張られた。よろけて倒れる寸前で雨彦さんに腕を握られ引き戻される。
「蒼井」
雨彦さんのいつになく低い声に身体がこわばる。彼の視線の先、僕の背後をおそるおそる振り返った。
「もー悠介、だからやめとけって言ったのに」
「へへ、ごめんなさーい」
普段は布が掛けられている鏡台の鏡の中に、2人の少年の姿があった。驚いて雨彦さんの腕を掴む力が強くなり、北村、と嗜めるように名前を呼ばれる。
「想楽くん、はじめまして!俺は悠介っていうんだ!」
「はぁ…悠介がごめんね、俺は享介」
双子、だろうか。鏡に映したようにそっくりな少年2人は悠介、享介と名乗った。
「あ、雨彦さん、これって」
「北村はなかなか慣れないな」
「そんな簡単に慣れないよー!まさか事務所にアヤカシがいたなんて」
「しかも2人!」
「なんかラッキーだと思わない?」
アヤカシとは端的に言えば人でないものの総称だ。
「……悠介くんと享介くんはどうしてこの鏡台に?」
2人は顔を見合わせて口々に喋る。
「えー?」
「どうする悠介?」
「どうしよっか享介?」
「うーん」
「内緒にしない?」
「そうだね、ひみつ!」
どうやら教えてもらえないようだ。それは後でこっそり雨彦さんに教えてもらうとして、この2人が今回の事件の犯人ということだろうか。
「キリオ先生はここにいたんですかー?」
「ああ」
黙々と片付けを始めている雨彦さんを見て慌てて僕も掃除に取り掛かる。といっても倉庫にはあまり入らないように言われていたから物の位置だって曖昧だ。よく掃除が行き届いているとはいえ少し埃っぽい。
「その2人が猫柳を鏡の中に引き入れてたようでな」
「あーっ違うって言ったじゃん!」
「キリオくんの方から入ってきたんだって!」
鏡の中に引き入れる、と言葉の意味がよく理解できないままに背筋を寒気が走る。敵意や恨みのなさそうな人でも悪気なく道理に反したことをするのがアヤカシだ。雨彦さんが「掃除」してないってことは害がないってみなされたことなんだろうけど、それがこれからもずっとそうだとは限らない。
「じゃあさっきのって」
「あれはちょっとした冗談だよ〜」
「悠介のそれは冗談になってないんだって!」
からからとやりとりをする2人はとても仲の良さそうで、鏡の中にいること以外はごく普通の少年に見えた。
「まあ猫柳もそう言ってたからな」
さらりと手のひらを返す雨彦さんに苦笑しながら、散らかった雑貨を元の場所に仕舞い終える。
「そもそもその鏡は、人間が入るなら双方の合意がないと入れないんだ」
「へー……向こうってどうなってるの?」
「楽しいよ!」
「想楽くんも来る?」
2人が目を輝かせる。
「やめときな」
「んー。とりあえずお腹すいたなー」
「そうだな、そろそろ下に向かうか……失礼するぜ」
雨彦さんが鏡台に布をかぶせる。布の影から声が聞こえることはなかったが、僕のことを知ってたあたり、こちらの様子はある程度分かっているのだろう。鏡台を一度振り返って扉を閉める。
「何食べようかなー」
階段に2人分の靴音が響く。階段の下からは賑やかな話し声と料理のいい匂いが立ち上ってきた。
「ねえ、あの2人のこと教えてほしいなー」
「後で教えてやるさ。九十九への土産話にするといい」
階段を降りてカフェへと入る。楽しそうに談笑する3人を見つけるのは容易かった。キリオ先生の講演にも間に合いそうだし、少し倉庫が荒れた以外の被害もない。これにて一件落着ということでいいだろう。
──キリオ先生が寄席で僕らのことを話してくれたおかげで、うちへの依頼が激増したのはまた別の話。
気になったところ
キリオがどのタイミングで事務所に潜入したのか?