Autumn Gleam金木犀の甘い香りがふんわりと漂う夕暮れ時。スレッタは小さく息を吸い込むと、嬉しそうに目を細めた。
「ん~、いい匂いです」
隣を歩くエランが少し顔を傾ける。
「金木犀の香り?」
「はい。この匂いがすると、秋だなあって思います」
そう言ってスレッタは、どこか懐かしさを感じるように微笑んだ。エランも視線を前に戻しながら小さく頷く。
「そうだね」
「紅葉を見るのも好きですけど……金木犀の香りって、甘くて、どこか懐かしさを感じさせてくれる香りですよね」
彼女の言葉に耳を傾けながら、エランはゆるやかな風に乗る金木犀の香りを静かに感じていた瞬間。
『ぐぅうう』
その場を空気を壊すような音がなる。エランは音の発生源をじっと見つめると、発生源であるスレッタはエランの方を見ることもなく固まっていた。
「いしーやきーいも~おいもだよ~」
タイミングがいいのか悪いのか、どこからともなく焼き芋屋の掛け声が聞こえてくる。エランは沈黙を破ってスレッタに問いかけた。
「――焼き芋でも食べる?」
「でも、晩ごはんがおでんなので……」
「控えるのがむずかしいというか」
母親が作ったおでん。居酒屋では出す濃いめのおでんとは違い、家で食べるおでんは出汁のきいた優しい味付けでスレッタの好物だった。夕食前に焼き芋を食べたところでおでんも完食することはなんら問題ないが、大食いだと思われてしまうことにスレッタは気が引けた。
「それなら半分に分けようか」
エランの提案に、スレッタはぱっと顔を輝かせる。
「それなら……ぜひ!」
秋の匂いと温かな焼き芋の甘い香りが、二人の間にふんわりと広がっていった。
「熱いから気をつけて」
「ありがとうございます」
商店街から少し離れた場所にある小さな公園。住宅街の中にひっそりと佇む公園で、エランは今しがた買ってきた焼き芋を半分に割りスレッタに手渡した。ねっとりとした質感で黄金色に輝く焼き芋は割った瞬間に湯気がふわりと立ち上がり甘い香りが二人を包み込む。
「ん、すごくおいしいです……!」
「そう。よかった」
キラキラと目を輝かせて満足そうに頬張るスレッタの姿をエランは静かに見つめていた。
「そういえば、さっきのおいも屋さんの声……」
「なんだかねっとりとした言い方でしたけど、聞き覚えがあるような」
「気のせいじゃないかな」
自分と同じ顔の陽気な青年が屋台に居たが別に話題に触れる必要はない。スレッタは「そうですか」と特に気にかけることもなく焼き芋を再び口にした。
◇◇◇
「ごちそうさまでした」
「それなら帰ろうか」
「はい」
椅子代わりにしていたブランコから立ち上がり、家路へと歩き出す。最近は日没が早くなってきたこともあり、バイト先の店主であるプロスペラからの頼みでエランはスレッタを家まで送り届けていた。
「ごめんなさい、大丈夫だって言ったんですけど」
居酒屋から自宅まではそう遠くはない。ましてや自分は小学生でもないのに、エランにこのようなことをさせてしまい申し訳なくなったスレッタは謝罪した。
「君のお母さんの言うとおり、ひとりで夜道を歩くのは危ないよ」
「それに僕がそうしたいと思ったから」
「気にしなくていいよ」と優しく声をかけられると、慣れない扱いに照れくさくなったスレッタは視線を逸らしつつもお礼を言った。
「あ……」
ふと視線を逸らした先には地平線に沈みかける太陽が目に入る。空や街、山を黄金色に染めていく光は穏やかに包みこんでくれているようだった。
「夕日がきれいですね」
見慣れたはずの夕日にどうしてか魅入られたスレッタはその地平線を見つめてボソリと言葉にする。
「――そうだね」
エランもそう一言返すが、淡緑の瞳に映るのは黄金色に染まる赤毛の少女だった。
甘くてどこか懐かしさを思わせる花の香りは、まだ言葉にできない淡い感情を秋風に乗せて運んでいく。その香りは夜に紛れて地平線の向こうに消えていった。